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2019年12月13日金曜日

「あなたはまだ、帰ってこない」

遂に入ったぞ、「Netflix」に、これで「アイリッシュマン」が見れる。村西とおる監督の「全裸監督」も見れる。ヤッホーなのだ。山田孝之が全裸監督を演じ、絶賛されている。ナイスですね、ナイスですねと言いながら、女性の裸体と男性の裸体のくんずほぐれずを撮り続けた村西とおるは、自称公称50億の借金を抱えた。だがしかし、この男はこの世に男と女がいる限り、人間の動物的欲望が絶えることはないと、撮って、撮って撮りまくった。借金取りは金を回収しないうちは決して命はとらない(たっぷり保険金などがある場合は別だが)、生かさず殺さず、高い利子をとり続ければいい。これまた、ナイスです、ナイスですなのだ。山田孝之という役者は、生き様も演技力も凄い。「闇金のウシジマくん」なんて山田孝之のためにあったような映画だ(原作は劇画マンガ)。まい日オムライスにたっぷり赤いケチャップをのせながら、借金の取り立てを命じる。女性とは不思議な生き物で、どんなに頑迷な女優も、監督から芸術のため、芸術のため、君の裸のシーン、くんずほぐれずのシーンが必要なんだ、君しか演じられないんだよ、と三日三晩言われると、99.9%は落ちる(裸になりますと決意する)と言う。女優と監督が恋に落ち、愛に落ちるのは芸術のためという言葉にある。「アイリッシュマン」は私の大好きな監督マーティン・スコセッシの近作だ。3時間半ぐらいの長さで、ハリウッドも余りに予算がかかると、手を出さなかったのを、「Netflix」が資金を出し制作した。アイルランド系マフィア、そのマフィアよりも力があると言われた、全米トラック協会(組合)のボス、ホッファーの話がある。ホッファーはある日こつ然と姿を消した。ある映画では、ホッファーはウィンナーソーセージにされてしまった。ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノ、ジョー・ペシ、大好きな俳優ばかりだ。出張先の仙台から帰る列車の中で、「風と共に去りぬ」の主人公スカーレット・オハラはなぜレット・バトラーに捨てられたか、それについてのことを読んだ。スカーレット・オハラは好きだった男にもフラレた。美しいのに、呈しいのに、知的で行動力があるのに。読むとレット・バトラーは、その全部が気に入らず、プライドの高さも気に入らない。この女と一緒になんてやってられねえと、去って行ってしまった。ということであった。風と共に去ったのは、レット・バトラーか、それともスカーレット・オハラにとって他に違う何かがあったのか。解説はそれを示していない。「明日があるわ」。アメリカの男は強い女性を好む。しかし朝から晩までアイ・ラブ・ユーを言わねばならない。まい日朝のキッスをしないと、裁判で離婚訴訟に負けると言う。よこしまな私は列車の中で考えた。村西とおる監督がスカーレット・オハラに挑んだら、どうなったであろうかと。ナイスですね、ナイスですね、ゲージュツです、ゲイジュツですと。と、バアーンと散弾銃の音、村西とおるが、スカーレット・オハラに撃たれて、ボロボロになって床に転がっている。夥しい血の中で、ナイスでしたと言って笑う。この頃著しい不眠症のせいで、レンドルミンといいちこが、私の脳内をクリエイティブする(?) 私自身は全然ナイスではないのだが、映画があれば安定剤の役目をしてくれる。現在午前三時四十四分十三秒。女流作家の自伝映画を見終わった。1945年ドイツ降伏、パリ解放、愛する男はずっと待っても帰って来ない。ヒトラーが自殺したと聞きながら小説を書く。続々と収容所から人が帰ってくる。愛する男は帰って来ない。スパイだったのか、密告者だったのかは分からない。あるいは収容所のガス室で死んだのか。全編文学的言葉が続く(2時間)。実に見応えがあった。一人の女流文学者の、愛する男に込める強い愛が尊い。題名は「あなたはまだ帰ってこない」。作家は20世紀最大の女流作家と言われたマルグリッド・デュラス、「愛人/ラマン」が有名だ。愛とは何か(?) と悩んでいる人にはぜひ見てほしい。すばらしい文学作品だ。の日本にはできない。すでに文学作品は絶滅的だからだ。文学者も生原稿で書くことがなく、PCで打つようになり(または口述)、劣化している。全然ナイスではないのだ。全裸になれ芸術のために。我が身をさらし出せ。純文学はそこから生まれる。 


2019年12月12日木曜日

「消えた牛タン」

私は天邪鬼であり、大のラグビーファンでもある。今の心境は、だからニッポンはダメなんだよとなる。今年行われたラグビーW杯でニッポンのチームは、ベスト8になった。暗くて嫌な話ばかりの世の中で、久々に日本中が沸きに沸いた。ニッポンは強くなった。外国の選手をたくさんチームに入れて。外国人選手の中には、日本人より日本人的になり、チームを引っ張ってくれた。テレビの視聴率も50%を超える試合があった。チームの標語(ワン・チーム)は流行語大賞になった。だがしかし私はまてよといいたい。優勝した訳でもなく準優勝でもない。強力な外国人助っ人に入ってもらっても、ベスト8である。明るい話には違いないが、スポーツの世界はNo1になってこそ価値がある。E・ヘミングウェイが言った「勝者には何もやるな」はすでに勝利というものを手にしたのだからとなる。0.001秒差で銀メダルになっても、金メダルの選手とは、天と地ほどの差となる(私は1秒にこだわる)。何故なら歴史という記録の中では、その価値が歴然とする。ニッポンは勝者ではない。アイデア不足で、すっかりマンネリ化したテレビのバラエティには、同じメンバーばかりが出て、バカ騒ぎする。ラガーマンたちが連日連夜、朝昼晩三食のごはんのように出ては、そのバカ騒ぎの相手をする。君たちはベスト8に残っただけだ、未だ世界のトップとは大人と子どもぐらいの差があるんだ。もし外国人の力を借りていなかったら、100対0で負けていたかも知れない(ニッポン人だけならありえる)。だからもっと、もっと体力をつけ、技術をつけ、走力、キック力を上げねばならない。テレビのバラエティに呼ばれなかった、スクラムを組む男たち(一人は笑わない男と言われ呼ばれた)は、なんだよアイツらばかり、チヤホヤされて思っただろう。つまり、ワン・チームではなくなっている。そして、昨日あろうことかベスト8の成績でパレードを行って観衆に手を振った(みんなで)。テレビマンたちはしてやったりと思っただろう。私は苦笑しながらニュースを見ていた。サッカーも同じだった。ベスト16の成績でチヤホヤされて、すっかりその気にさせてしまった。結局それ以降パットせず、個性的な選手は育っていない。プロ野球にいたっては、外国人助っ人の天国となっている。大リーグではすっかりの選手たちが、日本のプロ野球では、バカスカ打つか、大金を手にして遊び回り、スッカスカの成績で帰国して行く。狭い球場、飛ぶボール、飛ぶバットであっても、遊び過ぎた体には力が入らない。私は天邪鬼であるから何事も斜めに見る。日本人は「空気」によって大騒ぎとなり、潮が引くように忘れる。ベスト8はどこまでいってもベスト8であって、ベスト1でない。団体競技は、数人だけがチヤホヤされてはいけないスポーツなのだ。真の「ONE TEAM」でないことに残念さを感じた。改めてテレビの力は恐い。出張していた仙台駅の待合室のテレビを見ながらそう思った。仙台駅は牛タン、牛タン、牛タンのみやげ店ばかりが目立つ。牛タンのお土産を買って、大きな袋に入れて待合室のベンチに置いて、トイレに行って戻ったら、アッレー! 袋がなくなっていた。私の勘違いだろうか、ウロウロと袋を探した。 
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2019年12月9日月曜日

「イザヤ・ベンダサンを思い出す」

NHKスペシャル/首都直下地震ウィークと題して、ここ30年のうちに70%の確率で起きると言う首都直下地震について、いろんな角度からシュミレーションをしたり、各分野の専門家の意見や研究の先にあることを解説した。首都崩壊のコンピューターグラフィックは衝撃的であった。ドラマ仕立てでさらに臨場感を演出した。私は今、ある人の出版をプロデュースしている。その人の考えと私の考えが、必ずしも一致するものではないが、まったく原稿もなく、メモもなく、私が依頼したフリーのライターの方への4回にわたるロングインタビューの記憶力に驚嘆した。基本的な考えの一つに、世界はユダヤ資本によって支配が始まり、現在もそれが進行形であり、世界中そして日本も支配されている。週末インタビューの概要を読み直した。「ユダヤ人」と「安全と水」という言葉に初めて接したのは、イザヤ・ベンダサン(架空の名)という名で出版された「日本人とユダヤ人」という一冊の本だった。ハードカバー200数ページのこの本は、空前のブームを呼んだ。1970年5月からのことであった。単なる文明論でなく、文学としても絶賛された。故開高健をして“こりゃ凄い本やで”と言わしめた。イザヤ・ベンダサンとは誰か探しが始まり、行き着くところ山本書店という小さな出版社の主である「山本七平氏」ではとなり、さもありなん、となった。ここで山本七平氏については書かない。とんでもない人であるから調べるといい。NHKスペシャルとイザヤ・ベンダサンこと山本七平氏をつないだのは、「日本人とユダヤ人」の著書のはじまりにあった「日本人は水と安全は無料だと思っている」。この言葉のインパクトだった。出版されたとき、この本を読んだがすでに手元にはない。で、本棚にあった「山本七平の思想」東谷暁著/講談社現代新書刊を見つけて読み直した。祖国を持たない民であったユダヤ人にとって、世界中どこにいても安心安全の保証はない。一方災害大国である日本は、水道の蛇口をひねれば、ただで飲める水のように、安全も安心もただだと思って過ごして来た。そこに登場したのが「日本人とユダヤ人」だった。第2回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したこの本にある、「日本人は安全と水はただ」と思っているが、今で言えば流行語大賞的になった。が日本人という民族は、島国であり国境もない。単一民族国家であったから、アタマの中も単一的で、すぐに忘れるという特技を持っていた。大事が起きたときに、大騒ぎするが、自分たちが当事者でないと、すっかり忘れてしまうのだ。また、大事が起きると、すぐに人の責任、ご近所の責任、町内会やマンションの管理人やメーカーの責任、そして当然行政にと、責任論は広がる。日頃の備えをまったくしていないのに“安全と水はただ”と思っていたとなる。NHKスペシャルで衝撃を受けても、一週間後にはほぼ話題にならないだろう。山本七平氏から見ると、日本人とは“空気”によって動き、動かされる。日本教の信者だと言うことになる。ともあれ防災の気運の動きを止めるなと言いたい。安全と水にはお金が掛かると思うことを、徹底して追求しなければならない。


2019年12月6日金曜日

「田中珍彦(ウズヒコ)」さん「お別れの会」

本日午後2時から4時。渋谷東急文化村内において、元東急文化村社長、田中珍彦さんの「お別れの会」があった。私にとって、小学校の頃は野球の上手いお兄さんでありずっとかわいがってもらった。中学校では野球部の大先輩であった。長じては、その素晴らしい男としての器量に、最大限の敬意を持ち、憧れ敬愛した。そしてずっと付き合って来た。今、渋谷は再開発が進んで街が変わって行く。が、世界の文化と交流する「村」を都会に生んだ、故五島昇さんという希有な経営者がいた。そして田中珍彦という一人の男のロマンと、世界の文化を日本に呼んだ、行動力を忘れないでほしいと願う。「バイロイトのオペラ」を呼び、「コクーン歌舞伎」を生み「ドゥマゴ文学賞」を創った。その功績は数知れない。「オイ! 男はなぁセンスだ」が私に対する言葉だった。センスとはファッションだけではない。男はケチな金の話をするな、仁義を大切にしろ、道を外すな、責任は自分で持て、美味しいものを食べて、才能ある人間とつき合え。21世紀の“坂本龍馬”であった。みなさんどうか「田中珍彦(ウズヒコ)」を忘れないでください。渋谷に行ったら、東急文化村に足を運んでください。「お別れの会」は大行列であり、なつかしい人たちと会った。大ホールは満杯で入り切れないほどであった。まるで日本中の文化人が集まっているようだった。でも、先輩はシャイな人なので、あの世で照れているはずだ。(合掌)
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2019年12月5日木曜日

「二人の作家」

高等小学校卒(現在の中学)デビューは41歳のとき、同じ年に太宰治や中島敦がいた。が、この作家が世に出たとき二人はすでに世を去っていた。生涯において残した作品は1000点以上、書いた原稿12万枚、新潮文庫だけで4千5百万部、カッパノベルス2千4百万部、出版各社を含むと、1億部以上になる。長者番付・作家部門で13回1位になる。この作家と人気を二分したのが、司馬遼太郎であった。20世紀を代表する作家番付をつけるとすると、松本清張と司馬遼太郎が横綱であった。松本清張は社会の暗部、人間の暗部を書いた。一方司馬遼太郎は英雄、勝利者、成功者を書いた。私見だが司馬遼太郎はエッセイが抜群にうまく、小説は大衆小説である。松本清張が芥川賞作家で、司馬遼太郎が直木賞作家であることでそれが分かる。私は断然松本清張支持である。人には運命と宿命がある。持って生まれたものが宿命であるとしたら、この世に生を受けた後、さまざま出会うものを運命という。人間はこの二つから逃げることはできない。幸も不幸も本人が知らないストーリー上にある。子は親を選ぶことができない。宿命に逆らい運命と格闘することを人生と言う。これ演出するのが“血”である。人にはそれぞれアナザーストーリーがある。知らないで済めば知らないほうがいい、血の歴史が脈々と流れている。松本清張はこれを徹底的に追求し、取材を重ねに重ねて古代史の研究家にまでなった。一方司馬遼太郎は膨大な資料を読み込み、取材し人気小説を書いた。今、なぜ二人の作家のことを書くのか、と言えば。それは現代社会が重大な分岐点にあるからだ。一歩間違えば戦争へと向かう。松本清張が存命ならこの国の今の暗部、人間の暗部をどう書いただろうか。祖父母はいつ我が子や、嫁や孫に殺されるか分からず。父母はいつ我が子に殺されるか分からず、我が子はいつ親に殺されるか分からない。殺意がそこいら中で呼吸している。夫はいつ妻にブスリと刺されるか分からず、妻はいつ夫に絞め殺されるか分からない。まるで中世の頃のように人間は「人心の乱の中」にいる。現代は応仁の乱の頃と同じである。司馬遼太郎は人の暗部は書かない。ヒーローが大好きであったからだ。私は心から残念に思う。松本清張がいてペンを走らせてほしいと。松本清張は“謎解き”の作家でもあった。人間とは謎でできている藁人形だ。ちょっと火をつければ、たちどころに燃える。人間は大なり、小なり日々殺意を持つ生き物なのだ。誰でも少しばかり書く気があれば、今の世の中には小説のネタは山ほどある。残念ながら松本清張に及ぶ作家は現在一人もいない。ちなみに松本清張は“山陰”の出身、司馬遼太郎は陽気な大阪出身である。今ほど社会派小説が停滞している時代はない。“事実は小説より奇なり”なのだ。(文中敬称略)



2019年12月4日水曜日

「東大を出たら、勉強を」

米長邦雄さんという将棋の名人がいた。能弁家であった。この棋士が残した有名な言葉がある。「私の兄は頭が悪いから東大に入った」。今、総理大臣主催の「桜を見る会」のでたらめさについて、野党から追求されている役人の珍問答を見ていて、米長さんの言葉を思い出した。見苦しい答弁をしている役人は、きっと東大とか京大とか、国大出身者、あるいは有名私立大学出身者だろう。つまり最高学府で教育を受けた成績優秀者たちだ。彼らにとっての命は出世しかない。その彼らに代わって、その心の内を語るとすると、こんなことだろうか。舞台はとある居酒屋である。役人仲間が4人で飲んでいる。一人はウーロンハイ、一人は焼酎のロック、一人はウイスキー濃い目のハイボール、一人はコップで日本酒だ。すでにかなり酔っている(出来上がっている)。つま味はさつま揚げ、柳葉魚焼き(ししゃも)、ハムカツだ。まったくやってられねえよ、あの夫婦(総理夫婦)はどうなってんだよ、え、オイ、森友だろうが、加計だろうが、ジャパンライフだろうが、たいがいあの女房がからんでいる。そうだよそうだよ、あの酔っ払いのカアちゃんは、なんでも引き受けちまうんだよ。物事をまったく深く考えないからヤバイ相手と写真を撮ったり、招待したり、紹介をしたり、メールをバンバン送ったりするんだ。つまりみんな物的証拠なんだよ。それをモミ消すなんてできっこないんだが、できっこあるように、野党の奴等とやり取りしなけりゃないんだ。女房も女房だが、亭主がさらにコマッタサンは成田山さんだよな。ぺらぺら、ぺらぺら次から次へとウソばっかりつきまくる。ほとんどビョーキだよ。薬の副作用かなんかで頭の中の回路がイカれちまったじゃないの。むかしは今ほどヒドクなかったというけどね。とてもいい人で、友だちを大切にすると聞いたことがある。家庭教師が悪かったんじゃないのか、東大出身で警察官僚、だけど何回当選しても大臣になれない平沢勝栄先生だもんね。なれないんじゃなくてできないんだよ、ヤバイことばかりらしいから。パチンコ業界と北朝鮮筋との関係とかで。何とか大臣になりたいと派閥を渡り歩いている。マア平沢大先生の話はともかく、花見の会については、夫婦で頭に浮かぶヒトをバンバン招待しちまった。半グレからモンモン(刺青)しょったヤクザ者(反社会勢力)まで、まさか刺青まではモミ消せないし、シュレッダーも使いないような。シュレッダーと言えば、よくぞまあ予約でいっぱいなんて、あんな口から出まかせを思いついたよな。あたり前田のクラッカー。ウソ、カイザン、インペイ、バックレは役人の四大得意技だからな。野党の奴等と言っても、やっぱり手強いのは共産党だな。内部にいるんだよ党員が。でもああいう野党は必要だぜ。ウィ〜! かなり飲んだな。このシシャモはイマイチだな冷凍モンか。そんなの決まってるだろ。あと数日のウソ、バックレだな。コンピュータの再現なんて、今どき楽勝でできるからな。官房長官も反社と記念撮影で、少し色気があった中継ぎ総理の椅子もオジャンだよな。顔つきが日々悪くなってんもんな。記者の質問に対してなんてとても令和おじさんじゃないよ。だけど結局いちばんバックレで得したのは総理大臣じゃないの。菅官房長官は飼い殺しだし、頭がいいんじゃないの(?) 麻生財務大臣は潜水艦に特別に乗船させてやって沈没だし。河野太郎防衛大臣は面子丸つぶれだしな。あとは妖怪二階幹事長に4選をと言ってもらえばいいんだからな。あ〜ヤダヤダ考えただけでも気が滅入るよ。何言ってんだよ、オレたちは役人だぞ、ここをウマク乗り切れば来年には人事移動だよ、きっと出世してな。そうだな次は広島出身の先生らしい。そんじゃ乾杯だ。そこで隣の酔客が怒声を浴びせる。テメーラさっきから聞いてりゃ、なんだこの木っ葉役人のバカヤローが。そこへお店の女性(オバサン)すみませ〜ん。他のお客さんにご迷惑をかけるので静かにしてください。ソロソロ閉店ですからね。イケネェ〜終電に間に合わないぞ、ウィ〜。オレの靴はどれだったつうの。オイ、ハムカツが残ってんぞもったいない。これはあくまで創作です。東大を出たらマジメに勉強してください。

 
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2019年12月3日火曜日

「桜の樹の下へ」

定食屋さんの定義とは。黒板にハクボクで書いたメニューに従う。定まった食事。定食は580〜980円ぐらいが多い。冷奴、納豆、生玉子、ヒジキ、キンピラゴボウ、シラス干し、キムチ、お新香などが、小鉢で別注文で来る。たいがい各100円だ。定食屋さんに来る人は、朝定食、昼定食、夜定食のときも、これから食事を楽しむぞ、という華やいだ気配はない。お客さんは主に会社員や屈強なガテン系の男たち、タクシードライバーとかロングドライブの運転手さんが多い。独身者、一人暮らしの学生さん、妻と離婚した男、妻に食事を作ってもらえなくなった男、時にヤンキーな男女、などが多い。妻に先立たれた人とかも多い。定年後に熟年離婚した60代も多い。サバ焼き定食、とりカラ揚げ定食、煮魚定食、ジンギスカン定食、お刺身定食、カキフライ、イカフライ、アジフライ、豚ショーガ焼き定食、とんかつ定食、ニラレバ定食、やさい炒め定食も多い。肉じゃが定食、ハムエッグ、ポテトサラダ定食もある。サンマ、ブリ、キンメなどの定食も、季節のときに出る。こう書いて行くとお腹の虫がグーグー鳴って来るのだが、定食屋さん店内に入ると、独特の静けさだ。お客さんは一人が多い。二、三人で来てワイワイなんてことはない(お客さんにニラまれる)。会話はない。これから出て来る食事に対する期待感もあまりない。自分にとって定まった食事(定食)を食べるだけだから、その日、その日のルーティンのような食事なのだ。面倒なことが嫌いな人は、何も考えずに黒板に書いてあるメニューの、一番上のメニューにと決めている。お店の人も積極的に今日はこの定食がおススメですよ、なんてことが言わない。時々店内がザワザワとすることがある。あのね、サバ焼き定食に、単品でカキフライ、それに冷奴とシラスおろしと、納豆、ご飯は大盛りで、生玉子もね。こんな声が店内に広がると下をずっとむいて、自分の定食を食べている人たちに、ムッ、ムッ、ムッと動揺がわく。580円〜980円内がいわばルールなのに、サバ焼き定食980円+カキフライ単品500円、シラスおろし100円+納豆100円+生玉子100円+ご飯大盛り50円となると合計1930円、なんたる奴、なんたる無礼者、ここをどこだと思っているんだと。単品定食族は内心オモシロクない。読んでいたスポーツ新聞の記事にも身が入らない。壁の上にへばりついている小さなテレビから流れるニュース映像も、目に入らない。みんな嫌なヤローだ、ぜいたくな奴だ、定食屋のルール知らずめ、みたいな空気が充満する。ジンギスカン定食を隅っこで、コツコツ食べていた初老の男のテーブルの縄張りを、その男の頼んだ数々の小鉢が占領して行く。ゴフォン、ゴフォンとせきばらいなどして、私は許さないぞとの意志を見せる。レバニラ炒めを食べていた独身男は、少しずつ自分の領域を守るべく行動をする(料理をずらす)。定食屋に来て一人で1930円も食べる人なんて、堺面が見えない奴だと、アジフライ定食の中年の男が、上目づかいで視線を向ける。私はこんな時間が大好き、こんな人たちが大好き。定食屋さん大、大好きなのだ。日曜日告別式から帰り、駅から家に電話をすると、え、みんなで食べて来なかったのと言うから、朝からビールコップ二杯だけ腹が減っているから、定食を食べて帰ると言った。で、私はさばミソ煮定食、ごはん半分、それにそっと冷奴とヒジキを頼んだ。左に豚ショーガ焼きの男、右には、アサリラーメンの若い男、後には、とりのカラ揚げ定食のおじさんがいた。お茶は自分で、お水はご自由にと貼り紙がある。辻堂→大船→踊り子号で河津駅、そこからタクシーで約30kの山の中、伝承あふれた日本のお葬式らしい、葬式が村人たちをたくさん集め静かに行われていた。民俗学者柳田国夫の世界だった。仕事仲間三人とお焼香して手を合わせた、一人は長野県佐久市から来た。河津駅には、川端康成の名作「伊豆の踊子」にちなんで、若い学生と踊り子の彫像があった。2月には河津桜が咲く。一つの命が桜の樹の下に眠ることになった。遺影がとてもよく、30年近く経理を見てくれている会社の女性に、とてもよく似ていた。
 
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2019年12月2日月曜日

「鮨はファーストフード」

先日テレビで見た鮨屋さんの話。ここまでやってるのと、鮨づくりにこだわっていた。一軒は会員制30人ぐらいとかでフツーお客さんは入れない。バーロじゃテレビに出て来て店を紹介するなよと言いたい。店の名はたしか「乃南」と言った。幻冬舎の見城徹社長や、ZOZOTOWNの前澤友作元社長が会員だと友達が教えてくれた。もう一軒は3年先まで予約が入っていて、フツーの人は仲々食べられないとか。だったら店を紹介しないでと言いたい。鮨は3年も待って食べるような食べ物じゃない。もとは江戸っ子のいわばファーストフードだ。店の名は確か「杉田」とか言った。こだわりはフツーじゃない。もう一軒は毎年三ツ星というのをミシュランからもらって自慢の、鮨屋「すきやばし次郎」という店が、そのミシュランガイドから外れた。聞けばフツーのお客さんが入れないからだという(9席しかない)。この鮨屋さんはおまかせコースで4万円からなんて、バカも休み休み握れと言いたい。カードが使えなくて、私の先輩が知人と運よく入って次々とでてくる鮨を食べ、ワインをグイグイ飲んだら一人7万円とか言われて、現金不足となって大変だったと聞いた。フツーの人が入れないのをテレビで見せられて、世界一旨いとか、日本一旨いとか言われても比較しようがない。ビンボー人をバカにすんなだ。ある食通が言った。本当に鮨を知っている人間は、コハダ、アジ、サバが基本だよ。マグロを高く売らないと鮨屋はもうけが少ないから、マグロだマグロだとブームを作ってしまったんだと。他にはタコ、イカ、白身、アナゴ(ツメつけ)でいい。まあ、それにヒモがあれば十分、ラストはワサビを入れたカンピョウ巻きとくればさらに十分、マグロはと聞けば、オレは赤身があればいいんだ。江戸っ子の鮨は、早い、安い、旨いに限る。もともと鮨屋では酒なんか飲まなかったんだよ。そもそもマグロの味を見分けられる、食い分けられる人間は、鮪問屋さんの中でも、よほどのプロじゃないと分からない。例えばごくフツーの鮨屋さんの中に、高いマグロを入れたって分かりゃしないよ、ワインと同じさ。100万のワインと680円のワインを、目をつぶって飲み比べても、自称ワイン通が間違えるのと同じだと。人間の先入観とは怖いものだ。高いからと言われれば高く感じ、安いからと言われれば同じ鮨でも安いと思う。長い間食べてきて“鮨と寿司”の違いも、私は先日調べてもらうまでハッキリ分かっていなかった。週末は回転するお店に行って、魚類図鑑に載っていないようなネタを食べてみようと思う。一度それをやって、ホタテ貝アレルギーになって、今は食べられない。“ホタテ貝風”だったのかも知れない。

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2019年11月30日土曜日

「いよいよ師走」

11月25日は何の日だったか、と言えば会社勤めの日は“給料日”と応えるだろう。これがフツーである。三島由紀夫の命日じゃないかという人がいれば、よく憶えているね、そうだったんだと思い出される。少なくとも私のまわりにいた人で、11月25日にそのことを言った人も、書いた人もいない。作家の影響を受けた人たちによる、何かしらのイベントはきっとアチコチであったはずだ。天才的作家を語るには、あまりにも身分不相応なので、多くを語れない。人間は死んだら忘れられるということだ。昨日、大勲位こと元総理大臣中曽根康弘が101歳で死去した。その功績をニュースは流す。しかしその話題も一日か二日で終わる。人間の死とはそんなものである。ならばどうするかと言えば、今日一日、生きていれば明日まで生きて行くだけのことを、することでしかない。生まれてまもなく失う悲しい命があれば、いくらブチノメしてもしぶとく死なない悪い命もある。戦中戦後、大震災、大災害を生き抜き不死身の命だねと言われた老人が、朝起きたら大渋水に飲み込まれ大海へと流されてしまう命もある。この地球で唯一、絶対ということは、誰もが一度必ず死ぬということだ。若かれし頃、何度も死にかけて来たことを思い出す。きっとお天とうさまは、もっと生きて四苦八苦を味わって、若気の至りの罪を償えと、命じているのではと思い、今日まで来た。四苦→4×9=36、八苦→8×9=72。36+72=108の苦を味わえと命じられているのだ。108は煩悩の数と同じだ。すでに108を味わった気もするが、未だ未だ足りていないのかも知れない。故高倉健の歌う「唐獅子牡丹」に♪〜つもり重ねた 不幸のかずを 何と詫びよか おふくろに〜♪ という一節があるが、まさにそんな日々なのである。今の絶対権力者たちも、等しくそう先くない間に、あの世に旅立つ。そして忘れられる。身内ですら、あ〜これでやっとこ楽になれると、つい本音を言う人も多いだろう。実に正直な言い分なのだ。私のような大迷惑人間はジ・エンドとなったら頼んで祝杯をあげてほしいと思っている。バンザーイ、バンザーイと。葬式無用、戒名無用、献杯無用、ただひたすら乾杯、乾杯をしてもらいたい。健康オタクが人間ドッグに行って、入念に検査してもらい、大丈夫どこも異常なしですよと言われて外に出たら、クルマにハネられてあの世へという話もある。無目的に生きていたら命に対して申し訳がないだろう。生きたくても生きられない人の命のために、何かをしなければならない。安いラーメンで有名なある店が、10円でラーメンを提供したら大行列。寒風の中の風景だ。故金子正次の名作「竜二」という映画で、新宿のヤクザ者が堅気を夢見て足を洗う。全身に刺青があるのだが、女房子どものためにトラックの運転手の助手の仕事をする。一晩のバクチで大金を動かしていた幹部の男が、アパートに帰ると、女房は家計簿をつけている。苦々しい気分になる。ある日、仕事が終わり家路についていると、商店街に主婦や子どもたちが行列をつくっている。竜二が見ると、そこは肉屋さんで、女房と子供が並んでいる。安売りのセールをしている。竜二は安売りで女房が買って帰ったコロッケを食べるのかと考える。やっぱり俺は堅気の世界でやって行けない。竜二は家とは逆の新宿の街に帰って行く。金筋のヤクザ者にとって、見栄は絶対に張らねばならないのだ。ナリ(身なり)も見栄の内と言う。こんな話を思い出す。ある日私は無性に吉野家の牛丼が食べたくなって、夜銀座にある吉野家に入って牛丼を食べて外に出ると、むかしなじみのプロデューサーに会った。えっ、吉野家の牛丼を食べるんですかと聞かれた。そいつは私が落ち目になって銀座の吉野家で牛丼を食べていたと知り合いに吹いた。バカヤロー大好きだっていうの、その男がどうなったかは……。いよいよ師走だ。一年中でいちばん嫌いな12月だ。ちなみに私は行列には並ばない(春木屋のラーメンは別)。
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2019年11月28日木曜日

「この道」

日本という国は私たちが想像するよりもはるかに美しかったはずだ。それだから「万葉集」は生まれた。和歌は歌による写実だ。また、すばらしい民謡や童謡が生まれた。童謡には美しい山々があり、美しい花畑や田畑があった。四季折々に風景を変化させた。日本国津々浦々、オラが故里の自慢の風景が、人の心をキャンバスにして写り込んだ。風景とは絵筆だとも言える。昭和初期、愛国主義者は、外国からこの風景を守れと、軍国主義に姿を変えてしまった。美しい風景は戦火によって破壊されてしまった。「国破れて山河があり」と言えば聞こえがいいが、国破れて、数百万人数千万人の感情が破れた。戦死者とその家族たちの中には、きっと多くの北原白秋がいたはずだ。この頃、民謡は生まれず、童謡も生まれない。近代化のあとに残ったものは、感情とか感性の消失だった。その結果が現在の拝金主義である。金こそがすべての時代に叙情詩も叙事詩もない。人々が幼き頃見た美しい山々や河の輝き、美しい湖や川のさざ波やせせらぎ。あぜ道でおにぎりを食べ合う農夫さんたち、隆々たる肉体で網を上げる漁師さん。おとちゃんのためならエンヤーコラ! おかあちゃんのためならエンヤーコラ! と、家を建てる大工さんたち。目に入るものがみんな詩になった。そして歌になった。この道はいつか来た道、あ〜あ そうだよ また戦争への道だよとならないことを願う。昨日夜、北原白秋と山田耕筰を主人公にした「この道」という映画を見た。二人は戦争に向かう国に対して、僕たちはもう童謡をつくれない。軍歌ばかりしかと語り合う。そのうち人工知能AIが童謡をつくるのかも知れない。進化しすぎて手にしたものは便利すぎるという不都合と、情報過多による、人間関係の断裂を炎上だ。風景は見るものではなく調べるものになってしまった。北原白秋は人妻と関係を持ち姦通罪で投獄されたりした。与謝野鉄幹・晶子夫妻から、いい加減にせよとたしなめられた。天才は色を好むものなのだ。少年と少女が同居しているような人だったのではと思う。詩の中にはたくさんの木の名が出る。花の名が出る。そこに純粋があった。「無口な男には注意しろ。彼は人が話す間観察し、行動する間計画を練り、いざ相手が休んだとき襲いかかる」。こう言った賢人がいた。テロリストはこう言う人間が多い。さしずめ北原白秋は、こと女性に関してはテロリストの如くであったのかも知れない。あまりにも無惨な税金を使った桜を見る会。北原白秋が今の世を見たら、どう表現するのだろうか。

カラタチの花