大橋巨泉は大嫌いだったが、永六輔さんは大好きだった。
巨泉は確かに“話術の天才”であり、企画力もあり、博識多芸であった。
そして一言居士でもあったが、詩才なく一文が書けなかった、それ故これといった名言(名文)はない。
永六輔さんは言葉の天才、話術の天才であった。その詩才は日本史に残る。
それ故数多くの名言、名曲、名書、言行録がある。
例えば“愛”について
「愛することの反対は、憎みあうことではありません。無関心になることです。」
「小異を捨てて大同につく。よく使う言葉ですが、結婚するってそういうことなんだ。」
「青二才でも結婚すると男らしくなり、出産すると娘は女らしくなるもんです。」
「いいですか、夫婦ったってアカの他人ですよ、アカの他人同士が起こす奇跡、それが結婚というものです。」
最後にこんなのを「十代の夫婦はセックス夫婦、二十代の夫婦は愛で結ばれる夫婦、三十代の夫婦は努力して夫婦、四十代の夫婦は我慢の夫婦、五十代の夫婦はあきらめの夫婦、六十代の夫婦は感謝しあう夫婦。」
七十代は忘れ合う夫婦、八十代は記憶すらない夫婦だろうか。
ことのついでに結婚についての江戸小咄を一つ紹介する。
婚礼が終わって半年、亭主が語り、女房が聞く。
婚礼が終わって三年、女房が語り、亭主が聞く。
婚礼が終わって十年、亭主が怒鳴り、女房がわめく。
それを隣の人が聞く。
結婚へは歩け、離婚へは走れという言葉がある、決して焦るな、決してズルズルするなということだろう。
結婚とは雪景色のようなものである、はじめはキレイだがやがて雪解けしてぬかるみができる。
そもそも偶然出会った一組の男女が何十年もずっと一緒にという方が変だと言えば変なのだ。
ある格言だが「ずっと長い間結婚生活(同居生活かも)をするなら、会話を多くしないことだ。」
夜帰宅すると一本の電話が入っていた、夜遅かったが電話をした。
相変わらず小鳥のような笑い声が出た。
その内容が♪〜別れても好きな人…みたいな話だったので、結婚について記すことにした。これからの人生に相方幸多かれと願うのだ。
♪〜粋な別れをしようぜ…という歌もある。
これから結婚する人たちには心から祝福をする。
9月19日、親愛なる友人が女学館出身の美人、才女とウラヤマシイような結婚パーティーをする。スピーチの一番バッターを頼まれている。
さて何を語るかと考えている。(文中敬称略)