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2015年5月13日水曜日

「ダルマになった記者」



前々回のブログで朝日新聞のエース記者「深代惇郎」のことを書いた。
となると読売新聞のエース記者の「本田靖春」のことを書かねばならない。

二人が互いに認め合う記者であり、衆目一致した二大エース記者だったからだ。
龍と虎であり、大鵬と柏戸であり、長嶋と王の様であった。

本田靖春は深代惇郎より四歳下であった。
その凄絶な最後は今も新聞記者の間で語り継がれている。

本田靖春は社会部記者として遺したものに「黄色い血」追放キャンペーンがある。
それは日本の献血制度確立に多大な貢献をした。
また「疵—花形敬とその時代」で愚連隊安藤組全盛時代の大スターの生涯を書いた。
先輩記者、立松和博の挫折を描いた「不当逮捕」、更に「誘拐」「村が消えた」など多くの名著を遺した。「我、拗ね者として生涯を閉ず」は580頁の分厚い本である。

このブログを書くにあたり調べた所、私は2005年、53日に読了とあった。
深代惇郎が深遠なる静的知性なら、本田靖春は永遠なる動的知性といえる。
二人の共通点は「超一流のプロの記者魂」である。

本田靖春は糖尿病がもたらす壊疽でまず右足を切断、その半年後に左足を。
足なんかかまわない、文章を書くには頭と手さえあれば文句ないといった。
その間に大量下血、大腸癌の切除手術をする。
幻覚と幻聴に襲われる中、更に肝癌、右眼失明、更に心筋梗塞、脳梗塞を起こした。

足切断の手術に耐えれるかという中で手術は行われた。
全身麻酔が途中で切れてしまうという麻酔医のミスがあった。
本田靖春は激痛の中で「それでもプロか、俺の命なんかどうでもいい、こんなことをしていたら毎日のように事故が起きるぞ」と苦悶しながら叫んだという。

それから三年後大腸癌再発、右手指四本が壊疽に襲われる。
本田靖春の肝癌はドヤ街に取材に入り、自ら売血の現場で注射針の使い回しを体験したからといわれている。人間の体がダルマのようになってこの世を去った(享年七十一歳)。

通夜・葬儀は一切行わず、戒名も位牌もなし。
遺骨は冨士霊園の「文學者の墓」に納められた。個有の墓はない。
文学者の名が連なる墓碑の一隅に「本田靖春・不当逮捕」と刻まれているだけである。
本田靖春が信じていたものは、人間の「善意と無限の可能性」である。

本田靖春に怒鳴られ、叱られ、批判され、反省を迫られながら若き記者たちは育てられたのだろう。「我、拗ね者として生涯を閉ず」電報文でいえば「ワレスネモノトシテショウガイヲトズ」20052月講談社から緊急出版された。
プロフェッショナルとは仕事に命を懸ける者のことをいう。
本田靖春なら昨今の大学病院における医療ミスの数々を何と書くだろうか。

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