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2011年9月2日金曜日

「久々にさすが」


久々にあの野坂昭如氏の一文を新聞で読んだ。

なかなかに的を得ていた。

ヘボな新聞記者やアホな評論では書けない戦争焼け跡派ならではの一文であった。


要約すると敗戦となり戦災孤児がゴマンと焼け跡にばらまかれた青空がやけに美しかった。

だが何か救いの空気があった。それはもうB29は来ない、空襲もない、焼夷弾もない、原子爆弾も落ちない、そんな気持ちであったという。


だが今度の大地震、大津波、放射能には救いがない終わりなき戦いである。

いつまた大地震が来るやもしれず再び原発から大量の放射能があふれ出る。敗戦後の日本政府の方が今の政府よりずっと動きがよくあらゆる手が打たれていたと。今の政府の在り方はまったく政府になっていない。戦後66年の砂上の楼閣であると。B29が来る可能性より遙かに大地震の方が起きる確率が高いのだ。


敗戦後は日本中が一つになって復興を目指し、隣同士が飲み物、食べ物を分け合い、励まし合った。青空の下に希望があり笑顔が生まれたのだと。しかし今は東北の地以外ではほとんど何事もなかった様に生活をしている。あの人達はついてなかった。我々はついていたんだ、仕方ない、しょうがないんだ。結局、見たいTVを見てケータイやパソコンを使い、食べたい物を食べたいのだ。だが電気がひとたび消えた瞬間、なんだなんだとなり突然計画停電となり、又、なんだなんだとなる。


外国の胸先三寸で我々の国は生かすも殺されるのも相手次第となる。

忘却は人間の力だが我が国民は嫌な事は忘れろと平和らしきものをたらふく味わっていたのだ。と、こんな内容だが野坂先生が書いたものはもっと鋭く、強く、深く、警鐘に溢れていた。



野坂先生、大島先生、そしてあのミスター長嶋茂雄もリハビリに励んでいる。涙ぐましい努力だ。歩く、掴む、持ち上げる、漕ぐ、体が固まらない様一日も欠かさず行っているのだ。この国にリハビリは出来るだろうか。


食べ過ぎたら肥える、飲み過ぎたら体を壊す、何事も過ぎたるは及ばざるが如しだ。

健康のためと60過ぎてジムでいろいろやりすぎたオジサンがバーベルを挙げながら心臓発作で死んだ。プールで泳ぎ過ぎて71歳のハードなエアロビスク(有名トレーナー)をしていた女性が酸欠状態で死んだ。


リハビリ不要状態である。すでに命がないのだから。

この国も無計画にやりすぎた。設計図のない建築だ。もはや国中の筋肉や気管がスカスカになっている。歌舞伎などに使う美術用の松の木ハリボテと同じだ。


海老蔵はリハビリ可能だろうか。答えは100%NOだ。

近々新橋演舞場に海老蔵を観に行く。何故ってファンだから不安なんです。


世の中で一番難しいのは別れようと決めた男と女性のリハビリだという。

まず成功したためしがない。血を見ないと納まらないケースが多い。歩いても、走っても、泳いでも、腹筋しても、バーベル挙げても何をやっても元には戻らない。


方法論はただ一つ、それが知りたい男女、恋人、夫婦は近々出す私の「誤算婚」という本を買って読むしかない(現在最後の修正中)。寝ながらでも読める。


いみじくも小学校三年生の孫が今、割り切れない余りなどを学んでいるらしい。

人生は誤算に満ちている。なおかつ計算通り割り切れない余り算なんだ。


学生時代から愛し合っていた夫婦が結婚二十七年で離婚したいと相談してきた。

原因はなんだと聞けばずっと誤算続き。割り切れない事ばかり、まさか両親の介護をするなんてと妻の方が言えば、それが君が隠していた本音の姿だよ、実際は冷たい女なんだ、すこしばかり美人だなんていわれて調子乗ってんじゃないよ出ていけー、とお中元で頂いたカルピスを顔にかけた。初恋の味カルピスであった。


大きめの氷が目の下に当たって少し血が滲んだ。友人はそれを聞いてひと言、お終いねと言った。何があっても男は女性に物を投げつけたり、暴力はサイテーだと。そうなったら絶対お終い、永遠にジ・エンドよ最悪よ。



嫉妬深い男なんてだめ、家庭内ストーカーでしょサイテーよ、サイテーだと。

来週又オレは一週間近くホテル泊まりだ。

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