この時期にいつも思う事がある、差別的表現についてだ。
就活運動の内定率などを発表する時に何故、大企業、中小企業という表現を何の工夫も無くするかだ。この表現が学生さんたちを迷わせてしまう。
大きければいいのか。
パナソニック、ソニー、シャープ、でっかいけど赤字続き、リストラにつぐリストラ。
社員は日々疑心暗鬼で共有感なし。
こういう大会社と、10人20人30人50人100人でもユニークで世界に名を成す企業でありしかも黒字でリストラなし。
経営者の熱意を社員が共有している。
親方と弟子が2〜5人の会社だがそこから生まれる工作品は世界に並ぶものはなし。
技術の継承を守り社内は愛情に満ちておりリストラなどという言葉すら誰の口からも出ない。これからは会社の個性とか愛情度とか技術力とか夢叶う度とか、親方大好き度とかで分けたらどうだろうか。
大・中・小・零細で語っていてはいい人材は育たない。
出世だ肩書きだ、部下だ子分だなんていっている時代はもう終わっている事に気づかないといけない。
家の子は○×という一部上場の大会社に入ったのよ、なんて思っても何の足しにもならない。親の満足は子の不満足と知るべきだし、大学出たら何をしたいかを学生さんは考えないといけない。
自分が好きな事をやるべしだ。
会社の大きさなんかで選んではいけない。
リクルートなんていう会社はとてもフレキシブルなクリエーターが揃っているんだから。大・中・小・零細の表現をぜひ考えてほしい。
私の好きな映画に「ロックンロールミシン」というのがある。
行定勲監督の作品だ。若者たちがアパートの一室でミシンを踏みながら自分たちのジーンズのブランドを立ち上げていくという様な内容だった。
若者には特権がある。
夢力、体力、気力、食欲、性欲、感性、感度、それらを封印して地獄のリストラ会社に向かう事はない。好きよりものの上手なれ。自分の海へ出よだ。
夢力を無力にしては人生はつまんない。手に職をつけた人間は強くて負けない。
世の中では勉強できても馬鹿には勝てないのだ、男女共に。会社なんて見下ろしてやれ。