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2016年9月28日水曜日

「プールとおでん」




朝、裸になりシャワーを浴びる。
その前に体重計に乗るのを日課としている。
別にダイエットをしている訳ではない。
太ると腹が出っ張ってシャツのボタンがきつくなったり、Tシャツやアロハが着られなくなったりする。そうでなくても見た目がダメなのに、輪をかけてダメとなる。
現在ダメ進行中だ。

食べたいものをたらふく食べてしっかり太っている人を見ると、実にウラヤマシイと思い尊敬する。私は中途半端者なのだ。オッ、な、なんだこれはと思う朝がある。
なんでだついに体重計は壊れたかと思う。
位置が悪いのかと足で体重計を動かして再び乗るが1980円で買った体重計は古くても正しい。あっそうかと思うのは決まって夜のおかずが“おでん”の時だ。

おでんは大、大、大好きなのでつい食べ過ぎる。
商店街からおでんの種屋さんが消えてなくなったので、袋に何個も入ったおでん種を大きな鍋でつくってある。
こんなに誰が食べんだよと言えば、息子たちが来るからと、だが来るはずが来ないこともある。こんにゃく、糸こんにゃく、スジ、つみれ、巾着、ゴボウ巻き、ウィンナー巻き、里芋、ゆで玉子、ロールキャベツ、イカ巻き、厚揚げ豆腐、竹輪、ちくわぶたち。ハンペンなんかパーンと破裂しそうに膨れ上がっている。
もったいない、食べねばとなる。

小腹が空くとまた食べる。
夜食として午前二時、三時頃にまた食べる。
いつものグラスでお酒をチビチビ飲みながらちょいとおつまみ感覚で食べてしまう。
夜中お酒飲んで火を使わないでよの言葉などはなんのそので、鍋に火を通す。


時間が経つほど味が染み込んでおでんはその才能を増す。
白いちくわぶなんかかなりだらしなくなっているが、黄色いからしをつけると俄然異才を放つ。
こんにゃくはツルンツルンしているのでからしをちょっとつけただけで、目にツーンと来て涙が出る。泣きながらふくれっ面になっているハンペンにからしをつける。
三角形の真ん中あたりにからしをつけ、それを広げる。美しいではないか。

高級おでん種の牛スジやネギマグロやバクダンやイイダコなどは入っていない。うちは“やす幸”や“お多幸”じゃないと言うに決まっている。
戦後生まれのもったない世代なので次の日もあれば食べる。


少年の頃の夏休み、プールに行くと好きな女の子が水着で泳いでいる(当たり前だが)。杉並区関根町にあったプールの横に公園があってそこにおでん屋台が出ていた。
友だちとおでんを食べながら公園の滑り台のうえからプールを見る、オイ、飛び込んだぞなどと言いながら串に刺さったこんにゃくを食べる、何を食べても一つ10円だった。
野球部員はプールは厳禁だった。嫌な先輩が見張りに来るのだ。
おでんが好きになったのは、プールのせいかもしれない。

今夜はおでんである。
現在午前一時六分四十一秒、小腹が空いて来た。
テレビからブラタモリの再放送「広島」が流れている。

2016年9月27日火曜日

「ハヤシもアルデヨォー」




カレーライスとハヤシライスといえば、かつては王と長嶋、大鵬と柏戸、力道山とルー・テーズみたいな最強のライバルだった。
読書などとは縁遠い私だが、ハヤシライスを食べに東京丸善まで行った事がある。

ハヤシライスの考案者といわれているのが早矢仕有的(ハヤシユウテキ)である。
早矢仕有的は幕末に江戸で医院を開業し、維新後は書店「丸善」を創業した。
医師と実業家の二足のわらじで活躍していた。
横浜にいたころ友人に滋養をつけさせたいと思い、牛肉と野菜を煮たものを振る舞ったのが、ハヤシライスの起源という。


カレーライスといえば横須賀の海軍バルチックカレーが有名だが、カレーライスも乗務員(勿論軍人たちも)の健康を守るために考案されたという。
軍人たちの敵は脚気であった。
人間離れしているイチロー選手は毎朝カレーライスを食べていると何かで知った。

私が少年の頃カレーといえば、オリエンタルカレーとか、キンケイカレーであった。
貧しい家庭で兄姉六人、家に変えるとプーンとカレーの香りがして、やったぁ今日はカレーだと思えば、鍋の中には兄姉が食べたあとのカレーが底にへばりついていた。
チキショウと思っていると優しい母は別の小さな鍋の中にカレーをとっておいてくれた。お母ちゃんは兄姉平等の女性であった。
ハヤシライスが食事に出た記憶はない。カレーよりハイカラだったのだ。

カレーライスには赤い福神漬けがいわば法律であった。
白いご飯に淫らな赤い汁を出す福神漬が染み込む、それをカレーと共にスプーンで口に運び入れる。口の中でカレーとライスと福神漬を染み込ませたライスが混然一体となってフハァー、フハァーとなる。
食べている最中に水を飲んではいけない、これもいわば法律である。
すべてを食べ終わったあとに、冷たい水を一気に飲み干す、コップには冷たさが生んだ水滴がにじみ出ている。カレーライスには色んな決め事があり、フハァーカレーという声が出るが、ハヤシライスにはそれがない。辛くなく甘いからだ。
庶民的というより、ブルジョワ的であった。

最強のライバルはいつしかカレーライスの一人勝ちとなった。
脱線トリオの南利明がテレビCMで“ハヤシもアルデヨォー”と名古屋訛りでハヤシを盛り上げた。早矢仕有的は岐阜出身という。

日本橋高島屋側にカリーライスのみで経営していた超人気の古いcafeがあった。
メニューは普通盛りか、大盛りのみ。
二人に一つ冷え冷えの氷が入ったアルミのヤカンが置かれる。
ゴロン、ゴツンとした大きなジャガイモが二個、ライスに激辛カリーがかけられて出て来る。途中で水を飲むのは初心者だ。
店から出ると汗びっしょり、口の中にカリーと冷たい水との会話が始まる。
カリー店に赤い福神漬けはない。
アイビーがからむcafé、いつからか消えてなくなっていた。
昼時は人があふれ出て行列だったのに。

2016年9月26日月曜日

「ワンカップ大関」


力士が丸い土俵の上で勝負する相手は怪我でもある。
どこもかしこもガタガタでボロボロ、もう駄目だ、今度こそ引退だと思うほどの苦難の連続。中継するアナウンサーなら、残った、残った、徳俵に片足一本親指一本で必死に持ち堪えていますとなる。

大相撲は子どもの頃から大好きでずっと観て来た。
最近は大怪我から這い上がって来た力士を追っている。
好きとか嫌いとかでなく、人生の見本、男の見本、ネバーギブアップの見本としてだ。
大相撲の世界は厳しい。
140キロから220キロ近い体重の力士が、思い切り頭と頭でぶつかり合う(小兵力士の里山とか宇良などは太った一般人と変わらない)。

で頭突き、張り手、突っ張り、かち上げなどボクシングや格闘技のようなものになり、赤い血が土俵の上に飛び散る。それ故お清めの塩をまく。
ガバッとつかんで天までとどけとまく力士も入れば、ほんのちょいとつまんでチョボっとまく力士もいる。これを波(浪)の花(華)という。

一場所15日間負け越した力士の番付は下がる。
体中どこも悪い箇所がないという力士は一人もいない。
もしいたとしたら手抜き相撲をしている無気力者だ。
横綱は絶えず優勝争いをすることを求められ、最低でも12勝が義務だ。
それ以下の成績が続けば資格なし、綱の威厳にかかわると引退する。
大関は二場所負け越すとその座から落ちる。
次の場所10勝以上すれば返り咲けるがこれは非常に難しい。

横綱、大関、関脇、小結、前頭、十両までを関取といい、毎月給料がもらえるが、十両の下の幕下、三段目、序二段、序の口の力士は給料をもらえない。
私たちの世界も同じで戦いに勝って行かねば仕事にならず、次の仕事の声が掛からなくなる。業界には目に見えない番付がある。
どの世界も同じで、人一倍、人の何倍も努力した者が、残った残った、残りましたとなる。

大関豪栄道は怪我ばかりを重ね、弱気となり、引き技ばかりをしていた。
いつからかクンロク(96敗)大関、カド番大関と呼ばれていた。
稽古熱心であり稽古場では強かったが、本場所になると逃げ技に頼った。
今場所もカド番であった。
その豪栄道に何かが乗り移ったのか、初日から連戦連勝を続けた。
引くという逃げ技は使わず、ひたすら前へ前へと進んだ。

14日目横綱日馬富士に土俵際まで追い込まれ、首投げでやっと勝った一番以外は正攻法だった。カド番大関の全勝優勝は史上初であり、大阪出身の優勝は86年振りであった。
土俵の側で手を合わせている母親の姿が印象的であった。
敗ける度に笑われ、バカにされ、罵声を浴びた。相撲の神様は怪我にもめげず一生懸命稽古をした力士にひと花を咲かせた。
十両まで落ちた人気力士遠藤は、大怪我をしても決して包帯をしなかった。
再起不能ではと言われたが這い上がり今場所前頭で132敗で最後まで優勝争いをした。

外国人力士の栃ノ心は大怪我をして幕下まで落ちたが、ネバーギブアップで日本人より日本人らしいと言われ、十両優勝を重ね幕内に返り咲き、小結にまで上がった(今場所は負け越し)。
次の大関といわれる高安もやはり大怪我で落ちる所まで落ちてから這い上がった。

豪栄道は先々場所、横綱白鵬との一戦で顔面骨折という大怪我をしたが休場せずに土俵に上がった。そんな姿を相撲の神様は見ていたのだろう。
傷だらけになって生きて行くことを人生という。這い上がった力士たちに乾杯をした。
酒は勿論“ワンカップ大関”だ。

横綱寸前だった大関稀勢の里はクンロクで終り、一から出直しとなった。
強いのにここ一番で弱い力士の典型であった。力水を差し出す相手がカド番クンロク大関豪栄道で、来場所自分に代わって横綱を目指すとは夢にも思っていなかっただろう。
世の中とは皮肉なものである。一寸先に備えて努力を重ねるしかない。

2016年9月23日金曜日

「自宅にて」




九月二十二日(秋分の日)朝からずっと雨、予定していた行動が出来なかった。
九月に入って雨が降らなかった日は二日だけ、つまり二十日間が雨模様である。
こんな日の夜は秋刀魚だなと思った。
茅ヶ崎の駅ビルに行く用があり、それを済ますと地下の食品売場に行った。
午後六時四十分頃であった。今年は去年より更にサンマ漁が不漁と知っていた。

一度目黒のサンマ祭りというのに行った事がある。当時サンマは大衆魚であり、一匹100円以下であった。サンマ祭りで焼いたのを食べたが、なんだか配給の食べ物を食べさせてもらったようで味気なかった。何十人も並んでいて、何百人が食べていた。
ハイヨ、ハイヨ、ハイヨと焼き上がったサンマを紙の皿の上に置いてもらう。
アリガトウゴゼイマスと一人一匹頂く。

お醤油がなかったのも味気ない要因であった(あったが無くなっていた)。
立って食べたのもイケなかった。サンマをのせた紙の皿を持つ姿はかなり侘しい。
安物でもいいから陶器皿の上にのせ、三角形の大根おろしがあって、やはり三角形に切ったカボスなんかがサンマさんの側にそっとある、サンマと三角形の方式が緊張感を持ってあることに味がある。

東京タワーの下で大船渡から運ばれた、三千三百三十三匹焼かれて食べられたとニュースで報じていたのを見て目黒のサンマ祭りを思い出した。
茅ヶ崎駅ビル地下にあったサンマは一匹三百円前後であった。
旨いサンマを見分けるには口先が黄色く、腹がたっぷり太っていて鱗が銀色にというのがいいと物知りの友人から教わっていた。
昨日そんなサンマは無かったので買うのをやめた。
二十日(水)に特上のサンマとハタハタを、太っ腹の人にごちそうになっていたからかもしれない。一週間まい日サンマを食べても大丈夫なほど大好物の魚なのだ。
上手く食べるにはサンマをのせるお皿を一日ずつ変える事なのだが、ウチは料理屋さんじゃないわと言われるに決まっている。
相手はいちばん美味しい腹ワタを全部残すのだから言っても始まらない。

雨で予定していた墓参りができず、リンゴ三個、大きな梨一個、佐賀産のミカン六個入を買って仏前のところに新しく供えた。先夜おみやげにと頂いたスモモも一緒に。
大福餅や羊羹などお菓子もたくさん供えた。父と母が、亡き友たちが写真の中にいる
白と黄色の菊の花とお線香の白い煙は、しばし心を落ち着かせてくれた。
花瓶は石原裕次郎さんの名が書いてある白い瓶、もともとは松竹梅のお酒が入っていた。百合の花は未だ開いていない。自宅にてのお墓参りであった。

2016年9月21日水曜日

「おでんの季節」




♪〜およばぬことと あきらめました だけど恋しい あの人よ…。
井上ひろしの大ヒット曲「雨に咲く花」だ。

台風の影響で雨また雨、そしてまた雨。世界経済の予報もまた雨。
日本経済といえばずっと長雨。その尻拭いをする人はたまったもんじゃない。
狼少年というか狼老年の日銀総裁黒田東彦はウソの上にウソを重ねてこれからまたウソをつく。御用学者の面々は無責任の極みでシラーっとしてまたシラー。
経済アナリストなどという論外のバカ共は、講演料を高くしたいとテレビに出てはだんだん良くなりますとホッケの太鼓持ち。

こんな世の中に夢も希望もないと1834才までの男の70%近くに恋人がいない。
女性の60%近くに恋人がいないなんていうではないか。
20代の40%近くが童貞なんてどうなってんだと友人に言ったら、その分同性愛が増えているんだとか。

私がこの国のリーダーにと願っている人は今は「忍」の一字、その時までじっと「耐」える。これを「忍耐」という。但し忍耐には戦略的忍耐と戦術的忍耐がある。自民党総裁の任期を延長しようと、ヨイショ、ヨイショの大合唱だ。
見苦しいというか気恥ずかしい事この上なしだ。

来年の事をいうと鬼が笑うというが、四年後の事をいったら鬼は笑い死にするだろう。
一寸先は闇の世界だから歴史に学んだ者が最後に勝つ。
運を手にするには日々是勉強と古来より決まっている。一日の無駄も許されない。
したたかな老人たちはすでに戦略的物言いをしている。
どっちに転んでもいいように戦術を練り上げているのだ。

去年の今頃、誰が小池百合子が東京都知事になるなんて考えていたか。
来年の都議選は衆議院議員選挙と同日になるかもしれない。
否野党共闘ができない内に解散するかもしれない。その時橋下徹は必ず動くだろう。
小池新党も生まれているはずだ。

総理大臣経験者が支持率9%の野党の幹事長になる時代だ。
これ以上プライドを失うものはないのだから、いっそガタ食ってみろといいたい(ガタガタにする)、またはササラモサラにする(竹の棒でバンバン叩いたら竹はバラバラになる)という事だ。

“はじめは処女の如く、あとは脱兎の如く”と言う。さあ、戦略と戦術だ。
軍師対軍師の時代となった。♪〜枯れ葉散る夕暮れは 来る日の寒さのものがたり…。
五輪真弓の名曲「恋人よ」の季節は近い。おでんの旨い季節となった。(文中敬称略)