南北朝時代乱世の頃、武士は武士と呼ばれず「悪党」と言われた。裏切ったり、寝返ったり、逃げたり出たりを繰り返してた「足利尊氏」が室町幕府をつくった後、悪党は武士と呼ばれるようになった。
足利幕府とも言われる。その足利尊氏(アシカガタカウジ)の執権(NO.2)に高師直(コウノモロナオ)という武士になりきれない悪党がいた。
塩谷判官という役人に美しい奥方がいた。高師直はひとかたならぬ思いを持っていたのだろう。ある夜、奥方が入浴しているのをのぞき見する。
この話は今も歌舞伎の演目としてある。
悪党だった高師直がどんな最後を遂げたかは多分想像通りだ。前川元文科省事務次官が悪党たちによって、学校での講演内容をいわばのぞき見された。あるいわ密告(チクル)させた。
新聞、テレビの現場に不法介入し、マスコミを封殺。コノヤローと思ったMCやコメンテーターは姿を消した。悪党たちが手を焼いているのが、週刊文春や新潮などの雑誌だ。
かつて梶山季之(カジヤマトシユキ)がそのリーダーだった”トップ屋”という独立愚連隊のようなモノ書きがいた。独自の取材力で、スクープ記事になるネタを仕入れて、それを書き雑誌社に売り込むのだ。
梶山季之には四天王がいた。その一人にある会社の取材物を手伝ってもらっていたのを思い出す。いつも上着のポケットにウイスキーのポケット瓶を二つ入れ、塩豆の袋を持ち、ウイスキーをキャップの中に入れて朝からチビチビと飲み、塩豆をポリポリとかじっていた。
悪党の裏、その裏、そのまた裏をあぶり出してやる、そして地獄を見せてやるんだと、ボッソリと言っていた。が、取材三回目(確か)が終った後、肝硬変で死んだ、未だ五十才位だった。
「黒の試走車」という自動車業界の秘密の世界を書いて、梶山季之は直木賞候補となり、一躍トップ屋”梶山軍団”は有名になった。黒の試走車は産業スパイという言葉を世に出し、大映で映画化され大ヒットした。
主役は田宮二郎だった。文壇でいちばん銀座でモテたのが、吉行淳之介と言われているが、梶山季之はもっとモテたと伝えられた。週刊誌の記者たちは今でもトップ屋的魂があり、権力何するものぞの気迫がある。但し殆どは人のスキャンダルばかり(男女関係)だ。
週刊誌がいちばん売れるのが、(一)に離婚、(二)に不倫、(三)に二股、三股である。人間という悪党は、高師直的のぞき見習性が誰にでもある。
そのことをデバガメとも言う。
壁に耳あり、障子に目あり、裏切り者はいちばん近くにありと決まっている。
そいつはユダであり、ブルータスよお前もかなのである。
官僚組織を甘く見ると、とんでもない事が世に流出する。これから続々と・・・。
(文中敬称略)