かつて映画界では、役者になったら一度は演じたいという役があった。
清水の次郎長、国定忠治、大石内蔵助、織田信長、それと江戸の侠客、幡随院長兵衛だ。河竹黙阿弥作である。
戦社会でなくなりヒマと刀を持て余し遊興と喧嘩に明け暮れる旗本たち、そのリーダーが水野十郎左衛門だ。一方旗本の喧嘩相手、町奴の親分が幡随院長兵衛だ。
やがて相方引くに引けない状況になって行く。
水野は幡随院長兵衛を殺す事によって解決するしかないと決断する。
日頃の事を酒を飲みながら水に流そうと幡随院を家敷に招く。
妻や子や子分たちは、行けば必ず殺されると言って止めるが、幡随院は自分の死をもって、江戸の町から旗本と町奴の喧嘩を無くそうと決意し身を正し、水野十郎左衛門の家敷に一人で行く。
水野は幡随院長兵衛の侠客としての器量を高く買っているのだが、争いをまとめるには誰かがその命を捨てねばならない。
家来が幡随院に酒を注ぐのだがわざと着物の上にこぼす。
濡れていては気持ちが悪かろうと、水野は風呂に入る事をすすめる。
そのうちに着物も乾くだろうと。
幡随院は剣術の達人である事を知っている。
風呂に刀は持って行く事は許されない。水野が自分以外の死人を出さずに自慢の槍で殺すであろう事を知って風呂場に入る。
許せ幡随院長兵衛、馬鹿な旗本共はこの水野がお主の命と引き換えに、江戸市中で暴れる事をさせない。お主ほどの人物を殺さなければならない我が身を悔やむ。
家敷の外には子分たちが棺桶を持って待っている。
親分、幡随院長兵衛の命令であった。オレが殺されたらその生命を無駄にするな、二度と旗本たちと喧嘩をしてはならないのだと。
と、むかしはこんな侠客がきっと居たのだろう。
男と男が立場は違うが意地は通さねばならない。
いつの世もリーダーは命をかけて守るべきものは守らねばならない。
五月二十四日(土)歌舞伎座二階席で夜の部を観た。
幡随院長兵衛が市川海老蔵、水野十郎左衛門は尾上菊五郎であった。
愚妻と一緒だった。終わると、ラストが「少し物足りないわね」と言った。
バカ者め!だがしかし確かにもう少し男泣きする終わりの筈であったのだ。
この日は、社会的に弱い立場の人たちの就労活動を支援するチャリティ「マラソン」ではなく、未来に向かって走る「ミラソン」の日であった。
午前八時から午後二時まで、お台場の会場は「ミラソン」一色であった。
名付け親としては、その参加数の多さと、出店の多さと、ボランティアスタッフの多さと、ミュージシャンの素敵なステージ、様々なアトラクション、玉川大学の美女たちのダンス、ゆるキャラたちに感激であった。
弱い人のために走る親子2km、個人は5kmと10km、老若男女、少年少女(最高齢は何と80歳)たちの走る姿のなんと美しい事か。
人は人を守るために生きねばならないと、心を新たにしたのであった。
1300人以上のランナーが「ミラソン」に参加してくれたのだ。
「天気晴朗にて涙多し」拍手、拍手で手が膨れ上がってしまった。
優勝者のタイムは10kmを33分と少し、殆ど短距離走の速さで猛然と走り切った。
私のお世話になっている会社の女性(トライアスロンをやっている)は10km走で女子では9位、美人の奥さんと来た男性は目標の一時間を切る58分と少し、ヤッターであった。
上司の方もわざわざ応援に来てくれた。
もう一人の女性、男性社員の親子も完走してくれた。
後輩のアートディレクターが手伝いに来てくれた。スゴイ!速いと拍手し続けていた。
このチャリティに参加させてくれた友人は、海外出張から帰ってそのままカエルの帽子をかぶって汗びっしょり10kmを完走した。
他にショートケーキ風、オサカナちゃん風、ちょんまげ町人風、ガンダム風、サザエさんのお父さん波平さん風とか仮装も様々であった。一つの会社から50人も参加していた。
そんな感動をした後に、幡随院長兵衛を観たのであった。
帰宅してからは午前三時半〜午前七時少し前まで、サッカーのヨーロッパ選手権決勝をライブ中継で見た。
つまり五月二十四日〜二十五日まで一睡もしないで感激と観劇、そして飛びきりの興奮をしていた事になる。