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2013年5月28日火曜日

「武士の首」

桐野利秋



すぐ隣にニンニク臭い息を吐く人がいても大丈夫。
また、オナラを一発二発されても全然大丈夫。塩豆、バタピー、柿ピー、さきイカ、サラミも何とか我慢出来る。が、どうしても我慢出来ない臭いが香水のかけすぎの男です。

東京駅発下り、小田原行き湘南ライナー、二十二時三十分発であった。
夕刊2紙を100円で買って乗り込んだ。列車の中は殆ど満席であった。
すでにアルコールの臭いや仕事疲れの汗や体臭でムンムンしていた。
また、蒸し暑かった。

列車の中間位に一つ座席が空いていた。
窓際には35歳位のヒゲの濃い神経質そうな男、盛んにパソコンを打ち込んでいた。
オッ、空いてて良かった。オッ、セコムしてますかじゃない、パソコンしてますかなんてお気軽気分で座った。


さあ、夕刊でも読むかと思った時、強烈なオーデコロンの香りが一気に私に襲いかかり包み込まれてしまった。
シマッタ、パソコンを打ち込む男の目は死んだ魚の様に白濁していた。
無論輝きはない。パソコンの画面にはグラフがあった。

オーデコロンの香りというか異臭はすでに私の鼻の穴から遠慮容赦なしに入り込んで来た。新橋—品川で私はクラクラ状態となった。

席を移りたいが空きはない。
夕刊を読んではいるのだが、内容まで読み込む集中力はない。
全身の神経が鼻の入り口にある。

川崎辺りで頭が虚ろになり、横浜につくと全身が拒否反応を示しだした。何の香水ですかなんて声をかける余裕はない。男はパソコンを打ち込み続ける。
次の戸塚までに完全にグロッキーとなった。
残る駅は大船、藤沢、辻堂だ。

後二十分余、ガンバレ、ガンバレと我が身、我が鼻を励ますのであった。
戸塚で最終的限界を感じた。
いっそハンカチで鼻を隠すかと思ったがそれも失礼だなと妙に紳士になった。
列車の中場違いな様に日本語の後に英語のアナウンス。
ネクストオオフナステーションなんちゃって。きっと男は小田原まで行くのだろうと思った。

列車は大船駅に着いた。男は降りる気配はない。
ホームから発車のベルの音、男は窓の外を見ると、バタッとパソコンを閉じ、足の下に置いてあった茶色の革のトートバックを掴み、スミマセンと言って私の足をまたぎ、ダァーっと出口に向かって行った。

私はふぅーと大きく息を吸った。
空いた席に男の形をしたオーデコロンの香りが見えた。
私も朝シャワーを浴びた後、微香性のものを少しかける。

佐賀の武士道が生んだ「葉隠」の精神は、武士たる者は一日一死、朝起きたら身を清め、毎日洗った物を身につけよと教える。死んだ時みっともない事は駄目だという心得だ。


日本国最後の内戦、西南戦争の時、人斬り半次郎といって怖れられた薩摩軍の指揮官桐野利秋は敬愛する西郷隆盛と共に戦い敗れ首を落とした。
その桐野利秋の首からオーデコロンのいい香りがしたと伝えられている。
それ以後武士たちは桐野利秋に倣ったといわれる。

私はこの話をずっと心に置き続けている。
桐野利秋のつけていたオーデコロンは後輩の辺見十郎太が留学先で買い求めて帰ったお土産だったという。武士道は死ぬ事とみつけたり(葉隠)。

2013年5月27日月曜日

「カイロかな」

垣添徹著 美しい黒星



何年か前あるドキュメントフィルムを見た。
東北新幹線が開通し、上野駅は通過駅となった事に対して上野駅に思いを込める人々を紹介するものだった。

「ああ上野駅」今は亡き井沢八郎の高い声が流れる。
♪どこかに故郷の香を載せて入る列車の…上野は俺らの心の駅だ〜。

上野駅に入る列車を懐かしむ初老の男、彼はかつて集団就職で上京した。
中学を出ただけの彼は苦労に苦労を重ね遂に上場企業の社長となった。
辛い時、苦しい時、逃げ出したい時、何度も上野駅に来たという。

北島三郎の歌に「帰ろうかな」という曲がある。
確か永六輔作詞、中村八大作曲。世に言われた、六八コンビの名曲だ。
♪淋しくて言うんじゃないが 帰ろかな帰ろかな 故郷のおふくろ便りじゃ元気 だけど気になるやっぱり親子 帰ろかな帰るのよそうかな〜と。

故郷を離れて東京に出てきた人間は錦を飾って変えるまではと思いつつも何度も帰ろかな、帰るのよそうかなを繰り返す。

ある詩人は言った。「故郷とは、帰れない処なんだよ」と。
このところ大相撲の力士と共にする事がある。 
61日の断髪式でハサミを入れる。元小結であった。
最後は幕下22敗目であった。

幼い子二人に勝つ姿を見せたかったと土俵に上がったが七戦全敗であった。
最後の土俵で敗れた父親に対し幼い男の子と妹、そして妻は大声でガンバレ、ガンバレと声援を送った。

私がお世話になっている広告代理店の社長は山形から出て来て立派に会社を成長させた。今どきどこにもいない情の深いロマンチストだ。
二人でこの力士親子の話を一冊の本にして残そうと考え、形にするお手伝いをした。

本の企画、カバーデザインのディレクション、本の題名、腰巻のコピーを書いた。
友人の須田諭氏が構成をしてくれた。後輩のデザイナー三宅宇太郎君が期待に応えいい装丁が出来た。

524日夜、三人で小さな博多ホルモンの店に行って鍋を囲みささやかな出版祝いをした。朝から何も食べていなかったのでゴボウやキャベツやニラやネギがみそ味と共に独特のいい味を生んで旨かった。子どもの様に一気に食べてしまった。
力士ならちゃんこ鍋だ。

人間辛抱だと言ったのは土俵の鬼と言われた初代若乃花だ。
相撲は十五日間全部勝てば全勝。現在の最強横綱白鵬が最も多く10回。
何はともあれ力士は8勝7敗を目指す。
つまり勝ち越しだ。人生も同じ全勝はない。勝った負けたの繰り返し。
終わってみたら8勝7敗、一つの勝ち越しなら最高の人生だ。
 「自分を褒めてやれるのは自分でしかない」という。

今場所大獄(おおたけ)部屋の幕下力士、大砂嵐金太郎というエジプト出身の力士が7戦全勝で来場所遂にアフリカ大陸初の関取(十両)となる事が確実となった。カイロでは親兄弟がブラウン管テレビの前で大声援を送っていた。大破嵐は横綱になりたい。
それまでカイロにはカイロとは思わないと心に決めている。

2013年5月24日金曜日


イメージ


かつてビルマといわれた国、ミャンマーにやり手音楽プロデューサー「ピーター」という男がいた。男は貧困にあえぐバラック住宅の中から5人の女の子を見つけ出し「タイガー・ガールズ」というグループを売り出す。

軍政下の中アレもダメ、コレもダメ、政治的メッセージはもっての外。
オリジナルが創れないから海外のカバー曲を体中を使って唄う。 
3035歳のピーターは兎に角この5人でひと儲けしたいのだがいくら売りだしても売れない。いちばん期待していたCMのオファーが全く無いので5人をクビにしてしまう。

オーストラリア人の女性で「ニッキー」というプロデューサー兼トレーナーが5人を引き取る。がピーターは「タイガー・ガールズ」の名前とロゴマークを使うな、使ったら訴えると凄む。

ニッキーは35歳位の知的で美人な白人だ。
浅黒い肌を嫌う女の子、平ぺったい鼻が嫌いな女の子、顔の作りを嫌う女の子、まつげが嫌いな女の子、歯並びが嫌いな女の子、何もかも魅力がないわよといわれ過呼吸となり泣きじゃくる女の子たち。

ニッキーは5人にメークアップを、エステを、ウィッグを、ダンスを、発声法を教える。西側の国の女性はパンティラインが出たらダメ、だからTバックをと隅々にいたるまでアドバイスをする。全て自分のお金で。 

Why、何故、分からない。貧困から抜け出たい、お母さんを露天商から抜けさせてあげたい、家が欲しい、車が欲しい、美が欲しい。
「タイガー・ガールズ」から「ミャンマー・ガールズ」に名を変えて歌い踊り、そして泣き笑う。10代から20代の5人組、何もかも検閲を受けた旧日本、軍政下と全く同じ。

ある日、ニッキーは5人に自分が妊娠した事を告げる、と同時に米国のハリウッドからオファーがあった事も告げる。
刑務所に入ってもいいからと心に決める5人は隣国タイに行く。
そこでミャンマーにない西側文化に触れはしゃぎ回る。

何かどこかの国に似た様なグループが重労働を課されながら安いギャラで唄い踊っている。その名をAKB48とか乃木坂46という。
ピーターに似ている男を秋元康という。

かつて「女衒=ぜげん」という職業の人間が居た。
貧しい村に行き若い女の子を安く手に入れ、お客をつけて高く売るのだ。
総選挙などというふざけたイベントで女の子同士を競わせ、まるでセリ市の様に観客という買い手を煽る。

作詞は自分でして印税をゴッソリ50年間手に入れ、作曲はコンペで選び作曲料のみ(?)で済ます仕組みだ。あの子には負けたくないという女心と、モテないオレにとって一票入れたあの子はオレの者だという錯覚を大量に生み出す。

秋元康は金を手に入れる天才であり、博打で金を失う天才でもあり続ける。
この一人の天才の下で撮影、衣装、メーク、振り付け、録音、美術等々が一分一秒を切り取ってモザイクの様に作品に仕立て上げる。

ニッキーは身重となりオーストラリアに帰国する。
5人の女の子は名声と富を求めてラスベガスに向かう。
帰国した5人を待っているのは刑務所かもしれないのだが。
日本の政治家は今、総選挙を前にネットを学ぶ。分かんねーなを繰り返しながら。
「いいね!」を求めて。

ニッキーなる女性は一体何を求めていたのだろうか、今もわからない。
これは映画ではなく実話そのものだ。5人の女の子がミャンマーを後にした年、2012年、アウン・サン・スー・チーさんが総選挙で当選した。5人は今どこにいるのだろう。

2013年5月23日木曜日

「あるポスター」


※写真はイメージです


聖なるスポーツといわれるのはボクシングだ。
それは同じ体重枠の中で命を掛けて殴り合うからだ。

競馬の騎手や競艇の選手も体重枠があるが殴り合ったりはしない。
ボクサーにとって最大の敵は減量との戦いだ。
真夏なのに数台の石油ストーブをガンガンつけ窓にはテープで温度が逃げない様にする。

シャドーボクシング、パンチンググローブ、縄跳び、スパーリング、ミット打ちなどなどが3分間単位で行われる(ボクシングは1ラウンド3分、体を3分に合わせる)。
当然室外でのダッシュやロードワークも毎日行われる。

ボクサーは毎日体重計に乗る。
一日一日試合が近づく程体重は減らない。水も飲まない。
意識がなくなるまで自らを追い込む。1グラム落とすのにも大変な状態となる。

私はそんなストイックな男たちに惹かれるのだ。

その日ホテルのロビーで人と待ち合わせをしていた。
少し早く着いたので掲示ポスター類を見ていた。
◯☓先生の講演とか、□△流生花展とか、☓☓占い教室とか何枚も貼ってあった。

何!というポスターに目が止まった。
二泊三日「週末断食」小さな文字を読むと、シェフや栄養士が考えた飲み物を用意して気軽に断食に挑戦しましょう。合計10回で料金は41,900円〜60,000円と書いてあった。

食と健康。 
20代以上の幅広い世代のご参加を。
ホテルのコンシェルジュに聞けば予約は殺到するのだとか。
お金持ちの頭の中はつくづく分からない。

ボクササイズといってボクシングジムでダイエットをしている人を知っているが、たっぷり汗をかいた後に、たっぷり飲み食いしてしまう意志が弱い人なのでむしろ増量している。その人にはボクサーになりなさいとアドバイスをしているのだが、殴り合いは嫌だ、暴力は嫌だという。

ボクシングは暴力ではない。
自分の事は自分で守らねばならない危険な世の中。
一度強烈なパンチをもらって奥歯、前歯がガタガタに、腹(ボディ)にもらえばこの世の終わりという程苦しい事となる。

そんなパンチはくらいたくないと思えば体を動き易くするために、アレも食いたい、コレも食いたい、アレを飲みたい、コレも飲みたいという訳にはいかない。
美しいフットワークを生むための努力だ。ふざけたホテルで高い金を使う事などお止めなさい。どうしても断食をという人には、たしか伊豆に断食道場があるらしい。
そこでは肉体と同時に精神の贅肉を取ると聞いた。人間は自分についた贅肉を取った分、自分が好きになるという。

2013年5月22日水曜日

「その一日」




戦争をしたくなったら、ワーグナーを。
平和を望むなら、サインモンとガーファンクルを。
人を殺したくなったら、マイルス・デイビスを。
別れた人を想うなら、テレサ・テンを。
チャンピオンを想うなら、フレディ・マーキュリーを。
自分を探すなら、泉谷しげるを。
死の訪れを知ったら、シューベルトを。
人生に悔いなしと思ったら、石原裕次郎を。
銀座の夜を空しいと思ったら、水原弘を。
会う時はいつも他人と感じたら、矢吹健を。
この国は病んでいると思ったら、イーグルスを。
金で何でも解決する人を悲しむなら、レッド・ツッペリンを。
運命を知りたいなら、ベートーヴェンを。
人間は実に良い人ばかりだと思いたいなら、落語を。

ある休日の昼から夜明けまで以上のものを聴きました。
私は時々こうして脈絡なく聴きまくります。
そして最後はきっとジョニー・キャッシュで終わります。

途中日付が変わるときには美空ひばりです。
川の流れのように生きたいけど、決してそうはいかないのが命という木の葉です。

奥村チヨの冬の停車場を聴くと、人はみな過去から降りてくる事を教えてくれます。
ミッキー・ローク主演の映画「レスラー」の主題歌を唄うのがブルーススプリングスティーン。この曲を聴くとショットグラスにバーボンを注ぎます。目にたっぷり涙がたまります。

最高の時間を生むのは「音」なのです。
一日中ハチャメチャに音と詞と言葉を耳に入れると、なぜか音が無くても言葉なんか無くても生きていけるのではと確信します。

私と愚妻とはずっとむかしから一日数秒から15秒の会話です、ちなみに昨日は「ご飯は…」「食べてきた」「何か作っておく…」「ソーメン」で終わり。
あっ、そうそう階段を上がりながら「ボリュームを上げ過ぎないでよ」と言われた気がした。ご近所にご迷惑をかけるからとか。

 124時間とは人生の縮日なり。

2013年5月21日火曜日

「霧雨に似合うもの」


※写真はイメージです


この世は10%の富裕層が更に富裕層になり、90%の人々がより生活苦になる。

私が通う東海道線が多摩川の長い鉄橋を渡る、上りなら渡ったら東京、下りなら渡ったら川崎だ。その鉄橋の側下に大きく広いゴルフの打ちっ放しがある。
その側にホームレスのブルーシートの家(?)が最近増え続けている。

 一週間の内四日は人身事故による列車の遅れが放送される。
その度心の中で手を合わせる。

ある飲み屋でこんな会話を耳にした。
「オレヨォー、土日はゴルフの打ちっ放しに行くのヨォ、時々ヨォホームレスの家(?)に向けて打ち込んでやるんだ」
「そりゃマズイじゃないんですか、万が一の事があったら殺人ですよ」
「大丈夫、おれ下手だから滅多に当たらないよ」
「でも先輩そんな事いけませんよ、絶対」
「ウソでしょ」
「本当だよ、ドライバーなんかで思い切り打ち込んだのを見たぜ」

私は知人と二人でその声がよく聞こえる席に居た。
二人の男、一人は四十二、三歳位、一人は三十四、五歳であった。
場所は赤坂ヤッカン通り(ヤクザ者と韓国バーが多い)の入り口、三十年以上通っている店だ。

二人は今まで見た事はない。 
IT成金なのか私には全くわからないカタカナ用語が交わされている。
また一億、二億の金額がポンポン出る。売り抜けたとか、損切りしたとか、株式用語がブイブイ出る。ゴルフ好きなのか話の途中でゴルフの自慢話がグイグイ出る。

私といえば頭の中でコノヤローシメテやるか、いや放っとけやが入り交じる。
飲んでいた酒が旨くないので店を変える事に決めた。
いい年して怒っちゃダメと自分に言い聞かせる。

で、伝票を持ってレジに向かう。
二人の男の横を通りながら、オイ二度とこの店に来るなよ、今度あったらお前らに向かってドライバーを打ってやるからなといった。
二人はポッカーンとしていた。知人が随分大人しくなりましたね、むかしだったら大変だったのにといった。

店のオヤジはペコッペコッと頭を下げた(すいません、一見の客なんですといっている様だった)。弱い者をイジメる奴は決して許して来なかった人生だ。
外に出ると霧雨が降り続いていた。雨には短刀、短刀には赤い血が似合う。
霧雨には一人で殴り込むのが似合う。映画のワンシーンを思い出した。

2013年5月20日月曜日

「日本語の日」



吉田秀和氏 ※朝日新聞デジタルより転載


517日、竹橋でフランシス・ベーコン展を見た次の日の18日、早朝千葉船橋の娘宅に居た。二人の孫の運動会があり前夜より泊まっていたのだ。
 七時に起床せよとの事であったのでずっと起きていた。

晴れの運動会の日に朝から汚い日本語がテレビから放出されている。
橋下徹なる下劣な男が自己弁護を語る。
子ども達には聞かせられない言葉ばかりであった。
売春、性の奴隷を連発しては恥の上塗りを重ねる。

この男はいつも放言と暴言、修正と謝罪。
自己弁護と他人転嫁をシェーカーの中にいれては言葉のカクテルを作って逃げ回る。
壊れた機関銃の様に出る言葉を止め、それを論破する、喝破する政治家も政治評論家もコメンテーターもいない。その口先に強烈な一撃を加える事が出来ない腰抜けだ。

橋下徹はきっと大阪市長を辞任し、7月の参議院選に出るだろう(いい口実が出来たと)。大阪人はそんな橋下徹に一票を投じる筈だ。
しかし日本維新の会はいよいよ解体に向かうであろう。
石原慎太郎という強力な接着剤がなければただの異心の会、野心の会にすぎない。

運動会の開会の挨拶をPTAの会長が行った。
赤組の人、白組の人、戦いはいつやるのと子ども達に声を掛けた。
子ども達は「今でしょー!」と応えかけた。PTAの会長の日本語のレベルに愕然とした。

国旗日の丸が風に揺れ国歌が斉唱された。
私は立ち上がらず天を仰いだ。
4の女の子、小1の男の子、お目当てのかけっこは共に一着、リレーの選手にもなった。とても速かった。

皆大声で「頑張れ、頑張れ」という親と子、親類たちの日本語が万国旗の下でつぶてとなって飛び交った。懸命に走る子どもの姿にこの国の未来がある。
おにぎり、ウィンナー、唐揚げ、玉子焼きの先に小さな本当の幸福がある。

朝、汚い日本語にうんざりし、昼、親子一体の日本語に喜び、夜、日本語の美しさに出会った。船橋→戸塚→辻堂、横須賀線から東海道線に乗り継いで夜九時四十分頃帰宅した。愚妻は娘宅にもう一泊、テレビをつけると、また、また、また橋下徹だらけ。

うんざりするのも嫌だから2日分の新聞を読む事とした。
番組表にNHK Eテレで夜12時より137分まで、昨年亡くなった音楽評論の巨人、超人、哲人、日本史上最高の名文家でもある文化勲章受章者「吉田秀和」先生のドキュメントがあるのを見つけた。鎌倉の閑静なお宅は、知に満ち溢れている。
原稿を書く机は極めて小さく、本棚にはほんの少しの本しかない。

ドイツ人の奥さんに先年先立たれてひとり暮らし。
六時起床、毎朝小さな台所で330秒かけてゆで卵を一つ作る(玉子に衝撃を与えるのだと)ドイツパンとヨーグルト、シリアルだけの食事が毎日の決まりとか。
急須からTEAを注ぐ。こじんまりしたお庭そこは緑の芝生とあじさいの葉であふれている。(まだ花は咲いていない)音楽を聴く部屋には畳が八枚位、ごく普通の音響機器(特別高いものでなくてもいいという)障子と襖。
決して特別な家具も調度品もない。あるのは先生の頭の中にある世界中の名曲の音譜だ。

番組の中でインタビューに応える、作家石田衣良の家はまるで白い図書館の様、本による本の壁だ。パソコンを打つ石田衣良のなんと嘘っぽい、薄っぺらな姿。
吉田秀和先生の小さな住居自体がピアノ・ソナタの名曲を奏でているのとは大違いだ。

子どもの勉強机の上に原稿用紙を置き、細長いガラス戸から差し込む光を指揮者にして万年筆を走らす。
原稿用紙の一言一句、その行間、句読点までが一つ一つの音譜となり名文が生まれていく。その姿は「神」の如くであった。

芥川賞作家の堀江敏幸氏とのお庭での対話は93歳とはとても思えず、気品有り、気高く有り、流麗にして知力が満ち溢れていた。
現代の作曲家で吉田秀和先生の教えを感じていない人は一人もいないだろう。
日本語とはそれを使う人によってあまりに違う事を知った。

殆ど眠らずの一日であったが、その終りは極めて充実した。
冷やしたスミノフをお気に入りのバカラグラスに入れて飲んだ。
先生はおっしゃった。僕の文章は機械からは決して生まれないんだよと。

2013年5月17日金曜日

「平塚行にて」


※写真は転載です


あなたの側に億万長者がきっと居る。
本人は気付いていないのだから周りが気付いてあげねばならない。

宝くじの当選に気付いていない人の事だ。
去年のドリームジャンボ宝くじ一(1億円)7本が13日現在換金されていないとみずほ銀行が発表した。支払期限は617日迄。さあ買ったと思われる人を見つけよう。

未換金の売り場は次の通り。
みずほ銀行郡山支店(福島)、TFC北朝霞宝くじショップ(埼玉)、西銀座チャンスセンター(東京)、四谷ドリームステーション(東京)、みずほ銀行平塚支店(神奈川)、特設横浜ポルタチャンスセンター(神奈川)、天文館チャンスセンター(鹿児島)だ。


友人、知人、愛人、他人にいませんか、よく宝くじを買う人。
なぜだか埼玉、神奈川、東京が多い。
もしかして一人で買い回っていたりしているやもしれない。

だとしたら一人で三億とか四億かも。
もったいないじゃありませんか。
映画が作れるじゃありませんか。

印刷業界には様々な業界用語があります。
例えば活版印刷の世界(最近は少ないのですが活字の味は別格です)では、よく使用する活字を「大出張」よく出て行くからでしょう。
次が「小出張」「袖」は和数字や年号です。中に「泥棒」というのがあるのを新聞記事で知りました。丑とか亥。
あまり使われないから“こそこそ出入りする”そこで泥棒となったと書いてあった。

宝くじを買って当選しているのに気付いてない人、ふと考えると実は知っているのだがギリギリ617日にサッと現れてガバッとバッグに入れて、こそこそっと軽自動車かなんかに乗って姿をくらますのだ。
アルバイトを7人選別して七カ所に配置するとその隠れた活字の様な人に会える筈だ。
一度も買った事がない私には買った人の心理が読めないのだがどうなのだろうか。

会社の帰りに夕刊を買って紙面の隅にベタ記事に載っているのを見つけた。
こんな大事な記事は一面トップにすべきだと思ったりした。

東海道線下り平塚行、午後十時十二分東京発、私の横の50歳位の会社員風の男が、右手にサントリー角ハイボールロング缶を持ち、左手に中野物産の昆布“浜風”を持って飲んでは食べている。私は今夜もついてねえやと舌打ちをする。

斜め前に読売巨人軍のオレンジのユニホームを着た親子がコックリコックリしていた。家に帰りスポーツニュースを見るとジャイアンツがロッテにサヨナラ勝ちをしていた。宝くじを当てた人、くれぐれもバックレてサヨナラは行けません!

2013年5月16日木曜日

「OK牧場の血糖」


※写真は転載です


うどん県香川にどんどん増えている病気がある。
それは糖尿病だ。

香川県全17市町が全ての公立小で小学四年生もしくは五年生の児童を対象に糖尿病を見つける血液検査を実施する事がわかった。
文部科学省は「生活習慣病の予防を目的にこんな検査をするのは聞いた事がない」と。
つまり全国初なのだ。

香川県の糖尿病受療率は人口10万人に対し、男性が350人で全国1位、女性が269人で全国2位。それじゃ何故となる訳だが、その訳は県の代名詞うどんなどの炭水化物の過剰摂取ではとなったのだ。

東京にも香川のうどん店が沢山できている。
基本的にセルフサービス、トッピングは自分でする。
例えば素うどんにちくわ天、イカ天、えび天、春菊天と次々にのせながら前進して行くのだ。天、天とした人生行路が香川のうどんの食べ方なのだ。

すごい人は更に小皿にコロッケだとか、おにぎり、おいなりさん等をのせてひと息ふうーとして、取り放題の刻みネギをトングでつかんでドバっと天、天、天の上にのっけるのだ。

私はそば派なので数度行った事しかない。
シンプルなきつねうどんが好きだ。

人間という動物は目にした食べ物はオッ、オッと思い食べたくなるのだ。
香川のうどんは自己の制御能力というか意志の力とのせめぎ合いなのだ。
余程の根性者は素うどんにただの刻みネギだけで気高く食す。だが殆どの人はつい◯☓天、つい☓☓天、ついつい□△天となってしまうのだ。

結果炭水化物+揚げ物の食べ過ぎとなり幼き頃からイケナイ体となってしまうのだろう。行け行けどんどんは程々が肝心なのだ。 

B級グルメブームだがそのほとんどは炭水化物だ。
しかし人間の味覚と視覚はA級よりB級を受け入れるのだ。
気取った料理より目の前の料理の方が間違いなく上手いからだ。

ソース焼きそば、広島風お好み焼き、ラーメンに焼き鳥、おでん、焼きうどん、餃子、立ち食いそばやうどん。縁日の屋台に胸躍るのは五感が働くからなのだ。
だが同じ物ばかり毎日食べていてはいけない。

気をつけよう。炭水化物への過剰な愛を。私は明日大好きなおかめそばを食べるつもりだ。長寿庵か砂場で。私は血糖値は問題なしだ。
問題ある数値の高い人は「OK牧場の血糖」と心に決めて二本の割り箸を構えて下さい。
食事は日々毎食戦いなのです。

2013年5月14日火曜日

「弾圧開始中」


悪魔のキューピーこと大西政寛


「仁義なき戦い」という広島のヤクザ戦争を描いた映画はあまりにも有名だ。
元々は中国新聞がいかなる暴力にも屈せず暴力追放キャンペーンを掲載し続けた。

それはやがて「ある勇気の記録」という一冊の本となり、その本を飯干晃一が独自の視点を加え「仁義なき戦い」は生まれた。
中国新聞のキャンペーンは菊池寛賞を受け今も新聞記者のあるべき姿の教本となっている。

映画では深作欣二が監督をし、そのシリーズは映画史上に残る大ヒットとなった(日本の歴史に残る映画ベストテンの第三位)。
その映画の中に日本ヤクザ史上最も恐ろしい一人といわれた「悪魔のキューピー」こと大西政寛が出てくる。

その顔は可愛い小学生の様であった。
だがひとたび怒りの顔となると一変してその暴力は屈強なヤクザも逃げ出した。
凶暴の歴史は語り継がれている。

さて、今の日本にもその悪魔のキューピーの様な政治家が憲法改正を声高に叫び突き進んでいる。自民党が7月の参議院選挙の公約の中に草案として凶暴な条項を入れているそれは表現の自由を定めた21条の2項で“公益”や“公の秩序”を害する活動を認めない、また結社(活動)も認めないというものだ。

これはかつての悪法治安維持法と同じだ。
例えばこんなブログを書いているわたしも即ブタ箱へ。 
2ちゃんねるとかフェイスブックとかツイッターで“公”のためにならないと判断されたら即ブタ箱行きとなる。勿論多くの冤罪が生まれる。当然拷問や不審死も続々となる。
宗教団体、政治団体、およそ団体と名のつくものが“公”のためにならないとなればまとめてブタ箱だ。生きて出てこれないかもしれない。
公園で友人二、三人とバットの素振りの練習をしたり、ゴルフの素振りのやっても、お前たちテロをやるために集まっているんだろうとしょっぴかれるのだ。

かつて“スパイ防止法”を作ろうとして猛反対され廃案となったが、その焼き直しを法案にするのだ。“表現の自由”と“結社の自由”は基本的人権として憲法の柱を成している。
安倍晋三という見た目は弱々しく、どことなくお坊ちゃん風、まさかこんなキューピーみたいなと思う人こそ、その顔の下に悪魔が潜んでいるのだ。

毎日総理大臣の動静を示す記事の中に大マスコミの経営者がひれ伏しに行っているのもその法案の怖さにあるからだ。

“国民総背番号制”により私たちは国家に番号で管理される事となる。
個人情報、家族の情報は丸裸とされやがて徴兵制へとするためのものとなり、思想弾圧の元となる。恐怖の政治が目の前に迫っている。

呑気に構えていると、あなたも、君も、あの人も、あの会社も、ソックリまとめて弾圧される事となる。ある日私が消えたらそれはきっとあの小林多喜二の様に拷問を受け全身内出血で息を引き取っていると思って下さい。
“公”を誰が何を基準にして判断するか、それは国家権力なのだ。私は命をかけても悪魔と戦う決意をしている。日本の安倍晋三は極右ナショナリストだとアメリカや諸外国は厳しく論評を始めている。中国やロシア、北朝鮮や韓国やイラン、イラク。

社会主義国や紛争国、タックスヘイブンの国に旅行に行って、ハイピースなんていうブログやフェイスブックは100%管理されている(出入国データから割り出されているのだ。スパイかもしれないと)今やネットは戦争の地と同じなのだ。