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2010年12月8日水曜日

湘南の嵐便り 「声の道場」


私の長い友人の奥さんが一冊の名著を上梓した。
題名を「声の道場」という。
友人から送られて来て直ぐに読んだ。中々奥深い教えの本であった。

道場の風景


著者の名は「山村康子」さん、観世流梅若会の能楽師である。
日本人が声の問題を抱えていて正しい発声法を学んで社会を正したいという極めて根源的テーマに対して取り組んだ本であった。



山村康子先生は声の道場を聞き、いかに正しい呼吸法が大切か歴史的見地から今日的テーマに対して息の大切さを語る。息とは自分の心という文字だと知った。
モンゴル人と日本人の発声が同じ様である事も書いてあり、日本人のルーツはモンゴル系である事も私は確信した。


息を飲む、息をつく、息が上がる、息を潜める、肩で息をつく、息を詰める、息を開く、息が長い、息にまつわる言葉の元を知った。



姿勢が大事です!

正しい姿勢、正しい発声が生む声が子を育て、身を育て、学問を育てる事を知った。

中でもこのエピソードが大好きであった。
アメリカの原住民が傷ついた鷲を捕まえた。日本人は大丈夫かしっかりしろ的な事を一生懸命に声を掛けたが鷲は一向に静かにならない、そこで原住民が母国語で優しく語りかけると鷲はピタッと静かになったという。大丈夫だよという言葉を掛けたのだ。生のイントネーションが違ったのだろう。


先日「プロフェッショナル」というNHKの番組で奇跡のお米を開発した農家の夫婦の話を見た。その人の作ったお米は他の米の五倍の値段がつくという。その方法は毎日稲に語りかけ声を掛けるのだ。

熱いけど頑張ってなとか台風が来るからしっかり頼むぞとか、美味しい水を入れてやるからなとかまるで子供を育てる様に愛情を込めるのだ。
稲穂は猛暑の辛さに耐え会話を交わしながら立派に育って特等米となる。


これは我々全てに今何が大切かを教えてくれている。
声を掛け合う大切さ、息即ち自分の心で語り合う大切さだ。ギザギザになってしまった家庭や政治や社会や会社や人間関係その全ては「声」にあるのだ。


パソコンやメールに声はない、あってもデジタルで無機質な声だ。
是非この一冊をお薦めした。丹田に力を集め大きく吸い小さく静かに出す。もうすっかりさび付いた夫婦関係や友人関係もきっとKURE-556の様に愛情を込め腹から声を出せばきっとスムーズになるはずだ。熱い吐息と共にそれだけで十分なのだ。

私は山村康子先生の声の道場に入門したいと思っている。

このままでは世界は声なき声で滅びる。世界中秘密情報の流出で大騒ぎだ。
メールより手紙、パソコンより電話、会いたい人とは会う事だ。

横着と便利は人を動かせない。

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