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2013年4月19日金曜日

「思い出した言葉」



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右の目は熱く、左の目は冷たく、心には氷の炎を持て。
と、開高健先生はおっしゃった。
そんな事を感じる女性の姿があった。
来日していたアウン・サン・スー・チーさんだ。

軍政のミャンマーで十数年自宅軟禁されながらも民主化を訴えてきた。
死と背中合わせの日々であった。当然恐怖との闘いでもあった。
インタビューに応えるその毅然した顔、おだやかだが鋭い刃の様な言葉に感動した。

独立運動の父といわれた父親アウン・サン将軍を二歳の時に失った。
父親が遺した言葉“一人ひとりが戦う勇気を持て”スー・チーさんはその言葉を支えに今日まできたという。
二年後の大統領選挙に出て民主化を目指す決意を語った。
十代の頃のスー・チーさんの息をのむほどの美しさ、
二十代、三十代の頃の言葉を失う程の気高い姿はこの世のものとは思えない。
父親への尊敬心、母親への感謝の念、
かつて日本では当然だった事がスー・チーさんから語られた。

勇気は努力した人にわいてくるもの。一人ひとりが自分に出来る事をやる。
全てはそこから始まるのだと。
長いものには巻かれてしまう。強い者にひれ伏してしまう。
金のある者にはすり寄ってしまう。
勇気などという言葉はすっかり死語になってしまった気がする。

だがいかなる人間の中にも勇気は宿っている筈だ。
私もかつては持っていた筈だ。
スー・チーさんの言葉に出会ってすっかり錆ついた勇気を呼び起こそうと誓った。

“努力”こんな言葉もすっかり錆つかせてしまっていた。
間違いと失敗は、人間が前進するための訓練であると先人はいった。
カウンターパンチを怖れ、前に出ないボクサーに勝利はない。
人生とは殴り合いなのだ。様々な相手と運命というイタズラとの。
自らの手で闘いのゴングを鳴らすのだ。

2013年4月18日木曜日

「傘がない」


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ここに二つの調査の数字がある。


専門学校の学費(学費JP調べ)
(1)鍼灸、マッサージ    (3年)446万円
(2)臨床検査、診療放射線など(3年)358万円
(3)歯科技師、歯科衛生士  (2〜3年)316万円
(4)製菓          (2年)306万円
(5)旅行、ホテル      (2年)252万円
(6)電気、電子、機械    (2年)242万円
(7)美術、デザイン、写真  (2年)241万円
(8)理容、美容       (2年)237万円
(9)看護          (3年)231万円
10)自動車整備         (2年)224万円

次に資格別平均年収(年収ラボ調べ)
(1)弁護士          1271万円
(2)医師           1141万円
(3)公認会計士          841万円
(4)社労士            760万円
(5)公立小中教員         742万円
(6)不動産鑑定士         623万円
(7)獣医師            616万円
(8)歯科医師           582万円
(9)一級建築士          551万円
10)薬剤師             518万円

何だか釈然としない数字もある。
あくまで平均値であるから、思い切り稼いでいる人もいれば、全然稼げない人も多いという事なのだろう。

確かに歯医者さんは今や、“歯医者復活戦”といわれている。
歯医者さんの数は全国で約六万数千余り。
コンビニ全部が四万五、六千余りだから、いかに歯医者さんの数が多いのかが分かる。
評判のいいところと、そうでないところの差が大きいのだ。
資格を取っても仕事にありつけない人も多いのが現状だ。
それにしても、もの凄く難しい一級建築士とか弁護士の平均年収は安すぎる気がする。
やはり一流の人に仕事が集中するからだろう。
弁護士のワーキングプアなんて勿体ないと思う。

ニセ歯科医のインプラントを打ち込みとか、
ニセ医師が胸やオシリをナデまくりとか、
ニセ一級建築士になりすまして荒稼ぎをして、パクられる不届きものが後を絶たない。
無免許で整形手術をして、ハチャメチャの顔や肌にされる女性も後を絶たない。
直しても仕方ないものは直さない方がいいと思う。

例え鼻が天井を向いていても、その鼻の穴がチャーミングでカワユイという人が必ずいるはずだ。
え!雨の日に鼻の穴に水が入ってしまうってか。
その時は傘をさせばいいのだ。
ファミレスのお子様ランチに色鮮やかな小さな傘が国旗と共にある。
その傘がなければしばらく人差し指を二本入れればOKだ。

2013年4月17日水曜日

「プロデューサーハルキ」




芥川賞第八十一回候補作の中に、村上春樹の「風の歌を聴け」があった。他に七人の作品。
又、第八十三回に「1973年のピンボール」が候補作としてあった。他に六人であった。

初めて候補作になった時の審査員の論調に“今日のアメリカ小説をたくみに模倣した作品もあった”といわれた。大江健三郎の否定的な見解を含め、触れずにはおかれないものを村上作品は持っていた。
後になぜ村上春樹に芥川賞は与えられなかったかを論じた本が幻冬舎から出た。

私的に論評すると、村上春樹はライターよりもプロデューサー&アドマンとして極めて有能であるという事だ。
主に若者たち、女性、主婦たちが支持をする、ユーミンの歌のプローモーションや桑田佳祐のそれに似ている。
様々にタイアップを実現する。

主人公が何を食べ、何を聴き、いかなる服とメークをほどこしてどこへ行くか。
ブランドメーカーとタイアップしたかの様に。片岡義男と植草甚一にも近い。

IQ84の女殺し屋の陳腐さには笑った。
ホテルオークラのベッドルームであっさり殺される新興宗教家のガードの甘さやその鈍重さを笑った。女殺し屋のSEXも笑った。
シャルルジョルダンのヒールをはいて高速の非常口から降りる出だしに、ヤバイこれは読んではいけない本を買ってしまったと思った。
仕方なしに上下両方読んで、息子の奥さんにあげてしまった。

さぁ、出すぞ出るぞと広告界でいうティーザー広告を行い期待感を出す。本の中に出てくる音楽はすでにCD化する体制ができている。タイトルの付け方が抜群に上手い。中身は殆ど大衆娯楽ファッションライフ小説だ。

小説は上手い作家が良い作家か、売れる作家が良い作家か。
それは今の出版社にとって当然後者だ。
そもそも芥川賞は文藝春秋社による、文藝春秋社のための文藝春秋社の広告だからだ。あまり露骨になったらマズイじゃんと他の出版社からも出す。
文藝春秋の社員がたくさんの作品の中から、あらかじめ選んだ十作品前後を審査委員たちが読んで、アレ、コレ、ソレ、ソコ、キモチイイ。
ダメ、イカン、スキ、キライ、ヘタ、ウマイを論じ合う。
「え〜、もしもしこちら、日本文学振興会ですが」と電話が入れば、バンザイ受賞となる。

芥川賞の功を認めるが、疑問点、罪も認めざるを得ない。
あまりに書き手のニュース性や話題性に期待する出版社(文藝春秋)の意向を重視するきらいがある。
それ故、才能がありながらも選にもれ、何人もの自死者を生んだ。(太宰治をはじめ)
過日読んだ「芥川賞物語」(川口則弘著)を読むと実にその裏話が面白く、小説家が狭隘の中に住むひとりよがりの生き物である事が分かる。

村上春樹は今回のタイトルも実に上手い。ラストに北欧に行くのもパターンだ。
書店は村上春樹堂となり、本は平積みどころか、積み上がりタワーの如しだ。
何かに似てる。
このプロモーター的やり方、そう、茶道家の千利休だ。

この人も実にプロデュースが上手かったし、金儲けが上手かった。
誰かが何を何時どこで欲しいかを臭いで感じた。
また瓦職人の長次郎に焼き物を作らせ大ヒットさせた。
少しは利を休めから「利休」となったという説もある。

芥川賞はあくまで新人賞、大文学賞ではないという。
この頃は本屋大賞の方が話題を集めている様だ。
村上春樹を読む気は今はない。