オーラルヒストリーの政治学者というと私など下世話な人間はオーラルセックスの政治的研究家などと誤解してしまう。
その学者のは「御厨貴」東京大学の政治学の教授である。オーラルヒストリーとは直接人と会って政治学に活かすらしい。
TBS日曜日朝六時からの時事放談の司会をしている。
本来中立でなければいけない学者がアッチに気を遣いコッチにも気を遣って骨のない魚みたいな番組を作っている。
朝日新聞に寄稿したり、読売新聞に寄稿したり、災害復興会議等の副会長をやったりとにかくビリヤード下手のスリークッションの玉みたいに方向が定まらない。
まるで教養のかけらもない苦虫をつぶした様な顔、その顔を見ているだけでこの国はお終いになってしまうと思う。
こんなちんけな腰に力の入っていない政治学者が政治家にアドバイスをするからいよいよ政治はオーラルセックスみたいに変形になってしまう。
こんな凄い物を開発する人達を見習ってほしい。なんと「糞尿の臭いをいい香り」に変えてしまうのだ。
紡績大手シキボウ(大阪市)が糞尿や汚物の臭いを良い香りに変える機能を持つ繊維「デオマジック」を開発したのだ。
介護やペット向けの商品への用途展開を検討するのだ。
同社によると人が不快に感じる臭い成分が香水などに含まれている点に着目、予め不快成分を除いた香料を作り出すことで汚物の臭いが変わりいい香りとなるらしい。
なんだかよ〜分からんがなんだか大発見らしい。
私の敬愛する文章家はやたらに「ウンコ」を連発する。あれは「ウンコ」だ、「あいつはウンコだ」もうこの世は「ウンコ」という風に一晩一緒に飲むと「ウンコ」の大放発となる。
これが「ウンチ」になると急にベチャとしてコロコロ固まり感がない。可愛い気がないのだ。
権力にくっついていて離れないオーラルヒストリー政治学者や政治評論家たち、飲み屋の水槽にへばり付いて離れない「タニシ」か「ツブ貝」みたいな存在だ。
魯迅曰く、「専門家とはたった一行で済む話を専門的にややこしく話す頭の悪い人」みたいな存在らしい。
さすがのお言葉だ。差し詰め魯迅が今の政治学者たちを論じたらなんというだろうか。多分「ウンコ」のひと言だろう。
その分析はきっと頭の悪いヨイショの御厨貴教授が「政治とウンコのオーラルヒストリー相対論」なんてタイトルで800頁位の立派な本にするだろう。
寺島実郎なんて時代感覚ゼロの襟の広いWのスーツを真夏でも着ている。
ノータリンのメモ読み評論家なんかは魯迅ならウンチクゼロな輩でお終いだ。
それにしても「こしでな、こしでな」あっ新聞の見出しを逆さまに読んだ「なでしこ」だ。
こればっかりTVも新聞も取り上げて大事な被災地の人々の事や、原発の事を消してしまっている胡散臭い奴たちだ、大マスコミはソロソロ静かになりなさい「こしでな」を、次に負けたら必ずボコボコにされてしまうんだから、日本国民たちはあの長嶋や王だってあれだけ、ボコボコにしたんだから。
魯迅先生はこんな事もいっている。
「中国人はいつもただの観衆だ」日本人もまったく同じいつもただの観衆で有り続ける。
被災地の人々や放射能の大被害を受けた人々の事を対岸の火事と思い忘れ始めている。
AKB48のコンサートには大観衆が集まり、その稼ぎは秋元康先生達のところに集まり、その金はみんな博打場に消えてしまうらしい。この国は悪夢に満ちている。