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2019年12月9日月曜日

「イザヤ・ベンダサンを思い出す」

NHKスペシャル/首都直下地震ウィークと題して、ここ30年のうちに70%の確率で起きると言う首都直下地震について、いろんな角度からシュミレーションをしたり、各分野の専門家の意見や研究の先にあることを解説した。首都崩壊のコンピューターグラフィックは衝撃的であった。ドラマ仕立てでさらに臨場感を演出した。私は今、ある人の出版をプロデュースしている。その人の考えと私の考えが、必ずしも一致するものではないが、まったく原稿もなく、メモもなく、私が依頼したフリーのライターの方への4回にわたるロングインタビューの記憶力に驚嘆した。基本的な考えの一つに、世界はユダヤ資本によって支配が始まり、現在もそれが進行形であり、世界中そして日本も支配されている。週末インタビューの概要を読み直した。「ユダヤ人」と「安全と水」という言葉に初めて接したのは、イザヤ・ベンダサン(架空の名)という名で出版された「日本人とユダヤ人」という一冊の本だった。ハードカバー200数ページのこの本は、空前のブームを呼んだ。1970年5月からのことであった。単なる文明論でなく、文学としても絶賛された。故開高健をして“こりゃ凄い本やで”と言わしめた。イザヤ・ベンダサンとは誰か探しが始まり、行き着くところ山本書店という小さな出版社の主である「山本七平氏」ではとなり、さもありなん、となった。ここで山本七平氏については書かない。とんでもない人であるから調べるといい。NHKスペシャルとイザヤ・ベンダサンこと山本七平氏をつないだのは、「日本人とユダヤ人」の著書のはじまりにあった「日本人は水と安全は無料だと思っている」。この言葉のインパクトだった。出版されたとき、この本を読んだがすでに手元にはない。で、本棚にあった「山本七平の思想」東谷暁著/講談社現代新書刊を見つけて読み直した。祖国を持たない民であったユダヤ人にとって、世界中どこにいても安心安全の保証はない。一方災害大国である日本は、水道の蛇口をひねれば、ただで飲める水のように、安全も安心もただだと思って過ごして来た。そこに登場したのが「日本人とユダヤ人」だった。第2回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したこの本にある、「日本人は安全と水はただ」と思っているが、今で言えば流行語大賞的になった。が日本人という民族は、島国であり国境もない。単一民族国家であったから、アタマの中も単一的で、すぐに忘れるという特技を持っていた。大事が起きたときに、大騒ぎするが、自分たちが当事者でないと、すっかり忘れてしまうのだ。また、大事が起きると、すぐに人の責任、ご近所の責任、町内会やマンションの管理人やメーカーの責任、そして当然行政にと、責任論は広がる。日頃の備えをまったくしていないのに“安全と水はただ”と思っていたとなる。NHKスペシャルで衝撃を受けても、一週間後にはほぼ話題にならないだろう。山本七平氏から見ると、日本人とは“空気”によって動き、動かされる。日本教の信者だと言うことになる。ともあれ防災の気運の動きを止めるなと言いたい。安全と水にはお金が掛かると思うことを、徹底して追求しなければならない。


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