昨日昼、義姉夫婦と久々に会い、久々に「鰻重」を食べた。
そこで「下重」さんの本の話をした。
下重さんとは鰻重の上、中、下の下の人ではない。
元NHKのアナウンサーで現在作家の女性である、「下重暁子」さんのことだ。
四月十八日に新聞広告が載っていた。
本の題名は「家族という病」すでに15.5万部を突破しているらしい。
広告に一行ずつの言葉三十一行があった。
家族を何より大切にがんばっている人には不快な三十一行であり、家族関係に悩み苦しんでいる人には共感の三十一行であるやもしれない。
本の広告をするつもりはないので出版社名は伏す。
ただ最今の出来事を見ると「家族」がその原因になっているのが実に多い、そのことを突いている言葉があったので記すこととした。
・家族を盲信する日本人
・なぜ事件は家族の間で起きるのか
・大人にとっていい子はろくな人間にならない
・遺産を残してもいいことは一つもない
・お金が絡むと家族関係はむき出しになる
・他人の家族との比較が諸悪の根源
・夫のことを「主人」というおかしな文化
・「結婚ぐらいストレスになるものはないわ」
・家族の墓に入らない人が増えている
・介護で親子は互いを理解する
・親は要介護になってはじめて弱い姿を我が子に見せられる
・家族はなぜ排他的になるのか
・家族という名の暴力
・知的な家族ほど消滅する
・家族に血のつながりは関係ない
・家族を知ることは自分を知ること…など。
広告の見出しは“家族ほどしんどいものはない”最後は一人、であった。
愛する家族を守るために命をかけてきた私にとってウームと腕を組むことが多いが、病に倒れた夫を失った母が出来の悪い六人の子どもたちを守るために働きに働いてくれた姿を思い出すと母にとって家族は、本当はしんどいものだったんだろう、ウームと腕を組んだ。
下重暁子さんはきっと「家族」というものに様ざまな天国を地獄を見たのだろうと思う。血は水よりも濃いという「血縁」という二文字にがんじがらめになり逃れられないのが世の中だ。
その日食べた鰻重は、上、中、下の中の「中」であった。
こんな一句を思い出した。「うれしさも 中ぐらいなり おらが春」誰の句であったか思い出せない。
その夜借りて来ていた2013年製作、奥田瑛二監督作品「今日子と修一の場合」という映画を見た。主役の一人は奥田瑛二さんの娘「安藤サクラ」、柄本明さんの息子「柄本佑」。二人共蛙の子は蛙であり現在最も活躍が注目されている役者だ。
二人共親によく似ていて、歩き方までよく似ている。
血は争えない。親の才能をたっぷり受け継いでいる。
映画は東日本大震災という惨事を基軸とした男と女の救いようのない物語である。
男と女を別々に描き、二人はやがてそれぞれの出来事を東京に残し、津波で流された自分の住んでいた被災の町に帰って来る。
二人はラーメン屋で出会うが見知らぬ二人であるから言葉も交わさない。
窓の外に見えるガレキを見ながらラーメンをすする。
そして女は自分の血を引いた唯一の希望(?)と会う。
家族とは何か「血」とは何かを奥田瑛二さんは追っていたのだろう。
それにしても安藤サクラと柄本佑の存在と縁起は素晴らしい。
鰻重より下重さんより、どーんと重い私好みの映画だった。
家族とは血族である。