40度の熱まで出さなくてもいいが、38度位の熱を今の若い人に出してほしい。
そう語ったのは、かつて東大全共闘の学生が安田講堂に立てこもり、三十八時間の攻防をした、その時の警察関係の指揮官であり、その後連合赤軍あさま山荘立てこもり事件で指揮を執り、あの有名な鉄の球で攻撃をした人間である。今の若者はあまりにも怒りを忘れていると。
二月十九日私の仕事場に防災関係の仕事をしているNPOの代表や、防災用品を販売している社長。大地震に備えて防災の会社を経営している社長。
音楽を通して防災活動をしている音楽出版の会社社長が集った。
そしてもう一人東大全共闘安田講堂立てこもり事件の中で、もっとも激しい攻防をした「列品館」の守備隊長をしていた人だ。東大落域を防ぐために応援にかけつけた。
最強部隊のリーダーであった。
警察の催涙弾水平撃ちが、一人の学生の片目に命中した。
それまでは消防部隊の放水と上空ヘリコプターからの放水、催涙弾は上に向けて撃ち入れていた、が学生たちの攻撃は警察の想像をはるかに超えていた。
私とそのリーダーとの仲は長い付き合いである。
そのリーダーは列品館屋上から片目に催涙弾が命中した、命が危ない、休戦を申し入れると有名な演説をした。取材していたマスコミも休戦させようと声高に叫びを集中した。板のようなものに乗せられた学生は、ロープで縛られ地上に下ろされた。その間攻防は止み正に休戦となった。リーダーだった人はその後四年間前橋刑務所に入所した。学生運動家の中でこの人を知らない者はモグリである。
安田講堂事件で一番長く服役したので、ある意味スターであり、テレビ取材をいくつも受けた。この人は私が幅広く仕事をさせていただいた。大手電鉄系広告代理店の営業やプロモーションの局長になり、やがて系列会社の役員までになって活躍した。「いつの時代も青年が時代を動かして来たんだ、今の若い人は、もっと怒れ」と言う。東大安田講堂事件から五十年近く経った時、いみじくも立てこもった学生側のリーダーと、攻め続けた警察側のリーダーが、同じことを言ってこの世の今を心配する。その頃のフィルムを見た現代の学生たちは、意味がないじゃんと言う。
何も変わらないでしょと諦めているのだ。久々にお会いしたら自分が取材されていたテレビ番組や、ドキュメンタリーフィルムを五本(DVD5枚)持って来た。
家に帰って約四時間半一気に見た。
二枚は今行っている地域防災の活動であった。
根っからの活動家なのだろう。
学生運動も防災活動も正しいと信じて熱血活動をする。
私も今防災活動をライフワークにして各活動を応援している。
私とリーダーとは相性が抜群に合う。何故なら共に闘うことが大好きな性分だからだ。防災活動の一番のネックは」やはりお役所仕事とマンション管理組合の問題、それとまさか自分たちが被災することはないという、不思議な安全感と、ややこしいご近所付き合いはしたくないという感情だ。
こういう人たちは、もしもの事が起きた時、まっ先に人のせいにする。
安田講堂のリーダーは広告代理店でも抜群の活躍をして、ある年一発数十億の某大手自動車会社のプレゼンテーションに勝った。能書きが多いのが特徴の業界では、プレゼンテーションに勝つことが最大の戦果であり、勲章となる。ちなみに学生たちに攻撃命令を出し、鉄の球を打ち込んで、38度位の熱で怒ってほしいと語ったのが、伝説の警察官僚である。東大OBが東大の後輩たちに徹底攻撃したという劇的なことであった。私は力強いリーダーシップを持つ味方と共に、防災活動にアイデアを提供する。
自助、共助、公助を目指して。大地震は必ず来る。昨日は二二六事件の日であった。