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2011年5月23日月曜日

湘南から喜怒哀楽 「仙台の少年と少女」



5月8日、曇り時々霧雨。午後四時から八時まで。



所は日比谷野外音楽堂だ。「南こうせつ」のコンサートにゲストとして宮城県仙台市立八軒中学校の50人近い少年・少女合唱隊が来て歌うので観て欲しいと代理店の社長の友人から言われた。とにかく凄くいいからと、監督の中野裕之さんと待ち合わせをしてSTAFFのシールをもらい中に入った。(中野さんはガイガーカウンターを持っていた)




座席7000円、立ち見で5000円であった。



超満員、すでにギッシリであった。こうせつの「神田川」、ゲストのイルカの「なごり雪」、杉田二郎や伊勢正三などが次々と若かりし頃全共闘世代のフォークを歌う。観客のほぼ8割は団塊の世代、手にキリンビール、氷結、なかにはマッコリ缶などを飲んでどんどん出来上がって行く。6時に帝国ホテルのロビーで打合せがあるのでSTAFFの人に仙台の少年少女達はいつ頃出るのと聞くと5時から6時の間くらいですと言われた。薄皮のスリッポンを履いて来たので雨で足が濡れてきた。会場は手拍子の連続だ。自粛ムードがもう嫌になったのだろう。




そして5時42分壇上に50人位の少年少女、この合唱団は全国コンクールで何回か入賞しているという。「あすという日」という歌をNHKで歌っているのを見た友人が直ぐにコンタクトを取り南こうせつさんの事務所と話をして仙台から呼んだという。いつもながら素早い動きだ。




あの被災地の瓦礫の中で海に向かい、山に向かい、天に向かい、大地に向かって歌っている姿を目に浮かばせた。どんよりした雲が割れんばかりのスタンディングオベーション、涙、涙、喚声、ビールと氷結のぐいぐい飲み。汚れなき透明な声、欲なき歌声、明日へ届けと願う声、それはこんな詞であった。



そして次に圧巻がもう一曲待っていた。



亡き阿久悠がまるで今日を見越して書いた詞の様な「愛よ急げ」。南こうせつさんに渡してあったらしい。直ぐに作曲しこの日少年少女合唱団とコラボレーションしたのだ。




《はるか彼方(かなた) 地平の果てに 愛に目覚めた人がいて かたちある愛 かたちない愛 ともに誰かに運びたくて》
《丸い地球を 丸く走って 丸い心が いま届けられる》※歌詞の一部のみ




歌い終わるともう全ての人の思いが大歓声となり一直線に被災地に向かう。



私は「がんばれ」という言葉が嫌いである。死にそうな人達に、死にたい位辛い人達にがんばろうは傷つけるだけだ。まして「がんばれニッポン」なんてW杯じゃないんだし、誰か物書きたちにで「がんばれ」に変わる言葉は書けないのかと思っていたら、さすが阿久悠だ。「愛よ急げ」と書いた。






「がんばれ」とか「がんばろう」はあまりに安直で誠意も意志も愛もなく受身であるが「愛よ急げ」のなんと行動的な事か。言葉より実行せよだ。百の能書き、評論、偽善よりズンズン前へ行っていると思うのだ。

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