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2013年5月8日水曜日

「ひとり位は」




私にとって、長嶋茂雄は正真正銘の「神」でありつづけている。
あの10月14日の引退試合にはカメラマンを配置し写真を撮りまくった。
そして泣いた。

監督になった時、後楽園の内野席を2席契約した。
解任された日、行きつけの店で怒りそして泣いた。

スポーツを政治的利用され大イベント化された5月5日のこどもの日、私は心から感動できなかった。私の大切な「神」を邪な政治家に奪い取られた気がした。

体が不自由になったミスタープロ野球にいまさら国民栄誉賞という選考の在り方が気に入らない。
謙虚がユニホームを着た様な「ゴジラ」松井秀喜の居心地の悪そうな姿を見ればそれが見てとれた。


今までは首相官邸内で行われていたはずだ。
今回厳重な警備の中でイベントを行ったのは、来る七月の参議院選挙で圧倒的に勝利し憲法改正に突き進む人気取りに他ならない。

同じ賞を受けた王貞治、衣笠祥雄はなぜグランド上で表彰されなかったのか。
この二人の表情は複雑であった。
森光子はなぜ舞台の上でなかったのか、吉田沙保里はなぜリング上ではなかったのかという事になる。他の受賞者も皆同じである。
私は不公平が嫌いである。
国民栄誉賞というなら今後は国民が選ぶべきだろう。


長嶋茂雄を打者にし、松井秀喜を投手にし、原辰徳を捕手にした。
そして総理大臣安倍晋三は背番号「96」をつけて審判となった。
はしゃぎ回る安倍晋三は明らかに躁状態となっている。「96」という数字が96代の総理であるという事と「96」条を改正するぞという意味を示している事はいうまでもない。

ちなみに、プロ野球のルールでは審判はユニホームを着てはいけない。
勿論洒落のつもりだろうがここでも邪な浅知恵を感じた。

純粋な長嶋茂雄、律儀な王貞治、一途な衣笠祥雄、一人ひとりきっと良き両親に躾けられたのであろう、正心な松井秀喜。四人に共通しているのは決して人の悪口をいわない、決して泣き言を言わない事だ。
私の様な日頃悪口雑言ばかりの嫌われ者とは違う制御の効いた人間である。

今回のイベントを見て国民のほとんどは心から感動した事だろう。一方それを観た権力者とその側近たちはしてやったりと思った事だろう。
NHKのドキュメント番組で二時間長嶋茂雄の壮絶なリハビリと戦う姿を見た。

 同じ様に日々戦っている人々にはきっともう一度やりたい「何」かがあるのだろう。
このままでは終わりたくない「何」かが。

本来始球式は儀礼的に投げれられた球を儀礼的に空振りするものであった。
が、熱える男長嶋茂雄の目は打つぞという気迫に満ちていた。
左手一本で空振りした。高めのボールを悔しがった。その姿に私は涙を流した。

と、同時に安倍晋三は7月、憲法改正に「YES」か「NO」かで、衆参同日選挙をやるであろう事を強く感じた。そして彼の大嫌いな公明党を外し、やりたい放題の巨大権力を生むだろうと。こんな想いをするのは私ひとり位だろうか。
後世この55日こどもの日が実はその決意表明であったと判るだろう。


すでに自衛隊を国防軍にすべき様々な球は投げ始められている。
公園で野球をする子どもたちがかつて神宮球場から学徒出陣していった事と同じ軍国主義の中にいる。そんな悪夢を見た。 
56日、安倍晋三内閣総理大臣は、ゴルフ場の芝生の上を勝利者の様に会心の笑みを浮かべて行進していた。

総理!支持率最高、やるなら今でしょ!の掛け声が聞こえた気がした。
7月にやらねば三年後体が健康である保証はない。
また、アベノミクスという人類史上初の日銀による実験は大失敗に終わっているはずだからだ。急いで歴史に名を残したいと思う人間には、今そこにある果実しか目には入らない。(敬称略)

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