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2011年5月16日月曜日

湘南から喜怒哀楽 「いつかショートケーキ」



ママ痛いよ、ママ痛いよ、ママ痛いよ。

と泣き声を出すのは厳しいリハビリ中の映画監督大島渚さんである。


ママとは女優小山明子。二人の凄まじい介護の現場をカメラは追った。

勿論天下の大島渚の悲しい姿をさらすのは種々意見はあろう。

既に収入のない監督は取材費を手にするか。又、介護鬱となって苦しんだ小山明子の凄絶な生き様を見せ全国の講演に結びつけるか。そのいずれも当たっているし、又全然当たっていないかもしれない。

私と同じ地に住む大島渚は画家片岡球子さんと共に誇りであった。


ヌーベルバーグの旗手であり、篠田正浩、吉田喜重と共に松竹三羽ガラスであった。

大島渚は監督と主に極めて優れたプロデューサーであった。多分私が知るところキャスティング映画の話題作りの天才であった。炎加世子、佐々木功。桑野みゆき、ビートたけし、坂本龍一、愛のコリーダの藤竜也、松田英子。どの作品にもあっと驚くキャスティングであった。


私は特に青春残酷物語で桑野みゆきが木場でシュミーズごと飛び込む、それを引き上げる川津裕介のシーンが大好きであった。桑野みゆきの白いシュミーズの色っぽい事、薄く見えるたわわな胸、小さな乳首、そして抱き合う二人。女性はやはりシュミーズだ。


その桑野みゆきがあっという間に中村屋のまんじゅうの倅と結婚して芸能界を去った。

あまりに見事であった。今どうしているのだろう。まさか70歳を過ぎて白く短いシュミーズでもないだろうと思うが、引退したら又出て来たりする芸能界で見事としかいい様がない。


大島渚さんは朝、辻堂駅のホームでいつも週刊マンガか週刊プレイボーイを持っていた。

茅ヶ崎駅前に私がよく行く「鳥仁」という坂本九ちゃんの一族がやっている焼鳥屋がある。大島渚さんもそこのファンであって車椅子で監督を囲む会に来る(最近は?)既に79歳、その「生」に対する夫婦の執念は凄いの一語だ。


ママ痛い、ママ痛いよーといってもママは許さない。

リハビリは苦しい、痛い事を乗り越えないといけないの、パパ頑張ってと声を掛ける。


ある時めでたい舞台で大島渚をゲンコツで殴った野坂昭如も同じ様な境遇にいるらしい。

大好きなショートケーキは食べれる日が来るのだろうか。ママからはもらえない。


糖尿病から来る動脈硬化が原因であったという。一度目は脳出血、二度目は脳梗塞であった。

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