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2012年4月19日木曜日

「ドボン」




天丼、カツ丼、ウナ丼といえば丼物の三大スターだ。
親子丼、開化丼、カレー丼、穴子丼、鉄火丼もあるがスターにはかなわない。

丼物といえば貧しかった子供の頃はゴージャスな出前であった。
余程の「お客さんでないと出さないぞという厳しい掟があった。というよりお金がなかった様だ。

さて、この度テポドンだかノドンだか頼みもしないのに飛んでくるぞとのオドシがあった。
我が日本国は大騒ぎだ。出るぞ出るぞといって出たお化けはないというが何しろ我が国を防衛すべき大臣はあの田中直紀だ。もしや未だ頭の体操中ではなかろうかと国民は心配しきりだったのだ。

テポドンだかノドンはあっけなく海にドボンとなった様だ。
花園神社の首長男のようにデルゾデルゾと脅かしつつ500円を払うとなぁーんだウソつきといったのと同じ。私の想像だとそもそもハリボテみたいな物でなかったのかである。あるいわ燃料代が不足していたのでは、その昔敗北近しの我が国に石油がなく、木炭とか木の油とか果実の油まで投入して燃料にし飛行機を飛ばした。当然戦闘力はなきに等しいのであった。世界中の人を呼んでわざわざさぁーやるからなと見せていた時は臭い芝居だと思っていたのだが。芝居には第2幕がつきもの、あの国にも志ある者たちが動き始めている、もし発射大失敗がある者たちによる意図的行為だとしたら。独裁は必ず滅びるそれは必ず弱者たち民衆の手によって。シリア、そしてノースコーリア、あーコリャコリャだ。

2012年4月18日水曜日

「ロックよ立ち上がれ」



ピンクフロイドのプロモーションビデオに「ザ・ウォール」という名作がある。
今の様にコンピューターグラフィック(CG)が発達していない時代に一糸乱れぬ圧倒的な金槌の行進シーンがある。
線画のアニメーションである。

北朝鮮の軍事式典を見てピンクフロイドを思い出した。
クローン人間の様な同じ軍人、行軍、群衆、同じ拍手、同じ敬礼、何もかもCGで合成増殖させた様にピタッと同じだ。
 何かどこかで見た光景ではないか、そうあのナチスドイツ、そして旧日本帝国だ。

28歳にして権力を継承された金正恩の声は震え身振りはドギマギし、落ち着きがなかった。
やがて来る自らの運命は未だ分からないであろう。

ピンクフロイドの「ザ・ウォール」はベルリンの壁崩壊を予言していた。
この頃メッセージ性の強いミュージシャンが出て来ない。ロックンロールは反体制のものであってほしい。
アイルランドのU2、ビートルズのジョンレノン、レッドツェッペリン、イーグルス。
日本のロックンロールは息をしていない。ラブソングばかりだ。どうしたミュージシャンたちよ。

2012年4月17日火曜日

「桜と血」

細川ガラシャ

血は水より濃いとか、血は争えないという。

桜の花が咲く頃になると何故かこの血について心が騒ぐのです。
桜に血の臭いを感じるのです。それは滅びの血とでもいうのでしょうか。
富士山、桜、軍歌、戦争、戦死、日本的一次方程式。そして敗北です。桜は左翼的でなく右翼的花だからでしょう。
桜には思想的背景があり国家に利用されてしまった悲哀の歴史があるのです。

「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の花も花なれ 人も人なれ」これは有名な細川ガラシャの辞世の句です。
人間の引き際の美学として語り継がれているのです。
「花に嵐のたとえもあるさ さよならだけが人生さ」なんて達観した人生の達人もいました。

ちなみに細川ガラシャ、本名「珠」の父は明智光秀、その盟友だったのが細川藤孝(後の幽斎)その息子がガラシャの夫、細川忠興であった。性格は粘着性を極めたと伝えられる。
異常に嫉妬深く、絶世の美女といわれたガラシャは人に見せなかったという。
敵に攻められた時ガラシャを奪われるのを嫌い家来の手によって殺させた。ガラシャは洗礼を受けており自害できなかった。細川家の血は裏切り、日和見、権謀術数の歴史であった。

野田首相の親分は細川護煕である。国民を裏切るのは間違いない。桜前線は北へ向かっている。

2012年4月16日月曜日

「トホホな奴」




江戸を火の海にしやしたかねえ、徳川家を滅ぼすわけにやいけねえと勝海舟は西郷隆盛と差しで交渉したと伝えられている。
結果江戸城は無血開城となり江戸は火の海とならなかった。

晩年勝海舟は外交とは交渉とは「術」だよといった。揉め事の交渉とは正に術が必要なのだ。
お互い右手と右手で握手しても後に隠した左手には拳銃を持っている。
 顔はナイスミーチューとかニーハオとか笑っていてもそれは仮面、その下はこのヤローナメやがってとかフザケやがってとかの顔をしているのだ。

核保有国の米・中・露・仏・印・パキスタン・イスラエルたちがテメエーら北朝鮮イランが核を持つなんて十年早い。
シバルぞ、シメルぞなんて脅かしてもそれは無理だ。話がまとまる筈はない日本なんて米国のパシリだから聞く耳なんか持つ訳はない。それじゃどうするのという事になるのだがそこからが「術」なのだ。

まず空き腹にたらふくご飯を入れてあげる。
核保有国からバンバン食料を送る、もう食べれませんゴチソウさまでしたといってくるまで。
更に仏からはワイン、日本からは吟醸酒なかなんかがいいと思う。

人間空腹になるとイライラする、アルコールが切れると更にイライラするのだ。
まず相手のお腹を満たしてあげてから初めて「ちょいと話があるんだが」と切り出すべきなのだ。
日本なんてホルムズ海峡を封鎖されたらオシャカになる。
北朝鮮のアナウンサーなんか腹が満たされていないのでテンションが上がって声がブルブル震えている。
 日本は取り敢えず満腹過ぎて脳内停止状態だ。
 不景気なのに増税だ、電気代値上げだ、ガソリン代が値上がりだ原発再稼働といっても羊のようなこの国の民は黙って堪え忍ぶ。

私のむかしの後輩が右翼を名乗っているので一人二人テロって男を挙げてみろって冗談をいったら、な・なんと家のローンが残っているとか、子供がお受験なんていっている。
お前何やってんだといえば、もうすぐメーデーだから狭い部屋で日の丸にアイロンをかけているんだとかトホホな奴だ。
近々北朝鮮には大量の血が流れるだろう、腹を空かした国民はやがて狼になるのだ。

2012年4月13日金曜日

「オンリーユー」


ジャミンゼブ


ライヴはやっぱりいい。 
250席あるというレストラン&ライヴは満員であった。

410日(火)東京六本木交差点にある「アマンド」横芋洗坂を少し下ると右側にSTB139スイートベイジルがある。
元ホリプロの役員であった知人真下武雄氏が今力を入れている慶應大学出身の男性4人組ジャミンゼブという若者達だ。
スタンダードジャズがメイン。

まずは「A列車で行こう」から始まった。
ボサノバ、ビーバップ、ラテンのベッサムーチョなどバラエティに富んでいた。
一時間のステージ後少し休んで後半の一時間、男は私と知人と後二人、その他は3050代位の女性でビッシリ。
ピザとパスタを食べ、チーズ盛り合わせを食べ赤ワインを二杯口にした。

会場は手拍子、スタンディングの連続。女性達はステキな若者(28歳位)に大満足。
スタンダードジャズ他全て英語で歌う。ラストに森山直太朗の「さくら」そしてアンコールは3曲、ステージにはピアノ、ベース、ドラム、パーカッション。きっとこれから声に磨きがかかり艶が出てきて「ダークダックス」や「デュークエイセス」や「ボニージャックス」みたいになるだろう。

とても楽しみな4人組だった。デスクの女性もとても気に入ったみたいであった。
ミュージシャンは本当に羨ましいと思った。せめて一つ位楽器が弾けたら、せめて一曲くらい歌えたら人生はどれ程楽しかっただろうか。

家に帰り1歳になった孫に買った小さなおもちゃのピアノのボタンを押したら「猫ふんじゃった」のリズムが流れた。
まあこんなもんだと諦めた。私が大好きだった4人組「プラターズ」が初来日したときに聴いた「煙が目にしみる」「オンリーユー」は今でも心にしみている。

ライヴ会場の出口ではCDがバンバン売れていた。こんな風景いつかあったな。
そうだ西武新宿西口の「歌声喫茶」だ、あの頃確か杉田二郎が「戦争を知らない子供達」を歌っていた。

2012年4月12日木曜日

「親切過ぎ」




豪華な造りの扉を開けると、ニターというリズムで扉が開く、そしてニューと上蓋が開く、全く頼みもしていないのに。

ある有名店のトイレの事だ。
用を足しに入るとその瞬間全てがニューっと開くのだ、更に用を足して腰を浮かすと一気にジャーと流れる。
未だ一度目の紙であるのに、次に二度目の紙を流そうとすると水が溜まっていないのか水が流れず紙は吸い込まれない。
仕方なく水が溜まるのをじっと待つ。

便利な様で便利でない。
 そうかだから用便かなんてつまんない事を考える。

少し春らしくなり体がホテホテしたので久し振りに大好きなメロンソーダを飲んだせいかお腹がゴロゴロする。
軟便はなんべんでも出るとかいって又、豪華な扉を開けると、ニターっというリズムで扉が開いた。
よし今度はしくじる事なく用を足すぞ。腰を浮かせずにウォシュレットを使い紙拭きは1回だけにするのだ。そうすれば一気に流してくれるはずだ。

小さな親切は大きな迷惑ともいう。イケネェーおしりでなくビデを押してしまった。

2012年4月11日水曜日

「名人戦とオッキャクサン」


毎日新聞より


49日(月)東京目白台にある椿山荘で将棋の第70期名人戦の前夜祭があった。
友人の写真家、真下伸友氏が将棋雑誌のカバー写真を撮っていたので特別に招待された。
私はそれに便乗して参加させていただいた。

初代名人大橋宗桂が徳川家康より名人としてのギャラを授かってから400年目とか。
会場に徳川家19代目も来ており将棋連盟より十段位を家康公に替わり受けていた。現代名人位を5期防衛した永世名人は4人。中原誠、谷川浩司、羽生善治、森内俊之だ。 

41011日と椿山荘で第一局が行われる。森内俊之名人対羽生善治二冠だ。
前期は森内3連勝の後羽生3連勝、そして第七局目の熱戦の末森内名人が防衛した。

私は下手の横好きで、日曜日の朝NHKの将棋を観るのが長い習慣だ。
いくらやっても強くなれない、この頃小学校4年になった孫がめきめき強くなっているのでウカウカできないのだ。
遊びに来る孫たちと五目並べや将棋崩しを真剣にやるのがとても楽しい。

名人戦は朝日新聞と毎日新聞の共同開催、それ故まず挨拶が朝日の社長、次が毎日の社長。
この二人のスピーチのお粗末な事、次がスポンサーの大和証券の特別顧問これが更にお粗末。
徳川19代目この人はとても短く上手であった。パワハラで弟子にケツをまくられている連盟会長米長邦雄はまるで元気なし。主賓のくせに閣議のせいで遅れて来た文部大臣平野博文等はひと言、ふた事でハイお終い。

会場は1000人位はいたであろうか超満員、対局者の森内名人と羽生二冠はかなりお疲れ気味だ(途中で退場)。
私と言えばビーフシチュー(少々)ステーキ(少々)チキンカレー(少々)握り寿司、鯛の白身とマグロの赤身各一貫ずつ。鉄火巻きを三個いただきます(旨かったな)お酒はビール一口しか飲みませんでした。
 酒豪の真下伸友氏はあっという間にワインを一本空け次なるパーティに向かいました。

世田谷区議の女性、エッセイストの女性(大振り袖でした)、お笑いの世界に入りたいというモデルの女性などを次々に紹介される。ブルージーンズにアロハ、黒のベストに黒のジャケット、ずっと見渡してもそんな格好は私だけでした。
お土産に対局者の名入りのセンスまでいただきました。後で聞いたら招待客以外の人の会費は10,000円であったとか(ただ食いであった)。

その後新橋に向い、友人夫婦が経営するスナックBarで一杯飲み始める。
そこに一人の中年のオジサンが入ってくる。友人夫婦はお客が私だけだったので腹ごしらえのお手製のカレーライスを食べはじめるが(私も少し食べた。凄く旨い元々和食割烹店をやっていたから)半分残してお片付けまかない飯をお客の前で食べるのは現金だ。

でそのお客はいくらですかという、席代は2000円、酒代は別、カラオケはというから歌い放題ですと応えると直ぐにペン先で何やらコツンコツン、テネシーワルツを歌い出した。次にブラザーズフォー、次がピーターポール&マリー、全て画面に出る英文字を見て歌う。

やれやれずっとただで歌うのだろうか、電話で8人の予約が入ったので俺は帰るぜといって友人と外に出ると中国人の若い娘がワンサカ体を売っていた。時間は未だ9時頃であったが夜の新橋はかなりお花見気分満開であった。


オッキャクサン、キレイナコタクサンイルノコトヨ、ヨリドリミドリ、オッキャクサン、オッキャクサンと追いすがるのであった。その逞しさに絶対勝てない姿を見た。日本はやがて中国に占領されるのは間違いない。

2012年4月10日火曜日

「駄馬ダバ」

韓国のカジノ


テレビはAKB48に占拠されてしまった。
AKBを私なりに分析すると()は秋元康、()はKOREA、()はBANK、つまりは秋元康が韓国のカジノで勝負するための銀行という事になる。

前田敦子なる女の子が新聞全ページの広告に出た、何事かと思いきや私前田敦子(20)は今年6月の総選挙には出馬しませんだと。誰が仕掛けたか知らないが世の中バカにするにもホドホドにしろよといいたい。
()あきれた、()困った、()バカ大人たちといえる。どうせこのままいっても一番にはならない商品価値が下がらないうちにという魂胆が見え見えだ。又、時を同じくして発売する写真集の宣伝のためにもなる。

一生懸命に歌って踊って働いている若い娘さんたちをよこしまな大人たちが女工哀史のようにコキ使ってひと儲けもふた儲けもしている。あろう事か朝日新聞にまで前田敦子さん“総選挙不出馬なんて書いている。まったくどうなっちゃってんのといいたい。()ああ、()完全に、()ぶっ壊れてしまった。

ぶっ壊れた民主党から次々と離党者が出る。民主党から出馬してもまず100%勝てない。
増税反対者として、みんなの党や維新の会から出馬すれば100%近く勝てるそう思ってハイサヨウナラだ。

すっかり人相の悪くなった元杉並区長山田宏や三白眼が更に不気味になった中田宏元横浜市長なんかが次の総選挙を目指してパドックを歩き回っている。駄馬ダバ駄馬ダバ。なのだ。

2012年4月9日月曜日

「いよ、日本一」




46日(土)午後京橋で友人のスケッチ展を観る。
ご夫婦共芸術家、最終日なのでお子さん、お孫さんも来た。とてもいい風景だ。

その後歩行者天国を歩き、TDC展を観る。
国内外のタイポグラフィーの作品が並ぶ、デザインの善し悪しは文字である事を改めて知る。

その後「フェルメール光の王国展」を観る、既に三度観ているが何度観てもフェルメールはいい。
宮沢りえと小林薫の音声ガイドが又いい。企画者の一人である生物学者福岡伸一先生の本は上質な推理小説の如くでありその文章は一級品だ。展覧会場はいっぱいであった。

そしていよいよこの日のメインイベント明治座へ、お世話になっている広告代理店の社長大泉勉さんと「石川さゆり」の公演へ、第一部は「貞奴」日本で最初の女優と言われた川上貞奴の劇、第二部が「歌日和」だ。
715分“津軽海峡冬景色で始まる。前から7列目、いい席だ。私の直ぐ後のおじさんは「日本一!」を連発する。
「ウィスキーがお好きでしょ」を初めて生で聞いた。どえらいエカッタ。歌はすすみ軽妙なお喋り、その上手さに思わず拍手、そしていよいよ待望の“風の恋盆唄”“天城越え”のラストへと向かったのだ。エカッタ度100%であった。

この頃すっかり演歌ばなれをしていたのだが久々にやっぱり演歌もいいではないかと思った。
美空ひばり亡き後、石川さゆりは演歌の女王なのだろう、風格も十分にあった。13歳でデビューして今年で40年とか。
又、明治座は今年で140年である事を知った。川上貞奴が生きていれば140歳とか。夫であった川上音二郎は“オッペケペ、オッペケペ”で世情を風刺し一世を風靡した。この頃すっかり世相を風刺する芸人が出て来ない。
世の中はまるでヘトヘト、ヘロヘロ、どアホウ状態。そのネタには事欠かないのに。よし風刺ソングを書いてみる事とする。

2012年4月6日金曜日

「日本繁昌大展覧会」


新宿伊勢丹ウィンドウ


世の中は人には好かれる人と、人に嫌われる人とに大別される。
我々の業界で悪口を一度も聞いた事のない人がいる。

その人の名は浅葉克己さんという人だ。
 とにかく全てに素晴らしい人なのだ。スーパークリエイター&アーティスト&書家&卓球六段である。

浅葉さんの広告デザインは日本の広告史といってもいい。
東へ西へそしてあの国、あの山の中、あの湖、あの砂漠、あの氷の上と、あの、あのづくしである。
その間卓球の試合をアチコチでこなしていく。その姿に全てのクリエイターは最大級の尊敬の念を表す。

その浅葉さんが実行委員長になって44日〜49日(月)まで新宿伊勢丹本館7Fとウィンドウ、日本橋三越本店ウィンドウ、銀座三越ウィンドウで「元気な未来を広告から」のスローガンのもと「日本繁昌大展覧会」を行っている。
北原照久さんの広告コレクションやおもしろい懐かしい様々なコレクションが見れる。
 日本を代表するスーパークリエイター20人が、日本を代表するスーパーキャラクターをモチーフに、ポスターをはじめTシャツやグッズを製作。その収益を東北の被災地に送るというチャリティイベントだ。一人でも多くの方々に見てほしいと思うのです。

ちなみに私はキャッチフレーズ「猫の手も借りたい」&コピーを担当させていただきました。
浅葉さんの為なら例え火の中、水の中なのです。

さて人に嫌われるNO.1といえばやはり私でしょう。
東西南北、天地左右、前から後から嫌われるのです。もともと「嫌いで結構好かれちゃ困る」主義で決して日和見、八方美人にならず好き勝手に言いたい放題でしたから。私の仕事はとにかく人を育てて力のついた人間、あるいわ一本立ちを望む人間を世に出す事なのです。

私の理想はみんなが一本立ちした後、私一人ひっそりと森の中の小さなツリーハウスの中なんかで。
フクロウの様になりたいのです。