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2019年12月3日火曜日

「桜の樹の下へ」

定食屋さんの定義とは。黒板にハクボクで書いたメニューに従う。定まった食事。定食は580〜980円ぐらいが多い。冷奴、納豆、生玉子、ヒジキ、キンピラゴボウ、シラス干し、キムチ、お新香などが、小鉢で別注文で来る。たいがい各100円だ。定食屋さんに来る人は、朝定食、昼定食、夜定食のときも、これから食事を楽しむぞ、という華やいだ気配はない。お客さんは主に会社員や屈強なガテン系の男たち、タクシードライバーとかロングドライブの運転手さんが多い。独身者、一人暮らしの学生さん、妻と離婚した男、妻に食事を作ってもらえなくなった男、時にヤンキーな男女、などが多い。妻に先立たれた人とかも多い。定年後に熟年離婚した60代も多い。サバ焼き定食、とりカラ揚げ定食、煮魚定食、ジンギスカン定食、お刺身定食、カキフライ、イカフライ、アジフライ、豚ショーガ焼き定食、とんかつ定食、ニラレバ定食、やさい炒め定食も多い。肉じゃが定食、ハムエッグ、ポテトサラダ定食もある。サンマ、ブリ、キンメなどの定食も、季節のときに出る。こう書いて行くとお腹の虫がグーグー鳴って来るのだが、定食屋さん店内に入ると、独特の静けさだ。お客さんは一人が多い。二、三人で来てワイワイなんてことはない(お客さんにニラまれる)。会話はない。これから出て来る食事に対する期待感もあまりない。自分にとって定まった食事(定食)を食べるだけだから、その日、その日のルーティンのような食事なのだ。面倒なことが嫌いな人は、何も考えずに黒板に書いてあるメニューの、一番上のメニューにと決めている。お店の人も積極的に今日はこの定食がおススメですよ、なんてことが言わない。時々店内がザワザワとすることがある。あのね、サバ焼き定食に、単品でカキフライ、それに冷奴とシラスおろしと、納豆、ご飯は大盛りで、生玉子もね。こんな声が店内に広がると下をずっとむいて、自分の定食を食べている人たちに、ムッ、ムッ、ムッと動揺がわく。580円〜980円内がいわばルールなのに、サバ焼き定食980円+カキフライ単品500円、シラスおろし100円+納豆100円+生玉子100円+ご飯大盛り50円となると合計1930円、なんたる奴、なんたる無礼者、ここをどこだと思っているんだと。単品定食族は内心オモシロクない。読んでいたスポーツ新聞の記事にも身が入らない。壁の上にへばりついている小さなテレビから流れるニュース映像も、目に入らない。みんな嫌なヤローだ、ぜいたくな奴だ、定食屋のルール知らずめ、みたいな空気が充満する。ジンギスカン定食を隅っこで、コツコツ食べていた初老の男のテーブルの縄張りを、その男の頼んだ数々の小鉢が占領して行く。ゴフォン、ゴフォンとせきばらいなどして、私は許さないぞとの意志を見せる。レバニラ炒めを食べていた独身男は、少しずつ自分の領域を守るべく行動をする(料理をずらす)。定食屋に来て一人で1930円も食べる人なんて、堺面が見えない奴だと、アジフライ定食の中年の男が、上目づかいで視線を向ける。私はこんな時間が大好き、こんな人たちが大好き。定食屋さん大、大好きなのだ。日曜日告別式から帰り、駅から家に電話をすると、え、みんなで食べて来なかったのと言うから、朝からビールコップ二杯だけ腹が減っているから、定食を食べて帰ると言った。で、私はさばミソ煮定食、ごはん半分、それにそっと冷奴とヒジキを頼んだ。左に豚ショーガ焼きの男、右には、アサリラーメンの若い男、後には、とりのカラ揚げ定食のおじさんがいた。お茶は自分で、お水はご自由にと貼り紙がある。辻堂→大船→踊り子号で河津駅、そこからタクシーで約30kの山の中、伝承あふれた日本のお葬式らしい、葬式が村人たちをたくさん集め静かに行われていた。民俗学者柳田国夫の世界だった。仕事仲間三人とお焼香して手を合わせた、一人は長野県佐久市から来た。河津駅には、川端康成の名作「伊豆の踊子」にちなんで、若い学生と踊り子の彫像があった。2月には河津桜が咲く。一つの命が桜の樹の下に眠ることになった。遺影がとてもよく、30年近く経理を見てくれている会社の女性に、とてもよく似ていた。
 
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