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2018年5月31日木曜日

「ある達成感」

三日振りに帰宅した。現在5月31日午前3時47分08秒。都心から約1時間とある街のとある会社のとある物件の撮影をしてきた。プロフェッショナルの見本ような高潔なカメラマン。信頼するアートディレクター。目を輝かせてがんばってくれた期待の新人。冷静にしてセンスあふれるスタイリスト。初日はベテラン、二日目は新人のメイクアップアーティスト。やはり持つべきものは兄弟分と、そのスタッフ外人男女と飛び切り美しい11歳の外人少女をキャスティングしてくれてよかった。そしてあと一人、少女の付き人。久々に出会った天才的相手がとある会社の担当部長。早朝から夜11時まで撮って、撮って、撮りまくった。昨日は昼にこの次の日本を背負って立つのはこの人と、思う人のパーティーがあり途中中抜けして東京のホテルへ。そしてすぐに撮影地に戻った。私のような何の学歴もない者にとって、出来ることといえば、人の二倍も、三倍も、何倍も一生懸命働くことしかない。仕事を出してくれた人に全力で期待に応えるしかない。プロはプロの仕事をして当たり前。それ以上の仕事を目指してやり遂げる。私たち芸人は、お客さんに喜んでもらってこそ生きる糧を得ることができる。どんな世界でも同じで、生死を賭けてこそ成果が出る。あ〜めんどくせえとか、あ〜やってられねえとか、ブータレてる人間は芸を売ることはできない。学校を終えて付き人と共に東京から撮影地に来てくれた11歳の外人少女モデルはプロ意識に溢れていた。疲れているはずであったが、実に毅然としていて誇り高く、堂々と約束の2時間半を演じてくれた。その姿勢に学ぶこと大であった。11時14分の最終電車に乗るために私と兄弟分、期待の新人三人で雨の中駅に向かった。無線でタクシーを呼んだが、車がありませんという事だった。他の人達は後始末、掃除を済まして車で帰る。それではオツカレさんアリガトウ、ホントにアリガトウと言って雨に濡れた。何か達成感があり雨が気持ちよかった。私の右手には数キロはあるであろう、ゴッソリと資料の入ったパンパンのトートバッグが雨に濡れてさらに重くなっていた。 首も肩も、腰も足もパンパンになっていたが、これは一生懸命働いた証だ。朝から三枚の卵サンドのみ。何故かやたらに焼肉が食べたくなっていた。そして午前一時頃やっとこさ赤坂の焼肉店へ。お客さんは私たち三人のみ、店内のテレビには韓国のドラマが放映されていた。人生とは新しいことを求めてビビンバ(かきまぜる)なのだ。成功はその先にある。キムチが腹にキムチよかった。で、午前2時赤坂を後にした。


アイディアとは何のためにあるか、それはただ一つ、出すためにある。直感と直感を徹底的にかき混ぜることにある。納豆は右回りで50回、左回りで50回かき混ぜると、絶好の味になるという。ネバーギブアップだ。

2018年5月28日月曜日

「パターソンはいい男だ」

2017年度キネマ旬報ベストテンの内、3本見てない外国映画の一本を昨日深夜に見た。No.1が「わたしはダニエルブレイク」で、No.2が「パターソン」。その「パターソン」を見た。 アメリカ映画は時々、ハリウッド離れしたかのような上質な短編映画のようないい作品を生む。「パリテキサス」とか「 バクダットカフェ」とか「ランブルフィッシュ」とか「 ストレンジャー・ザ・パラダイス」などであり、私は大好きである。パーシー・アドロン、ムベンダース・ジム・ジャームッシュ監督だ。F・コッポラは大作もいいが 、小作品はとてもgoodだ。さて「パターソン」だがいかにもジム・ジャームッシュである。主なる登場人物は、アメリカのとある小さな町(パターソン)に住むパターソンという名のバスの運転手(35歳位)その恋人(あるいは妻)インテリアデザイナーを家で営んでいる。それと名演技のブルドッグ。仕事から帰った後、犬を散歩させる途中一杯のビールをジョッキで飲む、カウンターバーのマスター(黒人)その店に来るお客さん。勤務する会社の男一人。10歳くらいの双子の女の子(詩を書く)。月曜日の朝6時10分から次の曜日の朝までの一週間の出来事。と言っても毎日同じような日が静かに続く。小さな家。小さなベッドに男と女。それを見守るブルドッグ。朝食はミルクとコーンフレーク(みたい)昼食はサンドウィッチ、作ってくれたものを小さなブリキの工具箱のような弁当箱に入れて出勤する。朝6時10分腕時計を見て起きる。眠っている女性にそっとキスをしてベッド離れる。まい日同じだ。傾いた郵便ポストはモスグリーン。家の中の壁の色はプルシャンブルー。電気スタンドからこぼれる赤い灯。粒子が見えるような映像、うす暗いバー。 赤い服、ピンクの服の女性。ジャジーな音楽。ジム・ジャームッシュのフォトグラフィックの映像が実にいい。毎日同じようだが一つ違いというか、習慣がある。 それはバスの運転手の主人公が、詩を書くことだ。運転台で休んでいる時、家に帰って小さな机で。恋人あるいは妻は、いい詩だからコピーをとって出版社に持って行けばと言う。白地に黒いドット柄のカーテンを作る女。サンドウィッチと、大きなチーズケーキを焼く。映画は本をめくるように進む。今は僕は気に入ったマッチ箱がある。 小さなブルーの箱。イヤホンのように書かれた文字、、ブルーマッチの中にはマッチ棒、僕が煙草なら彼女はマッチの火。 あるいはその逆かも知れない。そんな詩をまい日書くのである。詩を書く少女はノオトにこう書いていた。宙(そら)から水が落ちてくる。長い髪のように少女の肩に落ちてくる。それを雨と呼ぶことにした。そんなを運転手の男に読んであげる。 いい詩だねという男。 映画は月曜日の朝を迎えて静かに終わる。静かなジャズのような映画であった。ピアノは似合わない。トランペットもギターも、ドラムはいらない。そう、クラリネットか、アルトサックスのソロだけがいい。だが映画はそれさえも拒否するように、ステキな音楽が静かにうすく、うすく流れていた。 イライラ、ムカムカ、ガタガタのまい日を送っている身に、何より安定剤となった。パターソンはいいだ。

2018年5月25日金曜日

「大船軒が大船駅ホームから消えていた」

時間がある時は、わざわざ列車から降りて隣のホームに渡った。大船駅ホームの階段下にあった立食いそば「大船軒」に行くために。私はアチコチ旅先のホームで立食いそばをすするのが好きだった。その中で大船軒のかき揚げそばはNO.1であった。スープの味が絶妙であった。カツオ節のだしとしょうゆの濃さが、愛し合う男女のように合体していてひと口すするともう離れられなくなる。かき揚げがいい味で、それがスープに合体しはじめるとさらに離れがたき関係となる。立食いそばの平均すすり時間は約3分位というが、私は10分くらいかけていた。昨夜その大船軒が閉店していたことを知った。この頃行ってなかったからだ。サッパリしょうゆ味のラーメンも旨かった。チャーシュウ一枚に太めのシナチクがちりちりのメンと実に素朴に出会っていた。少年と少女の淡い恋のように。小皿に小さなおいなりさんも旨かった。列車に急いで乗り込む前に一気に食べている人を見るのが楽しかった。一気にすすってアチアチと目から涙を流す男、かき揚げに生玉子とコロッケをのせて、箸でそれをガツガツに崩してメンと混合させ、左手においなりさんを持ちながら、あっという間に食べ切って、水をガバッと飲んで列車に向かって乗り遅れた男。カレーうどんをあわててすすってアチ、カレ、ヤバッとうどんを椀の中に落として白いTシャツに黄色いカレーが飛びついた男。白いTシャツにスマイルマークみたいになっていた。立食いそばに会話はない。時間もない。がルールがある。どんなに混んでいても決して割り込むことはない。日本人はちゃんと並ぶ国民である。大船軒から「軒」を抜いたら「大船」だけになってしまった。大船と言えば「小鯛の押し寿司弁当」と「鯵の押し寿司弁当」が有名であり、駅弁通の故渡辺文雄(東大出の俳優さん)は、この二種の弁当を全国一か、二か、三だと何かに書いていた。この駅弁を売っているのがやはり大船軒という名の駅弁ショップである。私は小田原駅で買う、東華軒の「デラックスこゆるぎ」という釜メシ風、竹の輪の中に入ったのが大好きであり、岡山駅の「下津井弁当」がNO.1に近いと思っている。岡山の駅弁は種類の多さと内容の多さにおいて日本一だと思っている。ロンドンオリンピックの年に突然ホタテ貝アレルギーになって以来、横浜名物崎陽軒のシウマイ弁当が遠い関係となった。何故ならば崎陽軒のシュウマイの売りはホタテがしっかり入っているのがポイントだからだ。冷たく小さなシュウマイに楊枝を刺し、小さな袋に入ったカラシをつけて、ヒョウタン形の小さな入れ物に入ったしょうゆをつけて食す。これだけでザ・横浜気分となる。NO.1という人も多い。あったものがなくなるのは淋しい。食べれたものが食べれなくなるのは、つらくて悲しい。ほんの3分の停車時間にかつてそこにあった大船軒の過去を思い出した。列車はガタンと動き出した。人は過去という名の駅から降りて来る。そんなフレーズの歌を思い出した。確か奥村チヨが唄っていた。その奥村チヨも先日引退を表明した。男と女の間をさまよっていたピーターが、これからは池畑慎之介で生きていくと表明した。そんなことを思い出した。列車は藤沢駅に着いた。ガンバレ人生。たった一度しかない。まい日板にへばりついたカマボコのように机にへばりつき、パソコンにへばりついていないだろうか。休む時は休んで駅弁を食べる旅に出よう。休みはよく働いた人にのみ楽しむことができる。だから私も働く。現在午前一時三十分四十六秒。テレビでは「世紀の凡戦ゲーム実況」という番組をやっている。


2018年5月24日木曜日

「雨音を聞きながら」

大、大的に宣伝をした「孤狼の血」が不入りだと言うので、先日それを確かめに丸の内東映に観に行った。午後一時三十分の回であった。現在ピカイチの活躍をしている「白石和彌」監督の作品だからだ。「狂悪」「牝猫」「彼女がまだ名前を知らない鳥たち」いずれも意欲的であり、強烈な個性を発揮していた。「孤狼の血」は深作欣二監督の名作「仁義なき戦い」を意識したのか、あるいはしすぎたのか。デンゼルワシントン主役でアカデミー賞を受賞した「トレーニングデー」の影響がありすぎていた。又、故今村昌平監督の上映時ナンバーワンになった名作「豚と軍艦」の影響もありすぎていた。ダイワハウスのCMで人工知能AIは、愛だとウエスタン調にハミングしていた名優役所広司がいくら気張っても、目がやさしすぎて超ワル刑事に見えない。(本人がいい人すぎるからだろう)CMでビールを飲んで、ウマイ!なんて言っている江口洋介がいくらスゴンでもヤクザ者の目にはなれない。あなたは本当は狭いところが好き。なんて言うハウジングの CM に出ている、竹野内豊が思い切りスゴンでもヤクザ者の目になれない。二人とも対立する組の若頭役だがミスキャストと言っていいだろう。石橋蓮司の親分役はいつもの芝居の域を出ていない。広島弁が「仁義なき戦い」のように、イキイキとしてない。タドタドシイのだ。CMのイメージはやはり強い。

「仁義なき戦い」のリアリティはやはり脚本がいい。 主役からセリフのない若い衆まで一人一人が深作欣二監督のとてつもないしつこい演出で躍動する。人間の持つズルさを徹底的に追求した。そして人間の持つ弱さを表現した。残念ながら、「孤狼の血」には主題が見えなかった。何かみんなマネッコしていた。「トレーニングデー」のデンゼルワシントンと新入りの刑事の間には、哲学的、文学的言葉が激しく飛んでいた。超ワルの上を行くウルトラ超ワルの恐怖があった。で、私は「トレーニングデー」をレンタルして来て見直した。白石和彌監督の次作に期待する。俳優さんたちには心からおつかれさまでしたと言う。本物のヤクザは CM に出まくっていてはまず演じられない。大スター小林旭は「仁義なき戦い」で最高の存在感だった。千葉真一が特筆もの。二人は 当時CM に出ていなかった。昨日朝早く神田のあるエージェントに入って版権の難問に取り組み、次につくばエクスプレスに乗って、ロケハンを五時から八時過ぎまで、カメラマン、アートディレクター、スタイリストのヒトたちと。腹ペコになったが外人さんのオーディションをするために恵比寿へ。長髪がシンボルのスタイリストとモデルさんの寸法を計る。フランス人の男性と女性。雨がシトシト降っていた。十一時頃の恵比寿は酔客でいっぱいだった。電車に乗るとトイメン(目の前)の男が夕刊紙を広げていた。そこには「哀しみのコンチェルト」秋元順子、五月九日発売。「別れの港」佐々木新一、五月二十三日発売。「ぼたん雪」西方裕之、五月二十三日発売。「日豊本線」池田輝郎、五月二十三日発売。「よされ恋唄」なでしこ姉妹、五月二十三日発売。こんな広告ががあった。売れたらいいなと思った。レコードの裏面表記もあったが、省略する。午前一時少し前辻堂は雨が激しくなっていた。哀しみのコンチェルトな気分となっていた。このブログを書き終わったのは午前二時四十二分十一秒。 NHK テレビでは"あの日、あのとき、あの番組"という番組をやっていた。「孤狼の血」の関係者にご無礼があったらお許しを願いたい。どこまでも私見である。最高におもしろかったという人も多くいることを加筆する。未だ観てない人はぜひ観てください。そして映画談義をしましょう。酒代は私が持ちます。(文中敬称略)

2018年5月21日月曜日

「滅亡と必死」

先日名古屋に行った。現在手掛けているプロジェクトの建築現場を見に行くことと、 大きな屋外広告を制作したので、それが掲出されている金山駅へ見に行った。 ウェブデザイナーのパートナーと共に。"名古屋は独立国" と言うが、行くたびに本当にそうだなと思う。街は活気があり若者たちが多い。東京の若者たちと違って、皆大きな声で話し合い、大声で笑う。街行く人々は上を向いて歩いている。スマホばかり見ている東京では見かけない元気な姿がある。建築家黒川紀章氏(故人)の弟さんが設計したと言う、モード学園の巨大なネジのような変形体 のビルも違和感がない。人口230万人以上の大都会の繁栄を支えているのは、トヨタである。何しろトヨタ一社で売上高29兆円以上を越す。国家予算の三分の一近くを、トヨタは売上げる。一円でも円高になると繁華街のお客は減ると言う。名古屋では、地場産業と一族経営の会社が多い。東京の一族経営と違って結束力が抜群に強く、代々家訓を守り続ける。


何が会社を繁栄させ、何が滅ぼすかを徹底的に学んで来た。100年200年、300年、400年と。京都もある意味、”特別国”である。何しろ御所があり、天皇家の歴史がある。日々"カイゼン"をしないでいると、代々続く老舗も、大なる会社も、小なる会社も必然的に滅亡する。ダイエー、西武、シャープ、サンヨー、ソニー、PARCO、日産、三菱自動車などいくらでもあり、気がつけば外資系になっている。「一人一国」の気構えがあれば他人に占拠されることはない。学べ、学べ、学べと私は言う。酒に学び、女性に学び、芸術に学び、食に学ぶ。その上で、人間に学ぶ。そして遊べ、遊べと言う。

名古屋で私は今たくさん学ばしてもらっている。信長、秀吉、家康を生んだ必然が見えてくる。中国の教えに、「成功の下に久しく居るべからず」というのがある。一度成功したのがずっと続くことはないぞ、だから常に危機感を持って次に備えねばならない。29兆円のトヨタの社長会見に笑顔はなく、これから更に「カイゼン」を進めなければならないと言った。むかし銭湯で飲む定番のコーヒー牛乳は、「名糖牛乳」であった。そうです名古屋だったのです。一生に一度しかない人生を切り拓くために。四苦八苦して行くことがあることほど有り難いことはない。必死に生きるとは、必ず死ぬから悔いを残すなということだと私は思っている。売り上げ29兆円の会社も、売り上げ10万円の会社も社長は一人だ。

2018年5月18日金曜日

「新しいヒロイン像」

大事件が起きると警察にまず最初に疑われるのが、第一発見者。次に身内や親類縁者、その次が出入りの人たち。宅急便や郵便配達の人。その次が隣人、周辺の人。その次が元警察官やガードマンさんたち。これは知人だった元刑事に聞いた嫌な話。刑事たちは猟犬のように追い回す。連休中に見た映画、「エルELLE」を昨日思い出した。新潟で起きたあまりに酷い事件の犯人逮捕をニュースで知ってからだ。その映画の主人公はゲーム会社の女社長。日々スタッフと超エログロなゲームソフトを開発している。つくり出すアニメーションは異常なレイプものが多い。
過激なシーンが生み出されると、スタッフ一同が歓声をあげて、拍手また拍手、ヤッホーとばかりパーティで盛り上がる。この女社長を演じるのが、フランスの名女優イザベル・ユベール。映画は官能的サイコスリラーとしてカテゴライズされている。アラフォーになっているであろうこの女社長が、仕事を終えて、夜帰宅すると、突然窓を破って侵入して来た黒い覆面の男に殴られまくってレイプされる。自分の会社で開発したゲームソフトのように。女社長は一人住まい、別居中(?)の男がいる。友人たちと会食しながらレイプされたと言う。が決して警察には訴えない。自分の手でレイプ魔を捕まえたいからだ。そして又、レイプされる夜が来る。犯人は殴りまくらないと欲情しない。バチンバチンのボッコボコ。服や下着は破られる。顔面からは赤い血が、それでも警察には訴えず、平然と出社して、さらに異常なレイプゲームを開発しつづける。そして又、黒い覆面の男が現れる。さあ~どうぞ好き勝手にという態度を見せると、犯人の男は殴らないと犯せないと言う。とその時女社長は猛然と犯人に襲いかかる。たじろぐ犯人の男が分かる。それは、目の前に住むよくパーティなどで出会う、三十代位の男だった。監督は「氷の微笑」のポール・ヴァーホーヴェン。このエグい表現をする監督は、フランスのブルジョワ的スノビズムと背徳性や偽善を洗練されたタッチで表現する。犯人以上に異常な驚くべきゲーム会社の女社長。悪女映画の歴史を塗りかえるヒロイン像である。
何度も言うが、男は絶対に女性にはかなわない。


2018年5月17日木曜日

「チャップリンは」

「マヒ」している。と言っても和田弘とマヒナスターズの歌を聴いている訳ではない。漢字で書くと「麻痺」である。近所の子を殺す。自分の妹の子を殺す。当たり前のように他人を殺す。七十一歳の菅主が女性問題でいわば破門にされる。日大のフットボールでは、信じられない殺人タックル。世界各国ではテロリストによる殺人の連鎖。トランプ大統領によるイスラエル大使館移転問題は、政治的、地政学的殺人行為。混乱と殺人は終わらない。我が日本国は、野党が死にもの狂いでない。つまり必死でない。嘘八百の人間を追い込むには、決定的証拠が絶対要素だ。将棋的には、完全に「王」は詰んでいるのに。ホンボシ(真犯人)を追う刑事のような執念がなければならない。でかいオデキを治すには、膿だけ出してもダメ。オデキの芯を出さねばならない。さてその芯とは(?)。

現代人は、人が死のうが生きようが、どんな殺され方をしようが、テレビを見ながらパソコンやアイフォンやアイパッドなどを見ながら、ハンバーガーを食べ、ラーメンをすすり込み、コーヒーにケーキを楽しみ、とんかつやアジフライを食べている。ゲーム世代に育った人間たちにとっては、現実に起きている事なんか「へ」みたいなものである。グレープフルーツハイやワインやビールを飲みながら、もっと絶対的な悪を求め絶対的な悪やエロを求め続ける。ゲームを開発する天才プログラマーたちは、人間の想像を超える。
マヒにマヒを重ね、さらにマヒやマヒを抱えた“ヒマ”人は、すでに病的人間であり、それらがどっと世の中にいる。ネットカフェや漫画喫茶で生活する人間たちは、自己表現することができなく、書き込みなどという行為で炎上を楽しむという。

そういう私もおぞましい事件を見ながら、読みながら食事をしている。やはり和田弘とマヒナスターズの歌などを聴くしかない。いや待てよ、“マヒ”と言えば。“ヒマ”がコインの裏表、五月みどりの“おひまなら来てよね わたしさびしいの お願い・・・!”で一週間に十日来いとなる。現代社会は一週間に十日分以上のオドロオドロシイ事が起きている。国家のトップがルールを持たないと、国民全体も当然ルールなどを持たない。“ジコアイとセツナテキ”生き方となる。恩だ義理は死語となる。♪好きだった 好きだった 嘘じゃなかった 好きだった ほんのひとことあの時に言えばよかったあ…。チャップリンの名画に「殺人狂時代」というのがある。天才はずっとむかしに現代社会を予言していた。「独裁者」というのもある。人は人を愛することで救い、救われるしかない。

2018年5月14日月曜日

「親分と子分」

首相秘書官柳瀬唯夫の国会でのバックレ(しらばっくれる)た答弁を聞いていて、ふと十代の頃を思い出した。その頃私はいつも荻窪駅南口(阿佐ヶ谷寄り)にある「富士」という純喫茶に昼ごろまでいた。(つまり学校はサボッテ)その1階はスマートボールとラッキーボールの店であった。当然損はなし。朝そこに行き、景品を受け取り、路地裏にある景品買いの小屋(人間一人しか入れない)に景品を持って行く。ヤクザ者が二人(九州出身)がいて、景品買いをやっていた。午前中にひと稼ぎして昼に二階の富士で珈琲を飲んで、新聞を読むのが習慣であり、そこを終えると北口の「ポルテニア」という美人喫茶に行った。店のオーナーが特別に四人掛けを提供してくれていた。さて、富士には、階段上に赤電話があった。十一時四十五分になるとヤクザ者はその赤電話を占拠する。何故なら12時キッカリに親分から電話が入る(住吉会系佐野組組長)私たちはサノをもじってノサの親分と言っていた。12時になるとピッタリ赤電話に親分から電話が入る。一分一秒でも遅れる事は許されない。受話器が鳴った瞬間、パットそれをつかみ、昨日あった出来事をすべて報告する。ヤクザ者にとって波風モメ事がない日は、殆どない。直立不動でハイ、ハイと応える。そして景品の売り上げ、イタズラ(小さな賭場)の上がりを報告する。又、あいつがこう言っていた。あのヤローがこんなことをなどを、全て報告する。つまり後になって報告を忘れていましたなどは許されない。秘書官にとって総理大臣は親分である。万が一にもその事は忘れてました。報告を忘れましたと言う事は、絶対にありえなはずなのだ。総理の大親友の案件を報告してないなんて事は、太陽が西から上ってもありえない。全く質問力がないどーすることもアイ・キャン・ノットの野党の連中は、自分たちが労を尽くして絶対的証拠をつかむ努力をしていないから、手も足もでない。久々にスマートボールがしたいと思った。ちなみにノサの親分は、府中刑務所で自殺した。脱走途中でという説もある。今日又、国会でむなしい野党の質問大会がある。東京新聞の朝刊では、国民民主党の支持率はわずかに1.1%であった。

2018年5月10日木曜日

「連休の三日間」



五月三、四、五日と連休をした。混雑、行列、集団が苦手なので借りて来た映画を見た。新作、準新作、旧作十七本、目標二十本には届かなかった。「質屋」、「密偵」、「彼女がその名を知らない鳥たち」、「アウトレイジ・最終章」、「エクザイル・絆」、「エル」、「狂気の夜」、「鞄を持った女」、「ポルト」、「光」、「全員死刑」、「ドリーム」、「ゲットアウト」、「セザンヌと過ごした時間」、「新世紀・パリオペラ座」以上である。「質屋」はホロコーストの生き残りのユダヤ人がアメリカの下町で質屋を営んでいる。帰る国のない人間(ユダヤ人)にとって頼れるのは金でしかない。この言葉は現代の世界経済から情報化社会の中で生き続けている。「密偵」は日本が韓国をほぼ統治下に置いていた時のスパイ物、期待外れ。「彼女は、、、」は阿部サダオの演技が凄い。SEXをしない夫婦(?)に愛を奉仕をする男。蒼井優も凄い。一人の女に惚れ込んだ男の一途な愛は、当然狂気を呼ぶ。「アウトレイジ」は、バカヤロー、バカヤローを相変わらず連発するだけ。大杉漣が親分役であった。そして大杉漣は本当に死んでしまった。合掌。「マスター」全然期待外れ。「エクザイル」も同じ、香港映画がこの頃よくない。私を支えてくれていた凄腕の女史は香港映画の大ファンで連休に香港に行くと言っていた。いい作品に出会えただろうか。ジョニー・トーよがんばれ。「僕の村は戦場だった」タルコフスキーの名作、言うことなし。「エル」女性は男を支配する。中々よかった。「狂気の夜」ずっとむかしのイタリア。若い男女のファンキーな日々。「鞄を持った女」クラウディアカルデナールの若々しき作品。大好きな女優であった。名作「刑事」のラストシーンは最高である。近々借りて来て又見ることにしている。アモーレ、アモーレ、アモレミーオ、主題曲は忘れられない。「ポルト」これはいい短篇小説を読んだ後みたいな作品。26才の若者と32才(?)の女性と運命的な出会い。ポルトガル(?)の駅ポルトが舞台。”恋人たちの嘘は、やがて真実になる。”プルーストの言葉がよかった。恋と愛は偶然の産物だ。「光」実の兄の妻を抱く弟。破滅的な世界。井浦新が静かな狂気を演じる。橋本ナオミが満たされない人妻をよく演じていた。「全員死刑」実話をネタにした若手作家の作品。ヤクザな両親とヤクザな兄弟。「ドリーム」アメリカがソ連に遅れをとっていた宇宙開発、成功に導いたのは、三人の黒人女性、一人は大天才。NASA宇宙開発研究所は当時人種差別が酷かった。91才でこの世を去った大天才の数式が宇宙への第一歩に導いた。現在もこの女性の名を冠した研究施設があり、最高の栄誉賞を受ける。大統領はJFケネディだ。大成功した後、上司の所長がこう言う、「この研究所のトイレで流す小便の色は、同じなのだ」差別する表示板を所長はハンマーで壊して回る。「ゲットアウト」オカルト物でつまんなかった。「セザンヌと過ごした時代」、象徴派の巨匠の若き日々、貧しき日々、悲しき日々、友人ゾラとの日々。”愛人でも長く付き合えばいい妻となる。”このフレーズがよかった。画家はモデル次第のところがある。「新世紀・パリオペラ座」私の尊敬する大先輩である、元東急文化な社長、田中珍彦(ウズヒコ)さんが、ワーグナーのバイロイトを文化村の柿落としとして招いた。総勢約300人、改めてその凄さを知った。オペラを成功させるためにパリオペラ座は闘う、オーケストラ、美術、衣豪、バレエダンサー、オーディション、一年間かけてのゲネプロ(練習)の厳しさ。予算がない。芸術を生むという事は、正に生死をかけた闘いの日々。人間はなんてすばらしいんだと、早朝見終わり拍手をした。ちょっと書く順番を間違えたが、三日間で17本を早送りなしで見た。あ~映画がつくりたい。


2018年5月2日水曜日

「ぼっこうきょうてい」

四月二十七日は思い出深い日一日となった。
小社社長と期待の新人と私の三人で、私の故里岡山に日帰り弾丸出張をした。
期待の新人は一泊して岡山研究をした。新横浜→岡山までは「のぞみ」で約三時間二十分程だ。目的はかつて小社にてデザイナーをしていた、土佐出身の女性が、岡山の男性と結婚して岡山市内にある広告代理店にディレクターとして入社して、私たちとつないでくれたのだ。
「ビザビ」さんという広告代理店は、昭和九年創業という歴史ある会社、現在三代目社長であった。ビザビさんは100周年を前に、実に若々しく、活気があり、私たちと会ってくれた七人は、とても目が澄んでいた。社長さんは四十代。
社員数は120人余りの総合代理店であった。メディア局、クリエイティブ局プロモーションの人などが、それぞれオシャレなファッションで対応してくれた。
ビックリしたのは出版物であった。100万都市岡山市は広く、美しく、若い人が多く、まるで銀座のように有名ブランド、スーパーブランドのショップが勢揃いしていた。
岡山は日本一ハレの日が多いことで有名だ。二十七日も見事なハレの日であった。
ビザビさんが発行している月刊紙「おかやま」は、販売部数なんと56,000部で、女性に大人気であった。内容は実に豊富で充実しており、編集、撮影、記事もすばらしい。東京で人気の女性誌と比較しても全く見劣りしない。大人のための情報誌「オセラ」は20,000部を発行していた。
これだけの雑誌を出すのは毎日大変でしょう、と言ったら、遅くとも夜八時頃までには皆退社するとか。私の知っている限り月刊誌の発行はハンパではないほど大変なはずであった。
「ビザビ」とはフランス語で、「お互いが顔を向け合い、見つめ合うこと」であるとか。
365日ビューティフルであることを目指している。大いに感動し、感激した。岡山と言えばジーンズで有名。みなさんいいジーンズを身につけていた。小社にいた女性は一人の若い(と言っても一児のパパ)デザイナーも紹介してくれた。月に二週間は東京に来て仕事をしているとか。ビザビさんはクリエイティブの仕事を東京のスタッフと組んでいる、ネット社会に距離はない。自社ビルを持ち質の高い仕事の数々、イベントからショップ販売まで、すっかり勉強させてもらった。
何かの縁だと思うので大切にしたい出会いであった。
四月二十七日、金正恩と文在寅が38度線を共に超えるという歴史的出会いをした。
これほど用意周到に事を運ぶには相当の日数と下打合せが必要である。が、日本国政府はその情報を知らず、知らされずであった。まさに蚊帳の外、世界はすでに現在の日本政権を見限っているのだろう。CIAというスパイ機関のトップを国務長官にするというトランプ大統領。
日本で言えば陸軍中野学校の校長が外務大臣になるようなものだ。まだ春なのに真夏の夢(悪夢)のような話が持ち上がっている。
トランプ大統領+金正恩+文在寅の三人がノーベル平和賞の筆頭候補だと。一人殺せば殺人犯だが、100万人殺せば英雄だと言う。岡山でビューティフルな気分になったのに、新幹線の中で見る電光掲示のニュースに、ア然、ボー然とした。
それにしてもこの情報化社会の中で、日本政府の情報入手能力の無力さは世界の恥であろう。岡山弁で言えばさしずめこんな風である。
「ぼっこうきょうてい金正恩」金正恩は父、金正日よりはるかに残忍であり、政略家、謀略家である。“ぼっこうきょうてい”は、“ものすごくおそろしい”のことである。岡山駅で大好物の「ままかり」を買って帰った。このコハダのような小さな魚は、今は亡き祖母と母の味である。一箱680円、酢漬けと照り焼きである。嘘で固めたこの国の経済は、“ぼっこうきょうてい”事になっている。
日銀は物価高目標2%の数字を削除した。大借金大国を立て直す人物の出現を待つ。
米、中、露、は勿論、南北朝鮮、アジア諸国、中東、中南米、あらゆる国が日本をシカトしている。
金配り外交は世界中の物笑いなのだ。くれるものは、いただきますと。400字のリングは五月十日まで休業します。みなさんいい連休を。