ページ

2013年5月20日月曜日

「日本語の日」



吉田秀和氏 ※朝日新聞デジタルより転載


517日、竹橋でフランシス・ベーコン展を見た次の日の18日、早朝千葉船橋の娘宅に居た。二人の孫の運動会があり前夜より泊まっていたのだ。
 七時に起床せよとの事であったのでずっと起きていた。

晴れの運動会の日に朝から汚い日本語がテレビから放出されている。
橋下徹なる下劣な男が自己弁護を語る。
子ども達には聞かせられない言葉ばかりであった。
売春、性の奴隷を連発しては恥の上塗りを重ねる。

この男はいつも放言と暴言、修正と謝罪。
自己弁護と他人転嫁をシェーカーの中にいれては言葉のカクテルを作って逃げ回る。
壊れた機関銃の様に出る言葉を止め、それを論破する、喝破する政治家も政治評論家もコメンテーターもいない。その口先に強烈な一撃を加える事が出来ない腰抜けだ。

橋下徹はきっと大阪市長を辞任し、7月の参議院選に出るだろう(いい口実が出来たと)。大阪人はそんな橋下徹に一票を投じる筈だ。
しかし日本維新の会はいよいよ解体に向かうであろう。
石原慎太郎という強力な接着剤がなければただの異心の会、野心の会にすぎない。

運動会の開会の挨拶をPTAの会長が行った。
赤組の人、白組の人、戦いはいつやるのと子ども達に声を掛けた。
子ども達は「今でしょー!」と応えかけた。PTAの会長の日本語のレベルに愕然とした。

国旗日の丸が風に揺れ国歌が斉唱された。
私は立ち上がらず天を仰いだ。
4の女の子、小1の男の子、お目当てのかけっこは共に一着、リレーの選手にもなった。とても速かった。

皆大声で「頑張れ、頑張れ」という親と子、親類たちの日本語が万国旗の下でつぶてとなって飛び交った。懸命に走る子どもの姿にこの国の未来がある。
おにぎり、ウィンナー、唐揚げ、玉子焼きの先に小さな本当の幸福がある。

朝、汚い日本語にうんざりし、昼、親子一体の日本語に喜び、夜、日本語の美しさに出会った。船橋→戸塚→辻堂、横須賀線から東海道線に乗り継いで夜九時四十分頃帰宅した。愚妻は娘宅にもう一泊、テレビをつけると、また、また、また橋下徹だらけ。

うんざりするのも嫌だから2日分の新聞を読む事とした。
番組表にNHK Eテレで夜12時より137分まで、昨年亡くなった音楽評論の巨人、超人、哲人、日本史上最高の名文家でもある文化勲章受章者「吉田秀和」先生のドキュメントがあるのを見つけた。鎌倉の閑静なお宅は、知に満ち溢れている。
原稿を書く机は極めて小さく、本棚にはほんの少しの本しかない。

ドイツ人の奥さんに先年先立たれてひとり暮らし。
六時起床、毎朝小さな台所で330秒かけてゆで卵を一つ作る(玉子に衝撃を与えるのだと)ドイツパンとヨーグルト、シリアルだけの食事が毎日の決まりとか。
急須からTEAを注ぐ。こじんまりしたお庭そこは緑の芝生とあじさいの葉であふれている。(まだ花は咲いていない)音楽を聴く部屋には畳が八枚位、ごく普通の音響機器(特別高いものでなくてもいいという)障子と襖。
決して特別な家具も調度品もない。あるのは先生の頭の中にある世界中の名曲の音譜だ。

番組の中でインタビューに応える、作家石田衣良の家はまるで白い図書館の様、本による本の壁だ。パソコンを打つ石田衣良のなんと嘘っぽい、薄っぺらな姿。
吉田秀和先生の小さな住居自体がピアノ・ソナタの名曲を奏でているのとは大違いだ。

子どもの勉強机の上に原稿用紙を置き、細長いガラス戸から差し込む光を指揮者にして万年筆を走らす。
原稿用紙の一言一句、その行間、句読点までが一つ一つの音譜となり名文が生まれていく。その姿は「神」の如くであった。

芥川賞作家の堀江敏幸氏とのお庭での対話は93歳とはとても思えず、気品有り、気高く有り、流麗にして知力が満ち溢れていた。
現代の作曲家で吉田秀和先生の教えを感じていない人は一人もいないだろう。
日本語とはそれを使う人によってあまりに違う事を知った。

殆ど眠らずの一日であったが、その終りは極めて充実した。
冷やしたスミノフをお気に入りのバカラグラスに入れて飲んだ。
先生はおっしゃった。僕の文章は機械からは決して生まれないんだよと。

0 件のコメント: