ページ

2020年6月4日木曜日

第74話「私は惜別」

私は「惜別」である。私惜別はコロナ騒動の中で、何人もの知人の訃報に接した。だがどの訃報も葬儀はごくごく身内だけ、決して他県からとか、親しい人々に通夜、葬儀をご遠慮願いたいと記してある。地方から東京へ出て来て仕事をしている者の、敬愛する父母がご逝去しても、我が子は我が親の葬儀に行くことは許されていない。親の死に目に会えないという言葉があるが、親の死に体にも会えないのは、つらいものだろう。私惜別の父の思い出と言えば、裸にされた骨身の体を、亡母と、同居していたおばさんと、お隣りのおばさんとの三人で、遺体を北に向けて、アンモニアかなんかで清めていた。(消毒かも)まだ八才だった私惜別には、よく分からなかった。確か夕方の五時頃から、六時頃にかけてのことだった。当時“死”というものが分からなかった。その後、兄や姉たちが帰って来て、ワァーワァー、ギャーギャー泣いていた。早速葬儀社の人らしき人が、白い手袋と白いマスクをして動いていた。お坊さんが弟子みたいのを連れて来た。葬儀には岡山のおばあちゃんが、夜行寝台“安芸”に乗ってやって来た。正座がつらかった。若いお坊さんがドラをど〜ん、ど〜ん、もう一人が何かをジャラン、ジャランやるのが、おかしくて笑ったら岡山のおばあちゃんに、坊主頭をポカリと叩かれた。自宅の葬儀が当たり前の時代である。花輪が門外に並んだ。生花のゆりの香りが強かったのを今でもおぼえている。私惜別はおそばが大好き。先日よく行く近所の「紅がら」さんが、少しづつ店を開けたというので、息子と孫と三人で昼食をしに行った。辻堂にある“事務キチ”で万年筆のインクを買った後である。クルマを運転してくれた息子が生まれた年に、「紅がら」は開店した。しっかりと造られた民家風で坪庭もよく手入れされ、待ち合い室もゆったりして手が入っている。店内で手打ちをするとこを、ガラス越しに見ることできる。四人掛けのテーブルが五つと、壁側にロングソファーと椅子がけのテーブルが四つある。小上りの座敷には、いつも季節の花が活けてある。長い木製のテーブルが三つある。私惜別には二人の子と五人の孫がいるが、紅がらに行くと、この小上りでよく食事をする。テーブルをある日は二つくっつけて、ある日は三つくっつけた。四十年前に息子が生まれた時、娘は六才、オムツの交換はこの場所で行なった。それからみんなお世話になった。私惜別にとって紅がらは、自分んちみたいであった。テキパキとしたおかみさん、美人の娘さん、そしてやさしいお人柄のご主人がいた。私惜別が行くと顔を出してくれた。先日三人で行くと、私惜別がご主人を知人の写真家で撮影して、後輩にデザインしてもらった、ポスターを持って、娘さんがいらっしゃいませと、近づいていた。美しい顔はマスクでかくれていた。ポスターを持つその顔の目には、涙が浮かんでいた。実は父は四月十五日に亡くなりました。このポスターをとても気に入ってました。今は、あそこにかけて(スタッフがいるところ)私たちを見守ってもらっているんですと言った。ずっとコロナ休業していたので、私惜別もご近所の人も知らなかった。享年八十六歳開店して丁度四十年目だった。へえ〜そうだったんだ。私惜別はずっと座敷牢生活で、外食はしていなかったので、ゴメン、スマナイ、と言った。一度ご主人と話をした時、おそば屋さんの重労働のすごさを知った。「麺環かながわ」というタウン紙の一面に大きく載っているご主人の訃報を、娘さんが持って来て、コピーを一枚渡してくれた。長い間組合の理事長をされていたことを知った。私惜別は合掌した。葬儀は身内だけでそっと行なったとか。私惜別がポスターに書いた言葉は二種類。一枚は「日本人のそばに。」一枚は「ほそくながくでございます。」であった。「紅がら」はとてもいい店。ぜひおそばで、“すすり泣いて”あげてください。

紅がら

2020年6月3日水曜日

第73話「私は消毒」

私は「消毒」である。私消毒は現在日本国中で、不可欠の存在である。昨日久々東京に出て、私消毒の多さに、少年の頃DDTというベビーパウダーみたいのを全身にかけられたのを思い出した。シッカロールみたいとも言われた。私消毒が生まれた年から、一年、二年、三年、日本中が敗戦後のノミ、シラミ、ダニまみれだった。2020年近代化された日本は、新型コロナウイルスが、お寿司屋さんにも不気味なシーンを生んでいた。私消毒は昨日ビジネスパートナーのライターの方と、午後五時開店というお寿司屋さんに入った。新橋である。四時五十五分から五分店が開くのを待った。地下一階の店がオープンとなり入店した。昨日銀座「WAKO」フードショップで消毒、次に西哀漬けの「魚久」で消毒、銀座の仕事場に立寄り消毒、水天宮のデンタル・クリニックで消毒、溜池の仕事場で消毒、私消毒の手は消毒液の臭いがとれない。その後神田神保町の店で消毒。そして新橋へ。すし職人の手には、手術するお医者さんみたいに白いゴム手袋。その手で握ってもらったお寿司は、とても美しい一人前だったが、白い手袋が「横溝正史」の“犬神家の一族”みたいに不気味だ。そうか日本中がいま“八つ墓村”なのだ。一人ひとりが疑心暗鬼になっている。街中マスク人間。アメリカの進駐軍が日本中の人間をバイ菌みたいに、DDTの白い粉をブシュブシュとかけまくった時と同じだ。そうだ世界中がバイ菌化しているのだ。街行く女性はみんなマスクしているので、ほとんど目しか見えない。だから美女ばかりだ。マスクを外した瞬間、えっと99.8%裏切られる。2020年日本は勿論、世界中が“ウイルス戦争”の年の重大エポックとして、教科書に載るだろう。現在午前九時〇一分、5chモーニングショーを見ている。又、岡田晴恵教授が出演している。顔を白くメークしているのだが、DDTをかけられたみたいな粉が見える。NHK以外に朝・昼・晩出演している。教授以外の他の面子(メンツ)も、金太郎飴みたいに出演者は同じだ。急に色気づいたオバさんは(失礼)、やはり八つ墓村みたいに不気味だ。香港、アメリカでデモと暴動が多発化している。八つ墓村は一人の男が、ある夜暴発して32人を殺した大事件だ。岡山県津山32人殺しとしてその名を残す。八つ墓村の“八つ”は、平家の落武者を村人たちが、祭りの夜に惨殺した落武者の人数だ。人間という生き物は、疑心暗鬼がつづくと、農民一人ひとりが殺人鬼となる。“やられる前にやっちまえ”私消毒も突然平家の落武者みたいにやられるかもしれない。むかしは噂話から広がったが、現代はSNSだ。誰にも知られないだろうと、アイツがコロナを広げている。アイツも、アイツもと、調子にのってSNSを打ちつづけると、きっと八つ墓村事件みたいなことが、日本中で起きるだろう。私消毒はやたらに消毒しながら、映画の中で名優山崎努が、頭に懐中電灯を点灯させ、猟銃を打ち放し、老若男女32名をメッタ斬り、メッタ刺しをしたシーンを思い出した。九時二十三分12chを見ると、株価がうなぎ上りだ。日本中コロナ大不況下なのに、一部の金満投資家や日銀、世界の投資家が日本株を買い漁っている。大不況下の株高はやがて地獄絵となる。八つ墓村になるだろう。猟奇的大事件は、古今噂話からはじまった。私消毒はSNSと縁がないが、きっとバレないだろうと、SNSに書き込んでいる。SNS村の村人は祟りが起きるだろう。映画では老婆が、タタリじゃ、タタリじゃ、八つ墓のタタリじゃと表現されていた。アメリカの暴動もその一つだ。黒人一人の命、白人一人の行動から歴史は変る。トランプ大統領が、ムッソリーニみたいに公開処刑されることだってある。私消毒は実に不気味な気分なのだ。SNSが消毒される時代は、言論弾圧みたいで、これはこれで恐い社会だ。投稿者が夜ぐっすり眠っていると、枕元に猟銃を持ち、腰に大刀を差した男が頭に懐中電灯を光らせて立っているのだ。私消毒は家に帰ると、やたらに手洗い消毒、手洗い消毒と言う愚妻に、ウルサイ! と声を発するのだ。いつの世も「重大事は“一事”からはじまる」ネット村の心ない村民はこれから気をつけることだ。テレビ局全体にも言いたい。もっと汗をかけ、“アタマを使え、アイデアを出せ”と。(文中敬称略)

2020年6月2日火曜日

第72話「私は明日」

私は「明日」である。私明日のことは、明日に聞いてみないと分からないと、古人は言う。石原裕次郎さんは、♪〜 明日は明日の風が吹くと歌った。名作「風と共に去りぬ」のラストシーンで、スカーレット・オハラは、夕陽の中の木に向かい、明日があるわと気丈に生きて行く覚悟をする。ある哲学者によると、私明日がさてどうなるかはコインを投げて、裏表で決めればいいのだと言ったとか。私明日にとって、明日は生涯初めて相手にする敵である。コロナウイルスという見えてない敵だ。「明日地球が滅ぶとも、今日リンゴの木を植える」確かそんなすばらしい言葉を遺した人がいる。私明日は佐賀県出身の人と交わりが多い。明治新政府の中で、大久保利通が、その頭脳の鋭さで徹底して正義を追求をする姿に、恐れを感じた。それは江藤新平初代司法卿である。大久保はいずれ目の上のタンコブとなると思い、正義感の強い江藤新平に、新政府内のデタラメぶりをリークして、“佐賀の乱”を起こさせた。佐賀県人は少々短気で、曲がったことを許さない。で、かなりプッツンして四方八方とぶつかる。佐賀鍋島藩はいち早く海外の近代兵器を取入れ、その強さは最強とも言われた。私明日は、日本の明日を見抜いていた佐賀人が好きである。武士道の教え「葉隠」を生んだ。その佐賀人の中で、「明日地球が滅ぶとも木を植える」、を実践している人を知った。五月三十一日(日)東京新聞朝刊で。その人の名は「鶴田正明」さん八十四歳。十年前から広葉樹を苗から育てて一本づつ植えた。その数は一万本を超える。「環境芸術の森」と名付けて約10年前から公開している。初代で造園業を始め全国大会で数々の賞に輝いた。高校球児だった愛息を病気で失った。十七歳であった。絶望感の中で、人と自然の関わりの重要さを強く感じた。木を植えることで、協力者に感謝の気持ちを示すことを思い立った。心の中で亡き息子さんと語り合っているのだろう。鶴田正明さんは購入した土地を少ない親族や支援者たちと、石を掘り起こし、木の苗を植え、恐れ果てた山を変えていったと言う。(新聞記事より抜粋)佐賀県唐津市の山の中腹でのドラマだ。私明日は明日のために、今できることをコツコツとやるしかないと思っている。自分にしかできないことを、自分でやりつづけるのだ。今日久々に東京へ出る。日本は世界一の森林国である。もっと、もっと山を、森を、そして木々を大切に育てなければ、また大洪水になるだろう。梅雨がはじまり雨の日が多くなるだろう。災害に見舞われると体育館などの避難場所に人が密集する。私明日はこの国の持っている宿命を見る。私明日と共に仕事をしている仲間に、新しい生命が誕生する。明るいことも、夢のようなこともたくさん生まれる。明日と言う字は“明るい日と書くのね”という歌もある。すでにオギャーと元気に生まれた命も、スクスクと育っている。赤ちゃんの泣き声と共に仕事をする職場があってもいい。小さな子どもがヨチヨチ歩き回る、そんな職場が明日なのだと、私明日は思う。

IMAGE

2020年6月1日月曜日

第71話「私は確信」

私は「確信」である。私確信は思う何故、欧米人に対して、アジア系中でも「日・中・韓」にコロナによる感染死亡率が少ないか。はっきり言えること、その(一)欧米人はやたらにハグして、キスする。これは習慣だ。ホホにチュはマナーであり、手の甲にはキスは敬意を表す。ハグは親愛の証だ。フランス人と中国人はあまり風呂に入らず、トイレに行ってもよく手を洗わない。その手でパンや肉まんなどの食べ物を持ち口に入れる。花粉アレルギー大国日本は、日常的にマスクをしている。又、お風呂とかシャワー、行水が大好きだ。フランス人と中国人がウマが合うのは、食とSEXに貪欲だからだ。フランス料理や中国料理の歴史あるメニューは、他を寄せつけない。多国籍企業の中でもフランス人と中国人はすこぶる仲良しだ。フランス文学、中国文学は、世界二大文学だ。フランス人はやたらキスをするが、中国、韓国、日本人はしない。ギョーザとかキムチ、ニンニクとかザーサイとかの臭いがあるので、キスもハグもしない。江戸むらさきとか、クサヤの後にしない。ジャージャーメンとかタンタンメンを食べたあとキスなどはしない。猿の脳ミソとか熊の手を食べる人々はキスなどしない。そもそも歯をあまり磨かない。激辛のキムチを食べた者同士がどうしてキスなどするものか。カルビとか牛タンを食べた後はチューインガムだ。その(二)今の日本政府は信用できない。後世のウイルス対策に役立つ、専門家会議とか有識者会議の議事録もとっていないという、極めつけの隠ぺいを平気でやる。ウソがウソを呼び、ウソがウソを生む。法務大臣がでたらめなウソをつく。いつの間にか検事と新聞記者(なんで氏名を公表しないのか)との麻雀のレートが、テンピン(1000点100円)になっている。これは本人が言っただけ。こんな安いレートでやっている訳はない。いまどき新聞社がテンピンでやる“賭け麻雀”をして、いい情報をリークしてとはありえない。古代エジプトでも公文書は残している。日本人は世界でも稀なほど公文書を残す。一言一句、せきばらい、お茶飲みの数まで。何故なら役人は責任をとらされる事が大嫌いだからだ。私確信は昨日の朝刊を読んでやっぱりと思った。電通の子会社に丸投げしていた。「持続化給付金事業受託法人の代表が辞職した。769億円の内数十億がどこかへ溶けて配分されたはずだ。きっとオリンピック延期へのアチラコチラへの迷惑料だろう。久々に黒澤明監督の「悪い奴ほどよく眠る」を見た。政・官・財の生態、とりわけ官僚社会の“鉄の掟”がよく分かる。こういう社会派の映画がすっかり製作されなくなった。私確信は残念に思う。勝海舟は政事(まつりごと)を行なう人間に対して、「清濁合わせもって、尚且つ青波の如くあれ」と語り残した。世の中キレイ事では済まないが、自分の行ないを絶えずチェックし、日々その身を洗い直せみたいなことかなと私確信は思っている。コロナはつづく。かつて“キッスは目にして”という化粧品のCMソングがあった。今は2メートル離れて、投げキッスをポーズでしよう。それにつけても叙々苑の焼肉が食べたい。銀座アスター本店の中華も食べたい。食えないのが小池百合子東京都知事だ。アタマの中に都民のため、なんて全く無いはずだ。ビビンバみたいな女性である。ちなみにビビンバとはかき混ぜることだ。さて今日からどうなるか。ちなみに日本映画の最初のキスシーンは、窓ガラス越しだった。

2020年5月29日金曜日

第70話「閑話休題」

私は「早朝」である。私早朝はコロナ以後どうするかと何枚かのCDを聴きながら考えていた。ケニー・ロジャース、ナット・キング・コール、ザ・プラターズ、マイルス・デイヴィス、ジミー・ブラウン、サイモン&ガーファンクル、トム・ウェイツ、みんないい。サイコーだ。午前七時二十三分三十一秒、「ちあきなおみ」をラストソングとして聴いた。いいね、すばらしい。一人の男に愛を尽くして、ステージから去った。「郷鍈治」という日活のスター、宍戸錠の弟だ。これほど愛されてあの世に逝った男はそうはいない。夜明けの「喝采」はしびれてしまう。今朝は爽わやかだ。♪~ いつものように幕が開き……と口ずさみながら珈琲を一杯。(ネスカフェゴールドブレンド)コロナ、コロナ、週末は再び江ノ島に行くか。ハマグリ風の潮焼きでも食べに。私早朝の不眠はいよいよ、ずっと起きている。♪~ あれは三年前 止めるアナタ駅に残し……いいねえ~。
                                  (文中敬称略)
IMAGE



2020年5月28日木曜日

第69話「私は筋肉」

私は「筋肉」である。私筋肉には人に見せるほどの筋肉はない。しかし世の中には余りある人も多い。私筋肉が思うに、筋肉は有り金に似ていて、一度身につけたら金輪際離したくないようだ。人に見せたい筋肉は日々の鍛錬とプロテインを飲むことにより生まれる。通常の運動によって作られた使う筋肉と違って、ボディビルダーが如くのようになる。それは一見して分かる。こうして作られた筋肉は人に見てほしくなっていく。白いタンクトップを着ることを好み、ハチ切れんばかりの両腕や、肉体に砲丸が入ったかのような“チカラコブ”を自慢する。胸の筋肉は両腕の動きとともにビクビクンと動き、その下の腹筋は、モナカアイスのように分割される。あ〜なんて美しいのだと鏡の中の自由に魅入る。さらに両足はとなると、両ももは巨大な手羽先のようであり、両ふくらはぎは、柳葉魚(シシャモ)の大親分みたいになる。二つのお尻の山はまるでスイカだ。こうなるとやはり体は褐色というか、小麦色でないとマズイ。オイルを塗っては、日焼けサロンの紫外線を浴びる。タンクトップ(Tシャツ)を着ると、スカスカしていたのがウソのようになる。ズルズル、ブカブカしていたジーンズはパチンパチンと両足にへばりつく。オオ〜ついた。“アーノルド・シュワルツェネッガー”になったぞよとなる。道を歩く時は人の視線が気になって、道の隅を下を向いて歩いていたのがウソみたいになり、さあ〜見てみろと、全身の筋肉を脈打たせる。ショーウインドーに写る自分に見とれて、時を忘れる。私筋肉はあるジムに通っていた時、そんな大筋肉の人たちを見た。そこは○×気なとこだと聞いて、エッ、ナニッ、ソ、ソウなのと知りジムをやめた。そう言われてみれば、みんなやけに鏡を見ていたなと思った。私筋肉は昨夜、作家三島由紀夫のドキュメンタリーのフィルムを見た。天は三島由紀夫にありとあらゆる才能を与えた。さらに確かな家柄と、不足なき財力も与えられた。天才としての要素を全て持っていた。当然のように語学力にも優れていた。だがしかし天は一つだけ三島由紀夫に与えなかった。それは生来の肉体的コンプレックスに対して、私筋肉を持たないことだった。歴史にもしがあるとしたらと私筋肉は思う。もし、三島由紀夫が生まれながらに、長身であり、運動神経に優れ、スポーツを愛し日々練習によって、“自分の筋肉”を持っていたなら、全く違った人生を歩きつづけたのではないかと。軍隊の入隊検査で丙よりも下で不合格になった。つまり国家に役立たないと苦悩した。ならば思想でと右翼的思想を持ったにせよ、もっと違った行動をとったのではないか。私筋肉はドキュメンタリーを見ていてそう思った。あまりにも純粋すぎて、あまりに劣等感に満ち満ちていた。今朝少しばかりのウォーキングした。近所の海岸の側にある、ウッドデッキのところに立ちつくし、深呼吸などをしていた。そこへ一人の浅黒い筋肉隆々の小さな老人が、ひと息つきに立ち止まった。短パンにタンクトップ、ビッシリと筋肉がついている。きっとロングランニングの途中だろう。オッイチニ、オッイチニと声をかけながら体をほぐしている。私筋肉はひと言声をかけた。オジイちゃん、いい筋肉してるね、“ミシマスキ”と言った。オジイちゃんはタオルで汗をふきふき、ナヌッみたいに私筋肉を見た。もう一度“ミシマサンスキ”と聞くと、“アリヤーオオシマだ”と言った。確かに遠くに大島がぼんやりかすんで見えていた。天才というのは実にややこしく生き、そして市ヶ谷の自衛隊内でと思った。筋肉さえついていれば。私筋肉はこのコロナ戦争を三島由紀夫なら、どう論じるだろうかと思った。老人は富士山に向って走り去った。プーマのランニングシューズが音もなく見えなくなった。(文中敬称略)

2020年5月26日火曜日

第68話「私は散歩」

私は「散歩」である。初夏の海ひねもすのたりのたりかな、家から歩いて7分で海岸に着く。歩道橋への階段を上り下ると、江ノ島までのサイクリングロードがある。ウォーキングロード、ジョギングロードでもある。右を見て富士山が出ていればそれに向い、あいにく見えなければ左へ向う。時速4K位の速さで歩くと、次々と人に抜かれる。時には健脚のご婦人にも抜かれる。15分位でバーベキューができる場所になる。ウッドデッキにつかまってスクワットを30回する。バーベキューは誰もしていない。30分すると辻堂海水浴海岸に着く、すぐ側に広い海浜公園がある。広い駐車場はいつもなら満車だが、すっかり空いている。いい気持ちで深呼吸をする。ここにはかつて“おでんセンター通りという有名な(?)通りがあった。今ではサーファーストリートになっている。朝までやっているおでん屋さんが、長屋のように軒を並べていた。私散歩は深夜とか早朝によく気にいった店に行った。わずか40、50メートル位のところに20軒ほどあった。“ひげ伝”というのが有名で2店あったが、私散歩は一人では行かない。他より高いのと気位も高い。私散歩が通った店には、若い頃中居正広もよく来ていた。彼は平塚出身である。今ではスーパータレント中居さんなのだ。高校が平塚学園であった。残念ながらその店は、先年火事で全焼となった。今は辻堂駅近所でカウンターだけで営んでいると聞いた。私散歩は好きなおでんが目の前にある場所が空いていたら入った。おでんはやはりカウンターでおでん種を見ながら食べるのがいい。座席とかカウンターだと気分がおでんにならない。基本はやはり屋台だ。九州に行った時、一度博多大丸前の屋台に知人と入ったら、ビックリするほど高かったので、間違いだろうとモメた事がある。観光客はいいカモなのだろう。バーロこれからずーと博多にいるんだから毎日来てやるからな。ナメた値段をつけるなよと言った。観光客相手なのでどうせ一見の客からは、ボッタクリだ。店と店がケータイでつながっていて情報を交換していた。昨日江ノ島神社まで歩いた。往復約6時間だ。でもいい風と香り、いい気温、人はかなり出ていた。鵠沼ガーデンプールあとの、スケボー練習場なくなっていた。少年たちは道格とかで遊んでいた。さあ、あと一時半で江ノ島灯台だ。かつてここにかかる橋には、たくさんのおでん屋とか、ハマグリ、アサリ、サザエを買うおばさんがいて名物だった。私散歩は自転車でよく食べに来た。そして潮風に乗ってペダルを踏んで家に帰った。ただし観光客相手にはすこぶる高い。橋を渡ると突き当たりに有名な店がある。ボロモウケの店だ。私が行ったら店の主人は留守だった。サザエのつぼ焼き、イカの丸焼き。トーモロコシ焼き、ハマグリの潮焼き、この五点プラス飲料で、がっぽり稼ぐ。ハマグリは、ハマグリ的、浅利は浅利的、つぼ焼きは金正恩的、とほとんどが外国産。江ノ島でなんかほとんど獲れない。オーイ! バカ者いると聞いたら、トウモロコシを焼いていた若い衆が、スミマセン今日は組合の寄り合いでと言った。家から2時間半かけて歩いて来たから、早く来いと言ってくれと言った。江ノ島もコロナ対策で寄り合いが多いらしい。昨年は台風. 15号19号で完全にギブアップだった。階段を上がり、本殿に着いた。どうかみんながコロナになりませんようにと、手を合わせた。ここまですでに2時間余であった。それでも気分はよかった。水族館に行きたかったが、閉館中みたいだった。江ノ島でサザエのつぼ焼き二個と、ハマグリ的を一個食し、缶ビールを飲んだ。潮の香りがいいのと、しょう油の香りで大満足。本殿で200円おさいせん箱に入れた。私は神頼みはむかしから一切しない。人はいつもより少ない。もともとこれ位がフツーだったのだ。体中汗がビッシリだ。知人のワイナリーのオーナーに、ケータイから電話して頼んだ。実はあるはずのものがなくて、実にみっともないことがあったのだ。トウモロコシはいくつ粒々があんの、と先程の店の若い衆に聞いたら、えっ分かんないスッよと言った。じゃまた来るから今後まで、粒々数えておいてと頼んだ(笑)。それからゆっくりと3時間かけて歩いて帰った。サザエのつぼ焼きはいい香りであった。中味のなくなったサザエさんをよく洗って乾かしてブルーのカラースプレーで塗ることにする。きっといい置物になるはずだ。(文中敬称略)

IMAGE


2020年5月25日月曜日

第67話「私は反対」

私は「反対」である。私反対は早急に自粛要請を解除することに反対する。何故ならば“生命をとるか、経済をとるか”との二者択一の問題に、それは当然“人の命”だろうとなった。その道を選んだ以上、例え他国が解除したと言っても急いで真似することはない。私反対はすでにあらゆる場面を想定している。私反対などの業界が元に戻ることはない。ほぼアウトだと思っていた、英国のジョンソン首相が、本人の言う通り“もうダメ”だと思ったほど、新型コロナウイルスの感染力は強い。私反対がお世話になっているさまざまな会社や、お店は一大事となっている。年が明けわずか二、三ヶ月で世の中は一変してしまった。みんなこうなったら、腹を決めねばと思っている。私反対が、反対するのは国も都も、経済界や医師会も、専門家たちも信用できないからだ。現場でがんばってくれている、医師の方々や看護師さんや介護士さんには、心から感謝し尊敬をする。分母(検査数)を出さないで分子(感染者数)だけ発表しても、全く信用できない。100年に一度の世界的パンデミックだというのに、二、三ヶ月で解除して本当に大丈夫なのだろうか。昨日夜九時〜十時五分まで、NHKスペシャルを見たのだが、コロンビア大学教授の伊藤隆敏なんかの分析は、高校生でも話せる位の内容でしかない。NHKは政府の御用機関でもあるから、ゲストを選ぶ人間は都合のいい人でしかない。他に海外のノーベル賞経済学者とか、元アメリカの財務長官とか、700兆円のファンドマネーを動かす投資会社の人間が、コロナ以降の経済とか景気の話をしていたが、いずれも一部の富裕層とか、内部留保をしこたま持っている大企業が相手の話だ。日本の99.5%位は中・小・零細企業や、村や町や街の中のお店なのだ。これからは持続性のある経営をしなければ、などと言っているが、そんなことはできれば何の苦悩もないんだ。ブルジョア学者よと言いたい。今、そして短・中・長期をどうするのかを目線を下げて、ちゃんと学問的に話せよと言いたい。三菱総研だかの女性がいちばんマトモなことを言っていた。(楽観できないと)伊藤隆敏なんかは歴代内閣の相談役みたいのもやって来た学者で、日本を世界一の借金国にした。つまり持続的なことを政府に教えずに、時の政府のご都合主義に合わせて来たのだ。国民一人ひとりに850万円近い借金を背負せた人間の一人なのだ。お気軽論でボーとしてんじゃないよ! と言いたい。私反対にとっては若いスタッフの人は、人さまの子の命。それを授かっているのだから、何より命が最優先なのだ。NHKが新型コロナウイルスとは“何物”かもはっきり分かっていないのに。「ウィズコロナ」なんて言っている。ウィズするには、その相手が分かってないと、ウィズの仕方もファジーなのだ。例えが悪いが結婚しても一緒に暮らす相手をずっと知らずにいるようなものだ。世の中みんな、みんな、みんな苦悩し、泣いているんだから、もっと100年に一度に対する真剣さを見せてほしい。NHKには政府代表で西村康稔コロナ担当経済再生相が出演していたが、中学生レベルの話しかできないことに、泣けてしまった。都知事選にホリエモンこと堀江貴文が98%出馬か(?)と書いてあったが、出馬したら小池百合子はきっと勝てないだろう。何故なら。政界渡り鳥より、刑務所でクサイメシを食った人間の方に、無党派は一票を投じるだろう。私反対は“急いては事を仕損じる”の教えを守る。たとえ地獄になろうとも、人さまの子の命は守らねばならない。富裕層には預金供出令を。大企業には増税を。無駄な公共事業は中止、当然オリンピックも。国会議員は大幅に減員。そのお金を教育関係に。中・小・零細企業や、フリーター、いろんなお店には減税と、給付金をいち早く。私反対のところに政府のマスクも、給付金の申請書も来ない。が、固定資産税を納付せよはまたちゃんと来た。日本には感染学者の専門家は、白鴎大学の岡田晴恵教授しかいないのか(?) もう見飽きてしまった。100年に一度には、100年に一度に対応できる対制を願いたい。第二波、第三波はどんなことになるのだろうか、安倍内閣の支持率が27%台(毎日新聞調べ)になった。今からでも遅くない、最後の一仕事と思い、キャリア豊富な人間を結集してほしい。そして、もう少しはましな学者たちを呼んでほしい。少なくても大学生レベルの話ができる人だ。もっと在野から人材を集めてほしい。(色つきでない直言屋士)私反対は今月末まで、座敷牢生活をつづける。格言「教式で計れないのが感情だ」早朝まで今村昌平監督の「にっぽん昆虫記」を久々に見た。もの凄い作品だ。日本の女性は強くてたくましい。(文中敬称略)


2020年5月22日金曜日

第66話「私は解除」

私は「解除」である。私解除を国民全体が求めている。私解除は昨日やんごとなきことがあり東京へ出た。午後三時頃に新橋へ着いた。列車の中はガラガラであったが、新橋はもっとガラガラであった。運動不足気味だったので、知人と待ち合わせをしている溜池方面に歩いて行った。やけに寒かった。この時期では32年ぶりの寒さだとあとで知った。いつもいる人々がいない景色は不気味だ。富士山がなくなった静岡とか山梨県みたいだ。立ち食いそば屋さんは閉業中、フリスクを買うかと思えばキヨスクも閉業中、機関車広場も人はマバラマバラ。SL横の喫煙所にも人はいない。マクドナルドの店に並ぶ人はいない。いきなりステーキ店は、いきなり閉店状態。おっメンズショップの高久はと見ると、開店しているがお客がいない。不気味な気分で歩いて全日空ホテルのコーヒーラウンジに着くと、気のせいか照明が暗い。入り口に清毒液があった。いつもはかなり人が入っているのだが、私解除以外11人しかいない。私解除はソロソロ、アチコチ、アレコレ解除になって行くのだろうが、長い長いトンネルを抜けると、そこは、もっと長いトンネルだったとなることを予感した。他県から東京へ来ない、外国人も来ない。聞けばラウンジにいつもいた女性たちは、間引きされているとか。当然外人さんの姿はない。いつも打ち合わせ場所に使っている、老ジャーナリストの田原総一郎氏の新聞を広げている姿もない。外はやけに寒い。中はもっと寒い。私解除と会った右系知人は、安倍内閣を武装解除、解体するのがこの国にとっていちばん大切だと、着席してすぐに言い放った。すこぶる怒っていた。民主党政権時代を悪夢の時代と言ったが、今では悪夢より悪い安倍政権時代としてその名を残すだろう。オーイ誰かいないのと声をあげた。いつもならいそいそとオーダーをとりに来る女性が少ないからだ。こういう内閣が続くと大地震が来るような事になる。ヤバイよ日本中がガタガタ揺れているんだから。珍しく私解除はずっと聞き役であった。何故かと言えば、私解除もそう思っているからだ。内閣の内部内崩壊ではないだろうか。黒川検事長のマージャン賭博はもう言葉を失う。カジノと犬が趣味なんてよく分かんねえ奴だ。パクる(捕まえる)側のボスが、パクられることを新聞記者(この人たちは情報入手のためならなんでもする)とやっていたなんて、実は前からそんなことは、知っていたが、それが外にダダもれするという、内部からのリーク(密告)で、政権がグリップされていないことをさらけ出した。なにしろ警察庁出身の幹部が、官邸にいてあらゆる情報をつかんでいる。(この中の誰かの指途だろう)FBIとかCIAと同じだ。きっと訓告処分位で退職金一億円近くを手にするのだろう。海に向かってバカヤローと声を発するしかない。(今日四時半頃の海はブルーグレー、波打ち際には釣り人ひとり)私解除は甲子園中止に涙する。来年の箱根駅伝も中止かもしれないとか、オリンピックもかなり中止に近づいている。私解除は新型コロナにお願いしたい。どうか少年少年の夢をイジメないで、新たな生命の誕生をイジメないで、私解除たち弱き者。貧しき者をイジメないでと。そして老人たちをイジメないでと。昨日午後七時東京駅から湘南ライナーに乗ったが、おもしろそうな人も、おもしろくない人も、あまり乗っていなかった。東海道線内がおもしろくなる日は来るのだろうか。柿ピーとか、サキイカの臭いがなつかしい。家に帰り、ネットフリックスの海外人気ドラマシリーズの続きを見る。何しろ長い。「ハウス・オブ・カード 野望の階段」、私解除はつくづく思った。やっぱり最後に勝ち残るのは、女性の魔力、女性の野望だ。すがりつく男との関係なんて、いつもカンタンに解除する。物語りはアメリカのホワイトハウス内の権力闘争と、女性たちの性力だ。新型コロナウイルス級に女性は怖いと、思いつつ私解除は明け方まで見ていた。



2020年5月20日水曜日

第65話「私は満席」

私は「満席」である。私満席は各界の興行主さんとか、各業種の店主や支配人、お女将さんたちに大いによろこばれた。今日はお客さま様が満席でよかった。そうですねようござんしたねと、店の看板の灯りを消したり、のれんを外して店の中に入れながら、私満席をよろこんでくれた。店の主人やお女将さんがお店で働く人に、まあ、今日はおつかれさん、冷たいビールでもとなった。日本語の中で「満」という字は、かなり好ましく使われている。マージャンの役満とか満貫。自信満々とか組合運動で給料の交渉満額解答。桜の花が満開とか、刑期満了、定期積立満期。他に満々とある、嫌な使われ方と言えば“満員電車”位だ。今はどこもかしこも閉店が多い、店を開けていても、満席なんて夢のまた夢だ。これからはソーシャルディスタンスとかで、口角泡を飛ばして議論風発なんて許されない、またお客も好まないだろう。マスクをした者同士が、マスクを外しては飲み、またマスクをする。またマスクを外しては酒の肴を口にする。奇妙なシーンが新常態となる。あ〜嫌だ嫌だの世の中になるのだろうか。昨夜映画「白と黒」を見た。脚本が橋本忍、監督は堀川弘通である。主役は小林桂樹と仲代達矢。当時の名優たちの名がズラリズラリとクレジットに出る。お〜久しぶりみんないい役者さんばかりだった。でもみんな死んでしまったなあ〜と思った。おっ、まてよ一人生きているぞと映画を止めた。「大空真弓」さんだ。当時は東宝の新人だったのだ。私満席が十代の時にこの映画を見たのだから、大空真弓さんはもうかなりのお歳だろう(女性に年令は禁物)確か七度位癌の手術をしたはずだが、常に前向きで明るく、知的で強い女性だと、神楽坂の焼鳥店に通う先輩に聞いた。その店は“○△ちゃん”と言って、著名人、芸能人、文化人のお客さんでいつも満席であった。大空真弓さんも通客であった、壁にサインした色紙があったのを、憶えている。映画での役は仲代達矢演じる若手弁護士の恋人役だった。(とても美しかった)この弁護士には愛人がいた。昭和は愛人の時代だ。夫は老弁護士で、若手弁護士はその先生のところで働いていたのだ。ある夜ベッドを共にしたあと、話がもつれて首をしめてしまう。そしてその場から逃げる。キャーッ死体を見つける、(夫人宅の女中さん)ところがすぐに犯人逮捕となる。その夜殺人現場近くでドロボーが捕まったのだ。若手弁護士はビックリする。担当になった検事(小林桂樹)は自白をさせる。が、詳しく調べるとどうも犯人は別にいるのではと思う。ドロボーの弁護士になんと、若手弁護士の事務所の先生、つまり殺された女性の夫が受けることになる。さあ〜この先は松本清張的ワールドになる。それは黒い世界だ。昭和の時代は、私満席の世界でもあった。満席の飲み屋、満席の喫茶店。満席のパチンコやビアホール。出世がからむ検事は自白を強要している。もし若手弁護士が自分が調べたように真犯人だったら、検事としての地位はパーになる。アスファルトではない砂利道の先にある旅館。暗い路地、千駄ヶ谷駅、ギューギューの満員電車、社宅に文化住宅。カーラジオからファンキーな音楽、大金持の娘、その娘と結婚して名を成したい若手弁護士、出世が近い敏腕検事。事件の先の白と黒とは。私満席は松本清張的映画の大ファンである。故三島由紀夫は文壇の中で、いちばんジェラシーを感じていたのは、松本清張だったと何かで知った。映画は見てのお楽しみだが、令和の時代でも冤罪は生まれる可能性はある。浮気や不倫は事件を呼び、人生を崩壊させる。検察庁の人事の法案があったのでこの映画を選んだ。1963年製作テレビは白黒であった。私満席の家にも小さな白黒テレビがあった。何故か画面の前には緞帳みたいのがあった。メーカーはゼネラルテレビだったはずだ。(文中敬称略)
IMAGE