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2016年11月29日火曜日

「足の爪」




電車の中でお化粧するなんて、ある電鉄会社がマナー広告をして評判を呼んでいる。
問題を提起しそれが評判になればその広告の役目はひとまず成果ありといえる。

すごい人を二人、東海道線グリーン車の中で見た。
一人は髪フサフサの中年男であった。
顔のシワシワの割にはやけに髪の毛が多いとは思っていた。
11月末とはいえその日は暑かった。
直射日光を浴びたせいか藤沢駅を過ぎた頃、両の手で長い髪の毛をつかみ、ジワジワゆすり、両手でグイグイとカツラを外した(同じことをかつて見たことがある)。
それをヒザの上に置いた。バッグから出したスプレーで何かをカツラ内に吹きつけた。
ツルツルの頭にもブシュープシューとかけた。
持ち出したブラシとクシで、カツラの毛を丹念に丹念にとかした。
別にいいじゃんと言えばハイとして言いようがない、カポッと頭にのせると別人となった。
切符チェック&売り子の女性が来たので、笑顔で冷たいお茶を買った(多分お坊さん)。

大船から年の頃は五十五、六、七才位の実に身じろいが正しい着物姿の女性が乗って来た。何やらクラシックのイベントに行くようだ。そこに携帯が鳴った。
蚊の鳴くような声で、今、電車の中なの、もう少ししたらかけます。
と実に育ち良しやという感じであった。
次に染付けのトートバッグからスポーツニッポン紙を出し、前の席にそれを広げた。
そして片足をスポニチの上にのせた。
次にバッグから小物入れの様な物を持ち出し爪切りを出した。
そして足袋を外し、足の爪をパチン、パチンと小気味よく切り出した。
みんなの表情が止まった。

それはまるでノーマンロックウェルの描く、イラストレーションの様であった。

2016年11月28日月曜日

「二重生活」




ある一羽の鳥から聞いた話である。
鳥の名は鏡子という。大学の哲学科三年生である。

教授に呼ばれ卒論のテーマを与えられる。
「人間のうしろ姿に見る考察について」。
鳥類の学校は勿論空の上である。

通常は空の上から見る鳥瞰学であるが、卒論は人間をまうしろから見る。
つまり人間の数だけ表があり、裏がある。
それは決して犯罪に結びつくものばかりではないが、秘密であったり、不誠実であったり、密通であったり、変身願望であったりする。

高名な文学者の妻には万引きという病があったり、評判高潔の経営者は赤ちゃん願望だったりする。
国の行方を左右する政治家はホテルの牛乳風呂の中で女と交わる。
捨てるほど金がある大富豪は、廃品回収が何よりの趣味である。
有名な芸能人は暴力行為が何よりの快楽であり、大金を払って女性の指を折る。
高名な科学者は昼間から少年を弄ぶ。

鳥たちは朝な夕なに集ってはその日見たことを報告しあう。
鏡子はそんな鳥の話を論文にまとめる。
人間のまうしろには、すべての「不」がついてくる。
不信、不満、不安、不義、不倫、不良、不快、不眠、不誠実。
スマホの画面で指を広げればその「不」は拡大される。
タッチボタンを押せば「不」は一瞬で世界に拡散する。

鏡子はいつしか人に背中を見せられなくなった。
自分が不正、不道徳をしていると思ったからだ。
大学の教授にそのことを告白する、この論文はもう書けないという。
教授はいう、それを克服するのが、キミ哲学なんだよと。

ある日鏡子はタトゥーの店に行く。
全身刺青だらけの男が何を彫りますかと聞く。鏡子は私の正面を彫って下さいと頼む。
その日鳥たちは強烈な殺鳥剤によって一羽残らず駆除された。
かろうじてツバメの子が一羽助かった。
前もうしろも同じようになった鏡子が、街の中で人のうしろ姿を追っていた。
その相手は哲学を教える教授だった。さて、教授の向かった先は(?)

映画「二重生活」にインスパイアされてこれを書いた。
小さな庭にリンゴを四分割して置いておくと、鳥たちが来る。
私は一方的に話しかけ、鳥の鳴き声から話を聞く。
午前五時二十八分五秒、いつものグラスにチリ産のワインを注いだ。
鳥の唐揚げが三個お皿に残っていた。楊枝でそれを刺した。

2016年11月25日金曜日

「リリーと室生犀星」



リリーの日記が元になり、1933年画期的な「男から女へ」が出版された。
彼女の勇気が今もトランスジェンダー運動を鼓舞し続ける。
ゲルダは生涯リリーの肖像画を描き続けた。
この文字がラスト黒ベタの中に白ヌキの文字として出る。

アカデミー賞受賞作「リリーのすべて」だ。
1900年代初頭のデンマーク、この頃男の中に女がいる性同一性障害は精神分裂と診断されていた。四十代あるいは三十代後半の美男美女の夫婦がいた。
二人共中堅の画家である。
夫は風景画を描き、妻は肖像画を描くが個展をしても画商の評判は高くなく売れない。

ある日妻は夫にバレリーナの足の仕草のモデルになってと頼む。
夫はソファに横になりポーズをとる、妻はやっぱりバレリーナの服を着てと頼む。
二人は愛し合う夫婦であったが、この瞬間から二人の運命は劇的に変わって行く。

夫は、夫の名があったが女性である自分の目覚めに気づく。
妻はほんのゲーム感覚で女装する夫を「リリー」と名付ける。
自分の本当の性に目覚めた男はリリーになって行く。妻はそんなリリーを描き始める。
やがてその絵は画商の目に止まりパリで個展をするまでとなる。

リリーは更にリリーになって行く。心配した妻は医師にリリーを診せる。
カルテには精神分裂と書いてある。拘束されそうになるが、リリーはその場を逃げる。
夫婦は一人の医師と出会う。医師は性転換をすすめる、真実の自分になるために。
だが失敗すれば死ぬこととなる、リリーは手術に挑む。そして…。

映画が名画になっている、それは冷たく重い北欧の雲のようであり、美しく儚い粒子が息をする文学でもある。ドキュメンタリーでもある。
今年観た映画の中でNo.1であった。

昨日は身も心も売る芸者稼業をした。
考え抜いたことが受けなければ粗大ゴミを大量に作ったことに過ぎない。
こちらは形なった仕事である、お世話になっている会社の大事な仕事を無事作り上げ、軽い打ち上げをして帰宅した。みなさん喜んでくれたのでホッとした。
頭の中をリセットするには映画が何よりだ。

借りて来ていた「リリーのすべて」をまず一本、もう一本「蜜のあわれ」を観た。
こちらは“室生犀星”の原作を“石井岳龍”監督で作っていた。
“大杉漣”が今年観た日本人俳優の中でいちばんよかった。
室生犀星を演じて赤い金魚の生まれ変わりの“二階堂ふみ”と、組んず解れつ老作家になりきっていた。この映画の映像がすばらしいと思ったら、カメラマンは巨匠“笠松則通”さんであった。

「リリーのすべて」のスタッフとキャストはすべて語らない。
ぜひ借りて来て観てほしいからだ。原作はThe Danish Girl、現在性同一性障害は決して異常ではない。どの人間の中にも異性は潜んでいるらしい。

2016年11月24日木曜日

「小雪」



11月22日(火)渋谷宮益坂上側のラ・プラーヤという店でランチをした。
美女三人と共に、極上の味のパエリアを四人で食べた。スペイン料理だ。
パエリアの料理を四人で割ると、一人1000円位だろうか、リーズナブルである。

カニの名は失念したが、世の中では越前ガニ、中国では上海ガニと言っている。
小ぶりだが実に繊細な味、高貴な味がする。
シェフがハサミで外子という部分を切り出してくれた。
小さな粒々の子が濃赤色でビッシリと詰まっていた。

パエリアはオコゲの部分も旨い、色が赤い。
フツーのパエリアは、白や黄色だ。
食すとケチャップのようなので、これケチャップと聞いたら、シェフにサフランで出している色と味だと怒られた。
シェフはそんなこと知らねえのかとガクッと肩を落とし、強い酒を飲んだ。

私の食に対する知識はほぼゼロに等しい。知ろうとする気構えがないからだ。
安くて旨ければOK。ヤキトリと焼鳥丼なら茅ヶ崎「鳥仁」、チャーハンと五目そばなら銀座「菊鳳」、とんかつなら藤沢の「大関」、カルビスープも藤沢の「トザワ」この二店は湘南工科大学前。
だし巻き玉子は茅ヶ崎「賀久」、ラーメンは荻窪「春木屋」、お寿司は新富町「寿し辰」、五目そばは「銀座アスター本店」。
一番高いのが銀座アスターだが他は800~1500円で極上の味、私的には★★★★★だ。

ラ・プラーヤで、少年時代の憧れの天才少女、現在ある大学の名誉教授に白ワインを一本置いた。時々来店するので。
白いラベルに何をひと言書こうかと思っていたら、今日は「小雪」ですよとワインを選んでくれた女性が言った。
そうか、二十四節気ももう小雪かと言うと、シェフが小雪という女優が一度来たけど、どうってことなかったのよ、などと言ってギャハハハと笑った。
料理は誰にもどこにも負けないが、口が悪いんでイケマセン、グァハハハと笑った。

11月24日は小雪どころか関東地方は大雪になると天気予報が出た。
今日はひと勝負の日である。心身を清め、いざ出陣なのだ。
23日昼、出版関係の人と家の近所の「紅がら」というおそば屋さんで会った。
おそばはここだ。日本酒を二合ずつ、相手はもずくとハンペンの磯辺揚げを頼み、私は板わさを頼んだ。生わさびが鼻にツーンとくる。
家の冷蔵庫の中にあるチューブのわさびとは違う。


午前三時〇一分四十一秒雨がしきりに降っている。
ぐんと冷えて来た、東京都内には小雪が舞うのかもしれない。
嫁としての介護、学者としての仕事、そして妻の役目。
友は元気だろうか。

2016年11月22日火曜日

「アメリカンドッグと南スーダン」



世の中には薄気味悪いのがある。
例えばJALのCAの気味悪い作り笑いの接客態度、マニュアル通り笑う。腹の中は(?)(?)だ。
テレビの夜のニュース番組の終わりにMCを頭にニュースキャスターやゲストコメンテーターやずっとひと言もしゃべらない女性が、バカていねいに三つ指ついて平伏し、頭のてっぺんを画面に写す。
腹の中は(?)(?)だ。

昨夜午後七時四十分頃、私は銀座一丁目の大塚家具ショップ側の道を歩いていた。
左サイドにナチュラルローソンがあった。そこを通り過ぎようとすると、店内から二人の若い女性(27、8才位と35、6才位)の首から上、つまり顔がニョキッと出ていてじーっと外を見ていた。
右にいた女性と目が合ったと思った。目力はなく、なんとなく見ていた。
一人は下を見ていた(スマホ)。生首が見えるようで気味が悪いシュールな感じだった。

ミネラルウォーターといいちこを買うかと思い店内に入ると、二人は食事中だった。
イートインだ。4つの椅子は外を向いている。二人はだらんとしているので首だけ外から見えたのだ。
若い方はカルビ丼を食べ、もう一人の方は五穀米チャーハンを食べていた。
なぜ分かったかというと、入り口にそのメニューが割引中とポスターが貼ってあったからだ。
一人メシという訳だ。500円で22円おつりがくる勘定であった。

その時JALのCAとテレビのMCの作り笑いとウソっぽい三つ指が浮かんだ。
二人の女性の一人メシはリアルな現実であった。男たちよ何をしてるかと思った。
小雨降る銀座、月曜日の午後七時四十分、若い女性のイートインというのはどうもいいシーンではない。

レジを打ってもらっていると、前のお客が先っぽが茶色くふくれあがったアメリカンドッグに、赤いケチャップとカラシをかけそれを持ち、空いている椅子に座った。
左手にスマホ、右手にアメリカンドッグ、先に置いておいたのか細長いテーブルの上に、第三のビールが置いてあった。足もとには重そうな黒いカバン。

♪~今は黙して行かん 何をまた語るべき…そんな歌を思い出した。
アメリカンドッグの男は(56、7才位)外から見るととてもたそがれていた。
髪に残り毛は少ない、今年も残り少ないなと思い仕事場に向かった。
あれほど国会で反対運動をした戦争法案はすでに実行されている。300人近い軍人(?)が南スーダンに向かった。
日本人は諦めることと、忘れることの天才である。
♪~さらば祖国 愛しき人よ…と歌は続く。
小林旭が唄う「北帰行」

2016年11月21日月曜日

「一日入学」




学校嫌いの私はその夜、学校に行った。
十八日(金)「福岡伸一の知恵の学校」である。
場所は雑誌「ソトコト」を発行している木楽舎がある、築地明石町のビルの三階であった。

年会費一万円を払っていないのだがぜひ来ればと言われ、夜七時過ぎにオソルオソル行った。70席ほどある会場は満席であった。すでに始まっていた。
かろうじて空いていた一席に座らせてもらった。
正面には丸いテーブル、ミネラルウォーターが二本置いてあった。
手にマイクを持って、左に校長の生物学者福岡伸一教授、右には阿川佐和子さん。

会場には男女半々位、オッ、やけに美人が多いななどとダメな私であった。
お二人はテーマである「本」についてジョークを交えて本にまつわる話について語る。
福岡教授は実に座談の名手で、柔らかな口調で阿川女史から話を聞き出す
一方、阿川女史は大ベストセラー「聞く力」を出した位だからやはり座談の名手。
名手と名手の対戦は広く深く、鋭く可笑しく、生徒を引きずり込む。
出版関係の人とか雑誌社、文芸誌の人とかが多いように思われた。

みなさんノートとかメモを取り、話に聞き入っていた。
私もそれを真似て原稿用紙とボールペンを出しそれなりの生徒姿となった。
ジジ殺しの異名を取る阿川女史はグレーのスカートに黒のストッキング、シャツの色は黒だったと思う。グレーのカーディガン着ていて可愛かった。
福岡教授にチクリ、チクリとジジ殺しについて聞かれていた。

阿川佐和子は翻訳家でもあり自身が訳した本を紹介した。
読んでますかと聞かれ何人もがハイ、ハーイと手を挙げた。
私は恥ずかしながらその日お二人が紹介してくれた本を一冊も読んでいなかった。

お二人が共通して言っていたのは幼児期の体験が人生をたすけてくれると、昆虫少年の福岡教授と阿川弘之という怖ろしい作家を父に持った阿川女史の幼児期の話は興味深く、洞察に富み面白かった。
八時半終了をオーバーしても生徒さんの質問にていねいに応えていた。
養老孟司、玄侑宗久、田中康夫、内田樹、川上弘美、隈研吾、佐藤卓、山口果林、すばらしい知力の人たちが特別講師として名を連ねていた。

年会費一万円、私は入学を考えている。
世界初の「知性を育む学校」と入学を案内していた。
この日出た本の名は記さない、インターネットで配信しているので。
ずっとカメラが回っていた。想像の何倍も超えいていい学校です、ぜひご入学を。
それにしても読んでネェ~ないい本をと思った。

朝から何も食べてなかった腹に、90分の知力が入った気がした。
トボトボと仕事場に戻った。(文中敬称略)

2016年11月18日金曜日

「ノドンとうどん」




ピコ太郎のダンスに芸人魂の素晴らしさを知って、何度も何度も人のスマホで見せてもらった。
才能を認められながらも売れる事がなかったが、天は才能を見捨てず“アイハブアペン、アイハブアンアップル”を神の啓示の如く与えた。苦節十数年ピコ太郎は大ブレイクした。
諦めないで来た結果だ。

私は“一発”を誰より尊敬する。また憧れるのだ。
古くは伴淳三郎の“アジャパー”、花菱アチャコの“ムチャクチャデゴジャリマスガナ”、脱線トリオの“チンチロリンノカックン”、Wけんじの“やんなぁ”、トリオスカイラインの“ナツクナ”、セントルイスの“田園調布に家が建つ”、近くではゲッツ坂野の“ゲッツ”、一番好きなのは人生幸朗の“責任者呼んで来い!”だ。

今、世界の責任者がシッチャカメッチャカになって来た。
私の予想が大外れしたアメリカをはじめ、フィリピン、シリア、韓国、南スーダン、更にフランス、ドイツらの大国も責任者が変わろうとしている。世界は三国志になると思う。中国、ロシア、アメリカ。
したたかなロシアは今、ほくそ笑んでいるはずだ。
否、核を持った大国インドを足して四国志かもしれない。
ピコ太郎がいつまで持つかは分からないが、年末までは何とか持ってほしいと願う。
隣の国からノドンが一発飛んで来ないことを願う。責任者がアブナイからだ。

今日私の昼食はかき揚げうどんであった。

2016年11月17日木曜日

「ホッキ貝」




決してヘイトスピーチではありません。
写実的表現と思って下さい。

ご婦人たちはとにかくよく食べるということ。
しらす軍艦四貫、マグロ三種六貫、アジ二貫、焼きサバ二貫、ビール中ジョッキガブ飲み、ギャハハと可々大笑。
で、穴子一本二貫、イクラ軍艦二貫、ウニ二貫、ビールグビグビでおかわり、で、イサキ二貫、イカ四貫、白子軍艦二貫、これはタダよねとガリをガリガリ、ギャハハハと来てカニ味噌汁、で〆に鉄火巻き、カッパ巻き、タクアン巻き、私が耳にしただけでご婦人三人はこれだけオーダーした。

マグロの解体で有名な社長の店、私たち斜め前の三人はこれから歌舞伎を観に行くのだ。
海老蔵がさ京都の祇園の女性と遊んだみたい、市川右近のおさがりだっていうじゃない、ギャハハ。
三田寛子はしたたかね顔に似合わず、米倉涼子と海老蔵は長かったんでしょ、私失敗しないしなんてドクターXでいってるけど、米倉涼子なんてすぐ離婚、大失敗よね、ドゥハハハ、藤原紀香なんか風水頼りって言うからすぐ縁起悪いって別れるわよ、あたしやっぱり最後にホッキ貝二貫もらうわ、結構食べたわよね、マアマアじゃない。
あなた歯にノリついてるわよ、アライヤダ。
ねえ中村獅童と別れた竹内結子って、ずい分色気が出てイイ女になったと思わない。
芸の肥やしがよかったのかしら、子どもはどうしてんのかね。

と、まあご婦人たちはすこぶる元気なのであった。ところでさあ、紅白歌合戦の司会って決まったの?誰でもいいんじゃないの、歌舞伎座前の弁松でお弁当買いましょ。

あの人たちにも人前で恥じらう少女時代はあったのだ。時の流れは残酷な仕打ちをするものだ。
ファッションセンターしまむらで買ったような服を着た三人は交差点を渡り、弁松に向かって行った。

高名なデザイナーの先生が言った言葉を思い出した。「人間はねセンスなんだよ」耳の痛い言葉であった。

2016年11月16日水曜日

「ボヴァリー夫人」




敬虔なクリスチャン良家で育った高貴で理知的な美しい女性が、実直で清廉な医師と結婚する。親は御祝いに金の食器を贈る。

医師夫婦は自分の故郷で患者を診る生活へ入る、いつかは開業しようと。
都会で育った美しい夫人は村の評判となる。
あざとい商人が来て、家具やカーテンや敷物、衣服や宝飾品を売る。
支払いはいつでもいいですよと。何故なら医師には遺産相続する土地があるから。

美しい都会の夫人にとって、村の生活は退屈でしかない。
患者の治療に尽くす夫、生活の事は召使いがする。
やる事といったらピアノを弾くことか、クッキーを焼くこと位しかない。
そんな夫人にとって結婚は不幸せでしかない。

村の有力者の男はそんな夫人に言い寄り二人は激しく関係する。
商人から次々と着飾る物を買う。が、激しく迫ってくる夫人は男にとって重荷になり夫人を捨てて村を出る。

やがて夫人は都会から旅に来ていた若者を求める。
そのためにまた商人から物を買って着飾る。
夫の目を盗み都会に出て若者の職場まで行く。若者はそんな夫人を追い払う。
職場の上司から不倫なんかしているとクビだと言われて。

傷心の夫人が家に帰ると夫は商人に請求書を突きつけられている。
借金はいつしか莫大となっていた。
支払いはいつでもいいと言ったでしょと言うと商人は、冗談ではない自分だって厳しいんだと言う。そして有力者の男が村に帰って来ているから金を借りればと言う。
夫人は男のところに行き借金を申し込む、あなたはずっと私を抱いたでしょと。
男は君に貸す金なんかないと断る。

夫人は差し押さえられすべてを持って行かれた家の中に、隠しておいた金の食器を持って商人のところに行く。だが商人がくれたのはワンコインだけだった。
夫人はもう自分の体しか売るものはないと商人を誘うが商人はつれなく突き放す。

“退屈”ってものは高くつくと。夫人にとってやることは一つしかない。
昨日深夜ヘドロのようになった頭の中を浄化するために、借りて来ていた「ボヴァリー夫人」を観た。

美しい女性を妻に持つ世の男性よ、変化を見落とすことなかれだ。
“退屈”と“愛”に気をつけるべし。何、ウチの奴は不細工だから心配ないだと、バカモノめ、女性は顔じゃないんだよ。
午前四時五十三分三十二秒、いつものグラスに酒を注いだ。
つま味は小アジの南蛮漬けを四匹。

2016年11月15日火曜日

「イクラはいくらも」




五角形の入れ物の中に、カニ、イクラ、シャケが入っている駅弁がある。
北海鮮弁当というような名がついていた。一個1180円である。
その弁当を私の前に座った老人ご夫婦が二人で食べていた。

写真と比べるとずい分イクラは少ないし、カニは細い。
シャケはどこにあるのかしら、ホラここだよここ、あら、ずい分と薄っぺらいのね、たった三切れしかない。仕方ないよ駅弁だから、でも駅弁の中では高いのを買ったのに。
そうだな大失敗だったな。イクラなんか数が勘定できるほどしか入ってないね。
あらお箸割るのを失敗してしまった。先っぽが二つに割れなかった。
これを使いなさい。いいわよこれで。

小津安二郎の名作「東京物語」の笠智衆さんと東山千栄子さん夫婦のようなほほえましい光景があった。東京駅で売っている駅弁はかなり偽装的である。
私の前にいたご夫婦は久々に見る品のいいご夫婦であった。
あらイクラが飛んでしまったわ、私の足もとに小さな赤い粒が飛んで来て落ちた。
イクラはいくらも入っていなかったから貴重な一粒であったはずだ。