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2013年2月14日木曜日

「戦争反対、模型大好き」

岩田さんが作った模型の写真です

戦艦大和や武蔵、戦闘機の零戦、飛燕、疾風、雷電、九七式艦上戦闘機やB29、グラマンTBMアベンジャー、グラマンF6F、零戦と富士山、飛燕vs B29、それはもう精緻を極めた模型があるわ、あるわ、その製作者は岩田和則さん(74)だ。

浦安に住む敬愛する監督原田徹さんが、同じ所にリハビリに来ている奥さんのご主人が模型作りが大好きとか、ご近所のマンションに住んでいると言うので見に行ってびっくりギョーテンしたのです。

岩田さんはマンションの一部屋、二部屋、三部屋と模型のワンダーランドにしているのです。岩田さんが戦争マニアかといえば戦争大反対論者。

実は二月十三日原田さんがぜひ紹介したいというので行って来たのです。
私も一緒に行ったデスクの女性もびっくりギョーテンです。
何しろ無茶苦茶小さな戦艦大和をなんと紙だけで作ったりしているのです。

生活環境が豊かだとやはり顔も穏やか優しさ満点の方でまるで戦闘機とか軍艦や巡洋艦とはイメージが重ならない。
子供の頃浦安で見たB29による空襲を今でも鮮明に覚えているといって戦争は決してやってはいけませんという。
だけど模型作りは別なんですよとお茶と和菓子を出してくれました。

北朝鮮が遂に核の小型化に成功し米国まで攻撃可能となった。
核保有国が核は持つなの論理は矛盾しているが、戦争は模型の上だけでやってもらいたい。北朝鮮に核を持たせて一番ほくそ笑んでいるのが中国とロシアだ。
世界中が騒げば騒ぐ程北朝鮮の親分中国とその兄弟分ロシアの存在が上がるのだ。

だがまてよ、中国、ロシア、北朝鮮は自国民までだます嘘つき国家。
ミサイルも核も模型かもしれない?(本物かな)。

帰りに原田さん宅に寄ると、リハビリを兼ねて作ったという恐竜の模型を沢山いただいた。紙で作った作品。とてもよく出来ていてこれもビックリギョーテンした。
久々に会った原田さんは顔色もよく、顔もふっくらしていた。
何よりうれしかったのは触れた手が以前よりほっこりしていた事だ。

平家物語に出て来る女性を描き始めていた。
日々の目的を持つ事は何よりの良薬の様であった。芸は身を助けるのです

2013年2月12日火曜日

「一分の遅れ」


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悪ガキだった頃いつも仲間と集まる喫茶店があった。
荻窪駅南口、開かずの踏切側の“フジ”である。

一階はスマートボールとラッキーボールの店であった。
一階から二階までかなり急でまっすぐな階段があった。
そこを登りきると赤い公衆電話が一台あった。

午前十一時三十分になるとキッチリ二人のヤクザ者が来た、コーヒー、トースト、ゆで卵のセットを決まって頼んだ。十一時五十五分になると必ず公衆電話の前に一人が立った。後の一人は公衆電話を使用する人を遮った。使用中の人がいた場合は話を止めさせた。


十二時キッチリ電話が鳴る。
一分一秒狂わずに。それは親分からだ。
鳴った瞬間にとり、受話器に向かって最敬礼する。

二人は三十五歳から四十歳くらいであった。
前の日の景品買いのあがりの数字を報告するのである。
ヤリ(一)、フリ(二)、グー(五)など符丁で数字をいって切る。
そしてまた最敬礼をする。もし一発で受話器をとらなければ親分は激怒するからだ。

この親分はやがて府中刑務所で病死した。
二人の男は九州弁であった、親分亡き後生まれ故郷へ帰って行った。
その後スマートボールとラッキーボールは下火となり一階は食堂となったと聞いた(悪ガキはもう止めていた)。

先日東海道線に乗って大船に行った。
列車が一分ほど遅れていた。放送でその事を何度もお詫びしていた。
一分一秒でも送れずにホームに滑り込ませるのが我が国の鉄道だ。
これが守れないと親分ならぬ上司からこっぴどく叱られ反省室みたいなのところに入れられる。日本みたいに時間通りピッタリ列車が来る国は世界広しといえどない。

はじめて湘南の地に引っ越しして来た頃近くの道路にこんな看板があった。
「あわてるなむかしはみんな歩いていた。」
大船駅の一分間にこんな事を思い出していた。

2013年2月8日金曜日

「ツボと仲良し」

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※イメージです




あなたは最近街のどこかで日本人と中国人が喧嘩したのを見た事がありますか?
私はずっーとありません。

先日は電車の中で中国の老人(女性)に席を譲る若者の姿を見ました。
銀座で地図を広げ目指す店を探す中国人家族に親切に道を教える若い女性も見ました。
ある中華料理店に孫たちを連れて行くと小さなパンダの人形を持ってきてくれました。眠っているいちばん小さな孫のために席を広々と作ってくれました。

お互いに“ありがとう”“謝々”でとても仲良しなのです。

旧正月で私の体を一生懸命ほぐしてくれる中国人のマッサージの女性が帰国中です。
頭、首、肩、背中、腰、足、もうバリバリで思考回路が固まっているのです。

今は土曜日に来てくれる佐賀のハナワ先生のハリとお灸とマッサージが命のお守りです。

オッキャクサン、コンナニカラダガカチカチ、イケナイヨ、ヨクネムッテル、イテテ、イテテ、イテェーヨ。ココネブソクノツボ、ココメノツカレノツボ、イデイデ、イデデデェー、ココイチョウノツボ。アンマリオサケノンジャイケナイヨ。
オナカヒヤシチャイケナイヨ、アッイテイテイテェー。
二月末までイタイ思いが出来ないのはツライ。“ワンさん、ニンさん”はいない。


中国人は日本人の先生、敬意を持って接すれば争いごとにはならない。
明日は久々に長崎ちゃんぽんにと思っている。
ちゃらんぽらんの私にはぴったりで大好きなのです。

ところで馬喰町の福本さん と藤沢の冨田さん は日本人女性でもカチカチの体をしっかりほぐしてくれます。とても優しくていい人です。お近くの方ご紹介します。

2013年2月5日火曜日

「最も酷い目」




開局55周年記念ドラマ「最も遠い銀河」
「最高のミステリー完結!東京〜小樽〜ソウル未解決殺人の女!!余命六ヶ月の刑事最後の事件…5枚のコインが招く復讐の殺意!?衝撃の結末」
白川道原作以下登場する役者名、長い前置きが新聞の小さな番宣の中にギッシリ、てんこ盛りで書いてありました。

余程自信がないのか、余程不安だらけなのか、テレビ朝日の担当プロデューサーが同じ系列の朝日新聞に恥を忍んで入れさせたのだろう(赤い色までついていた)

白川道原作、かつて「天国への階段」という上下巻を読んで酷い目に遭った。
レッドツッペリンの大ヒット曲、“天国への階段”からパクった題名だが、その曲が好きだったので読み始めたが死ぬ程つまんなかった。頭に来て即処分した。

週末八重洲中央口から東海道線に乗るために改札口からホームに向かうと円柱に「最も遠い銀河」のポスターがグルグル巻かれて貼ってあった。

23日(日)家族がみんなインフルエンザにかかり、八日間預かっていた大切な二歳の孫を帰しホッとしてしまい、何気なくテレビ朝日にしてしまった。
予想通りというか期待通りというか出だしから酷い。
こうなりゃどれ程酷いか後世の為に見ておこうと腹を決めて見続けた。

どうしたらこんなつまんないサスペンス?になるかを実験している様だ。
途中少し逃げたが、実験は途中でやめたらマズいと思い再び見続けた。

 9時からCM混じりで1125分位まで、もうこれはこの世の物かと思う程酷いシナリオであり、撮影が下手であり、演出は全くヤル気なく、役者は皆投げやりであり、音楽はすっかりミスマッチ、最後の詰めに至っては、末期がんでICUに入って死の直前の男(刑事)が酸素マスクを外し犯人?の男と二人っきりで延々と話し続ける始末だ。

こうなるだろうと途中から今売り出し中の26歳の若者“古市憲寿”の代表作「絶望の国の幸福な若者たち」を読み始める。


左目で面白い本を、右目で酷いドラマを読み続け、見続けた。
両方足すとこんな気分であった。
絶望の国の不幸なテレビマンたち、開局55周年を記念して、どうしてこうなったの教えてチョーダイと、監督和泉聖治のタイトルに投げつけました。返せ!貴重な時間を!きっといろんなドラマが裏にあったのでしょう。ハチャメチャなドラマが。

2013年2月4日月曜日

「精一杯と精一敗」




今年一月場所で東関部屋の力士、高見盛(36)が引退した。
私は大相撲大好き人間である。

ある年、とても親しい知人の娘さんの結婚式に招待されスピーチを頼まれた。
知人とは家族付き合いをさせてもらっていた。
私の娘と知人の娘さんが同じ歳であった。

そのめでたい結婚式に知人側親戚として当時の立行司木村庄之助さんが来ていた。
立行司といえば行司の横綱である。

私はスピーチでこんな事を話した。
人生を相撲に例えて嬉しい事、良い事つまり白星、嫌な事、辛い事つまり黒星がそれぞれいろんな形で生まれる。
共に白髪になって自分たちの人生は一生懸命頑張って87敗、つまり一つ勝ち越しならよしとするか、こんな内容であった。

青森から出てきた高見盛が千秋楽に勝った。
それでも負け越しが決まっていたので現役を続ければ次の場所は幕下となる。
相撲界の習慣で場所中に引退を口にしたらその時点で引退となる。
ロボコップ高見盛は上半身の半分を白いテープで固めて千秋楽、歯を食いしばって取り組んだ。両手の拳を握りしめ、顔面を打ち、胸を叩き、気合いを入れた。突き合い、押し合い、そしてはたき込んで勝った。

入門以来残した戦績は263264敗であった。千秋楽で敗けを一つだけにしたのだ。
劇的な数字と言える。記録より記憶に残る名力士であった。

ミスタープロ野球長嶋茂雄の最後のホームランは444本だった。
ホームラン記録は次々と後輩に追い越されていったが、記憶に残る選手としての存在は未だ不動である。一生懸命思い切り力を出した者にしか記憶に残らない。

高見盛は正に精一杯やり遂げ精一敗の数字を残した。
彼は引退後差し出された色紙にこう書いた「不屈と不安 元高見盛」と。

楽してお金を儲けようなどと思ってはいけない。
何やらバブルのムードが出て来た。ふくらんだ風船は必ずはじけるのが必定である。

汗まみれ、泥だらけ、心も体も傷らだけの先にその日、その日の報酬がある。
相撲の取り組みとは、一番一番“一生懸命取り組め”から来ているだろう。
苦の後には楽があるやも知れぬが、楽の後には苦だけがしっかり待っている。

よし、もうひと頑張り、もう一番だ。相撲には取り直しがある。
人生にはやり直しがある。