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2015年12月22日火曜日

「メリークリスマスは」




メリークリスマスの前に、ある調査を読んだ。
23才から39才までの未婚男女各300人に「今年のクリスマスの過ごし方」について。
▶男子/ひとりきりで42.7%、彼女と28%、家族と17.3%、親兄弟と3.7%、異性を含む友人と2.7
▶女性/彼氏と29.7%、ひとりきりで26.7%、家族と26.3%、親兄弟と5%、同性の友人と4.3%。
これを読むと男性のひとりきりが約43%と悲しい数字だ。
女性の方も彼氏とは約30%だ。
恋愛なんかめんどくさいとか、お金がかかるとか、興味がないからという。

ある年なんとなしに読んだ本にこんなエピソードが書いてあった。
評論の神様といわれた、故小林秀雄をメインゲストとして芥川賞受賞者、直木賞受賞者による一泊の忘年会があった。
小林秀雄大先生は、一人ひとりを呼びつけて、お前のはなっとらんとか、君は堕落しているとか、オメエのは文学じゃねえとか叱りつける。
中には悔しくてオイオイ泣く作家もいたらしい。

ある経済部門専門作家が呼ばれた。その作家は私と同じ茅ヶ崎に住んでいた。
実直で真面目、堅物で愛妻家であった。書けばベストセラーという人気作家であった。◯△君、君のは文学とはいえない。文学とは女を書くことなんだよ、君のは経済紙の記事みたいなもんだよ。なんて言ったらしい(正確には覚えていない)。
私は亡きその作家の大ファンであり、時々列車の中で見かけると胸が高鳴った。

で、何がいいたいかというと、人生とは男と女のドラマなんだ。
せっかくこの世に生を受け、たった一度の人生で恋愛をしないなんてことは文学的でないし、映画的でない。メリークリスマスをいい若いモンがひとりぼっちなんて。
彼氏とはわずか30%だなんて。
一生懸命働いた金で何をプレゼントするか、それを考えるだけでもトキメクではないか。えっ、そんなのめんどくさいだと、そんなお金があったら貯金箱に入れるだと。

確か一昨年の1225日だったと思う。
腹が減って街を歩いていたら、牛丼の吉野家に強烈に吸い込まれた。
年に一度か二度全身が牛丼を欲することがある。
アツアツの牛丼に赤い紅しょうがをこれでもかとのせて食べる、この快感快食を身体が記憶しているのだ。
その時、私の斜め前に100人の内100人が美人だというはずの美人が牛丼を食べていた。256才だろうか、一流会社の有能な秘書さんみたいであった。
夜八時頃、なんで25日に一人で牛丼を銀座中央通り、松屋の前でと思った。

世の男たちよ、ダメもとでいいから誘ってみなさい。
実は美人ほど彼氏がいないというデータもあるらしい。みんな遠慮するからなんだと。
メリークリスマス、デートは吉野家で特盛りか牛すき膳、つゆだく、どっさり紅しょうが、しんなりした白菜の漬物、名ばかりの味噌汁かたっぷり煮込まれたけんちん汁。
これできっと大成功だ。

クリスマスといえば山下達郎だ
♪〜きっと君は来ない ひとりきりのクリスマス・イブ Silent night, Holy night…吉野家じゃやっぱり君は来ないかも、でも私はいるかもしれない。

2015年12月21日月曜日

「ハーシーズのチョコレート」




あーあ、“すっからかん”だという状態を(おけら)という。
また今日は“ハイナシ”になった(無一文)ともいう。

先日亡くなった作家野坂昭如さんは「黒の舟唄」というヒット曲を唄った。
♪〜男と女のあいだには ふかくて黒い河がある それでもやっぱり逢いたくて エンヤコラ今夜も舟を出す…。そうです、男と女には永遠に近づけない距離がある。
それを知らず異常接近を図ると、男と女は水没する。

人間と競走馬との関係となると、男と女より遠い距離がある。
私は競馬中継を見るのは大好きだが、馬券は買わない。
今年のG1レースも次の日曜日の「有馬記念」だけとなった。
このレースはファン投票で選ばれたレース。千葉の中山競馬場で。
年末ジャンボ宝くじに夢をかけ、有馬記念に一発逆転をかける人々にとって正にドリームレースだ。
馬主とか、お金持ちの人々は自分の愛馬や好きな馬に一票を投じて競馬を楽しむ。
が、そうでない人々は、どんより、まったり、ひんやりしながら黙々と新聞片手に予想をする。モクモクと煙草の煙を出しながら、缶ビールやワンカップを片手に。

人間が願うように馬は走りません。ダミ声の予想屋さんは馬券を買いません。
人のこころ馬知らずだが、当たる人も沢山いる。
おけらやハイナシになった人たちはトボトボとガックリ肩を落として歩くのです。
JR下総中山駅と中山競馬場までの約2キロを通称「おけら街道」という。
負けた悔しさやかすりもしなかった予想紙への怒り(競馬評論家も)、を背中にしょって重い足取りで歩く。そこに人生の縮図がある。

今年一年世の中のレースといえば、八百長の連続、ウソばかりであった。
景気は低迷、大企業は不正ばかり、異常な犯罪が続発、警察官、公務員の不祥事、教育者たちのハレンチ行為の連続、格差拡大はついに山口組の分裂まで引き起こした。
人間と人間の間には、深くて遠い海があるのだ。

ともあれエンヤコラ 今夜も生きている。人間生きてる限りは、死んでない。
人生というレースを進まなければならない。
“おけら”や“ハイナシ”にならないためには、やはり知恵を出し汗をかいて働くしかない。
今年も残りわずか、ゴール間近だ。落馬をしないように気を引き締めよだ。
最もハズレ馬券のような人生もまたいいもんだ。
エリート街道を走っていた人間が何人も落馬している。

昨日野坂昭如さんの葬儀があった。
戦争は一日で始まる、そんな民主主義の危機を語っていた。
ウソ2万パーセントの橋下徹と嘘八百の安倍総理が3時間近く会食をした。
この国は、憲法改正というレースに向かってヒタ走っている。
但し、この憲法改正という馬には、実は獅子身中の虫となりつつある者が手綱を握っている。この人間が落馬する日が必ず来る。
自分こそが名馬と勘違いをする策士は策に溺れる、コレは歴史の常なのだ。

愚連隊の大スター、安藤昇さんが亡くなった。かつて渋谷はこの人の街だった。
プロ野球でいえば長嶋茂雄、プロレスでいえば力道山だった。
ヤクザ者が憧れたヤクザのようなヤクザでない愚連隊であった。
畳の上で死ねたのは、その人間的魅力といえるだろう。
八十九歳、特上の男の人生であった。あの世で久々に伝説の花形敬さんと会うのだろう。渋谷のハッピーバレーでもらった、ハーシーズのチョコレートの味は忘れない。

2015年12月18日金曜日

「井上英子編集長」



日本文化を伝えていくのは誰か、それは名人、達人、狂人たちだが、出版人という根気の塊のような人がいる。
丹念を極める取材と資料の読み込みは、難解な裁判に挑む法律家以上ともいえる。
この国にある伝統文化をなんとしても書き残す、満々たる気骨がなければ成し得ない
高級車に乗り、高級ワインを飲み、高級料理を食べながら作家を口説き、女性を口説くのとは違う。ひたすら歩く、ひたすら聴く、そして書く。
地酒をチビチビしながら、漬物をつまみに名人、達人、狂人の神髄に迫る。


私が仙台で会った地元の出版社名は「笹氣出版」という。
「雄勝硯」に命をかけている硯職人、遠藤盛行・弘行父子の本(会いに行った)をはじめ陶芸、漆、和紙、錺金具(かざりかなぐ)、刀鍛冶、刷匠の本など名本を残す。
忘れてはいけない人がいる、心にとどめておきたい言葉がある。
笹氣出版「文化伝承叢書」既刊のご案内にそう書かれている。

15日夜6時過ぎ、井上英子編集長が仙台のおでんはここが一番よと「おでん三吉」というお店で会った。この店について書くのはこのブログの目的ではない。
一度行くべし、信じられない味が信じられない値段で食すことができる。
東京から新幹線で約90分で行ける。但し6時で既に広く大きい一階は超満員、二階は予約しないときっとダメだろう。

井上英子編集長は秋田出身である店主の一代記を本にしたとか、それ故すこぶる顔が利いていた。三吉を出た後ここが仙台牛タンの発祥の店よと「太助」という店ののれんをくぐって入った。
午後9時をちょっと過ぎたばかりだったが、残念なことに終わりであった。
ご主人が出てきてくれて名刺を交換した。

仙台の夜は活気に溢れていた。
定禅寺通りには美しいイルミネーションが輝いていた。
井上英子編集長は街のボスみたいであった。
次の日、その次の日、仙台の活気とは全く別の世界を見る。
仙台が光なら、雄勝、女川、鮎川、松島、塩釜と続く震災地は影であった。

先日「アナザースカイ」というテレビ番組に、幻冬舎の見城徹氏が出ていた。
不動産屋にもなっている。次の金儲けのためだといっていた。
どんなに出版不況でも本は出し続けるとか、会社の中に5着のスーツがありそれを自慢気に出して見せた。裏地は全てアロハ模様だった。
アロハ好きの私は吐き気を感じた。
悪魔といわれたロックフェラーが死ぬ間際に、ナチスドイツを支援した自動車王フォードにこういったという、「いずれ天国で会おう」フォードはこう応えたという、「あなたが天国に行けるならばね」と。
戦争を生み、冨を築いた二人の大富豪はきっと地獄で再会したはずである。
スポーツジムで走っていた見城徹氏の向かう先は果たして天国か、それとも地獄か。

2015年12月17日木曜日

仙台駅にて

私は現在仙台駅、6時30分の列車で東京へ。朝、近海捕鯨で有名な鮎川港に行く。
震災の影響で鯨なし、漁師なし、人影なし。あるのは建設機具ばかり。


29代の頃に来た時は、それはそれは元気な港であった。港中に鯨の血の匂い
がしていた。
一隻の捕鯨船が寂しそうに陸上げされていた。

その後松島へ、本日天気晴朗なれど風強し。平日のせいか人影はまばらだった。津波は1.5メートル来たとか。
数軒ある食事処の前には、カキ、イクラ、海鮮など書いたプラカードを持ったおばさんが客を引いていた。
で、一軒に入りノンアルコールビールと生ガキ2ケ、焼きガキ2ケ食べた。

その後塩釜へ。ここは相当のダメージを受けていてまるで工事現場、復興はどこも進んでいない。

そして仙台駅へ。
牛タンを買った。
ギューギューの1日がタンタンとした1日へ開放されて、アタマがクリーニングされた。駅の待合室でこれを書いた。

2015年12月16日水曜日

女川にて



私は現在女川原発のあるところにいる。朝仙台発➡︎観音寺にて後藤泰彦住職とお会いする。「祈りの塔」に再会する。元気に人々を見守っていてくれた。

本日は晴天、まるで小春日和。山小屋にて住職が淹れてくれた珈琲を頂く。
その後住職オススメのサバで出汁を取って作ったラーメンをご馳走になる。さっぱりとした和風味。

町に人影は全くなし。
定休日が多いというが、人がいなくなっているようだ。
その後雄勝に行く。
廃校を再生している立花貴さんと旧桑浜小学校で会う。詳しくは後日。

裏山で養豚している豚を見る。
五頭のうち四頭は肉になって帰って来たとか。一頭だけになった豚は寂しがり立花さんが行くとすり寄って来る。
腹をさすってとゴロンと横になる。
黒と茶の肉体はルイビトンの柄みたい。120kgの女傑。
豚は乳首の数だけ子を産むとか。
豚種名は“アリガトン”とか。



廃校の再生はずーっと続く。
ワークショップであり、宿泊施設あり、露天風呂あり、絶景あり、かつては多くの小学生がここで学んだ。
再生には5000人近い人が参加した。また多くの団体、企業が支援している。
東京からが7割とか。
外国から2割、農業、林業、漁業の体験に来ているようだ。
レストランにはシェフが三名、アリガトンの料理が出るはずだ。

この日は立花さんが一人で待っていてくれた。
オルハショップの人気商品足首ウォーマーをお土産に渡す。
再生の設計には隈研吾さんも参加してくれたちいう。大きな模型を見せてくれた。すべて完成するには何十年もかかる。

ガウディのサクラダファミリアとおなじですよと立花さんは言った。
伊藤忠商事を東日本大震災を機に辞めてこのプロジェクト立ち上げた。
なんていい笑顔なのだろう。
後藤住職夫婦もいい笑顔だった。
人望を集めているからだろう、人のために尽くしているからだろう。

午後四時女川港に着いた。
灯台のように光を発しているのが女川原発だ。
車はずっと工事現場の中を走っているようだ。復興は進んでいない。
パンツ大臣で大丈夫だろうか。





2015年12月15日火曜日

「感謝料現る」




ポンタクという言葉をご存知でしょうか、白タクともいいます。
自家用車を使った無許可タクシーです。
永き付き合いのポンタクの運転手さんにポンタクってどこから来た言葉なのと聞いても、未だに正しい返答がありません。

お客さんでかい声でポンタク、ポンタクっていわないで下さいよ。
近頃ではインターネットを使ってお客さんを取り、乗車賃ではなく、感謝料を受け取るという職業が生まれている。
法の抜け穴をつく職業で、白タクか否かが問題になりつつあると、先日新聞の夕刊一面に載っていた。

オイコラッ駄目だぞと言っても、好意的に乗せてあげたら感謝され、少しばかり心付けをもらっただけです。
ボクまたは私、またはオレはいらないと言ったのに取っておいてくれと無理やり渡されたんです。こう言われるとどうすることも出来ない。
感謝料はタクシー代の半分とか、3分の1位とか。
ポンタクはとんでもねえ奴等だと言うのだが、神出鬼没で正体がわからない。
学生がバイト代わりにやっているとも新聞に書いてあった。

正しい景気の動向を知るには、ポンタクに聞くのが一番。
とにかくよく世の中を観察している。
ダンナいい遊び人がすっかり銀座にいなくなりましたね。
今年の暮れは去年より悪いですよ。
若い人は一次会で終わり、カラオケ店で食べて飲んで唄ってハイソレマデ。
ダンナみたいなバブル世代は定年になって、クラス会とか同窓会の時位しか銀座には出て来ない。
自腹で飲んだことのない世代でしょ、みんな会社の交際費、みんな会社のタクシー券、早い話みんな毎晩タダ酒飲んでいたのと同じですからね。

バブルの頃400台近くあった、あっしらの車も今じゃ40台位すから。
むかしは粋で格好いい男が、万札出してチップだ取っとけなんて言ってくれたもんですがね。クラブの女の子なんか近頃じゃ、車代お客さんにもらって、730円で降りて後は電車で帰っちゃうんだからね。

30代からやっているポンタク→白タクの運転手さんも70代に。
永い付き合いだな、そうでやんすね、あの頃は本当に銀座は楽しかったですね、メチャクチャだったけどね、そうだなもうあんなバカな時代は来ないよ、よく今まで生きていたと思うよ、ダンナに相談したことがあったでしょ息子が事件起こした時、少年院送りにしないために審判の時、みんな親の私が悪いんです、きっとまともにしますと土下座して泣けと。

そう初犯で余程の事件じゃなけりゃ一度は救かるんだよ、最近のことは分からないけどな。あの時の息子が今じゃ20人位使う会社の社長をやってんですよ。
へぇ〜そりゃよかった。
初めて聞いたよ、言ってなかったですかね、聞いてないよ。

久々に乗ったポンタク→白タクは横浜三沢のトンネルを通過していた。
セルシオは快適である、が事故を起こした場合の保険はない。
めったに乗るものではない。

2015年12月14日月曜日

「オムツとオツム」



尾崎士郎の名作「人生劇場」に“合点の竜”という男が出て来る。
何事にもよし合点だ!へい合点です。分かった合点だ!という。
まあおっちょこちょいの、お調子者というのである。
きっと尾崎士郎の育った地にそのモデルがいたのだろう。

すったもんだの末に、軽減税率が食料品と加工品にとなったようだ。
これを合点だ!という訳にはいかない。
少子高齢化社会、一人でも多く子を生んでと目標値を上げ、老人を大切に、老人に手厚い介護を、保育士さんや介護士によりよい報酬をというが、やっている政治はその真逆だ。

例えばミルクに、オムツに、哺乳瓶に、何故税金を等しく課すのか。
老人の頼りとする杖や車椅子や手押し車に、何故等しく税金を課すのか。
保育士さんや介護士さんの給料は何故平均給与より10万以上も安いのか。

食料は倹約すればいい、米・麦・アワ・ヒエのご飯と、一汁一菜のおかずさえあれば生きて行ける。仏門で修行する雲水はそれで心身を清浄させ鍛える。
だが赤子や幼子、自分では歩行できない人々、自分では食事もできない人々、不幸にして障がいを持つ人々、そんな弱者が生活するのに必要な物に軽減はない。

結婚できない、食べれない、やって行けない。
子が産めない、育てられない、やって行けない。
水も飲めない、おかゆも口に入れられない、トイレには勿論行けない。
もったいないからとオムツもその度ごとに替えてもらえない。
人間としての尊厳を守れない。

食料、加工品以外には基本的に10%の税金が課される。
合点だ!とは酒に酔ってでもいえない。不公平税制の極みだ。
“オツム”が国家百年の計に向いてない者共に、一枚の“オムツ”の話はわからないのだろう。

私が中学三年の時に、生活指導の先生からお前は将来何になりたいのかと聞かれたことがある。私は“三州吉良の仁吉”のようになりたいといった。
男の教師はポカンとして誰だそれはといった。
尾崎士郎の人生劇場に出てくる“侠客”だといった。
何!侠客?バカかお前はといって、後日母親を学校に呼び出した。
侠客をヤクザと思っているからだ。
お母さん××君は将来ヤクザになりたいといっています、内申書が書けません。
母親は腹を抱えて大笑いした。

正しい政道とは、侠客道と同じである。
弱い者を助け、強い者を戒めなければならない。
安倍晋三総理総裁の威を借りて何から何まで強権を発する官邸と、谷垣幹事長、麻生財務大臣、岩田外務大臣、古賀誠一派、中間リベラル派との間に決定的な溝が生じた。
やがて党を二分する戦いの火種となった。
自民党内はすでに壊れている。やってらんねえ、あのヤロー三年後を見てろよ、と。

財務省は金融庁、国税庁を従えている。
それ故財務省(旧大蔵省)を敵に回して勝った者はいない。
政権内に金融がらみのスキャンダルが続発するだろう。
虎の威を借りて歴史に名声を残したのは一人もいない。
悪名と共に歴史の彼方に消えて行く。
645年大化の改新以来、その歴史は続いている。
“オムツ”に愛を、オムツを無税に。

人生劇場は♪〜義理がすたればこの世は闇だ、と歌になった。
現代劇場は、オムツがすたればこの世は闇なのだ。

私のお世話になっている代理店の社長が、画期的なオムツを開発し、販売を始めた。
老人用のオムツ、その名も「ポイレット」。介護を助ける愛の商品だ。
一枚、二枚と着実に売上を伸ばしている。
老人介護のあるところに「ポイレット」有りとなるだろう。
実にオツムのやさしい人なのだ。