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2018年2月2日金曜日

「僕の好きな先生」

私はブキッチョ(不器用)を極める。その私がキミはブキッチョだねと言った男がいる。
「成城石井」の男である。「成城石井」といえば高級スーパーの見本であり、紀伊国屋と並び称された。
だが八十八店舗あった絶頂期から転げ落ち、2011年に投資ファンドである丸の内キャピタルに買収された。投資ファンドにとって買収した会社は、いわば商品と同じ、すっかり染みついていた汚れを取り、気取りを取り、プライドを取り除き、見栄えをよくして転売する。
リサイクルされた「成城石井」を買ったのはローソンであった。
2014年のことである。業界の大先輩へ人を紹介してくれた御礼に行く途中、青山にある「成城石井」に立ち寄った。スコッチを一本買った。広い店内に見たところスタッフは女性二人とズングリ太った男が白い前掛けをしてレジ側にいた。商品のディスプレイは、辻堂の激安スーパーOKに近いと思うほど乱れている(OKはドンキと同じでそれが戦略である)お客が手にして動かしたのがそのままなのだ。
入り口に果物を高く積み上げていて入店のジャマをしている。
むかしの「成城石井」のスタッフが見たら気を失うだろう。
で、ウィスキーを包装してくれと頼むと、太った前掛け男が包装紙に細長い箱を包もうとしていた。
が、何度やってもキレイに包めない。
とっても気の長い(?)私は本性をムキ出しにして、ブキッチョだな、何回やってんだよ、と言った。
男はすでに一枚、二枚、三枚と失敗をし、手がブルブルと震えている。「成城石井」は人手不足なのであった。
年配のオバサンが私がやりますとピンチヒッター、男はスミマセンと謝ってレジのオバサンと交代、このオバサンが又、やたらセロハンテープを使って包装紙に貼りまくる。
上手な人なら多くて三カ所で十分だ。気の長い(?)私は気の短い男のように、「成城石井」もすっかりダメだね。品川駅の階段下と同じだよと言った。
ウィスキーにはチーズをと思いチーズ売り場に行くと、これが又、バランバラ。
人手不足は私たちも同じなので同情するが、至るところでパートやバイト頼みとなっている。いっそその昔青山通りにあった人気スーパー、ユアーズみたいに過剰な包装をせず、外国みたいに茶袋にバンバン入れて、袋の上を開け放しにしていた方がスタイリッシュである。袋は安い素材でもそれがオシャレだった。
女性たちがその茶袋を抱きかかえていた。袋からバゲットかセロリなんかが二本ばかり出ていた。
VANジャケットの袋も茶袋であり、そこにオシャレなロゴタイプが印字されていた。人手不足は本当に”新国劇”だ。私の家の近くのコンビニ、ファミリーマートに店員バイト募集中の張り紙がある。
バイト代時給980円、それでも人手不足だとなじみのオーナーは言った。
昨夜ピンクと白とグリーンの三色串ダンゴワンパック(三本入)と、杏仁豆腐を買って帰った
ダンゴは父と母、親友二人、兄の写真の前に供えた。杏仁豆腐はその夜お世話になっている会社のオーナーと会食(ごちそうになった)した時、この映画見ておいてと言われた。
86分のドキュメンタリー映画を見終わったら食べようと思った。
広島県因島出身の東北芸術工科大学の先生(教授)「瀬島匠」さんの創作活動を追った作品である。
この作家の作品は”創作活動そのものが作品でもある。
すばらしい、生き方がとにかく明るい。
”が、RUNNERと必ず作品に印すその意味を最後に知った時、杏仁豆腐を食べる気を失った。詳細はいずれ書きたい。
人間は明るくふるまって長く生きるほど、つらいものはない。故忌野清志郎の「僕の好きな先生」がタイトルソングであった。彼も絵が大好きであった。


瀬島匠さんの作品はこちらで見れます。
http://takumi141.exblog.jp


2018年2月1日木曜日

「飛騨高山にて」



辻堂→小田原→名古屋→飛騨高山(打合せ)―高山にてチャーシュウメンをごちそうになり、→名古屋→新横浜→東神奈川→横浜→辻堂。早朝は小田原駅で待合室、大好きな駅弁、”デラックスこゆるぎ”を食した。
「旅芸人の記録」という名画があったが、私も、そのようなものである。
飛騨高山はとにかくラーメン屋さんが多い。今回はここがおススメと調べていただいていた。
「桔梗」という味のある店名のラーメン屋さんであった。
老夫婦と息子とおぼしき男の人が一人、年の頃は三十六・七才であろうか。
L字の形のカウンターに8人程座れる。小上りがあり、4人が座れるテーブルが三つあった。
建築家の先生、建築会社の人二人。広告代理店の人二人、施主の人二人、私の合計八人であった。
カウンターに五人、小上りに私と三人。午後一時少し前。店内は私たちだけで満員のようになった。
それぞれ大きな鞄とオーバーコートやダウンジャケットを脱いで、空いたところに置いたからだ。ラーメンが出来上がる前の話題に、私が待ち時間があった時、前日ある造幣局にテレビが取材に入ったのを見た話をした。新札の一万円がここで一年間に何枚造られるか。輪転機は猛スピードで印刷する。
そして断裁機でズドン、ズバッと断裁されて、刷り立ての一万札のぶ厚いブロックみたいなのができる。
ニセ札ができない工夫のところはボカされる。
勿論カメラが入るには、いくつもの鉄柵のようなところにつけられた厳重な鍵を開けなければならない。
さて、一年間に一万円の新札はいくらかと、造幣局の人に取材者は問われる。
想像もつかない。それじゃ教えます。一年間で12兆8千億円です。
へえ~、うへえ~となった。
私は直感的にソフトバンクの有利子負債14兆5千億円位を思い出した。
つまりソフトバンクは一年間に刷られる新札の一万円札12兆8千億より、2兆円近く多く借金し、利子だけで年間約数千億円を支払っている訳だ。
ラーメンは薄い醤油味、魚系のスープ。
麺は細目のちぢれ系、ラーメンの基本中の基本のようなものであり、ひと口スープを口に入れると旨い。チャーシュウが5枚でこれが実に旨い。
シンプル・イズ・ベストであった。
高山は水がいいので銘酒もたくさんあり、食べ物が美味しい。
飛騨牛店とみたらし団子店が多い。
朝市で有名な川にかかる橋の入り口で、これ以上小さな店は不可能という程小さなみたらし団子屋さんがある、おばさんが一人しか入れない宝くじ屋さんがあるが、それにほぼ近い。
三人でタクシーに乗って運転手さんに、あの店ずーと昔からあるねと言ったら、あの店でビルを建てましたよと言った。
へえ~そうなんだ。
高山の名物店である。
残念ながら団子は食べる時間がなかった。
雨が多い高山は幸い晴天であった。観光客の多くは外国人。
特にアジア系が多い。
最早日本国は中国、台湾、韓国、そしてアジア系を敵に回したら、経済は成り立たない。高山のラーメンに近いなと思ったのは、喜多方ラーメンであった。
天領でもあったから、格式は高い。
プライドもすこぶる高い。京都に近いところがある。
何の仕事で打合せをして来たかは、後日にする。
一人のカリスマと、一人の天才と、大巨匠をプロデュースしている。家に帰って深夜アンジェイ・ワイダの遺作「残像」を見た。いい映画はアタマの中をクリーニングしてくれるのだ。
「芸術とは卓越性だ」と主人公の画家は言った。
「人のやった事をいくらなぞっても、それは技術でしかない」


※画像はイメージです。


2018年1月29日月曜日

「楽するべからず」

「引くな、引くなバカヤロー」オシリを竹刀でバシンバシン、バケツの水をドヴァーとぶっかける。
「引くな、押せ、押せ、引くなバカヤロー」私の仕事場は遠い昔両国であった。
目の前はある相撲部屋であった。仕事でほぼまい日徹夜に近い日を送っていた。
午前四時頃には下の力士たちの朝ゲイコが始まる。親方はとにかく引き技を怒る。
楽して勝つなという事である。
私が相撲をこよなく愛するのは、実にここにある。
楽をするな引くな、逃げるなが私の生き方の手本だった。
私たちは例え何度も競合プレゼンに負けても、着る服や、履く靴やシューズまで変えさせられることはない。ただあいつに頼んでもプレゼンに勝てないとなると、新たな仕事はこなくなる。
私たちは芸を売っているので、お座敷の声がかからないと枕芸者みたいになる。
しばらくぶりにお声がかかった時、受話器に向ってハイ、ハイ、ありがとうございます、としきりに頭を下げている先輩の姿を見て、絶対にそうなるものかと心に決めて来た。
仕事で受けた恩は仕事で返す。
受話器、今なら携帯だろうか、それに向って最敬礼はしない、自分が駄目になってしまうからだ。
ジョージア出身の栃ノ心が平幕優勝をした。
かつて大怪我をして十両へ、そして幕下まで番付を落としたが、消してあきらめずがんばって、幕下、十両で優勝を重ねて幕内に復帰した。
この力士は引き技を使うことがない。
前へ、前へ、なのだ。十両は毎月100万円近く給料などが出るが、幕下は無給、二ヶ月ごとに15万円位の力士養成費が部屋に支払われる。
十両以上は関取といわれるが、幕下に下がるとちゃんこ番(メシがかり)となる。相撲部屋では関取を”米びつ”と言う。つまり部屋が生き残っていくためのメシの糧なのである。メシのことを留置所、拘置所、刑務所では、”バクシャリ”とか”モッソウメシ”と言う。
では学校ではなんと言うかそれは”給食”と言う。
一月二十八日(日)朝日朝刊31面湘南版にかなしい記事があった。見出しに、「給食寂しく 食材高騰に泣く」読めば小学校の給食のメニューの番付(品数)がどんどん減っている。
政府や日銀は景気回復順調と言っているが、国の宝である子どもに食べさせる給食への援助は情けない。2011年、みそ汁と「アジの開き」が出ていたが、アジの値上がりで、14年度は「ししゃもの素揚げ」に。17年度には、みそ汁を豚汁もどきにして、主菜は「ちくわの磯辺揚げ」に。
11年度6分の1カットだったデザートのメロンは17年度は12分の1カットに。
そしてデザートの回数も減る。人気のカレーライスの豚肉は、1人あたり50グラムから40グラムへ。
福神漬けは13年度8回だったが、16年度は1回のみ。神奈川県内の16年度の小学校給食費用は月額平均4,062円、一食あたり243円だった。消費者物価が上がってよろこんでいるのは、政府と日銀だけ。小学校の給食での鉄分や食物繊維は基準を下回っている。
たんぱく質はギリギリとか。各市によって違いがあるが、大差はないようだ。
食い物のウラミは恐い。ママたちを怒らせると恐い。案外こんなことが原因で内閣の支持率は引いて、引いて、どん引きとなる。
留置所とか拘置所、刑務所の方が余程いい食事をしている。だからわざと法を犯して中に入る人間が続出している。
茅ヶ崎出身の序の口力士、「服部桜」は7連敗で入内以来1勝だ。
引くな、引くな、楽をするなだ。
木曜日までは出たり、入ったり、都合により休筆となる。



※画像はイメージです。



2018年1月25日木曜日

「ある確信の数字」

今日一月二十五日仕事でお世話になったある人に誕生日のプレゼントをする。
ある世界の第一人者だ。さて何にするかと昨夜東京発小田原行き湘南ライナーの中で考えつつ、朝日、毎日、読売の夕刊と、愛読紙日刊ゲンダイを読んでいた。クオリティーペーパーの夕刊は50円だが、日刊ゲンダイは140円だ。円が109円台となった。白根山が噴火した。
名湯NO.1、第一位の草津温泉でお客さんがキャンセル続出とか、前々日九段のグランドパレスホテルB1で、後輩の就活に労を尽くしてくれた、友人とその知人の人とお礼の昼食を共にした。(和食千代旧)友人の知人は草津でも有名な旅館(一井)の親類であるとい話をしたばかりだ。
今年は年初からこんな奇跡的な(?)事にであった。
一月七日相撲ノ国一之宮の有名な寒川神社に家族七人でお参りをした。
その帰り何を食べたいかというと、回転寿しと小さな子が言った。一軒目満員、二軒目満杯、三軒目超満員、そうこうしている内に家に近づき、結局近所のおしどり寿司へ。
そして、フライドポテトやとりのカラ揚げなど、一点、二点…。それに一皿、二皿、三皿、とお寿しを頼んだ。私はお茶と巻き物を二皿、小さな子、中二、中三の子は大よろこび、さて勘定となった。
レジを打つ男がバシバシと打つ。レジ機の数字がバンバン増えていく。
そして、チーンと終了。なんと消費税込みで、ジャスト10,000円、おつり0円。な、なんとその店はじまって以来の出来事であって、店の主人らしき人も来てビックリ、その領収シートは今年から大きな手帳にした一ページに貼って、会社の人間に見せて、今年はいいことあるぞと言った。
又、京王プラザホテル南園飲店でお世話になっている方と会食をした、オーバーコート等をあずけたら、セルロイドの黄色番号札、数字が「36」オッ、サブローではないか、それに足して「9」オイチョカブ(花札バクチ)の最強番号カブではないか。(私は「9」の数字を見つける習性がある、(クルマのナンバーとか)昨夜我が社の女性を赤坂のローリーズ(ローストビーフの名店)に招待、オーバーコートとマフラーをあずけると、番号札の数字が、又「36」ヨ、ヨ、ヨであった。ヨシ、今年は勝負運があると確信をした。
さて、列車内で小さなコラムを見つけた。
日刊ゲンダイはやっぱり面白い。一月二十五日生まれの人を紹介していた。
小説家サマセットモーム作家池波正太郎、詩人北原白秋、漫画家石ノ森章太郎と松本零士、人気グループの嵐の桜井翔、美容家の草分け、メイ牛山、ボサノバの父、アントニオ・カルロス・ジョビン。
等々そして、アメリカのマフィアのボス、アル・カポネ、そして、そして、日本国最大の山口組六代目組長司忍(本名篠田建市)と書いてあった。頭の中にパッと誕生日のプレゼントが浮かんだ。
goodアイデアだ。(文中敬称略)


※実際のレシート。


2018年1月24日水曜日

「銀座は白座に」


「私たちは高価な品を売っているのではありません。高級な品を売っているのです。」
広告の本場アメリカのある高級ブランドのキャッチフレーズである。日本には「安物買いの銭失い」という言葉がある。安物には安物の理由があり、最高級にはその理由がある。
30年近く前にある人から頂いたダンヒルのブルーのカシミヤセーターは、今でもプルシヤンブルーのままであり、型くずれもしていない。その間私自身が買い求めた安物のセーターは、何度もイカレポンチとなり捨てた。
ユニクロはユニクロであり、H&MはH&Mであり、ZARAはZARAである。靴下は”靴下屋”という靴下屋(ややこしい)で2足1000円とか、がんばって1足1000円位で履きつぶして来た。革靴はスーツをあまり着ないので、軽いスポーツシューズとかリングシューズとか1足8000円~10,000円を履きつぶして来た。
ワンシーズン持てばOK主義である。
ジーンズも同じだ。が結局は安物買いの銭失いで、高いけどいい物をしっかりメンテナンスしている人の方が、年月を経ると圧倒的に得をしている。
一昨日の大雪の中を、この5文字が通ったら日本中があっと驚くタメゴローのようなアイデアを込めたある箱を、依頼人のところへ届けに歩いた。箱は優秀な我が社のアートディレクターがイメージ通り作ってくれた。
午後九時半頃には銀座を白座にしていた。
隣にあるセブン•イレブンの前には雪ダルマがつくられていた。
傘を決して買わない主義(仕事上雨はロケを中止にするので、縁起悪いので持たない)丁度打ち合わせに来てくれていた、ウェブデザイナーの方が白いビニール傘を差して、箱の入った大切な袋を雪から守ってくれた。
すでに人影はなくフツーなら10分位のところに行くのに20~30分はかかる。
タクシーは来ない、オッ来たと思うと迎車のランプ、二人でズブズブと雪の中を行軍する。
黒のオーバーコートは、白のオーバーコートになっていく。
水分を含み重くなる。オッ開いててよかったデニーズだ。朝から何も食べてなかった。
四つの仕事を朝早くから一日中打ち合わせをしていた。
狭い狭い仕事場に依頼人が来ては帰った。私は大きなビル、広いオフィス、沢山の人がいる所が大の苦手なので、(はじめて入った会社が百貨店だったのでトラウマがある)ひたすら狭さを好む。
で、雪中行軍をした。
デニーズでコーンスープの暖かいのをスプーンで口に運びながら、足先がまったく冷えてないのに気づいた。
そうかヨージ•ヤマモトの靴下だからだ、過日経理担当の女史からヨージ•ヤマモトのソックスを頂いた。
多分1足4000円位はする高価な品である。
素材は厚いが柔らかく実に気持ちよくフィットする。
ホットしてフィットなのだ。靴下屋の1000円とはやはり物が違った。
それと先日仕事場の側にある、PATRICのシューズのあかげだ。
安物が破れてしまった。
シマッタ今日は夜お客さんと会食、その店は靴を脱いで上がらねばらない。
その手の商売の人は脱いだ靴、脱いだコート、持って来た傘で値踏みをするという。
ヤバイ破れている、が時間はない。PATRICはいいシューズだが高い。仕方ないと思って買った。これがまるで紙のように軽くてジャストフィット。
そしてこれもホットしてフィット。水分を全て弾いてくれて靴下まで染み込まない。軽いトレッキングシューズであった。傘を差し続けてくれた人には、ビーフシチューとビール中ジョッキを。
やっぱりいい物をいい値段で買った方がいいのであった。その後家に帰るまで苦難は続いた。今週末から月末まで、出張が何回かある。400字のリングは途切れ途切れとなる。
昨晩一合の酒を飲む。「♪~風が呼んでいる マイトガイ」小林旭の唄う声が聞こえていた。雪の白座はなんともいえぬほど美しかった。


※画像はイメージです。






2018年1月23日火曜日

休筆



本日は昨晩の大雪の影響の都合で休筆します。

みなさん足元にくれぐれもご注意を。



※画像はイメージです。


2018年1月22日月曜日

「凄い人、嫌いな人」



私はこんな人たちを尊敬し、心から憧れる。
人間はこうありたいと思う。で定年になった後、3年かけて日本百名山を上り続けて、ついにあと一つの山となった人。
その登山とは遂に世界30カ国の深い深い洞窟に20日以上かけて下り続ける人、51才。片や頂上を目指し、片や地底を目指す。
世に博士はいくらでもいるが「大博士」の称号を手にした人がいる。
1997年に始まり約50万人が受けた歴史上初の人。
この人は日本史検定の1級に、10回合格すると得られる「大博士」となり、6年前日本史に続いて世界史でも獲得した。
電気機器会社で働きながら、平日は2~3時間、休日は15時間以上学び続けた。
78才の人だ。
80才から連載を再会するマンガ家の人。
83才で絵本を出版する人。
昨年97才でこの世を去った。
「囲碁の神様」の妻であり、囲碁八段の人は90才だが、公式戦の大局を続けている。
番付の差一枚が天と地の、十両と幕下、その境界線を何度も転げ落ちては、はい上がった力士、その数7回。
会場8度目の十両へ、給料がもらえる関取りとなった。
もっと凄い力士がいて、入内以降1勝しかできていない。
確か1勝70敗の序の口力士である。
茅ヶ崎出身の服部桜、人間はやっぱりすばらしい、その強い意思に感銘する。
その一方私が気に入らないナルシストの物書きがいる。
その名は、「五木寛之」21日(日)の新聞にトーハン調べのベストセラーランキングが載っていた。
一位五木寛之「孤独のすすめ」、四位五木寛之「健康という病」、八位五木寛之「百歳人生を生きるヒント」なんと三冊、この老物書きは、人の心のすき間を書き、講演して荒稼ぎをする。
かねてより「生きるヒント」とか「大河の一滴」とか、中味はほとんど同じものを手を変え、名を変え、出版社を変えて、人の悩みにつけ込む。
ずーとむかし、ある航空会社のキャンペーンを頼まれた時、仕事を依頼するために、氏の常宿である■のプリンスホテル(当時)に行った。
一階のカフェラウンジで待たされること6時間であった。
何とかは仕事を引き受けてもらったが、長く待たせて悪かったの一言もなかった。
それ以来私はアンチ五木寛之である。
使い切れないほど印税が入っているはずだが、世のため、人のため、特に老人のためなどに使ったという話は聞いたことがない。
その程度の物書きである。
これからでも遅くない、ソロソロあの世は近い(否こういう人は100まで生きる)と思うから、五木寛之財団でも使って若者たちの明日のために使ってほしいと願う。
「青春の門」で売り出したのだから、青春の門を広げてくれよだ。
昨日元東大教授の論客西部邁が多摩川で入水自殺した。
四年前に愛妻を失ってから、死を覚悟していたようだ。
男は女性に比べて孤独力が断然弱いという。
女性は厄介な男があの世に行ってくれると、断然元気になる。
保守派の論客の冥福を祈る。
「朝まで生テレビ」の常連であった。
(文中敬称略)


2018年1月19日金曜日

「ドライフルーツ&カナヅチ」


一昨日朝八重洲口にある黒い高層ビル、鉄鋼ビルで新しい仕事の提案をした後、日本橋三越の菓子売り場に行った。
目的は昨年末友人から教えてもらったドライフルーツを買うためである。そのドライフルーツは円形でやや小型のピザ位の大きさであった。
いろんなフルーツがこれでもかとギッシリせめぎ合っている。
まあこれならあっそうで終りなのだが、なんと銀色のカナヅチが一緒にパッケージされている。
このドライフルーツはそのカナヅチでぶっ叩いて割りながら味を楽しみ、大・中・小の割れた破片を味わうのであった。Tの字型の銀色のカナヅチの叩く部分は二カ所あり、それぞれイボイボ状とギザギザ状になっている。透明な袋の中に入っているドライフルーツをこのヤローとばかり叩いて割る。これが実に美味しいのだ。家族全員で叩いては割り、叩いては割って食べた。
でこれをある人、ある方、あるところへプレゼントしてあげようと思った。
日本橋三越本店の本館菓子売り場を探し求めたが見つからない。ここでしか売ってないと聞いていたので探し続けた。老舗のブランドがズラズラと並んでいる。室町時代からとか、江戸、明治、大正創業という店と共に、新しい味を追求したロールケーキに大行列、マリーアントワネットが食べた(?)というフランスチョコ大賞に中行列、その他にもいろいろに小行列、次の打ち合わせがあるので教えてくれた人に電話をした。
もしもし、どこにあんの、いくら探してもないよと言った。相手はちょっと切って待ってという。
そして電話が来た。もしもしすごく小さなショップで見逃しているのでは、なんか英語で FRUIT & NUTS という文字があったけどと言ったら、そうそうそこですよとなった。左右1.5メートルくらいのショップに二人の女性、あのトンカチというか、カナヅチで割るドライフルーツあると聞いたら、一月十日で終売になりました。テレビで紹介されたら一気にお客さんが来て品切れとのことであった。二人の女性はスミマセンと言ってくれた。あのさドライフルーツを叩くのに使ったカナヅチというかトンカチは何に使うんだろうねと言ったら、そうですねトンカツとかビーフステーキを作る時肉を叩いて使うとか、そう言って苦笑した。
よしそれじゃ、それと、それと、それをチョーダイ、家に持って帰って冷凍庫でカチンコチンにして、家にあるカナヅチでぶっ叩いて食べてみるわと言って、小さな袋の中にあるドライフルーツを買って三越を後にした。バカな冗談を二人の女性に言ったら、二人は声を出して笑った。友人はちゃんと電話を入れてくれていた。きっと人相の悪いヤクザみたいなのが行くからと(?)。
菓子売り場はアートギャラリーみたいで、アイデアの宝庫だ。それぞれの店が温故知新を大切にとか、頑固一徹や、この道一筋にかけている。オッ、鎌倉名物”鳩サブレー”に小行列ではないか、江の島のタコせんべいとか、シラスせんべいがあればと思った。

2018年1月18日木曜日

「ピンクのポッキー」

私が大好きであった元ブラジル代表のサッカーのスーパースター、ロナウジーニョが引退との記事を昨日の夕刊で知った。芸術的な出っ歯で、芸術的なプレイをした。37才であった。スペインの最強チーム・バルセロナに所属していた時、04、05年に国際サッカー連盟(FIFA)の年間最優秀選手に選ばれた。ドリブル、パスワーク、そしてアタッカーとして天才であった。
私はどのプレイより、彼の出っ歯を愛していた。
日本に来ねえかなと期待している。私の住む茅ヶ崎を選挙区にする、河野太郎という私の期待していない政治家が、外務大臣になったと思ったら専用機を買えとか、自分がかつて外務省を害務省と言って人員を減らしたが、外務大臣になると、減らしたのは間違いであった。だから人員を増やせてくれと言う。昨日はカナダで行われた国際会議で世界の流れは北朝鮮と話し合い融和しよう。
あるいは脅しつつ仲良しになろうぜと話したのに、本当は出席することはないと思っていたが、日本だけが蚊帳の外におかれるとあわてて出席した。そして圧力、圧力、制裁を主張して、やっぱり蚊帳の外となった。茅ヶ崎市のために何もできない人間が、国を背負える訳がない。父親河野洋平にはある主義を感じたが、河野太郎は体制主義者だ。私の知人の市会議員たちはみんな子分だが、この親分は(?)(?)(?)だ。次の総理大臣候補だなんて言う実力者がいてヨイショする大新聞も多い。冗談もホドホドにだ。
茅ヶ崎市の一人としてまことに恥ずかしい。
先進国のクオリティーペーパーの会長や社長が、公然と大統領や首相と夜毎会食する国はない、日本しかない。それ故インポのチンポみたいな記事しか書かない。東京新聞と日刊ゲンダイは気合十分だ。雑誌ならFACTA か選択だ。(この二誌は年間契約しないと読めない。)右翼系の人にも気合の入っている雑誌がある。
かつて銀座数寄屋橋公園交差点に一年中(正月はいなかったと思う)赤尾敏という愛国党党首が熱弁をふるっていた。
フラフラとする老人となりながらも熱弁する姿に、街宣車の対面(トイメン)の交番のお巡りさんも、思わずよろける体を支えていた。赤尾敏が遂いに死した時、共産党の人間が一年中欠かさぬ街宣運動と熱弁に、見ならうとこありと、語り合ったという伝説もある。左でもよし、中間でもよし、右でもよし、主義主張を発する熱量を出し合ってくれよと願う、但しテロと暴力はダメ。
民進党や希望の党、社会党や自由党、まるでダメ連中。正月レンタルして来た映画に「帝一の國」(だったと思うオムニバス型式だった)という映画で、高校の生徒会会長を選ぶドタバタ、ゴチャゴチャ、イライラ、ムカムカする生徒たちの姿を、喫茶店のマスターの目で語る作品があった。菅田将暉がやはり群を抜いて良かった。
350億円以上の政党助成金が今年も支払われる(共産党と日本のこころ以外)支持率1%とか、0.5%とか0%にも数十億、数億円が税金によって支払われる。
こんなバカな国は地球上に日本しかない。
帰宅する夕刊を読みながら、そんなこんなを思った。
ウルセイナ、やけにいろいろ臭せいな、そうか熱海行であった。
私の隣の32才位とおぼしき女性はクリアアサヒという第三のビールを飲みつつ、ピンクのポッキーをなめつつかじり、スマホを見てグスグスと笑っていた。
光る画面にお笑い芸人たちがなんとなく見えた。
しっかり顔を見たら、あまり美人でなかった。
私は腰を浮かし窓側におしりを動かした。
家に帰ってロナウジーニョの録画映像を見ようと思った。
(文中敬称略)



※画像はイメージです。

2018年1月17日水曜日

「小説とは」

あなたは昨年の芥川賞作家、直木賞作家を憶えていますか(?)私は忘れています。昨日両賞の受賞者が発表になった。正直私には興味はない。
とはいうが私は天邪鬼なので隠れて読むかも知れない。芥川賞も直木賞も無理矢理年二回も審査して、受賞者を出して書店を活気づけようとしているのに過ぎない。
かつて太宰治は審査委員の文豪に、「どうか芥川賞を私にとらせてください」そんな手紙を書いた。
それ程文学を志す作家にとって欲しい賞であった。
受賞作なしということも多くあった。
活字離れの世の中は出版不況となり、無理矢理かさ上げした文学が世に出て、かえって文学離れしたと私は思っている。マンガ家や劇作家の作品の方が、発想が斬新であり、空想と奇知に富んでいる。
そして人間の抱えている重大なテーマに取り組み、そしてその先きを、暗示している。
文学を超えてしまっている。
昨夜帰宅した後2012年にBS TBSで放送された、作家開高健のドキュメンタリー番組の録画DVDを見た。
竹籠の中に取って置きのDVDがゴッソリある。
吉本隆明、小田実、遠藤周作を前日、前々日と見ていた。
で昨夜は、開高健が生前モンゴルの河に大魚”イトウ”を追い求めていた地を小林薫が訪れる。
河は厚く氷り、小林薫は宇宙旅行士みたいになる防寒服を着ている。このDVDは数度見ている。
このところどんどんオバカになっている自分を感じ、アタマの体操をする。
脳内が煮過ぎたおもちみたいにグニャグニャになっている。インプットをしないと、アウトプットは出来ない。「美と巨人」「美の壷」「日曜美術館」「Eテレ特集」等々、竹籠七個分を一気に見て行く。
さて、二時間の開高健のドキュメンタリー番組の中で、小説とは、という問いに、開高健が答える場面がある。「人間は変わらないが、人間の言葉は変わる。

小説家が100人いれば100人の小説がある。
それが何かとひとつの言葉で言うなら、それは、”助けてくれ”だろう。
小説家はあらゆる小説の中で、助けてくれを書いている」とまあ開高健先生はこんな意味のことを話した。
五十八歳没。
今の時代に生きていたらどんな小説を書いただろうかと思った。
開高健はベトナム戦争の戦場に従軍記者のように行き、200人の大隊が17人になってしまった壮絶な体験をして、精神を病んでしまったのだろう。
猛烈な躁と鬱を公園のギッタン、バッコンのように繰り返した。
作家をこよなく愛し続け応援をした、盟友の広告代理店の社長に死の間際小さなメモ書きを渡した。
翠国飲店の飲茶と震える字で書いた。
グルメにしてグルマンの開高健は、何より飲茶が好きだったと盟友の社長は語った。元サントリーの宣伝部制作室長だった床波氏は「闇の中の蛍」みたいな人だと語った。
今の世の中どうだろうか、みんな、”助けてくれ”と言っているように私には思える。
改めて芥川賞、直木賞のお二人におめでとうと言いたい。
若者よ恋に火となり、愛に炎となり、合体して燃え尽くせ。そして文学に挑め。彼の国の病的な大統領がまい日のように、世迷い言を発している。
どうしようもないバカを相手に”助けてくれ”とみんな思っているだろう。
我が国にも、隣国にもそれに近しい者がいる。
ハワイでは先日ある警報にみんな助けてくれとパニックを起こした。(文中敬称略)



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