私の名を聞いただけで気分が悪くなる。メシもマズクなり、せっかくの酒で悪酔いをする。そんな人はたくさんいるはずだ。人間、ヒトに嫌われるようになれば一人前(いっちょまえ)という。“ヒトズテ”にあの人はいい人だよ、すばらしい人だよ。と言われる人に会ってみると、ずい分と予想を裏切ってくれる人も多い。その逆の人も多い。嫌な奴だよ、変な奴だよ、絶対私とは合わないよ。ところがどっこい会ってみると、才能抜群、全身奥深く秘めたるものがずっしりとある。暗闇の中で月光を浴び、それを打ち降ろせば、血しぶきとともに片腕が斬り落とされる、底光りする名刀のような人。天才と狂人は紙一重と言うが、天才と狂人が同居しているのだ。“天人”とでも言うのだろうか。超一流と言われる人は、みんな“天人”だ。私はこういう人が大好きで、むかしから噂を聞いたら会いに行ってきた。どこへでも足を運ぶ。ヘロヘロになるほど酒を飲み交わし、語り合ったり“天人”の諸説を聞いて学ぶ。無学の徒にできることと言えば、人から学ぶことしかない。今日まで絶えずこのことを実行している。一度しかない人生のもっとも大事なことは、自分よりずっとレベルの高い人に会う、そしてより無学を知る。名人、達人、奇人、変人たちと接することと思っている。BUTしかし、その名を聞いただけで不快を極める人間もいる。セコイ、ズルイ、タカル、カタル(話をつくる&盛る)ダマス、チクル。業界から破門、追放になっていても、この手の人間はしたたかに生きている。“詐話師”なので自らのキャリアを上手に作り話にしてヤドカリのように。どこぞかにもぐり込んでいる。詐欺師はモノを騙しとるが、詐話師は口先で人をおとし入れる。恥ずかしながら私の血筋にもいる。コンプレックスのある人間は、見栄を張り続ける。一種の病気である。同じ血が流れているから私は絶えず心の中で気を引きしめている。私が会って来た“天人”は等しく、純粋な少年少女のように心が美しい。近々三人の“天人”と会う。一人は考古学者、一人は造形作家、一人は現代アートである。葛飾北斎などは“天人”の極みで九十代後半まで生き、絵を描き続け、死ぬ間際にあと数年あれば、一人前の絵師になれたと言ったとか。故岡本太郎さんに仕事を頼みに行った時は、私の後ろからガバッと現れて、庭にゴロゴロある、太陽の塔みたいな作品を何でも好きなものを持っていけと、秘書&通訳的な女性が岡本太郎さんの言葉を訳して話してくれた。ゲ、ゲ、芸術は、バッ、バッ、爆発だと。
先日福島ロケを終えて帰るロケバスの中で、天才中野裕之監督が、壮大な宇宙の話と、米、中、露のハイテクの凄い話。我々の生活の中に起きる、天変地異は、 ワルイ宇宙人のやっていることなんだと、話をしてくれた。未だにアタマの中が混乱している。そういえば、ゴルフに行くとよく UFO を見るんだという人の話を思い出した。会いたいなぁ宇宙人と。