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2011年7月7日木曜日

「節電の日に歌う人」

7月1日電力使用制限令開始の日、何処へ行っても節電だらけ、だがその節電の本当の意味はちゃんと説明されてないから分からない。こう節電すればこうなるのといってくれないからだ。



午後10時40分赤坂のクラブに久々に顔を出した。

わたしたち二人、店内は薄暗くマッタリ。十人座れるカウンターに60代前半のお客二人、半円のボックスに私達二人、二つの小さなボックスにお客さん一人、60代後半。ママ一人、背の高い女の子一人。モンペ+ブルマー風ファッションの若い子一人。



ボーイッシュな女の子だ。ビールを一杯飲み干すと突然聞き慣れた音楽だ。カウンター右の60代が歌う。

「美しき十代」三田明のヒット曲だ。節電と美しき十代、妙な気分だ。

で、次に「学園広場」舟木一夫だ。おじさんすっかり青春ど真ん中へ、以下西郷輝彦、橋幸夫、ホステスさんとデュエットで「いつでも夢を」と続く。その間を縫って私の斜め前のおじさんが心を込めて「釜山港へ帰ろう」ときたもんだ。パチパチと消えそうな線香花火の様な力ない拍手。で、次に「珍島物語」。アッチの人じゃないのとコッチの人に聞くとアッチの人じゃないけどアッチでの遊びが好きな人なんだと。ジャンジャジャジャーンとカウンター左の人、始まりました。名曲「奥飛騨慕情」次に背の高い女の子が五輪真弓の「恋人よ」あーあ頭が痛くなってきた。


この日一緒の男と難しい話を長くしていたので野口五郎のなんとかという歌を聞く頃には頭が完全に消灯してしまった。

何しろ節電の日の割りにはおじさんたちは週末十分充電していたのだ。


充電といえばあの事件から7ヶ月、暴力振りまくりの海老蔵が無罪放免で舞台に立って見得を切る。いよ!日本一とかさすが千両役者だとか。一方不良少年上がりのリオン君は恥をかかされた先輩のために懲役へ。名門の出と不良の出の違いとはいえ不条理ではないか。法は平等でないといけない、ケンカは両成敗と古来より決まっているのだから。


どんだけ大金が動いたかは分からないが私はやっぱり海老蔵君とリオン君が一年くらい同じ房の中で生活して肩を組みながら「高校三年生」とか、「修学旅行」なんかを歌ってほしいと思うのだ。そして二人揃ってもう灰皿でテキーラなんか飲んでケンカするのは卒業しようと誓い合ってほしいと思うのだ。



海老蔵が堂々と見得を切る。その目の前に海老蔵が送ったチケットで来たリオン君がいる、目と目があう。緞帳が下がってくる。コレで一件落着だ。

2011年7月6日水曜日

「時給は6円位」

去る6月2日から8日まで渋谷、東急文化村で「あかるい鬱展」という企画展を行い多くの方々がご来場してくれました。

テレビを見たからという人、FMラジオを聞いたからという人、渋谷駅でポスターを見たという人。

新聞や雑誌を見たという人。

トイレに行こうと思って通りがかり「あかるい鬱展」とは何じゃい、ちょっと見てみるかと言う人(若い人たちが多かった)、

鬱で悩んでいる人、周りにいる人、かつて苦しんだ人、人、人、そのご家族やご友人達様々に鬱の今がありました。



1000冊作った図録は販売しなかったので多くの方々が是非にとノートに書いて有りました。

現在対応を考えています。私はあれがよかった、僕はあれだ、俺はあれ、あたしはあれよとそれぞれでした。9日間文化村入口前のビジネスホテルに泊まり込み、連日オープンからクローズまで会場におりました。取材もたくさん入りその対応をしている内にお世話になった方たちにキチンとした対応が出来ず申し訳なく思っております。

また、会いたかった人が知らない間に来てくれていて会えずに残念でした。


初日のレセプションは予定の3倍となりテンテコ舞で色々と不手際があり反省しきりです。

成功したか否かは私が決めることではないのですが、スタッフ一同全力を尽くしました、ただいまやっと事後処理の7〜8割を終え、ど、ど、ど、どっと疲れが出ています。

しかし充実した疲れでした。足、腰、肩、首は鉄板の様になっていました。

アチコチからもう一度開催出来ないかとの問い合わせがありましたが今はとても無理なのです。

信用金庫から少し借金でもしようかと思ったので、申し込むと貸付係の課長さんと担当の若い人がレセプションに来てカメラでパチパチ撮っていました。なんでも上司に報告するとの事でした。私は嘘を言ってない事が山ほどの超一流の人達を見て安心した様です。もう一回分借りるかもと言ったらとんでもない、いい加減にしてよと山妻に言われました。

生きていると夢ばかり追ってお金ばかりかかります、私があの世に行った時は決して鬱ではなく、この世では夢が追えないからです。世の悪人の誰を道連れにするかを夢見てます。「天誅」ではなく「夢誅」です。ちなみにジャーナリストの鋭いペンで書く体制批判は「筆誅」といったが今はこの国にまっとうなジャーナリストはいません。

本当にこの国は滅びるかもしれません。みんなお金儲けばかり考えているからです。

ちなみに刑務所に入ったホリエモンの労役の時給は6円位、いい勉強になるはずでホリエモンの「後の門」を掘る人は誰でしょうか。必ず洗礼を受けねばなりません。でも刑務所内では愛をお金で買う事ができます(お金のことをツルといいます)。ホリエモンはツルを山ほど持っているからきっと気持ちいい毎日を送れるはずです。

す。

2011年6月14日火曜日

御礼

6月2日から8日まで渋谷東急文化村ギャラリーに於いて開催しました「あかるい鬱展」を無事終える事が出来ました。

連日様々な人、人、人でした。

これからしばらくは事後処理に時間を取られます。ブログは7月1日より再開予定です。



それにしても「鬱」で悩む人のなんと多い事かを改めて知りました。

殆どの人が「鬱」って文字もこうして見るとあかるいね、楽しいね、素晴らしいねと言ってくれました。

教授、博士、カウンセリングの先生達もこれこそ本当の認知療法(自分で何か出来た事で自信を付けていく)の見本だと言ってくれました。


一人でも多くの方が何かを掴んでくれたとしたら「私はとてもあかるい気持ち」になれるのです。

2011年5月31日火曜日

湘南から喜怒哀楽 「J−WAVE体験」


FMラジオ、J−WAVEに初めて出演した。

小黒一三さんという超人とのトーク番組である。小黒さんは元ブルータス編集長、現在はロハスな生き方を提唱する「ソトコト」編集長。全日空の機内誌「翼の王国」も手掛けている。


二十年ほど前なんとケニアに三つ星ホテルを建てた。

BS朝日の「毎日ロハス日和」も人気、又最近、銀座松坂屋裏の元TEPCO館1Fに「巴馬(バーマ)ロハスカフェ」というでっかい中華料理店も出した。設計は建築家の隈研吾氏で椅子の一つ一つまでこだわっている。コンセプトはロハスで長寿。

巴馬とは中国奥地の村の名前、百歳以上が沢山いる長寿の村であるとか。



小黒一三さんの「LOHAS TALK」は月〜金曜、午後8:408:50まで、10分間の番組である。今まで出演して来た人はあらゆる業界のトップランナーたちばかりであった。

私ごとき場末の芸者、ただの小作人にはまぶしい舞台である。私がある企画展を六月に行うというと、その内容と資料を一読、そして即決。そして俺の番組に出てよ、後は担当から連絡させるから、でお酒となった。何しろ人脈の巨大な塊。


千年の大木の根の如く深く広く遠くまで繋がり絡み合っている次から次へとビッグネームやビックリ話が飛び出す。桁違いの人である。きっと坂本龍馬はこんな人であっただろうと思う。人の見る角度によって万華鏡の様に変わる。

その人柄というか人格というか、何か魔可不思議なオーラに吸い込まれるのだ。


眼光は鋭く一発で相手の値打ちを読み取るのだ。

笑っている様で笑っていなく、怒っている様で笑っている。「巴馬」にはあの梁山泊の様に才人、怪人、奇人が集まって来る。中国風の格好の時は壇一雄の「夕日と拳銃」の主人公伊達麟之介の様でもある。北から南、そして世界のアチコチその行動力は広くて素早い。

一カ所にいないのだ。


六本木ヒルズに行くとセキュリティチェックが凄く厳しいのに驚いた。

無能な私の有能なデスクの女性とこのイベントのパブリシティを担当してくれる女性を用心棒にして行った。二人とも身長170㎝以上で頼もしい。これでも私は気がとても弱いのだ?。


そこにいかにも小黒一三さんを担当している感じの若い女性ディレクターが登場、その仕事っぷりの早くて的確な事、どうもとソファーにどっかり小黒一三さん、レジメを見せていただきイザ本番。


小黒一三さんのトークの無駄の無い事。

50分オンエアーに対し、収録は約一時間、無駄は一切しない事となっている様だ。超多忙な人だし、さっとやってぱっと終わって、じゃあまたよろしくとエスカレーターに乗って消えて行きました。J−WAVEは人気のあるラジオ局、ヒルズの中はアメリカのオフィスの様、どこまでも洗練され広く若々しく活気に満ちていた。


ラジオの反響恐るべしであった。

ちなみに東北の大震災の時人々が頼りにしたメディアNO.1はラジオ、約46%。テレビはわずか10%であったとある調査結果がでた。 



番組はこちらより聞けます/収録の様子もみれますよ!

http://www.j-wave.co.jp/blog/lohastalk/2011/05/podcasting270.हटमल


さて、ご報告をいたします。

6月2日〜8日まで渋谷東急文化村1Fギャラリーにて身を粉にして実現出来た日本初の企画展「あかるい鬱展」を行います。ブログはしばらくお休みさせていただきます。


よろしければ是非お越し下さい。会期中はほぼ居る予定です。

2011年5月25日水曜日

湘南から喜怒哀楽 「割り合い」


ブランデーにはクラシック、ブラックコーヒーにはモダンジャズ、紅茶にはスイングジャズ、スコッチにはブリティッシュロック、バーボンにはカントリーウエスタン、ビールにはカリフォルニアロック、ダイキリにはハワイアン、日本酒には演歌、焼酎には高田渡か岡林信康、ラムにはレゲエ、テキーラにはマリアッチ、プーアール茶にはモンゴルの口笛、カフェオレにはフォルクローレ等その日聴く音楽で色々飲み分けると楽しい1日となる。


この頃焼酎のカルピス割り、りんごジュース割りを一杯飲む。

人の前では決して飲めないので深夜一人の時にそっと楽しむ。

気に入ったバカラのグラスに氷を入れ焼酎を半分とカルピス半分のハーフ&ハーフ。

焼酎の臭いが苦手なのだがこれだと初恋の味カルピスが(有名なキャッチフレーズ)だらしなく遊んできた人生をほろ酔い青春の味にしてくれる。


大型連休、手帳に禁酒と書いたが結局一日も禁酒できなかった。

意志薄弱なのである。


今更禁酒して何やねん、もう肝臓も膵臓もアカンんのやないけ、ドクターストップいうても飲まなぁ眠れんのじゃけんのー。こんなはナンボのもんじゃ、一杯やらなイケンノヨ。なんて大阪弁と広島弁がハーフ&ハーフ状態になってしまうのである。

「酒は涙かため息」かという歌があったが私にとって「酒は命か深呼吸」なのである。


焼酎のブランデー割り、焼酎のコーヒー割り、焼酎の紅茶割り、焼酎のプーアール茶割り、焼酎のスコッチ割り、焼酎のラム割り、これらを試したがそれぞれしっかりとした割り合いを守れば割り合いにうまい。焼酎は割りと協調性がある様で相手を選ばない。氏素姓とか家柄とか学歴とか顔立ちを気にしない。自分自身が芋とか米とか麦だからなのだろう。


ちょっと声をかければすぐ付いてくる女の子って昔いたでしょう、自分で自分の事どうせ私はブサイクだから一度だけ一緒にモーニングコーヒー飲んでくれたらOKなの。電器屋さんとかお豆腐屋さんとか乾物屋さんの娘に多かった様だ。だから初恋の味カルピスは特に相性がいいのだろう。


割りとオツにすまし、バーバリーとかローラアシュレーとかラルフローレンを着たお気取り屋さんは一番簡単に落ちたと友人が自慢していた。


割り合いそうかもしれない。

実は芋の様に臭いが強い度数がある女性は一度間違いを起すと悪酔いするらしい。

ヨーカ堂のインナーとかイオンのジーンズにワゴンセールのTシャツ系の人だ。

スーパーブランド系は後から恐く痛い目に遭う。私の先輩はスーパーブランド系とマンションの一室にいたら恐い人が突入して来てベランダ(二階)から飛び降りて複雑骨折をした。今でも足を引きずっている。


「美人局」だった様だ。当然バッチリお金もかかった。

シャネルだらけだったとか。なんでもブランデーをビールで割るのがすきであったとか。

マズイ筈だ。



割り合いで一つ思い出した。

連休中友人のイギリス人弁護士夫婦が立ち寄った。その時テレビから矢沢永吉がサントリーモルツのCMでシャルウィーダンスをアカペラで歌っていた。

それを見たイギリス人は、この男はプロかアマかと言うからジャパンNO.1ロッカーだと言ったらなんとなく割り合い英語みたいな感じに聞こえるけどかなりなまっているなと言って帰っていった。


いいんだよ、永チャンはわたしの親友にとっては割り合いの英語風で十分なんだから。

湘南から喜怒哀楽 「ぜひ西伊豆石花海へ」

西伊豆稲取に「石花海」という海を前にした旅館があります。

定居康夫、比佐子夫妻が経営しています。比佐子さんは私が10ヶ月いた会社から私が辞めた時、私もやめますといって何百人もいる会社からわずか五人の会社に付いてきてくれました。旧姓は西君といいます。その頃22歳位だったでしょうか。


西君は九州八代の出身、父君は確か社会党の市会議員でした。その西君の結婚した相手が伊豆稲取で「喜久多」という昔風の小さな旅館の若主人でした。

えっ、西君が旅館の女将さんにと思いました。しかしこの西君は凄腕だったのです。



喜久多を改装したのを手始めに、海岸沿いにあった古い旅館を買い、10億以上の資金を銀行から出させその旅館を見るも鮮やかに改装しました。


「東本さん、○億○×億も借りるときは同じですよ。やるだけやって駄目ならそこまでですよ」といったのは私が泊まりに行った時です。



稲取の他の旅館主たちは朝からゴルフ、夜は麻雀やカラオケをしながら「石花海」はいつ潰れるか賭けていた様です。しかし西君は凄いアイデアを次々と出し、客層も大きく変えて大繁盛となりました。私が行くと美男子で優しいご主人と一緒に飲みます。


西君はどっしり落ち着き、着物が似合う文字通り大女将さんです。色気たっぷりとなっています。私の人生の中でこれ程見事に裏切ってくれた女性はいません。20歳で知り合ってから約30年、本当に貫禄十分過ぎる程の稲取の顔となりました。


多分今回の大震災の影響を受けているでしょうがこういう時は連絡してきません。負けん気が強く弱みを見せるのが嫌いなのです。いい女になりました。息子さんがホテル学校を出て後を継ぐ事となっているとか。


でも私としては沢山借り入れしているのは心配の種です。何とか一人でも多く「石花海」に行ってもらいたいと、友人、知人に声をかけています。目の前は海、屋上には大きな露天風呂があります。魚料理は抜群です。朝食はいう事はありません。私の紹介といえばお料理やお刺身の量も少しは増えるはずです。


「安・近・短」の決め手です。

どうかよろしくお願い申し上げます。伊豆稲取一の旅館です。

訳有りの仲で行っても口は堅いです。決してバレる事はありません。安心して行ってください。ただもしかして私と出会ってしまう可能性もあります。その時はお互い知らぬ仲という事にいたしましょう。


三年程前知り合いのお色気ムンムンのエステティシャンを紹介しました。

若い男の子と一緒、その夜あまりのエステティシャンの声に隣の部屋にいたお客さんからいい加減にしてくれと苦情が出た様です。しかし百戦錬磨のエステティシャン、翌朝ロビーでコーヒーを飲んでいる隣の人に対し昨夜は少し研修に身が入り過ぎてごめんあそばせといったとか。その色気に圧倒されたそうである。旅の恥はかき捨てという。


結婚して50年のご夫婦はひょっとしてと思い旅行に来たのです。実は隣から聞こえる泣き声、よがり声、すがり声に猛然と元気が出たのですがやはり最後までは無理だった様です。でもひと時興奮したと御礼の言葉をもらったとエステティシャンは喜んでいました。

48歳のエロ女です。エステの腕はまあまあです。二年ほど前DVにあい離婚したのです。かなりのMの女性です。今は29歳のコックさんと同棲中です。かなりマッチョです。


あっ、これはある二組のカップルを見て私が勝手に創作した話です。

2011年5月23日月曜日

お知らせ〜ラジオ出演情報〜

いつもブログを読んでいただきありがとうございます。

本日23日(月)より27日(金)までの5日間、J−WAVE「LOHAS TALK」に東本三郎が出演いたします。
時間は20:40〜20:50まで、6月2日から開催される「あかるい鬱展」についてお話させていただきます。

お聞き下されば幸甚に存じます。


湘南から喜怒哀楽 「お婆ちゃんと剃刀」



小説の神様、志賀直哉の小説で大好きなのがある。一度映画化を目指しコンテまで描いたが実現出来なかった。「剃刀」という。





一人の男がいる。気難しいが剃刀を使って顔を当たらしたら一番の腕と評判の男であった。若い衆一人と女房がいる。その日男は風邪気味で布団に伏せていた。




そこに一人の若衆が来た。顔を当たっておくないと、女房は若い衆にやらせてアンタは休んでいなよという。しかし男は俺の腕を頼んで来たんだ、俺がやるから湯を沸かせとなる。剃刀を革のベルトで入念に磨く。そして顔を蒸しシャボンをつけ剃刀を当て始める。額から顔、そして顎へと進む。




気が付くと若衆は気持ちよさそうにイビキをかいて寝てしまっている。名人気質で病的性格の男はそれをジッと見ながらノド仏の辺りを剃刀で丁寧に当たっていた。とその時男の持つ剃刀は男のノド仏をかき切ってしまっていた。鮮血が吹き出し若衆は息絶える。とまあ大まかこんな小説である。





長い長い間私の頭と私の顔を当たってくれた人が引退した。その後家から歩いて15分位の所にある床屋さんに行く事にした。座席が5席もあるのだから大きな床屋さんだ。しかしいつ行っても一人か二人しかいない。息子と娘と既に背中が少し曲がった母親らしき人の三人コンビである。




鋏を使うのは息子、頭を洗うのが嫁、そして眠りから覚めて気が付いたのだが剃刀を使っていたのは老婆であった。頭を洗ってもらい肩をほぐしてもらって座席を倒した時寝不足の私は眠ってしまった様だ。息子は隣に来ているお客さんの頭を刈っている。







えっおばちゃんが剃刀を使って当たってくれたのと言った。ハイ、そうですよ、いい気持ちになって大きなイビキをかいてよくお休みでしたよ。と手にキラッと光る剃刀を持っているではないか。聞けば先代のご主人の時から顔は昔の女房、今の老婆の仕事だったらしい。その腕は確かで剃り残しはないという。




それから二度行った。二度とも同じコンビで同じ仕事の流れであった。お客さん、随分とお疲れの様ですがあんまりご無理なさらないで下さいと言われた。大きなイビキをかくけどお婆ちゃん殺さないでよ、まだ少しやり残した仕事があるんだからと言った何を言ってるんですか、よく見ると北林谷栄にソックリだった。




殺せるもんならもう何人も殺してますよオホホホだって。




湘南から喜怒哀楽 「下手なシナリオ?」



あまりに出来すぎた話が多い国があります。それはUSA、アメリカ合衆国です。


世界にはアメリカコンフィデンシャル(秘密とか疑惑の意)という言葉があります。日本の真珠湾攻撃はアメリカがシナリオを作り単純な日本国は大戦に引きずり込まれ大敗し占領国となった。朝鮮動乱、ベトナム戦争、カンボジア、コソボ介入やイラン・イラク戦争、アフガン介入など世界の内乱、内戦には必ずアメリカコンフィデンシャルがある。何しろ戦争をしていないと死んでしまう。ずっと泳いでいないと死んでしまうサメの様な国家なのだ。戦争に反対した大統領は皆暗殺されている。


ホワイトハウス、ペンタゴン、FBI、CIAが正四角形を作りその中に闇の戦争マフィア、ギャング、石油資本を始め戦争関連産業がギッシリ詰まっている。


わずか300年の歴史で世界を支配するためにアパッチ族などの原住民インディアンを皆殺しにした騎兵隊国家なのだ(彼等は正義という言葉が大好きでやたらにジャスティスを連発する)アパッチ族の酋長の名はジェロニモといった。今回オサマビンラディン暗殺計画をジェロニモと名付けた事でも分かる様に気分はジョンウェイン、黄色いリボンなのだ。


ホワイトハウスでヒラリー・クリントンが口を塞いでいた。それはあまりのシナリオの凄さにやはり女性なのか恐れを感じたのだろう。世界中が今回の事が出来の悪いシナリオと結末の付け方だったと思っているだろう。



何故か7月にアフガンから撤退するにはどうしても大義名分がいる。そうでないと死んだ兵隊達に申し訳が出来ない。事実上テロリストへの敗北となるからだ。又、オバマ大統領の支持率を上昇させ来年再選させるには7月前にどうしても実績を上げねばならない。


そもそも同時多発テロもアメリカとオサマビンラディンが組んだという説もある位だから。アメリカとパキスタンが大きな取引をし、一芝居打ったとしても不思議でない。オサマビンラディンはとっくの昔に病気で死んでいる。ニセの主人公(ヒゲがあるのでつくりやすい)、その妻達、子供達(妻と子供が証言台に立たないと事実でない)も映画の様にキャスティングする。


アメリカの攻撃兵士達は何も知らなかった筈だ。だから直ぐに水葬にした。魚のエサにすればDNA鑑定は出来ない。写真も公開しない(しても合成だと直ぐ分かる)オーマイゴッド、こんな酷い事いくらニセ者達でもとクリントンは思ったのでは。グランドゼロにオバマ大統領は立ち、ジャスティスを連発する。国民は熱狂しオバマ一家は一気に再選に向かう。支持率は60%を超えるだろう。


沖縄に核を入れるけどずっと秘密にしとけと命令されたのが佐藤栄作首相、よく一内閣、一仕事というが、アメリカからすれば日本に一内閣、一秘密の上納の約束を取り付ければいいのだ。だからコロコロ首が変わった方がいいビジネスになるのだ。全てはビジネスの国なのだから。



映画ゴッドファーザーで長男を殺されたマフィアのボスが敵対する親分衆を集めて言う。長男の仇は取らない、ただし末っ子の命は狙うなよ、これはビジネスなんだという。戦争ほど儲かる事を知っているアメリカ。だからそのための基地日本を手放す事は永遠に有り得ない。NYのタクシー、イエローキャブを全部日産にするという。もし本当なら何人かハドソン川の魚のエサかソーセージ工場か何かでミンチにされるだろう。


TSUTAYAに行ってぜひLAコンフィデンシャルという映画を観て欲しい。かつて全米トラック協会の会長ホッファーはマフィアのボスより力があるといわれたが、マフィアによりミンチにされたともいわれている。


日本は永遠にアメリカのお財布代わり、金ヅルなのだ。

湘南から喜怒哀楽 「仙台の少年と少女」



5月8日、曇り時々霧雨。午後四時から八時まで。



所は日比谷野外音楽堂だ。「南こうせつ」のコンサートにゲストとして宮城県仙台市立八軒中学校の50人近い少年・少女合唱隊が来て歌うので観て欲しいと代理店の社長の友人から言われた。とにかく凄くいいからと、監督の中野裕之さんと待ち合わせをしてSTAFFのシールをもらい中に入った。(中野さんはガイガーカウンターを持っていた)




座席7000円、立ち見で5000円であった。



超満員、すでにギッシリであった。こうせつの「神田川」、ゲストのイルカの「なごり雪」、杉田二郎や伊勢正三などが次々と若かりし頃全共闘世代のフォークを歌う。観客のほぼ8割は団塊の世代、手にキリンビール、氷結、なかにはマッコリ缶などを飲んでどんどん出来上がって行く。6時に帝国ホテルのロビーで打合せがあるのでSTAFFの人に仙台の少年少女達はいつ頃出るのと聞くと5時から6時の間くらいですと言われた。薄皮のスリッポンを履いて来たので雨で足が濡れてきた。会場は手拍子の連続だ。自粛ムードがもう嫌になったのだろう。




そして5時42分壇上に50人位の少年少女、この合唱団は全国コンクールで何回か入賞しているという。「あすという日」という歌をNHKで歌っているのを見た友人が直ぐにコンタクトを取り南こうせつさんの事務所と話をして仙台から呼んだという。いつもながら素早い動きだ。




あの被災地の瓦礫の中で海に向かい、山に向かい、天に向かい、大地に向かって歌っている姿を目に浮かばせた。どんよりした雲が割れんばかりのスタンディングオベーション、涙、涙、喚声、ビールと氷結のぐいぐい飲み。汚れなき透明な声、欲なき歌声、明日へ届けと願う声、それはこんな詞であった。



そして次に圧巻がもう一曲待っていた。



亡き阿久悠がまるで今日を見越して書いた詞の様な「愛よ急げ」。南こうせつさんに渡してあったらしい。直ぐに作曲しこの日少年少女合唱団とコラボレーションしたのだ。




《はるか彼方(かなた) 地平の果てに 愛に目覚めた人がいて かたちある愛 かたちない愛 ともに誰かに運びたくて》
《丸い地球を 丸く走って 丸い心が いま届けられる》※歌詞の一部のみ




歌い終わるともう全ての人の思いが大歓声となり一直線に被災地に向かう。



私は「がんばれ」という言葉が嫌いである。死にそうな人達に、死にたい位辛い人達にがんばろうは傷つけるだけだ。まして「がんばれニッポン」なんてW杯じゃないんだし、誰か物書きたちにで「がんばれ」に変わる言葉は書けないのかと思っていたら、さすが阿久悠だ。「愛よ急げ」と書いた。






「がんばれ」とか「がんばろう」はあまりに安直で誠意も意志も愛もなく受身であるが「愛よ急げ」のなんと行動的な事か。言葉より実行せよだ。百の能書き、評論、偽善よりズンズン前へ行っていると思うのだ。