ページ

2016年9月9日金曜日

「結婚考」




大橋巨泉は大嫌いだったが、永六輔さんは大好きだった。
巨泉は確かに“話術の天才”であり、企画力もあり、博識多芸であった。
そして一言居士でもあったが、詩才なく一文が書けなかった、それ故これといった名言(名文)はない。

永六輔さんは言葉の天才、話術の天才であった。その詩才は日本史に残る。
それ故数多くの名言、名曲、名書、言行録がある。
例えば“愛”について
「愛することの反対は、憎みあうことではありません。無関心になることです。」
「小異を捨てて大同につく。よく使う言葉ですが、結婚するってそういうことなんだ。」
「青二才でも結婚すると男らしくなり、出産すると娘は女らしくなるもんです。」
「いいですか、夫婦ったってアカの他人ですよ、アカの他人同士が起こす奇跡、それが結婚というものです。」
最後にこんなのを「十代の夫婦はセックス夫婦、二十代の夫婦は愛で結ばれる夫婦、三十代の夫婦は努力して夫婦、四十代の夫婦は我慢の夫婦、五十代の夫婦はあきらめの夫婦、六十代の夫婦は感謝しあう夫婦。」
七十代は忘れ合う夫婦、八十代は記憶すらない夫婦だろうか。

ことのついでに結婚についての江戸小咄を一つ紹介する。
婚礼が終わって半年、亭主が語り、女房が聞く。
婚礼が終わって三年、女房が語り、亭主が聞く。
婚礼が終わって十年、亭主が怒鳴り、女房がわめく。
それを隣の人が聞く。
結婚へは歩け、離婚へは走れという言葉がある、決して焦るな、決してズルズルするなということだろう。

結婚とは雪景色のようなものである、はじめはキレイだがやがて雪解けしてぬかるみができる。
そもそも偶然出会った一組の男女が何十年もずっと一緒にという方が変だと言えば変なのだ。
ある格言だが「ずっと長い間結婚生活(同居生活かも)をするなら、会話を多くしないことだ。」

夜帰宅すると一本の電話が入っていた、夜遅かったが電話をした。
相変わらず小鳥のような笑い声が出た。
その内容が♪〜別れても好きな人みたいな話だったので、結婚について記すことにした。これからの人生に相方幸多かれと願うのだ。

♪〜粋な別れをしようぜという歌もある。
これから結婚する人たちには心から祝福をする。
9月19日、親愛なる友人が女学館出身の美人、才女とウラヤマシイような結婚パーティーをする。スピーチの一番バッターを頼まれている。
さて何を語るかと考えている。(文中敬称略)

2016年9月7日水曜日

「8×4(エイトフォー)」




最悪の伊東行きであった。昨日むせかえるような新橋駅から列車に乗った。
どこかで信号の故障があったとかで列車は遅れていた。
午後八時過ぎに乗った。

グリーン車に夕刊紙を買って乗ったのだが満員で座れない。
チキショウと舌打ちした。入り口のところに立ったのだが、そこに二人の会社員風三十代の男が同じく立っていた。
なんとその二人が缶ビールと歌舞伎揚げと柿ピーを手にしていた。
ヤバイと思った。

品川駅に着くと人がグイグイ乗って来たので、階段の下の部分に移動した(2階建てなので)、すると男二人も同じように移動して来た。
ぷーんと歌舞伎揚げと柿ピーの臭いがして、ビールの臭いと一緒になって私の最も苦手な展開になった。

柿ピーは自分が食べている時はすこぶる旨いし、ビールも勿論旨い。
が他人が隣で食べていると不気味なほどの臭いとなり、柿の種を食べる音に精神がかき乱される。一人の男が食べていた茶色い柿の種一個が、もう一人の男のシャツの肩にポトンと落ちてへばりついたが男は何気にそれを取って口に入れた。
一人でも我慢できないのに二人となると生き地獄となる。

二人は同僚のようでサッカーの話をしている。
タイなんかに負けたら監督はクビだよなとか、テレビ間に合うかなとか、やけに混んで蒸し暑いなとかをポリポリ、ガリガリ食べては缶ビールを飲む。
ウグッなんて一人がゲップをした時、我慢もこれまでかと思い、ウルセイ、クセイ、静かにしろと言おうと思ったがグッとこらえた。

まあサキイカはないし、チーカマもないし、貝柱燻製もないし、何しろ暑いしと思いやっと川崎に着いた。
だが数人降りて数人以上乗って来たので、更に混んで来た。
いっそ降りて隣の列車に移ろうと思ったが、何か逃げ出すようでやめた。
そうか、8×4(エイトフォー)を持っていた、男の汗臭さを消すというスプレーだ。

バッグからそれを持ち出して殺虫剤をまくようにブシュー、ブシューとあてこするように首筋に吹き付けた。なんだこりゃ、な、なんなのこれ、という感じになったのだが一人の男が、オオーいい臭いなんて言って私に向かって笑いかけた。
サッパリしやすねと愛嬌のある顔だった。黒いジーンズに青い半袖のシャツを着ていたのだが、8×4によって黒いジーンズに吹きつけたものが白く点々とくっついた。

真っ赤な口紅が流行っているのか、振り返った女性は渡辺直美のような感じでやけに赤い厚い唇が怖かった。彼女の服にも8×4の白いものが少々かかったらしい。
ナニスンノヨコンナトコロデ8×4なんてバカオヤジという顔だった。

家に帰ると愚妻がクリエイトなんかで柿ピーが何袋も入っているのを買って来ていた。実は息子の大好物なのである。
これとじゃがりこ、ハッピーターンの三点セットだ。
息子は、酒は飲まないのに柿ピーは袋の口を開けバババーと一気に口に投入するのだ。

スナック菓子を作っている工場に取材に行った時、絶対食べない方がいいですよ発ガン物質ばかりですから、ネズミに食べ続けさせるとほぼ100%なりますから、なんて言われて皿に山盛りのスナック菓子を出された事がある。

日本代表のサッカーは20でやっとこさ勝った。
相手のシュート数はわずか23本、日本代表は25本以上。負けたも同じ試合であった。
何しろ相手は世界ランク117位だ。私は横浜で一度降りてベンチで次の列車を待って乗り換えた。

この私にやっと我慢が身について来たのだ。
新しいプロジェクトをやり遂げるまでは、じっと我慢なのだ。
今の私は殴られてもニコッと笑い、蹴られてもニタッと笑う。
そう心に決めているのだ。但し××の場合は必ず×××にする。

石巻から初サンマを送って頂きそれを食べた。三宅島のくさやと同じ絶品であった。
お刺身まであった。すだちと大根おろし、これで日本一の和食だ。

2016年9月6日火曜日

「下半身の戦い」




私はスポーツ観戦といえば野球とボクシングだ。
深夜BSで海外のサッカーも観る。

過日日本代表がUAE12で負けた。
毎度同じでメンバーが多い、本田、長谷部、香川、岡崎、宇佐美、吉田などの選手だ。
すっかりチヤホヤされてスター気取りとなっている選手は、格下の中の格下に負けた。
後半になるともう動きが悪くヘトヘト、ヘロヘロだった。

今日は格下の中の格下の中の格下、世界ランク117位のタイと戦う。
バカな報道はこれを世紀の一戦と大騒ぎしている。
バカヤロー負けたら全員丸坊主になって当分ネパールの山の中で精神修行をして来いと言いたい。南米のサッカーなんてまる喧嘩(戦争)だ。
レフリーの目を盗んでヒジで殴る、ヒザで蹴る、足を踏んづけるなんて当たり前だ。
頭突きに飛び蹴りだってやる、流血なんてザラだ。

孫子の兵法にはこう書いてある。喧嘩(戦争)はしてはいけない、調略で勝てと。
但し止むなく戦いとなったらどんな手を使ってでも勝てと。
日本代表のサッカー選手たちは、前へ前へ向かう事なく、ハイ、キミへ、ハイ、キミへと横へばかりアッチ向いてホイばかりだから相手にナメられてしまう。
汚い手もルールの内、見つかればイエローカードにレッドカードだ。
見えない技術を使うという事を学ぶといい。

東京都知事小池百合子氏がボスだかドンだかを相手に身内でチームを作ってドンチャン騒ぎをしている。役人は人事が全てだから、きっと人事で潰される。
私の知る限り、ドンなんていう人も遠くから見るとその影はやけに大きく見えるものだが、接近密着すれば影はなく、やさしくてかわいい孫が大好きなご老人だよ。
それに命の先が短いから思いの外弱気なんだ。

命なんかイラネエというドンは歴史上いない。
あの平清盛や後白河法皇だって同じ、徳川家康なんて死ぬのが絶対に嫌だったのだ。
人間には死という絶対に勝てない相手がある。
カッコをつけてスタンドプレイをするとサッカーも政治も勝てない。
但し一人で何人も抜き去ってゴールを入れる位の事はしなければならない(技術があれば)。100位で勝って当然の相手だからね。

下半身に力を込めてガンバレ、「性器の一戦」を。
夜のタイには美人も多いし、ニューハーフも多いから気をつけるべしだ。
それに辛い料理も気をつけるべし、腸が下がり下半身がシマラなくなってしまうからだ。

2016年9月5日月曜日

「スタートです」



昨日東京新聞朝刊に3年近くかけて企画をすすめていたプロジェクトの広告が掲載されました。91011月とシリーズで掲載されます。
全文を記しますので、東京新聞を購読されていない方はぜひ読んでください。


幸福な家庭の顔はお互い似かよっているが、不幸な家庭の顔はどれもこれも違っている。
−レフ・トルストイ

 私たちの国はアメリカをはじめとする寄付先進国から見ると、残念ながら未だ後進国といわざるを得ません。
 私たちはNPO活動を正しく理解していただき、新しい活動を応援していきたい。NPONonprofit Organization」という意味は、広義では非営利団体、狭義では非営利での社会貢献活動や慈善活動を行う市民団体と位置づけられています。
私たちが応援するNPOは多くの人々から寄付をいただき、みなさまのご理解を活動の資金として運営しております。ただ、一部では誤解もされています。無料奉仕、無償奉仕活動と思われているのです。そのため、私たちはきちんと透明性をもち健全に運営をし、正式な法人格(公益社団法人、認定特定非営利活動法人)を得て世の中に尽くしているNPO活動を応援したいのです。
格差社会の中で悩み苦しむ、生まれながらにしてハンデがある、また不幸にしてハンデを抱えてしまった、そんな隣人を愛するために知性と知恵を集め、いつまでも変わらぬ友情を持って、プロジェクト名を「KIFUJIN PROJECT」と名付けました。私たちはNPO活動や社会貢献をする企業、人との接点や繋がりをつくり、その輪を広げる活動をプロデュースしていきます。
そして、寄付行為をしてくださるご理解ある方々に、人としての人格と品位を感じていただきたいと考え「きふ人」と呼ばせていただきます。
寄付文化から「きふ人文化」へとその輪を広げていくのです。

生まれたばかりのプロジェクトですが、今後の活動にどうぞご期待ください。                    発起人 東本三郎



2016年9月2日金曜日

「大先生」

広告界の先駆者に土屋耕一大先生というという名コピーライターがいた。

すでに亡くなっているが、軽妙にして酒脱、優雅にして風雅、そして正宗の名刀のように時代を鋭く切った。特に伊勢丹、資生堂においての名作は歴史に残る。
その中に「テレビを消した一週間。」というのがあった。
テレビ全盛時代、テレビに釘付けの時代に、やんわりとファッショナブルに一週間テレビの前から離れてみようと提案したのだ。
今ならツイッターやライン。スマホやパソコンなどから一週間はなれてみようということだろうか。

沖縄の友人のホテルにはテレビがない。どこにもない。
30日東京を出発して2日間まったくテレビという存在に気づかなかった。
ということはアタマに来るニュース、嫌なニュース、不愉快なニュース、悲しいニュース、無惨なニュース、怖しいニュースなどに一切出会うことがなかったということであった。これ以上なく新鮮であった。
新鮮な魚貝類、新鮮な昔話、新鮮な沖縄民謡と親娘三人による沖縄の踊り、そしてホテルオーナーの友人との新鮮な会話。気持ちいい夜風、夜空にたくさんの星、じゃれつく二匹の猫、イギリス人ミュージシャンのR&BのCD、ジャックダニエルと友人の喫うパイプの香り。昔話は何度も話すのが常だがそれが楽しい。
テレビがあるのをつけないのと、そもそもテレビがないのは違う。
人生について、夢について、映画、音楽、恋愛、結婚、離婚や友人の死について語り合った。
酒が入った会話というのはほぼ80%がム・カ・シ・バ・ナ・シである。
「サプール」というコンゴ人のファッション写真展もみたし、「ナビィの恋」も生で聞けた。
新聞も買わずに空港の待合室のテレビをみたら、北海道の大洪水のニュースに直面、あっという間に現実の世界に入った。次々と大災害のニュース、想定外、情報が入らない、水がない。まさかこんなことになるなんてと学者や役所、そして国の責任者。
毎年繰り返されるシーンだ。“デ・ジャヴ”だ。
亜熱帯化された地球は確実に狂暴化している。神も仏も熱中症だ。

東京都知事小池百合子氏が性力的否精力的に動いているシーンもあった。
役人は外部の人間による動きには異常に敏感だ。
“桂馬の高転び”ということわざがある。調子に乗り過ぎると役人という人事と金が命の生き物は深く静かに潜航して密告者となる。
テレビを見るとやはりよくない気分となる。

「テレビを消した一週間。」土屋耕一大先生は文明批評家でもあった。
「こんにちは土曜日くん。」は週休二日制を生み、「ああ、スポーツの空気だ。」では、スポーツ社会を生んだ。

今、ご存命ならなんと書いただろうか。