昨日 二十二日は私にとって複雑な日だった。
親友の命日であり、愛する孫娘の誕生日だった。
朝仕事仲間と麻布十番「更科堀井」店の前で待ち合わせて、二人で墓を参る。
粉雪が舞っていた。麻布浄苑の納骨堂もは、一体20センチ程の木の仏像がスズメバチの巣のように集合している。
いつもお茶を出してくれるご婦人がいない。聞けば先日急死したとか。仲間二人と「堀井」に戻り、酒を一合交わし献杯をする。午後十二時頃店内はほぼ満席であった。私には大親友が三人いた。
一人は十六歳で出会い五十三年間ずっと付き合った。
六十九歳癌で死んだ。もう一人は、三十二歳の時からの付き合いであった。三十年ずっと付き合った。六十二歳癌で死んだ。そしてもう一人が二十二日墓を参った友である。六十三歳癌で死んだ。一人は酒と喧嘩に明け暮れた最強の友であった。一年中一緒にいた。朝から朝まで。
一人は今いる業界に入った時からあらゆる仕事を一緒にした。
徹夜、徹夜の仲である。私が行き詰まった時、体をかけて救けてくれた。最高の友であった。
一人は私の先生である。ありとあらゆることを教えてくれた。
最愛の友であった。
つまり私は大親友を三人共癌で失った。粉雪はハラハラと舞っていた。
夜孫娘のところに誕生日の御祝に行った。スクスクと成長していて、プレゼントに持っていった服がすでに小さくてパンパンであり、持ち帰ることとなった。
男と男が旨い酒を交わす仲を「酒敵」という。
又、中国では酒のことを「忘憂」という。「忘憂の友」とは、旨い酒を交わす仲の別の呼び名である。
苦あれば楽あり、苦には四苦八苦があり、楽には極楽がある。
二月二十三日、やけに寒い、今夜は誰れを「酒敵」にするか、「忘憂の友」にするか。そんなことを思いながら銀座を歩いて、服を交換してもらった。
亡き母は私がいよいよどん詰まりになった時、こう言った。
「ケ・セ・ラ・セ・ヨ」と。世の中はなるようにしかならない。
※画像はイメージです。
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