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2013年6月7日金曜日

「私の勝てない人」




「時間ですよ」という人気テレビ番組があった。
銭湯を営む夫婦と家族、そこに来る人々のドラマだ。
夫が船越英二、妻が森光子だった。全裸の女性が洗い場で体を洗うシーンが毎回あった。

勿論正面からは映さない。
番台に船越英二が座っていても決してノゾキや痴漢行為で警察に捕まったりはしない。
女性たちが何故銭湯の番台に座る男に全てを見せて平気なのか未だに分からない。
その逆に女性が番台に座っていても男は全く意識をしない。
番台の上には小さな座布団と小さな引き出しがあり、女性が髪を洗う時に余分に水を使う為、それを表す細長い木の板が置いてある。

スケベなお客は入浴代のお釣りをもらうふりをして番台の向こうの方をチラチラと見る。
風呂場には奧の方に必ず曇りガラスがあり、そこに円形の透き通るガラスの部分がある。私の後輩が銭湯の息子だったのでその訳を聞くと、風呂場でのぼせて倒れたり、滑って転んだりしていないかを時々見張るらしい。

三助さんという男がいてお金を払うと背中を流してくれる。
銭湯の側の飲み屋でその三助さんとよく会った。
おい、三助さんよいつもあのガラスから覗いてんだろというと、ヘイ仕事でやんすからなんて言っていた。三助さんが捕まる事はない。
女性の心理とは銭湯に於いては実に奥深く、実に開放的であり続ける。


私が敬愛してやまない一人の男がいる。
私にとって唯一無二、絶対的存在である。男の名を江頭250という。
深夜250分になるとその人間性の全てが豹変する事からその名がついたと誰かに聞いた。

芸人であるが何が芸風なのかは不明だ。
エガちゃんと呼ばれ愛され、嫌悪され、尊敬され(?)、一目も二目も置かれ、その実は出来れば側に寄らないでと思われている。

奇怪な体、奇怪な髪、奇怪な姿、上半身は裸であり、口からはツバが飛び散る。
人の群れを見るとその中にダイブしてしまう。
当然人々はキャーキャー、ヤメテ、キタナイ、サイテイとなる。

芸といえばこれが芸であり芸風でもある。
逃げ回る相手はどこまでも追い、倒れると馬乗り、押さえ込み男女構わずキスをしまくる。いかなる有名タレントでもお構いなしだ。そのエガチャンというか、エガさんが先日 

25日、タワーレコード新宿店でブリーフに手を通して肩まで引っ張り上げるネタ「ブリーフ重量挙げ」に挑戦した。ところがブリーフが破れ全裸となってしまった。
観客約300人、エガちゃんはそのまま当然の様に観客の中にダイブしてしまった。

その場がとうなったかはご想像していただきたい。
で、警視庁保安課と新宿署に「公然わいせつ容疑」で事情聴取をされたのであった。
私のエガちゃんは「お騒がせしてすみませんでした」と謝罪した。
「芸風は変わりますか」の質問には答えなかった。芸風といっても江頭250は存在そのものが芸風だから、本人も答え様がないのだ。

佐賀県出身47歳、もし入獄したら差し入れに行こうと思っている(?)私は途方も無いバカな奴が大好きなのです。「バカほどの芸」に勝てる奴はいないのです。




2013年6月6日木曜日

「机上の空論」




ヴィンセント・パターソンという振付&演出のカリスマがいる。
マイケル・ジャクソンやマドンナもヴィンセントの抜群のアイデアに力を得て、世界中を虜にしたPV(プロモーションビデオ)を生んだ。

シルク・ドゥ・ソレイユではエルビス・プレスリーをまるでサーカスの様に再現した。
名作、名品、名人の影には必ず振付けをつける人、影の人間がいる。

その社長の人物を知りたければ、その番頭を見ると分かる。
その親分を知りたければ、その若者頭を見ればいい。
その総理大臣の実態を知りたければその官邸を見るといい(といっても一般人は中に入れない)。


外国の大統領にはちゃんとした振付師がついていて立ち振舞から笑顔、泣き顔、怒髪天を突く顔まで振付ける。またその日のスーツ、ネクタイの色、ワイシャツとのコーディネイト、靴や靴下の色まで振付ける。

現在の総理大臣である安倍晋三は何故髪の毛が真黒か、歩く速さ、手を挙げるタイミングが何故いつも同じか。
演説の原稿には漢字の部分に全てフリガナがあり、ト書き(振付プラン)には、ここで前を向く、手を広げる、水を飲む、息をつぐ等々が書き込まれている。

株価を作り上げる振付師は日銀の黒田東彦総裁だがこのひとは一日中でも自らの理論をしゃべり続ける自信過剰人間、だがその麻薬的手法は大間違いである事が見えてきた。
経済学者等というのは会社を経営した事のない人間なので過酷な会社経営の戦場では全く使い物にならない。

始末の悪い振付師の集まりが有識者会議だ。
何十人も集まっているがしゃべるのはほんの少し、何もいわず日当をもらって帰るお粗末な人間ばかり。そもそも「有識者」なんて誰が決めたのかわからない。

もし自分が自分でオイラは、アタシャ有識者だなんて思っていたらオメデタイ度100%だ。講演のギャラを上げる肩書きと名誉が欲しい浅ましい者共だ。
アベノミクスはアベノリスクとなってきた。
アベクロミクスはアベクロミスとなり、官邸内では「何だいあの黒田のヤローでかい口叩きやがって、やってる事が全然アベコベミクスになってるじゃねーか」と大混乱。
罪のなすり合いをしているのではと予想される。

机上の空論という振付けほど国民を苦しめるものはない。
第二次世界大戦も机上の戦争では大勝利であったと伝えられている。
小さな会社の経営という四苦八苦を味わっている人間から見れば有識者なんか何人集まっても「へ」みたいなものだ。

私ならヴィンセント・パターソンを呼んで来て振付けを頼む。「マイケル・ジャクソンの今夜はビートイット」みたいにやって下さいとね。ちなみにCM業界で今いちばん稼いでいるのは振付師さんたちなのです。

2013年6月5日水曜日

「勝つことこそ価値」



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梅雨が雨を降らせる事をすっかりサボっていた、生温かい赤坂一ツ木通り。
夜九時二十分、会社の人間と打ち合わせが終わって店の外を二人で歩いていると、アチコチの店から人が溢れ出ている。

一体何事かと思えばサッカーの中継を、人、人、人が一杯飲みながら声援を送っているのであった。テレビ画面では00であった。こんな光景をずっと昔に見た。
テレビが未だ家庭に普及していなかったので街頭テレビや電気屋さんの前で見たのだ。

見たスポーツはプロレスだ。
力道山がシャープ兄弟やルーテーズやプリモ・カルネラやデストロイヤーやブルーノ・サンマルチノやボボ・ブラジルと血みどろになって戦う姿に人々は熱狂した。
プロレスの人気は今のサッカー人気の100倍か1000倍以上だった。
無敵の柔道王木村政彦と力道山の死闘は日本人同士でもあり国家的イベントとなった。空前絶後、無敵の木村政彦は力道山に空手チョップを浴びせられ、蹴りまくられ半死状態となった。わずか15分位であったが歴史的シーンでありそれはテレビ時代の幕開けだった。

我が家にはテレビはなかったので、電気屋の嫌味な親父や意地悪なババアに取り入りながら大人たちと見た。また近所の絵描きさん家に行って20人位で見せてもらった(見物料の代わりに庭でとれた柿やイチジクなんかを持って)。

プロレスのスポンサーは三菱電機であった。
試合前リングの上を風神とか雷神とかいう掃除機で掃除した。

私の住んでいた荻窪駅の北口マーケット裏の街頭テレビは満員電車の10倍位でぎっしりであった。未だカラーテレビではなかった。力道山は、人間発電所とか動くアルプスとか覆面の魔王とか鉄人を相手に61分(何故か60分でない)を闘いぬいた。
日本の興行界で今なお力道山を超える興行師はいない。

赤坂一ツ木通りは立ち飲みブームである。次から次に店がオープンしては閉店する。
外国のパブで飲む男たちはやけに格好良いのだが、日本人がワイングラスかなんかを小指を立てて飲んでいる姿は笑っちゃうくらい全然似合っていない。

家に帰りニュースで引き分けて抱き合う選手たちを見て複雑な気がした。
勝負に勝ってこそ価値がある。日本のサッカーが未だそのレベルなのだろう。
PKでやっとこさ一点入れてヤッタ、ヤッタでは天下はとれないだろう。
予選の試合なのに歴史的一戦なんて叫んでいるうちはダメだ。

プロ野球ではアメリカで使いものになれない外人がボカスカ打ちまくり。
日本を代表して大リーグに行ってボロカスだったのが、オールスター人気投票第一位(途中だが)という現状に愕然とする。

かつては有能なスポーツライターが実に良い文章を書いていた。
時に槍の様に鋭く、時に母親の胸の中の様に優しく、時にパトロールカーの様に警告を発していた。今や一人も気の利いた書き手はいない。ちなみに私の一番好きなスポーツであるボクシングでは引き分けで喜ぶ選手は一人もいない。

2013年6月4日火曜日

「出張無情」


※イメージ


何もそこまで速くなる事はないだろうと思う。
やがて新幹線で東京→名古屋をわずか40分程で行ってしまうとか。

今や青森だって、博多だって出張は日帰りになってしまった。
その土地その土地の風土や人柄や、名物名産を味わうこともなく、土地の美人を囲んでの酒席もない様だ。

新幹線の中で焼きちくわとスモークチーズとかをつまみに缶ビールとか缶チューハイ、缶ハイボールを飲んでグッタリ疲れ切った人、人、人が東京駅に帰ってくる。
中には鹿児島産さつま揚げをおみやげに買って来たのだがお腹が減ってしまったのか。
包装紙を開けて手を突っ込み、竹籠の上のさつま揚げを掴んで取り出し、口に運んでは胸に詰まって同僚に背中を叩かれたりしている。

かつて出張は仕事半分、余録半分みたいで「君、北海道に出張に行って来てくれ」とか「九州は博多へとか、京都へ」とか命令されるとハイ喜んでなんて事は決して顔に出さずとも心を踊らした筈だ。

京都といえば◎◯、札幌といえば□◎、博多といえば◎△、金沢といえば◯□、名古屋といえば□△、会いたいなあの女性、あの娘にもと思いをめぐらし、あんまり気が進まない風に一泊ですか、二泊ですかなんて返事をする。

ところが「アホ、今どき日帰りだ、朝イチで行って最終で帰って来い。次の日の朝イチの会議で報告しろ」なんて言われて意気消沈する。
チェッ!なんて気の利かない上司だ、自分はアッチコッチでいい思いしているくせに。
奴は鬼か蛇か無粋者めとなる。

世の中便利が過ぎると人間関係を悪化させ疲労を増長させる。
かつては遊びも仕事の内という良き風潮があった。
日本は極北から南は沖縄まで長い国、実に様々な風俗、民俗があり、多種多様の食文化がある。せっかく出張させたらそれに触れさせ、且つ学ばせ、更にその土地その土地の女性と語り合い、且つ深く知り合う事によって人間は幅広くなって行く。
将来の人間交渉力を育む事となる、学ばせよだ。

東北弁と一夜を共にし、ハシもあるでヨォーの名古屋弁と朝粥を食べ、はんなりとした京都弁でまたおこしやすなんていわれて朝の茶を一服二服し、もう会社辞めるわなんて言ったりする。九州の火の肌との触れ合いが冷めぬのをシャワーの冷水で治める。

また来てね、きっと待ってるごわすなんていう悪夢(?)を新幹線の混雑する自由席で見る。えっもしかして男だった、と。

お客さん、東京駅につきましたよなんて起こされて、あーあ夢か疲れた、あーあ明日朝イチで会議かい。やってられないな、マッタクとつぶやいてホームに立つ。
ゴミ箱の入り口から名物さつま揚げの包装紙が中に詰め込めず、くしゃくしゃになってはみ出ている。楕円形の竹籠が人に踏まれてぺしゃんこになっている。

2013年6月3日月曜日

「うーむとなった朝」





日本の映画界はそこそこお客が入っているという数字が出ている。
洋画にヒット作がないのも一因だろう。観客の数字と作品の質は正比例しない。

あえて作品名は記さないが興行収入100億とか、70億とか、50億 といった作品も誠にもって観るに耐えないものが多い。

昨今の映画作りは先ず資金を出す側が、劇画で売れていたか、本屋大賞をとっているか、直木賞をとって いるかが基準となる。あるいはミステリー大賞やベストセラーまたはそれに近い売上をあげている原作かだ。

早い話しが単純一次方程式の様なもので、例えば100万 部売れていればそれを買って読んでくれた人の◯△%は必ず見てくれるというものだ。
結局、親殺し子殺し、いじめ殺し、生徒殺し、皆殺しみたいな作品ばかりとなる。

かつての人殺し作品には文学的、哲学的、詩的なものが多かった。
文学とは言語による合法的殺人的行為でもあるのだから名作の類はほぼ人殺しが表現 される。私も殺しの作品を作っていた。人間の中には殺人願望が多いのだろう。

 原作もシナリオも読まない人たちによる映画が生まれている。
はじめに売れているネタか。後はそれに売れている監督をくっつける。
それをテレビ局に持ち込むと、売れているタレントや役者を当てるという寸法だ。
こんな安易な作品が出来 上がる。勿論殆どは目論見を外す事となる。

久々にカンヌ国際映画祭で是枝裕和監督の作品が審査委員長賞を受賞したのはうれしいニュースであった。ドキュメ ント畑で鍛えた感性が家族と向き合う作品に丹念に生きている。ドキュメントは限られた予算の中で粘り強い作り手だけが生き残る限界集落の様な世界だ(NHK以外は)。

日活ロマンポルノの世界から幾多の素晴らしい作り手が生まれたのはやはり低予算と限られたスケジュールの中で鍛えられたからだろう。
日本映画の中にも秀作は多い、が単館でしか上映出来ないからヒットは生まれない。
宣伝やPRもゼロに等しいからだ。

私もこれはと思う本(シナリオ)を知り合いの映画関係者に渡しているが相手のいないキャッチボールの様なもので投げてもその球はほぼ 行方不明となる。

土日に見逃していた日本映画を見た。
「のぼうの城」「悪の教典」「北のカナリア」だ。
いずれも原作が売れた作品であった。明け方に3本 見終わってうーむ、と言葉を失った。

よし今日は日曜だ、野球の試合だと、あと一本「終の信託」を見た。
周防正行監督は自分の妻であるバレリーナ、草刈民代 を丸裸にして作品を作った。
この奥さんはかなり露出好きなのか丸裸にされて写真に撮られる事をバンバンする。
きっと夫婦の芸術的刺激策なのかもしれない。 

見終わってからうーむ、なんだか、うーむ。なのであった。
そのまま起きていて小学5年生の孫の野球の応援に行った。
45でサヨナラ負けであったがこちらは大興奮、大感動であった。

私の見ている前でビデオを撮っているピッチャーで3番の選手のお母さんが大声援!打てるよ、打てるよ、勝ったら焼肉だよーと叫び続けた。カァーンと打球は左中間を抜いた、しかし打ったけど負けた。

さて焼肉に行ったのだろうか。 
2番を打つ孫は三打席一四死球、2三振一得点であった。
悔し涙を流していた。ドンマイ、ドンマイ次頑張ろうぜであった。
我が家はその夜ケンタッキーフライドチキンパーティーとなった。

2013年5月31日金曜日

「ピンポーン」




もしもし、ヒガシモトさんですかと電話があった。
誰というと中年の女性、お墓はもうご準備されてますか。
トウモトだよといったらスミマセンといってガチャン。

もしもしトウモトサブローさんのお宅ですか、そうだよなんだよといえば、若い女性が固定資産税12000円が未納になっております、お金ないから差し押さえてもいいよといったら、そんなご冗談をといった。

ピンポーン、ハイどちらさんですかと扉を開ければ中年のおじさん。
外から見るとだいぶ壁が傷んでいますね塗装をさせてもらえませんか。
あ、そうでも傷んだ壁もまた風情だからいいよと断る。

ハイ、もしもし。トウモトサブローさんのお宅ですか、ハイそうです。
若い男の声、茅ヶ崎で土地を探しているんですが今売る気はありませんか。
ないよお客さんが来てんだよ、でガチャン。

ピンポーン、ハイ誰といっても声なし。
扉を開けば38歳位の男と33歳位の女性、それと小学校45年位の男の子。
女性の手には印刷物が、聖書にご興味はという。無宗教ですといった。
男が私たちは「ものみの塔」ですといった。
この間も断ったの、イエスにはノーなの坊やゴメンネといって終わり。

もう一つもしもしがあった。
少し年がいった女性の声、こちらアフラックですが新しいがん保険のご案内です。
うちの奴ががん保険のセールスをやってるからと嘘をついてガッチャン。

そこでうちの奴、つまり愚妻の友人宅へ電話、いる、いるわよちょっと待って。
もしもし何、何じゃないんだよ、色々うるさくてしょうがないから帰って来い、お客さんも来てんだ、でガッチャン。休日一日中家にいると実に面倒な事となる。

相手にとって仕事といえば仕事だから仕方がない。
布教もお勤めなのだろうから仕方がないと寛容の精神でいるのだ。
変な応対をして逆恨みされたらイヤダから口の利き方を気をつけてといわれているからだ。

ピンポーン、水を持って来ました。
ピンポーン、お米を持って来ました。
ピンポーン、宅急便でーす。
ピンポーン、自治会費をよろしくと。

チクショウ早く帰って来いってんだ。
で相談に来た知人の息子さんとの話を進める。
とぎれとぎれで話がわかんなくなってしまった。
えーっとそうか子どもがセブンイレブンで万引きして警察にいるんだっけ、引き取りに行った時どうしたらいいかだった。絶対手をあげたらだめよまで話たんだ。

プルルル、プルルル、ル。と気の抜けたラッパの音が聞こえた。
そうか休日はお豆腐屋さんが売りに来るのだ。
ごめん、豆腐と油揚げ買って来るわ、ちょっと待っててとなった。
アイツおっせいなマッタクと舌打ちしながら。

2013年5月30日木曜日

「熱い仲」




熱々のカレーうどんを食す時、気の利いた店は白い紙のよだれかけみたいなのを出してくれるが、その店は気が利いていなかった。
その日私が見たカレーうどんの惨劇は相当に面白かった。

カレーうどんは店によって太さが違う。
ぶっ太いものからやや細いものまでいろいろある。
その太さは法律で決まっていない。

私の斜め前の男と女性、きっと会社の同僚だろうか。
メゴチ天ざるそばを頼んだ私は仲良く話す二人をまあいいじゃんと見ていた。

27歳、女性23歳位だろうか。男はカレーうどんを頼んでいた様だ。
ハイおまちといった調子で男の店員がカレーうどんを出した。
見るからにグツグツ、熱々、うどんはぶっ太い風であった。男はお先にといってカレーうどんに少々七味唐辛子をふった。


その時、おまちと女性に玉子とじそばがきた。
男は白いワイシャツ、女性は薄いグリーンのブラウスであった。
カレーうどんは入れ物一杯に入っている場合が多い。それ故第一回目のうどん持ち上げの量と熱々度の計測にしくじると惨劇が起きるのだ。

男は割り箸にぶっ太いのを6本位掴んで口に入れた。
アヂ、アヂ、アヂーとぶっ太いうどんを入れ物の中に落としてしまった。
物理的現象として黄色い熱いしぶきが飛び散った。

まず自分の胸に、アッチー!でワイシャツに黄色いシミがついた。
時を同じく対面の人、そうです目の前の女性の顎の下部分とブラウス上部にしぶきが飛んだのだ。キャー、アッツイ、アッツイと叫んで女性は立ち上がった。

そのついでにコップが倒れ水がチャコールグレーのスカートにかかった。
アッ、イヤダーとなった。男はゴメンゴメンといいながらハンカチを出した。
女性は泣き顔になった。取れない、絶対カレーのシミ取れないといった。あんまり美人でなかったがその仕草が可愛かった。玉子とじの中に二本の割り箸が刺さっていた。

ヘイ、おまちと私の頼んだメゴチ天そばが来た。
店員は惨劇を見慣れている様子だった。カレーうどんを頼んだ時はくれぐれも用意周到にしなければならない。なるべくなら女性と一緒の時はやめた方がいい。
カレーうどんは仲良くしている二人を一瞬にして引き裂く凶器になる。

“人類は麺類だ”なんて凄い広告のコピーがあった。かくいう私は相当の面食いなのだ(?)。カレーうどんをすする時は一人孤独を味わいながら小一時間かけてすする。アッチーじゃねえか、大人しくしろこのうどんめといいながら。

2013年5月29日水曜日

「貴重な経験談」




「こりごりな人」が記事にあった。
何にこりごりかといえば、バブルにだ。

元□△書房編集局長はかつて営業マンのいわれるままに、小豆の先物取引や金、不動産、ギャンブルまみれ。ただただお金を増やす事が快感だった。
減れば気分が落ち込んだ。

金相場が暴騰しますといわれただけですっかり儲かった気分。
行きつけのスナックのママにカウンター新しくしてあげるなんて約束しちゃう。
おとなしい性格が変わってしまう。銀行が貸してくれるから不動産を買ってしまう。
都心のマンションを買いまくり、すぐ倍になるからと借金なんて軽いもんだと郊外の栗林まで買ってしまった。

結局不動産は半値以下に、金は大暴落、銀行に三億円の借金。
最後は競馬で大勝負しようと考えた。正しい思考ができなくなってしまった。
ひとりで抱え込んで孤独な毎日。どうやら前の奥さんに内緒にしていた様だ。

現在の奥さんに「お金取って取られて何がおもしろいの」って怒られて目が覚めたとか。銀行と話し合って借金の一部はチャラに。今は残った四千万円位をちょぼちょぼ返済中。

このところの株の乱高下みたいな日々はもう嫌だ。
持ちつけないお金を持ったって、銀座で連日豪遊して体を壊して、女の人とややっこしい事になってロクなもんじゃない。
今は三年前の服を着て、ご飯は家で食べる。おおよそこんな内容であった。


さて、まさか株でひと儲けとか、金相場でふた儲けとか、不動産でどっさり儲けとか考えていませんよね。お金は額に汗水たらして手にしなければいけません。
見栄は一度張ったら張り続けなければなりません。虚飾は終わりになるまで飾り続けねばなりません。

元編集局長のお言葉には、お金があれば高額医療で命も買える時代です。
でも僕はお金にこだわらず生きたいと思っています。
お金がいっぱいあれば人間的に成長すると言うもんでもないですし、逆にお金に執着すると人間が下品になるんですね。
どうしたって人と仲良くするより、蹴落として自分が儲けようという発想になる。
これは人間としての罪です。罪を犯せば不幸になる。
僕は身を持って経験しましたからとありました。

近々出版予定の本があるそうだ。
本の題名は「自殺」でした(誰も買わない気がします)。528日ある新聞より。

2013年5月28日火曜日

「武士の首」

桐野利秋



すぐ隣にニンニク臭い息を吐く人がいても大丈夫。
また、オナラを一発二発されても全然大丈夫。塩豆、バタピー、柿ピー、さきイカ、サラミも何とか我慢出来る。が、どうしても我慢出来ない臭いが香水のかけすぎの男です。

東京駅発下り、小田原行き湘南ライナー、二十二時三十分発であった。
夕刊2紙を100円で買って乗り込んだ。列車の中は殆ど満席であった。
すでにアルコールの臭いや仕事疲れの汗や体臭でムンムンしていた。
また、蒸し暑かった。

列車の中間位に一つ座席が空いていた。
窓際には35歳位のヒゲの濃い神経質そうな男、盛んにパソコンを打ち込んでいた。
オッ、空いてて良かった。オッ、セコムしてますかじゃない、パソコンしてますかなんてお気軽気分で座った。


さあ、夕刊でも読むかと思った時、強烈なオーデコロンの香りが一気に私に襲いかかり包み込まれてしまった。
シマッタ、パソコンを打ち込む男の目は死んだ魚の様に白濁していた。
無論輝きはない。パソコンの画面にはグラフがあった。

オーデコロンの香りというか異臭はすでに私の鼻の穴から遠慮容赦なしに入り込んで来た。新橋—品川で私はクラクラ状態となった。

席を移りたいが空きはない。
夕刊を読んではいるのだが、内容まで読み込む集中力はない。
全身の神経が鼻の入り口にある。

川崎辺りで頭が虚ろになり、横浜につくと全身が拒否反応を示しだした。何の香水ですかなんて声をかける余裕はない。男はパソコンを打ち込み続ける。
次の戸塚までに完全にグロッキーとなった。
残る駅は大船、藤沢、辻堂だ。

後二十分余、ガンバレ、ガンバレと我が身、我が鼻を励ますのであった。
戸塚で最終的限界を感じた。
いっそハンカチで鼻を隠すかと思ったがそれも失礼だなと妙に紳士になった。
列車の中場違いな様に日本語の後に英語のアナウンス。
ネクストオオフナステーションなんちゃって。きっと男は小田原まで行くのだろうと思った。

列車は大船駅に着いた。男は降りる気配はない。
ホームから発車のベルの音、男は窓の外を見ると、バタッとパソコンを閉じ、足の下に置いてあった茶色の革のトートバックを掴み、スミマセンと言って私の足をまたぎ、ダァーっと出口に向かって行った。

私はふぅーと大きく息を吸った。
空いた席に男の形をしたオーデコロンの香りが見えた。
私も朝シャワーを浴びた後、微香性のものを少しかける。

佐賀の武士道が生んだ「葉隠」の精神は、武士たる者は一日一死、朝起きたら身を清め、毎日洗った物を身につけよと教える。死んだ時みっともない事は駄目だという心得だ。


日本国最後の内戦、西南戦争の時、人斬り半次郎といって怖れられた薩摩軍の指揮官桐野利秋は敬愛する西郷隆盛と共に戦い敗れ首を落とした。
その桐野利秋の首からオーデコロンのいい香りがしたと伝えられている。
それ以後武士たちは桐野利秋に倣ったといわれる。

私はこの話をずっと心に置き続けている。
桐野利秋のつけていたオーデコロンは後輩の辺見十郎太が留学先で買い求めて帰ったお土産だったという。武士道は死ぬ事とみつけたり(葉隠)。

2013年5月27日月曜日

「カイロかな」

垣添徹著 美しい黒星



何年か前あるドキュメントフィルムを見た。
東北新幹線が開通し、上野駅は通過駅となった事に対して上野駅に思いを込める人々を紹介するものだった。

「ああ上野駅」今は亡き井沢八郎の高い声が流れる。
♪どこかに故郷の香を載せて入る列車の…上野は俺らの心の駅だ〜。

上野駅に入る列車を懐かしむ初老の男、彼はかつて集団就職で上京した。
中学を出ただけの彼は苦労に苦労を重ね遂に上場企業の社長となった。
辛い時、苦しい時、逃げ出したい時、何度も上野駅に来たという。

北島三郎の歌に「帰ろうかな」という曲がある。
確か永六輔作詞、中村八大作曲。世に言われた、六八コンビの名曲だ。
♪淋しくて言うんじゃないが 帰ろかな帰ろかな 故郷のおふくろ便りじゃ元気 だけど気になるやっぱり親子 帰ろかな帰るのよそうかな〜と。

故郷を離れて東京に出てきた人間は錦を飾って変えるまではと思いつつも何度も帰ろかな、帰るのよそうかなを繰り返す。

ある詩人は言った。「故郷とは、帰れない処なんだよ」と。
このところ大相撲の力士と共にする事がある。 
61日の断髪式でハサミを入れる。元小結であった。
最後は幕下22敗目であった。

幼い子二人に勝つ姿を見せたかったと土俵に上がったが七戦全敗であった。
最後の土俵で敗れた父親に対し幼い男の子と妹、そして妻は大声でガンバレ、ガンバレと声援を送った。

私がお世話になっている広告代理店の社長は山形から出て来て立派に会社を成長させた。今どきどこにもいない情の深いロマンチストだ。
二人でこの力士親子の話を一冊の本にして残そうと考え、形にするお手伝いをした。

本の企画、カバーデザインのディレクション、本の題名、腰巻のコピーを書いた。
友人の須田諭氏が構成をしてくれた。後輩のデザイナー三宅宇太郎君が期待に応えいい装丁が出来た。

524日夜、三人で小さな博多ホルモンの店に行って鍋を囲みささやかな出版祝いをした。朝から何も食べていなかったのでゴボウやキャベツやニラやネギがみそ味と共に独特のいい味を生んで旨かった。子どもの様に一気に食べてしまった。
力士ならちゃんこ鍋だ。

人間辛抱だと言ったのは土俵の鬼と言われた初代若乃花だ。
相撲は十五日間全部勝てば全勝。現在の最強横綱白鵬が最も多く10回。
何はともあれ力士は8勝7敗を目指す。
つまり勝ち越しだ。人生も同じ全勝はない。勝った負けたの繰り返し。
終わってみたら8勝7敗、一つの勝ち越しなら最高の人生だ。
 「自分を褒めてやれるのは自分でしかない」という。

今場所大獄(おおたけ)部屋の幕下力士、大砂嵐金太郎というエジプト出身の力士が7戦全勝で来場所遂にアフリカ大陸初の関取(十両)となる事が確実となった。カイロでは親兄弟がブラウン管テレビの前で大声援を送っていた。大破嵐は横綱になりたい。
それまでカイロにはカイロとは思わないと心に決めている。