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2019年12月5日木曜日

「二人の作家」

高等小学校卒(現在の中学)デビューは41歳のとき、同じ年に太宰治や中島敦がいた。が、この作家が世に出たとき二人はすでに世を去っていた。生涯において残した作品は1000点以上、書いた原稿12万枚、新潮文庫だけで4千5百万部、カッパノベルス2千4百万部、出版各社を含むと、1億部以上になる。長者番付・作家部門で13回1位になる。この作家と人気を二分したのが、司馬遼太郎であった。20世紀を代表する作家番付をつけるとすると、松本清張と司馬遼太郎が横綱であった。松本清張は社会の暗部、人間の暗部を書いた。一方司馬遼太郎は英雄、勝利者、成功者を書いた。私見だが司馬遼太郎はエッセイが抜群にうまく、小説は大衆小説である。松本清張が芥川賞作家で、司馬遼太郎が直木賞作家であることでそれが分かる。私は断然松本清張支持である。人には運命と宿命がある。持って生まれたものが宿命であるとしたら、この世に生を受けた後、さまざま出会うものを運命という。人間はこの二つから逃げることはできない。幸も不幸も本人が知らないストーリー上にある。子は親を選ぶことができない。宿命に逆らい運命と格闘することを人生と言う。これ演出するのが“血”である。人にはそれぞれアナザーストーリーがある。知らないで済めば知らないほうがいい、血の歴史が脈々と流れている。松本清張はこれを徹底的に追求し、取材を重ねに重ねて古代史の研究家にまでなった。一方司馬遼太郎は膨大な資料を読み込み、取材し人気小説を書いた。今、なぜ二人の作家のことを書くのか、と言えば。それは現代社会が重大な分岐点にあるからだ。一歩間違えば戦争へと向かう。松本清張が存命ならこの国の今の暗部、人間の暗部をどう書いただろうか。祖父母はいつ我が子や、嫁や孫に殺されるか分からず。父母はいつ我が子に殺されるか分からず、我が子はいつ親に殺されるか分からない。殺意がそこいら中で呼吸している。夫はいつ妻にブスリと刺されるか分からず、妻はいつ夫に絞め殺されるか分からない。まるで中世の頃のように人間は「人心の乱の中」にいる。現代は応仁の乱の頃と同じである。司馬遼太郎は人の暗部は書かない。ヒーローが大好きであったからだ。私は心から残念に思う。松本清張がいてペンを走らせてほしいと。松本清張は“謎解き”の作家でもあった。人間とは謎でできている藁人形だ。ちょっと火をつければ、たちどころに燃える。人間は大なり、小なり日々殺意を持つ生き物なのだ。誰でも少しばかり書く気があれば、今の世の中には小説のネタは山ほどある。残念ながら松本清張に及ぶ作家は現在一人もいない。ちなみに松本清張は“山陰”の出身、司馬遼太郎は陽気な大阪出身である。今ほど社会派小説が停滞している時代はない。“事実は小説より奇なり”なのだ。(文中敬称略)



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