私は「雲呑」である。カタカナにすると「ワンタン」だ。私雲呑はナヨナヨ&ヘナヘナとしている。“ワンタンメン”というのがあるが、私雲呑にとっては、いささか気に入らない。どっちが主役かわかんない。できるなら“ワンタン”のみで食してほしい。雲呑は哲学者みたいである。つかみどころなく難解である。クラゲの中に肉が入っているようなものなので、ナメてかかると痛い目にあう。論被、撃被、喝被される。ラーメンのように従順にツルツルとはいかない。何を考えているか分からない奴を、私雲呑は、アイツはワンタンみたいだと言っていた。先夜仕事仲間四人と仕事場近くの“菊鳳”に行った。エビチリ、スブタ、カニ玉を四人でシェアした。シメにチャーハン一人前を四分割、ワンタンを四分割にしてもらった。むし暑い、店内は喚気のためにドアを開放しているからだ。この店は“安い”、“旨い”、“早い”の見本のような店で、超一流、一流と言われているところより、断然に美味しい。結婚して自分で私雲呑をつくってくれる奥さんをもらった人は、きっと幸せだ。餃子もそれに近いが、ワンタンほどの精神性は感じない。私雲呑が“ワンタン”になったとき、かなりアツアツなので気をつけて口に入れないと、アヂ、アヂッとなり、レンゲの中からすべり落ちる。舌にやけどをする。小籠包もそんなことになる。ワンタンには美意識がない。ヌルヌルとして、ヘナヘナだから絵にもならない。ラーメン店、中華料理店によって、肉の量が違うのだが、私雲呑はワンタンとなって、場末のラーメン店が居心地がいい。時々ゴッツイ、ガテン系のお兄さんが入って来て、チャーシュウ、ワンタン、メンマ、ネギ大盛なんてオーダーすると、イヨッ! お兄さん、サイコーと手を打ってしまう。政府のコロナ担当と、都知事がまるで、ワンタンみたいに、つかみどころのないヘナヘナの話をシドロモドロに発表する。この国は今、私雲呑と同じで何もかもヘナヘナ、フニャフニャーで、丼という国家の中で浮遊する。古今東西、言い訳というのは、やたらに長く、つかみどころがない。何が言いたいのかビシッと話せと言いたいのだが、ウソがウソを重ね、事実をワンタンの中の肉みたいにかくすと、結局レンゲの中から、ツルッとすべり落ちて、火傷する。先日私雲呑はワンタンへのチャレンジに大失敗して、舌先を火傷した。それにしてもコロナ、コロナ、ウソ、ウソ、雨、雨、雨、これは、本当、本当、本当、大惨事なのだ。東京都と政府の発表は冷めたワンタンだ。中国のことわざに、愚将が国を治める時、天から大災難が起きる。そんなのがあった。私雲呑は舌先きにイソジンをつけてかなり治った。この国を治すイソジンは誰か。今日も240人以上がコロナに感染という。本当の数字はこの何十倍。もはや、この国はワンタン、コロナメンになり、その味はシラジラシイ。大きめのレンゲを用意しよう。
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