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2013年10月16日水曜日

「黒いショーツ」


さらば愛しき大地




南無妙法蓮華経と二つの改名が背中に刺青されている。
男はダンプカーの運転手だった。

妻と二人の子のために無理をしてでも働き、小さな幸福を守っていた。
そんな男に悲劇は起きる。

ある日二人の子が水難事故に遭う。
男は悲嘆に暮れる。妻は子どもをしっかり監視しなかった呵責で傷んでいく。
男は酒に溺れていく。夫婦の間には再び接合しない亀裂が生じる。

ある日トラックに乗っていた男は一人の女と出会う。
男と女は互いに傷を塞ぎ合う様に体を合わせ続ける。
酒と女に身を沈めていく。

男にある日の思い出がある。海岸で子どもたちと食べた蟹だ。
食べれ、もっと食べれ、うまいだろうと。
男はすさんでいく、体に刺青を入れる。やがて男は女に出て行けという。
女を足蹴りする。

その足にしがみつき嫌だ、一緒にいてと懇願する。
女はジーンズを脱ぎすがる。黒いショーツがずり下がる。

この映画を物語る重要なシーンだ。
傷ついた男に出来る事は、何もない女にとって一つしかないのだから。

男を演じたのが「根津甚八」、女を演じたのが「秋吉久美子」であった。
この作品はベストワンとなり、二人は主演男優賞と主演女優賞を受賞した。
監督は「柳町光男」であった。秋吉久美子は切なく、哀しく、官能的であった。

根津甚八はその後、人身事故を起こしその呵責を背負い、重度の鬱病となり再起の道を閉じた。映画は時に残酷な因果をもたらす。


映画の題名は「さらば愛しき大地」であった。
「大地」を「映画」に置き換えると「さらば愛しき映画」となる。
映画の主人公は運転手であり、根津甚八を悲劇の主人公にしたのは車を運転している時だった。名優になるために生まれて来た様ないい役者であった。

2013年10月15日火曜日

「ジャックナイフ」


望郷




アルジェリア、カスバ(貧民街)、パリのギャングがここに身を隠している。

ここにはシャンゼリゼのめくるめく灯りはない。
パリのカフェテラスもパリのファッションもない。
勿論シャンソンも流れない。

男はこの地の女に心を寄せられる。
気を許せる子分はこのカスバから出たら捕まると言い続ける。

男はパリが恋しい、パリこそオレの街だと心の中で思い続ける。

ある日観光客たちがカスバを訪れる、その中にパリそのものの様な一人の女がいた。
男はひと目見て心を奪われる。子分はその心を見逃さない。
この街にいれば安心だと言い続ける。

男をずっと追う刑事が一人。砂漠でオアシスを見つけた様に男は女に近づいて行く。
パリの女はほんのアバンチュールな気分で男と接して過ごす。
そして女はパリに帰る日が来る。

男は子分が止めるのを振り切って女を追って街を出る。
女は船の上、男に気付いているのかいないのかは分からない。

街を出た男を遂に刑事は捕らえ手錠をかける。
港の金網を掴みながら男は刑事に言う。手錠を外してくれ、手を振らせてくれと。
 刑事は手錠を外す、男はポケットに手を入れナイフを持つ、そして叫ぶ「ギャビー」と。

この映画の原題は男の名「ペペルモコ」、日本では「望郷」であった。
主演は「ジャン・ギャバン」映画史上三大ラストシーンの一つだ。
他の一つは「シェーン」ともう一つは「第三の男」と語り継がれている。

2013年10月11日金曜日

「赤いモヘアニット」

パリ、テキサス





グランドキャニオン、何処から来たのか分からない一人の男。
真っ赤な目出し帽、埃まみれのピンストライプのWのスーツ。
 汚れた白いワイシャツ、ひねくれたカーキ色のネクタイ、手には白いポリタンク水は既に少ない、ブルーのキャップを回す男。

空は澄み切って青く、雲は綿みたいに止まっている。
ライ・クーダーのギターが荒野に鋭く、重く、切なく流れる。
痩せた体、削げ落ちた顔には伸び放題の髭。

男はやっと荒野の中にある小さなショップを見つける。
汚れた冷蔵庫、壁にはヌードを描いた下手な絵。
冷蔵庫を開けると中にビールが冷えているが、男はそれを飲まずに閉める。
アイスボックスを開けるとそこにはクラッシュ氷、男はそこに手を突っ込んで氷を掴み口にする。そして男はそこに倒れる。

男は消えてしまった妻を探していたのが最後に分かる。
妻はとある町のテレフォンデートクラブのボックスにいた。
ブロンドの髪、鮮血の様な赤いモヘアニットで。ミラー越しに男と女は会う。
男から女は見えるが、女かからは見えない。

この映画はいわゆるロードムービーの始まりを告げた。
全編に流れるライ・クーダーのギターは胸に刺さり、その痛さが心地よかった。
ギターは血を流さないジャックナイフであった。

この映画の主演はナスターシャ・キンスキーとあったが彼女が出るシーンは限られていた。ヴィム・ベンダース監督はギリギリまで主役の登場を許さなかった。
ブロンドヘアーのナスターシャ・キンスキーが画面に出た時、息が止まった。

あまりに美しい。探していた愛する女を見つける。その長い月日をヴィム・ベンダースは劇的に演出し成功した。カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した。

2013年10月10日木曜日

「繰り返し」


当時の男子マラソン




かつて十月十日は体育の日で休日であった。
東京オリンピックを開催した記念である。
十月十日は晴れの日であり、記録上雨が降った日は極めて少ない。

あの日私は代々木の喫茶店で友人たちとモダン・ジャズを聞きながらマラソンを見ていた。デイブ・ブルーベックの「テイクファイブ」、キャノンボール・アダレイの「ワーク・ソング」、ソニー・ロリンズの「モリタート」などを聴いていた。

ゴッソリ走って出て行った選手たちも40キロ近く走って帰って来た時には一人、一人、一人だった。先頭はエチオピアのアベベ。
次が円谷幸吉、その次がイギリスのヒートリーだった。

アベベは哲学者の様な威厳に満ち息も乱さず背を真っ直ぐに伸ばして凛凛しかった。
円谷は腹痛をこらえているかの様に少し前傾であった。
またここに来るまでの苦悩を全身で表すかの様に顔を斜めにし、口を歪め息を乱していた。アベベとの差は抜き様のないほど開いていた。

店の外は人、人、人であった。つぶらや〜がんばれ〜、つぶらやがんばれ〜と声を枯らした。代々木の鉄橋の下を通り私の前を円谷幸吉は走り抜けた。
短髪、白のランニングシャツ、白の短パン、汗と水とで濡れて円谷の肌にへばり付いていた。そのわずか数十メートル後にイギリスのヒートリーが来た。
アスリートとは思えないほど太目だった。白人特有の顔が赤らめていた。
日本人に負けてたまるか、イギリスのしたたかさを持ち、底意地の悪い役人が逃げる労働者から税金をとりに向かっている様でもあった。

つぶらや〜、抜かれるな〜がんばれと叫んだ。
哲人、労働者、役人の順だった。結局円谷幸吉はトラックで遂にヒートリーに抜かれた。
そして後日「もう走れません」の言葉を遺してこの世を去った。
哲人アベベは英雄となったが足を失う身となり数奇な人生を終えた。
ヒートリーがその後どうなったかは知らない。

あの頃のオリンピックはアマチュアの代表大会だった。
次のオリンピックではゴルフまで種目となった。タイガー・ウッズが出るともいう。
オリンピックオープンという訳だ。

十月五、六日深夜、体操の世界選手権を見ていると最早サーカスの如きであった。
あの日マラソンが終わった後、新しい道へ向かう事を決意した。
デイブ・ブルーベックのテイクファイブは壊れたレコードの様に同じリズムを繰り返していた。円谷の遺書もまた、食べ物おいしゅうございましたを繰り返していた。
私もそれ以来同じ事を繰り返している。

2013年10月9日水曜日

「傷害罪」


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金輪際男に体は許さない。
永遠に処女のままで生きていく、そのために全身を重装備する。
そこまでしなくたって別にいいじゃないのという物がある。

味覚の秋、ありがたくも栗を取って来たからと箱いっぱいに送ってくれる人がいた。
で、ダンボールを開けて、えーと声を発す。

その中にはトゲトゲのイガ栗がまるで機雷の群れの様に、または雲丹の群れの様に来る者を拒んでいる。ちょいと手を出せば、痛っ、と指先から血が出る。
キミはどうしてそんなに身を守るのか、元々は一体どうだったのか、父や母はそんなに厳しく躾たのか、というより恋とか愛とかを教えなかったのかと問いかける。

さあ〜大変だ軍手をはめ、ナタを持ち、トンカチを脇に置く。
栗の尊顔を拝すまでに艱難を要す。
やっとこさ栗に辿り着くとその渋皮に再び防御される。

この頃になるとかなりの憎悪が沸いて来る。
渋皮の先には更に筋張った繊維の皮がその身を防御している。
源氏物語の主人公光源氏はきっとこんな難儀をしながら女体に接したのだろう。
一枚、二枚、三枚…十二枚と。

英国王妃などが道ならぬ恋をし、心寄せる人にその身を任せようとするが、一枚、二枚、三枚と服を着ており、また身を細くするための頑丈な腹巻きやら、服を広げるためのペチコートやら、ガードルを外すために相手はヘトヘトへなってしまう。
そんなこんなしている内に時間切れとなる。

さて栗だがいいアドバイスに出会った。
栗には「ニホングリ」と「チュウゴクグリ」(小さくて天津甘栗になる→栗の火炙りの刑だ)とに大別される。
「チュウゴクグリ」は皮は剥がれやすいが、「ニホングリ」は剥がしにくい。
かつて日活映画全盛時代に「憎いあんちくしょう」という、石原裕次郎主演の映画があった。

それはさて置き人間はやはり賢い。 
2010年、果樹研究所は遂に渋皮の剥がれやすい新品種を見つけた。
外側の鬼皮(というらしい)に傷を入れて、オーブントースターや電子レンジで加熱すると、ぽろっと渋皮が剥がれる。その名を「ぽろたん」と名付けた。
ネーミングには(?)(?)(?)なのだが大発見なのだ。
渋皮の剥けやすさは「父と母」の遺伝子によって決まるとか。

更にぽろたんはいろんな品種と肉体関係を持たされ遂に「乙宗」という大スターとなったらしい。
そうか、傷つければいいのか、中々ガードを緩めない刺々しい女性は傷を付ける事をすすめる。但し間違いなく傷害罪で捕まる事を知っておいてほしい。

私はイガ栗と戦い続けた。
同じ様にガードの固い物に、栄螺、雲丹、鮑、岩牡蠣、胡桃などがあるのを記す。
それぞれ一箇所急所がありそこを攻めるとアラッカンタンとその身に出会う事が出来る。「人に急所あり」プレゼンテーションはそこを見つけたら必ず勝つ事が出来る。

2013年10月8日火曜日

「味噌汁」




「♪春に春に追われし花も咲く きすひけ きすひけ きすぐれて どうせおいらの 行く先は その名も網走番外地」

ここに出てくる花とは赤い、真っ赤なハマナスであり、きすひけ きすひけとは「きす」を「酒」と置換え、「ひけ」を「飲む」にすると分かりやすい(きす→酒のこと)。
酒を飲み、酒を飲みの事だ。
網走番外地とはご存知網走刑務所の事だ。
酒ばかり飲んだくれている男の行き先を自嘲的に歌った。

日本の脱獄王といわれた西川寅吉の脱獄の方法がこの地にある「博物館網走監獄」に再現されている。明治の世になんと六度も脱獄を遂げた。
今、何故こんな事を書くかというと「人間が造ったものは必ず壊せるよ」といった西川寅吉の言葉が現代社会に響いてくるからだ。
西川寅吉の脱獄については、作家吉村昭が「破獄」という本にし、ベストセラーとなった。
 
東京電力福島原子力発電所からの汚染水やら、JR北海道の杜撰な管理、みずほ銀行の反社会的融資行為、日々起きている異常犯罪、バラバラ事件などは既に驚きを失うほど慢性化してしまった。

これらを起こしている元は、長い間の腐食であるといえる。
小さな綻びを見過ごし、先送りし、他人のせいにする。
また憎悪の心の変化に気づかず、気がつけばバラバラにされ、溶かされ、燃やされ、棄てられ、埋められる。ネット上には完全犯罪のテキストや死体処理のテキストみたいなのが氾濫しているという。

西川寅吉は太い鉄格子を長い時間をかけて腐食させた。
それを引っこ抜いた。毎日味噌汁を鉄格子の根本に垂らし続けたのだ。
「味噌汁」の塩分を使って。

社会も会社も、家族も家庭も友人関係も、ましてや元々偶然的に知り合った夫婦の間にも味噌汁の塩分がヒタヒタと染み込み腐食をしている筈だ。
気がつくとその関係はボロボロになっている。

私の様な放言居士、失言居士、大言居士は腐食の種を常々蒔いている。
(恨まれてナンボの身だから)人の心ほど恐いものはないと知りながら。
人間は社会という鉄格子の中に無数の鉄格子の檻を作り、その中で生きているがそれぞれそこからの脱獄、破獄を夢見ているのだ。
幸福そうに見える鉄格子の中ほど腐食は進んでいる。
それ故私は絶えず人生のリスクを背負い込む事にしている。

私に殺意を感じている人はホタテのエキスを日々味噌汁の中に、珈琲の中に、お茶の中に、水の中に、酒の中に入れればきっと私は腐食しこの世とオサラバだ。
出来る事なら是非お願いしたい。人間が造ったものは必ず壊れる日が来る。
それを恐れていては何も出来ないのだが、人の心を傷つける事には十分に気を付けねばならないと反省を肴にグラスを傾けながら思っている。

西川寅吉は脱獄するという事によって自分の命の存在を、自分の価値を示したのかもしれない。服役した後は担当だった一人の刑務官の家を訪れ友交を始めたという。
今、この日本国は確実に腐食まみれになっている。どこもかしこも何んもかも。

「秘密保護法」という名の悪法が成立すれば、いつでも人を鉄格子の中に入れる事が出来る。全ての自由は失われる。目を覚ませそれに気がつけ日本人よ。
法もまた人が造り、人が犯す。

2013年10月7日月曜日

「我慢」





新橋発下り十一時二十五分。
金曜日の夜、東海道線に乗る為に改札口に向かった。
切符を買いに自動販売機の処に行く。

その近辺は混雑を極めていた。
重いバッグを持っていたのでグリーン車に乗る事とした。
乗車賃950円、グリーン券950円だ。
自動改札口に切符を入れる、その横で若いスキンヘッドの男と若い女の子が抱き合い別れのキスをしている。お前ら何やってんだとは誰も言わない。
みんな疲れている週末だから人の事なんてかまっていられないのだ。

その夜、私は銀座のBARの経営者、兼舞台演出家、兼役者、兼兄貴と呼ばれる人と映画の夢を語り合った。友人のキャスティング・ディレクター、後輩のプロデューサー、新人監督(CMでは売れっ子)も一緒だった。
背中に入れつつある刺青を見る。絵柄は不動明王だ。
現在筋彫りが終わり色を入れ始めている。
全部完成すると両腕から両足のふくらはぎまでとなるとの事だった。
手彫りよりも電動の針で彫る方が猛烈に痛いという。
死ぬより痛いのは肛門辺で相当な強者も激痛に耐え切れない。

刺青の事を我慢というのはその痛みにじっと我慢する処から来ているのだ。
私は友人からその人を紹介され、その人が是非自分が映画に出て出来ればその我慢を見せたい。1000人ほど友人、後輩、舎弟がいるのでその1000人に配りたいといわれたのだ。
ビシッと礼儀正しく、とても可愛い笑顔なのだ。
女性のスタッフには隠してあるのだろう、店の中にあるカーテンを閉めて裸になった。
鍛えられた体に不動明王が目をむいていた。
腰からお尻にかけては未だ線だけだった(筋彫りという)。

銀座のクラブで五回飲んだらおしまいという程の低予算で作らねばならない。
若い監督を世に出したいと願い、二年近くかけてシナリオを書いて来た。
三時間余り四人の男は熱っぽく語り合った。

その興奮が列車が来るホームに向かう体に満ち溢れていた。
東海道線のホームは現在工事中だから白いシートがアチコチにあり通路は狭くなっていた。左に階段が見えた時、ガァーンと何かが体にぶつかった。
黒い大きなショルダーバッグだった。その男はそれをたすき掛けに背負っていた。
三十五、六だろうか、度の強そうな眼鏡をかけていた。団子鼻の近辺が赤くなっていた。

オイッ気をつけろというと、モグモグしながら「どーもずいまぜん」みたいにペコッと頭を下げた。見れば右手にアサヒスーパードライ350ml缶。
左手にチーズ入りの竹輪を三本持っていた(袋から見える)。
一本を口に含んで食べながら、飲みながらだったのだ。

刺青をたっぷり見たせいか気分が東映のヤクザ映画を観た後みたいだった。
だが待て、たかがこれしきでと心を鎮めた。
階段を上ってホームに出ると、男は二本目の竹輪を口にしながらメールを見ていた。
背広のポッケから残りの竹輪を入れた袋が見えた。

列車が入って来た後、男は普通車の中にずいまぜん、ずいまぜんみたいに消えた。
グリーン車も満席であり、横浜でやっと座れた。
やっぱり週末は東京駅からだなと思った。

実は二席空いていたのだが、一人は笹かまとサキイカをつまみに飲んでおり凄く臭った。
一人は空いている席の処まで顔を出して熟睡していた。
頭の毛が凄く脂濃いのが汚らしかったので座るのを止めた。
こんな時何をいうか自信がないので立つ事にした。
大事の前の小事だから。歳と共にやっとこさ大人になった。私だって我慢なのだ。

2013年10月4日金曜日

「あしたのショー」



イタリア映画の全盛期があった。
数々の名作を生んだ伝説の撮影所「チネチッタ」に行った時、感激で身が震えたがその頃既にチネチッタは殆ど映画を製作をしていなかった。

今から丁度五十年前、1963年にフェデリコ・フェリーニの名作「8 1/2」が日本で上映された。その映画を久々にレンタルして観た。
先日青山のワタリウム美術館で「寺山修司」の展覧会を観た。
天才か怪物かといわれた寺山修司がNo.1の映画に「8 1/2」を挙げていたからだ。

寺山修司が47歳で亡くなって30年になる。
それを機に再び寺山修司論が再燃し、記念イベントが催される。
五十年前の「8 1/2」を観ると寺山修司が如何にこの作品の影響を受けたかが分かる。
また、後にヌーベルバーグといわれて出現した映画人がこの作品から学んだ事が分かる。

マルチェロ・マストロヤンニ、クラウディア・カルディナーレ(この人の大ファンだった)が素晴らしい。音楽はあのゴッドファーザーの主題曲を作った、ニーノ・ロータだ。
 
アカデミー賞にノミネートされたがやはりハリウッドはイタリア映画にその賞は渡さなかった。結局外国映画賞でお茶を濁した。余りに凄い作品なのでハリウッドのドンパチ、ヒーロー、ラブロマンス映画人には理解不能だったのだろう。

寺山修司は引用の天才でもあった。
芸術はすべからく模倣と引用から生まれるのだから、何と何と何の引用を結びつけて一つの作品にするのか、その「何」を見つける感性の天才でなければならない。
明治から大正期に世に出た大作家、大文豪たち(夏目漱石、森鴎外、中島敦、谷崎潤一郎、井伏鱒二、芥川龍之介などなど)全員如何にして外国の文学を取り入れて誰よりも早い者勝ちを目指して分解引用の作業をした。

現在最も売れる作家の一人、村上春樹も引用の天才だ。
その村上春樹も青山の寺山修司を訪れたという。引用は別名パクリというのだが、パクリがちゃんと出来る様になるには大変な努力がいる。

8 1/2」は140分の作品だが映画学校四年分以上の事が学べるだろう。 
DVD1本わずか200円で。現在は過去の延長上であるのだから何かに悩んだ時は過去に学ぶ事が正しい。カコ、カコ、カコとカッコーの様に鳴きながら過去を漁りまくるのだ。

寺山修司さんの詩「この世でいちばん遠い所は自分自身の心である」、もうひとつ「消しゴムがかなしいのは いつも何か消してゆくだけで だんだんと多くのものが失われてゆき 決して ふえることがないということです」詩人、劇作家、演出家、競馬評論家、アート、美術、短歌、時に殴りこみ。何もかも天才的であった。

ボクシングをこよなく愛した。
「あしたのジョー」の出てくる「力石徹」の葬式を出した。
マンガの主人公を本気で愛したのだ。

近々元サントリー伝説の制作部長若林覚さんが館長をしている練馬区立美術館で「寺山修司とあしたのジョー展」みたいなのを催すと聞いた。
ちばてつやさんの原作が見れるらしい。楽しみだ、絶対に行かねばならない。

さて、今夜は十月になって二個目の井村屋の肉まんをパクッと食べる事にする。
「あしたのショー」のために。人間が生きている毎日はショーなのです。
観客はピエロの様な自分一人。

2013年10月3日木曜日

「パンドラの箱」

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絶望と希望がリングに上がったらどっちが勝つだろうか。
絶望は赤コーナー、希望は青コーナーだ。グローブは8オンスだ。
絶望の得意のパンチは左右のフック、希望の得意のパンチは左ジャブだ。

絶望は大都会に在る大きなジムで育った。
プライドが高く尊大で世の中で一番強いのは俺様だと常日頃放言をした。
フットワークは面倒だからと使わず鼻高々に相手を倒してきた。
希望の野郎なんてフック一発で倒してやると好きな物を食べ、女性を抱き、酒を飲んだ。若い頃は減量苦を知らなかった。

絶望には銀座、赤坂、六本木から応援が来た。
試合前には激励賞と書いた祝儀袋がグローブで掴み取れない程送られた。
誇らしげに観客にそれを見せてリング上を回った。
絶望は敗け知らずで希望たちをリングの上に沈めて来た。
鼻は試合ごとに高くなり先が少し曲がって来ていた。

その夜の相手は東北のある県出身の若い希望だった。
親兄弟も無い孤独な若者だった。小さな漁港の側にある倉庫がジム代わりだった。
獲っても売れない魚が倉庫の中で加工されていた。生臭い中にリングだけあった。
ボクシングジムにある筈の大鏡も無い。あるのは薄暗い灯りだけ。

希望にアドバイスを送るトレーナーはかつて絶望に打ち敗かされた男だけだ。
男は希望に、足を使えフットワークがボクサーの命だ、動く労を惜しむな、後は左のジャブだけを教えた。小さなジャブ、突き刺すジャブ、ストレートの様なジャブを徹底的に教えた。あいつの鼻を狙え、あいつは希望を飲み込んで贅肉だらけで動けないと。

そしてゴングが鳴った。絶望は見下す様に希望に近づいて来た。
希望は左のジャブを鼻に突き立てた。何発も何発も、絶望の鼻は少しずつ変形して二つの穴から血が流れ続けた。絶望はニタッ、ニタッと笑いながら近づいて殴られ続けた。

R、2R、絶望は一発のパンチも出さない。
Rになると絶望の顔面は赤いダルマの様になっていた。
希望は強いストレートの様なジャブを放った、とその瞬間希望の左と右の顎にフックが入った。左右のパンチが同時に出たかの様な速さだった。

希望は勝てると思い一瞬足を止めたのだ。
気がつくと希望は海の底に沈んでいた。希望の周りをクラゲたちが不思議な光を発しながら浮遊していた。立て、立つんだ、希望にトレーナーの声が聞こえた。
毒の強いクラゲに刺された様に希望の全身は痺れていた。

絶望に敗けてたまるか、ユラユラと立ち上がった気がした。
希望が練習したジムの名は「パンドラ」であった。
決して開けてはならないと伝えられていたパンドラの箱の中にあった二文字とは。

2013年10月2日水曜日

「本当の愛の味」

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みのとのみ。ご存知「みのもんた」は毎晩飲み歩く事で有名だ。
夜の銀座にとっては最上客だという。
やりたい放題、言いたい放題でテレビやラジオに出ずっぱりであった。

みのは、のみの心臓ともいわれている。
攻めには強い姿も、守りに入ると塩をかけられたナメクジみたいにすっかり縮こまってしまうと聞く。敷地3000坪の中に建てられた大豪邸の中で、今は一人震えてグラスを重ねているのだろうか。

息子は余程警察を怒らせてしまったのだろう、門前逮捕という一番キツいやり方をされた。門前逮捕とは、一つの犯罪の容疑で逮捕した時、もう一つの犯罪を隠しておいて一つ一つ逮捕拘留をするのだ。

みのの息子の場合、一つは他人のカード使用であり、もう一つは窃盗容疑だ。
警察が一度にやれば罪の大きい容疑で取り調べを進めて行く。
一つ一つやったら面倒だからだ。

みのの息子はきっと、俺の親父は有名だ、親父の知り合いには有名な弁護士や政治家や経済界の大物もいるんだ、俺の勤めている会社はマスコミ界のボスなんだぞみたいな生意気な態度をとってやってない、知らないと言い張り10日間で外に出られると思っていたのだろう。どんなに長くても20日間で外に出れると。

警察はこういう態度の人間を思いっ切り嫌う。
だからあ〜これで外に出れると思った時に、今度はこれで逮捕とイジメ抜く。
窃盗をする人間は盗癖という一種の病気だから余罪がてんこ盛りである場合が多い。
警察はもっと隠し玉を持っている筈だ。

万引き(窃盗)は一万回でもやり続ける意味を持つ。
「みのもんた」程の息子を捕まえて起訴出来なかったらとんでもない大失態となるからだ。どでかい車の中でタオルで身を隠している「みのもんた」は全然ズバッとしていない。父「みのもんた」という隠れ蓑の中で生きて来た男にとって3000坪の敷地の中に生きる父は遠い存在であったのだろう。
何不自由ない人生にとって手に出来なかったのは小さな親の愛だったのかもしれない。

お金持ちの家の子が窃盗をする場合、親の関心を引くためにやるケースが多い。
心から叱って欲しいからだ。なんでも物を与えてしまうから何もいらない、だから物を盗むという矛盾ある行動をするのだ。
初めて窃盗に気づいた時の親の対応がその子の将来を決める事となる。
子どもの前で無神経にお金を勘定したり、財布を置いたり、小銭など無造作に置いてはいけない。

「みのもんた」が何をすべきかは明白だ、いい訳じみた事を止めて謹慎して法の裁きを待つしか無い。息子の好物の一つでも持って差し入れに行ってやる事だ。
自分で握ったおにぎりでもいい。勿論自分一人で持って行かねばならない。

親と子は別人格か、プライベートと仕事は別か、悩ましいテーマだ。
親は子の無実を静かに信じるしかない。金では買えない本当の愛の味を握りながら。

※ちなみに門前逮捕とはやっと外に出て家に着いた、その門前でまた逮捕するという事から名付けられた。