ページ

2012年2月29日水曜日

「さようなら原田芳雄さん」

 


映画界の栄誉ブルーリボン賞が先日発表となった。
どの作品にも、どの役者さんにも敬意を表したいが、アカデミー賞の作品群と比べるとやはり現在の日本映画界の低迷を感じずにはいられない。

100歳目前の新藤兼人監督は私の最も尊敬している人だ。
「裸の島」「鬼婆」等は圧倒的作品だ。ブルーリボン監督賞の「一枚のハガキ」本人自身がきっと、この100歳の俺がなんでだと思っているのではと思う。

新藤兼人への敬意の形としたらそれは誤りだと思う。
新藤兼人は日本の映画界にしっかりせよと怒っているのだ。

竹野内豊の主演男優賞は「太平洋の奇跡」という作品。
一枚の赤紙で戦争に行かされた人の運命と過酷な戦場で部下の命を守ろうとした一人の指揮官の話だ。
何かこの頃戦争へのきな臭さがぷんぷんとする。
何で中学生に武道を必須とするのだろうか。

伊勢谷友介の助演男優賞は本物のボクサー以上の減量苦へのご褒美といえる。
彼は芸大出身であり様々な廃材を使い家具などを造りその売上をボランティアに使っているという。
かなり見上げた役者といえる。

その昔役者馬鹿という愛してやまない人たちがいた。
飲み、打ち、買うを徹底的に行わない、やがてスッテンテンのスッカラカンになってしまうのだ。
すっかり役者馬鹿がいなくなった。

敬愛していた原田芳雄さんが最後に遺した「大鹿村騒動記」はとても良かった。
そして原田芳雄さんは皆に愛されながらあの世へ逝った。松田優作と再会して一杯飲んでいるだろう。

作品賞は園子温監督の「冷たい熱帯魚」であった。“でんでん”の凄い、恐い演技は特筆ものであった。
園子温は人の目を見てしゃべらない、酒が入らないとしゃべれないという。人間の裏側を全身に染み込ませた様な園子温監督がこの頃一人勝ちだ。余程母親へのトラウマがあるのだろうか、女性への疑いがあるのだろうか。

私は今短編前3作の手直しと、新作一本を作りたいと思いバカバカしい止めとけという声と戦っている。
バカは死んでも治らない。

2012年2月28日火曜日

「灰とダイアモンド」




自民党総裁の谷垣禎一という人はいよいよ政治的センスというか歴史観がない。
まず何故政権交代が起きたか、何故不況が続くのか、何故1000兆円もの借金ができたか、何故少子高齢化になったか、何故日本に夥しい数の基地があり沖縄問題が永遠に片付かないか、何故大阪橋下市長あたりに人気が集中しはじめたか等の諸問題の源流を見れば全ては自民党支配から発生している事なのだ。

ある日の朝刊に民主党の党内対立は民主党の“宿痾”だと発言していたが、何をいっているのかといいたい。
賢者は歴史に学び愚者は今しか見ないという。過去の反省が出来ない人間に国の政治など任せられない。

自民党の政治とは党内抗争の歴史そのものだったのだ。
もはや自民党一党支配の政治に戻るという事はないだろう。
森だ、町村だ、古賀だ、伊吹だ、加藤だ、安倍だ等というシーラカンスか三葉虫の様な自民党政治の化石から何も生まれない。

若いリーダーよ、自らの体制を破壊せよだ。アンジェイワイダの名作「灰とダイアモンド」にこういうセリフがあったと記憶している。「革命は灰の中からしか生まれない」自民党の中にもダイアモンドはいる

2012年2月27日月曜日

「面白い言葉」


ようこそデニーズへ、入るとようこそデニーズへと若い女性が言った。

その日の午後、週刊朝日とサンデー毎日を持っていざランチ。
デミグラスハンバーグ&目玉焼き&ライス(これはかなりイケル)席はガラガラだったので陽の差し込む窓際へ座る。

パラパラと週刊朝日をめくるとオッという文字が入った。
これが何とも面白い。コラムニストはあの課長島耕作の弘兼憲史氏であった。

「パプアニューギニア」これが「パパは牛乳屋」。
音韻連想といって耳から入ると何やら似ている言葉、その中に傑作があった。
「春高楼の花の宴」は「回鍋肉(ホイコーロー)で腹が変」となり、「井の中の蛙(カワズ)大海を知らず」は「胃の中のオカズ、大概はシラス」となる。又、「驕る平家は久しからず」は「劣る性器は兆しあらず」となる。
これは65才の人からの投稿であった(すっかりダメになったらしい)。

おかしくて声を出して読む。
最後の作を読んでいると若い女性がデミグラスハンバーグ目玉焼きのせ&ライスを持って立っている。
君、この面白さわかるといってよせばいいのに、又声を出し読んだ。
若い女性はキッと睨み、すいません分かりませんと言われました。

2012年2月24日金曜日

「胸の谷間」




林真須美、木嶋佳苗。
ふっくら、ほっこら、ポッチャリ、大きな胸の谷間。
話し上手、ご愛嬌上手。
見栄っ張りで虚飾性が大、コンプレックスが強く絶えず人の視線を欲しがる。
金の為には人の命などは、一皿のカレーライス、一個の練炭位にしか思わない。


一人は死刑囚となったが、未だ無罪を主張している(そうかもしれない。決定的証拠がない)一人は詐欺は認めても殺人は認めていない(物的証拠がない)。

金は有る、しかし前途不安の後期高齢者にとって、たわわな胸の谷間は幼き頃の母の乳なのだろう。モテない、不器用、もう一度老人に春を、一日中メールを送るそんな悲しい男にとって口八手、手八丁、体八丁の存在は赤児の如く取り扱いが簡単であったのだろうかと思わずいられない。

「ユーロスペース」という映画館がある。
とても良質な作品を上映するがここに行く時は誤解を生む危険性がある。
その日、その映画館に向かって一人歩いていると、ポッチャリした派手な造作の中年女性とハンナリシンミリした75歳位のカップルがラブホテルの中に消えて行った。
アッチ、コッチでまあドッチでもいいのですが、快楽と死は背中合わせ。
命には十分気をつけて下さいと思うのです。

2012年2月23日木曜日

「スケベの素」




二月二十日(月)日刊スポーツ朝刊第十八面。

わずか13㎝×25㎝の中に世の中が見える。「スケベで不良が長生きする」という記事には、性欲が強い程、ガンや化学物質など生命を脅かすリスクから守る免疫力が強いらしい。イギリスの学者が調べたらしい。

スケベな人間は頭が柔らかい、図々しくて無責任、遊び心が人一倍強いから病気にも強いらしい。
又、総コレステロールは260/リットル以上ないと早死にするらしい。
コレステロールが減ると脳の神経細胞の働きがグッと悪くなり、スケベでなくなってしまうのだ。

「体液入り避妊具を知人の女性の車にかける」、福井県堺署の市職員44歳。
やってくれました、余程の事があったのか、単なる変態か、女性の車のノブ所に体液をかけてしまった。
間違いありませんと認めたとか。

「東洋経済編集長痴漢逮捕」日本を代表する経済誌の編集長46歳がJR京浜東北線の車内で20代と30代の女性会社員のお尻を触ってしまった。大森駅に突き出されてしまった。こちらは酒に酔っていて記憶にないと潔くないのだ。
この編集長、東京電力の再建に関しての問題点を追及していたとか。正義と痴漢との関係は紙一重なのだろう。

茅ヶ崎市に邸宅を構える72歳の会社の会長は、なんと新婚さんいらっしゃい、30歳位の美人女性には既にベビーが誕生、二人で仲良くベビーカーの姿は評判だ。勇気を与えてくれるではないかオッサン。

ただこのオッサンは私と同じ岡山県生まれ、少しばかり複雑な思いがするのだ。
まあとてもステキでスケベな東大卒という訳だ。グヤジー。

2012年2月22日水曜日

「穴のあるポッケ」




お金落ちましたよ、えっ俺?そうです私でした。

ジーンズのポッケに穴が開いて先ず一円玉、次に百円玉、その次に五十円玉と落としていったのです。銀座松屋のルイヴィトンのウィンドウの直ぐ横でした。

粋がって歩いていてとんだヘマであった。
小銭入れを持たず、いつもズボンのポッケが財布&カード入れであった。

私の知人に凄い男がいるのです。
いつも高価な札入れに五十万の札束がゴソッと入っているのです。
使った分だけ足していくのです。いつも五十万持っていないと落ち着かない、又、仕事柄(ヤクザではありませんが一見それ風です)現金を持っていないと仕切れないのです。夜の銀座はツケか現金が男の掟なのです。カード等は許されないのです(どうしてもの場合以外は)カードを切っているヤクザ者なんて見た事ないのです(いるかもな)。

私は五十万あれば短編映画を作ってしまいますから。
又、そんな大金を持っていません。
ポッケの中には現在五百円一ヶ、百円玉三ヶ、十円玉四ヶ、五円玉二ヶ、一円玉六ヶ、それとお札で一万六千円だけ。

2012年2月21日火曜日

「味のある一文字」



苺を贈っていただいた。
ピッタリ形が揃っている。近頃の温室栽培のものとは違うのだろう。大きく無骨で不揃いの苺である。
いかにも自然と共に生き抜いた苺だけが持つ誇りに満ちている。一口、二口、三口位要さないと食べきれない(四個分が一つになった大きさ)。極上の旨さである。

「長崎さちのか」と書いてある。
一パックに十個堂々として入っており食べる者にしっかり心して食べよと語りかける。

「苺」という文字を見る度に亡き母を思いだす。
「草冠に母」と書くからだろうか。雑草の逞しさと優しさに満ちていた母の愛を感じるのだ。
子供の頃、苺を食べる時、ガラスの中鉢の中に苺を五〜六個入れてスプーンの裏でよくつぶし牛乳を入れる、そして又よくつぶす。牛乳がうすい桃色になるとまずその桃色をすする。
そして形のなくなった苺と共にひと匙、ふた匙と食べる。兄弟六人であったから一人五個とすると六十個は必要だったわけだ。

苺は今は高級果実だがあの頃はそれ程でもなかった。
が、しかし貧乏な家庭には飛び切りのデザートであった。人間は漢字と言うのを本当に上手にこさえて来たと思う。
一文字を見ただけで楽しかった過去と会えるのだ。「苺」なんともいい文字でありませんか。一度苺を牛乳に浸してスプーンの裏でつぶしていたら何をしてるのかと不思議な目で見られたのです。久々に食べ応えのある苺に出会い嬉しかったのである。

2012年2月20日月曜日

「沈む朝日」

※写真はイメージです


仕方なく、全く嫌、嫌ながら朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、日経新聞を日々読んでいる。
 世の中の出来事や国の政治や経済を新聞人はどう書いているかをチェックするためである。

朝日の天声人語、社説、素粒子等は記者として一番書きたがるところだ。
1日原稿用紙にして一枚から十枚位書いて年収二、三千万を得るという。

かつて、朝日インテリ、読売ヤクザ、毎日ノンポリ、産経右翼、日経株屋といわれた。
論説委員、編集委員、解説委員等は昼頃に出社、当然社用車かハイヤー、ランチは美人と高級料亭、高級フレンチ、イタリアン等。そして一本うん万円、うん十万円の高級ワイン、時としてそのままホテルかどこぞの場所へ(ホテルの部屋でのランチも多いらしい)。
 夕方チョコチョコと資料室と相談して引用ネタを探し文章にする。
書いた文章ではなく“創作”した文章だ。夜は政治家や官邸筋と会食づくし、お土産は色々どっさりだ。そして社説では○×をしろとか、△□にせよとか、××を目指せ、とか命令調の見出しをつける。

アホ、バカ、くそっ朝日といいたい。
紙面作りや特集記事、取材ものは読売に完全に負けている。自分達が特権階級と思い上がっているのだ。

政治部の記者はかつて政治家への道でもあったが今や一人も出て来ない。
最も政治家の質の低下は目を覆うばかりだが。
大阪の橋下徹あたりがガナリたてて、クソ文春、クソ新潮といえばシュンとなってしまった。
新聞人たちより少しはましな週刊誌のトップ屋たちも上から抑えられて記事はみんなボツだ。

で、みんなヒーヒーしている。貧乏の経験もないエリートぶった新聞人が最低年金や消費税や年金問題を真っ当に論じれる訳がない。自分達はゴッソリ退職金や企業年金が貰えるのだから。
この国を戦争に導きバブルをあおり、借金1000兆円にしてきたのは大マスコミ、中でも大新聞社だ。

毎日新聞などは創価学会に食べさせて貰っている。聖教新聞印刷会社と成り下がってしまった。
日経はドロドロの社内抗争を年中行事にしている。

読売がこの頃一番真っ当だ。特に取材記事や取材写真は群を抜いている(お金があるから)。
朝日は創業者一族と社内派閥との戦いで記事どこではない。
いい記事を書く記者は「お前なあ、そんな真っ当な記事を書いていると、テレビ朝日に飛ばすぞ」とか「アエラに飛ばすぞ」とか、グローブに、週刊朝日に、地方支局にとオドシまくるのだ。それ故朝日新聞以外の方がいい記事が多いのだ。

2月12日(日)の朝日の朝刊の社説に「民主と年金」“頭を冷やして出直しては”というのがあった。
民主党はもはやバラバラのジグソーパズルだ。が朝日はそれより更にヒドイ新聞となってしまった。
いっそ大魔王読売のナベツネを社外取締役に入れたらどうかと思う。理屈ばかり、特権意識ばかりのインテリ程この世を悪くするのはいない。

何故か橋下市長の特集を組んでいた。タイトルは「覚悟を求める政治」だと。
笑わせるぜマッタク。ハシッコイインテリがこれからの権力者は橋下かもと思ってにじり寄り始めたのだ。小
沢一郎に対しても、もし無罪になったらと思いすっかり記事は尻込みし始めた。アホなインテリたちにつける薬はないのである。

ピンポーン、おっ、もしかして朝日の集金のアンチャンかもしれない。
アンチャンには何の罪もない。朝日は天気が良ければ必ず登るが、朝日新聞は天候に関係無く沈んでいく。

2012年2月17日金曜日

「生よく死を制す」




茨城県水戸に日蓮宗のお坊さんで井上日昭という人がいた。
行動右翼のシンボルとしてその名を残している。
「一人一殺」というのが心定であった。
五・一五事件で政府要人を襲撃した若者達の教祖でもあった。

時の総理大臣犬養毅は豪胆であった。
拳銃で撃たれた時、有名な言葉を発した。「話せば分かる」と。
それに対し若者たちは「問答無用」といって止めを撃った。
若者の中に四元義隆という東大出がいた。
つい最近死ぬまでは時の権力者の思想的黒幕であった。

 井上日昭は「一死多生」とも遺したという。私はこの言葉が好きである。
一死をもって一人でも多くの人に尽くしたいと願うからだ。地獄に堕ちるのが当然の事ばかりしてきたので少しでも罪滅ぼしをと思っている私なのだ。

たった一度の人生、たった一度の死、ならば世の中の為にならない奴等を道連れになどと思うのだがそれに値する様な人間がいない程悪党も小者になってしまった。

この頃あの大嫌いな五木寛之ではないが、法然や親鸞や日蓮や蓮如などの本を読んでいる。
又きっと行くであろう地獄の関係書を呼んでいる、何故だろうか。

3.11以後自分の命に対して敏感になっている様だ。
どう生きるかより、何を遺し、どう死ぬかを考える。
自分の命でかけがえのない命を救えるなら望むところなのだ。
「死よ驕る勿れ」イギリスの詩人ジョン・ダンの言葉を、詩人の田村隆一が訳した。
正に死よあんまり威張るなよといいたい。「生は強いぞ」

2012年2月16日木曜日

「0点」


読売新聞夕刊より

読売新聞夕刊より


東京ゲートブリッジ開通。
誰が設計したのか極めて不細工な形だ。

2月13日(月)読売の夕刊を見るとその開通した斜めの右下にGDP年率2.3%減の折れ線グラフが載っている。よく見るとまるでゲートブリッジと同じ様だ。
左右対称にこの折れ線グラフを配すとそれは決定的な程似ているではないか。

全く縁起の悪い不景気の象徴の様な橋の開通である。
きっと名ばかりのコンペティションを行い筋書き通り発注を決めたのであろう。
写真には富士山がクッキリ写っている。日本のシンボルが見届ける落ち目な橋の形なのだ。

日本の橋は造る度にお粗末な形となって来た。
曲線を取り入れると予算がかかるのか、みなおしなべて直線的でギスギスとしている。
橋の設計家の心もきっとギザギザハートなのだろうか。

折角富士山を望む事が出来るのならその富士山と一体となったまるで絵の様な美しいラインを生んでほしかったのだ。葛飾北斎ならどんなゲートブリッジを生み出したであろうか。
私の採点ではほぼ0点の作品だ。