快人、怪人、文人、才人、歌人、広告人、酔人、廃人、そして死人へ。生きていれば73歳程だと思う。俺は「中島らも(1952-2004)」の大ファンであった。兵庫県尼崎市、名門灘中を八位で入学した。地元では神童といわれていたという。本名は「中島裕之」(なかじまゆうし)天才と狂人は紙一重というが、この人ほど人に愛された天才は少ない。高校時代に酒の味を知り、大学生、社会人となりやがて酒の肴は睡眠薬、又、覚醒剤の元となるぜんそくの薬(エフェドリン)をシロップで飲んだ。他にマリファナもやった。警察に捕まったこともある。灘高出身者の殆んどは、東大か京大であるが、“中島らも”は成績がガタ落ち、大阪芸大へと進んだ。無類のギター好きであり、世界各国の弦楽楽器を家中に置いて、ほんのスキ間で生活をしていた。話術にも優れていた。愛妻家であり、ロックンローラーでもあった。文才には特に恵まれ、直木賞の候補にも二度なった。人気作家になり、人気エッセイストになり、人気人生相談者にもなった。仕事は山盛りとなった。朝起きたらすぐにウイスキー、そして次の朝まで、飲んでは書き、飲んでは書きをつづけた。医者から希有な内臓といわれた程酒に強かった。俺の知る限り多種多彩数多くの人に愛され、リスペクトされたのは、故原田芳雄さんと、故中島らもの二人だろう。各界の人々が二人を愛した。故中上健次、松田優作、内田裕也、崔洋一、安岡力也、飲んだら大暴れする武闘派も二人の存在で事を納めた。かつて四谷に「ホワイト」というBarが地下にあった。俺は一度行ったが、業界人の溜り場でここで飲んだら、きっと大きな事件を生むと思いご遠慮した。マスコミ関係、出版関係、広告人や芸術家、文人墨客、芸能人たちが集まっていた。新宿二丁目ゴールデン街に「前田(まえだ)」という有名なBar、「アイララ」というBar、故赤塚不二夫や当時のタモリが珍芸を行なっていた。「どん底」というBarも同様で、ラリパッパ(酔っ払い)が常連であった。俺は今「中島らも」という山を見上げている。ラリパッパ界のスーパースターだ。酒癖が悪いことはない。分別をわきまえていた。残念なことに怪我をして死人となった。当時階段から落ちたと聞いた。俺は今「中島らも」の落語を見ている。最近破天荒な人間が出てこない。みんなこじんまりしている。命がけで酒を飲む人間もいない。胃が突き刺ささるように痛い。ヨシヨシと、“ブスコパン”を酒で飲んでやると、すっかり治まる。だが「中島らも」という山は、とんでもない山なのだ。(文中敬称略)
2025年1月24日金曜日
2025年1月15日水曜日
400字のリング 「老人と山/孫 家邦という山」
小柄だが大きな山は「リトルモア社」という会社を経営している人だ。ひと言で表現すれば、孫 正義(ソフトバンク会長)より凄いのが、孫 家邦という人だ。小さな巨人である。孫 正義は天才的起業家で、天才的投資家である。二人の孫さんの違いは、孫 正義は野心と野望を追う大天狗だ。一方孫 家邦は、映画製作、本や写真集などを通して人材を発掘する。私がもの凄いと思う人は数少ない。孫 家邦はベストワンに選ばれた映画のヒット作を何本も手がけたと思えば、期待作が大ゴケしてどでかい傷を負っても、平然としてすぐに次作に取り組む。又、若者たちの映画の配給を支援する。かつて主婦がケータイで撮った写真の良さを発見して、写真集にして出版、最高権威の賞を受賞させた。主婦は一流の写真家に育った。一人だけではない。グラフィックデザイン界の巨匠の本を出版する。この巨匠は並大抵の人では信頼を得ることができない。フツーの人は怖がって近づかない。その名を井上嗣也という。リトルモアの孫 家邦の新作映画の試写会に、井上氏とその高弟稲垣氏、親愛なる友と明日16日に行く。渋谷の映画学校の試写会だ。きっと入り口で小さな体の孫 家邦が、ニコニコしながら受付の所にいるだろう。顔は笑っていても、決して眼は笑わない。「葉隠、武士道とは死ぬことと見つけたり」体がそう言っている。俺は孫 正義などに興味はない。大天才の彼は金を育てるが、市井の民の中から人を発掘し育てない。だが100年先の世の中が見えているという。新作の題名は「片思い世界」主演は“広瀬すず”“杉咲花”“清原果耶”脚本/坂元裕二、監督は、「花束みたいな恋をした」の土井裕泰。キャッチフレーズは「3人で、ずっとずっと片思い」。4月から全国ロードショー。又、孫 家邦は、巨匠井上嗣也の700ページ近くになる大作品集を、プロデュースしている。俺には巨大な山に見えるのが、孫 家邦だ。後藤新平の遺した有名な言葉がある。人生において、(一)金を残したるは下なり、(一)事を残したるは中なり、(一)人を残したるは上なり。つまり、孫 正義は下であって、孫 家邦は特上の人物である。やるつもり。行くつもり。読むつもり。何かにつけて、つもりつもりの人間で大成した者はいない。幕末の風雲児「高杉晋作」の師は“死んでもやらねばと思へば死すべし”“生きてやらねばと思えば生きるべし”。こう教えたと言う。孫 家邦は、高杉晋作に近い。「おもしろき こともなき世を おもしろく」。文人であり、粋人であり革命家でもあった。そして若くして死んだ。やるべき事をやって。ちなみに“リトルモア”とは、「もうちょっと」という意味らしい。(文中敬称略)
2025年1月9日木曜日
400字のリング 俺は「老人と山」
E・ヘミングウェイは「老人と海」で自分自身の魂の歴史を語り、やがて猟銃の引き金を自ら引いて、男としての人生を終えた。俺の家の中には、E・ヘミングウェイが巨大カジキマグロを釣った後、漁港で記念写真を撮った写真がある。床から天井までの大きいパネルだ。俺は日々それを見てきた。俺はどう自分の人生の落とし前をつけるかを考えながら、ずっと生きてきている。憧れのE・ヘミングウェイが、「老人と海」なら、俺は「老人と山」だと決めた。今年の年賀状の一枚は、「両忘(りょうぼう)」に決めた。「生を忘れ、死を忘れる」。中国の賢人の言葉だ。今までは「私」という言葉で自分を気取ってきたが、コソバユイので今後は「俺」で行く。これからヒデー腰痛を抱えながら、標高何メートルの山を登れるだろうか。登山ではない。これはやってやるぞという目標の山の高さだ。人生は不条理との闘い。長い裁判生活ともいえる。自分自身との闘いである。いまさら過去に未練はない。今日生きてていても、明日は死刑かも知れない。人生は喧嘩と同じなので、マイッタ、負けましたと頭を下げない限り、勝負はつづく。地の果てまで探してケジメをつけなければならない奴もいる。(もうあの世かも知れないが、あの世でカタをつける)近頃の世の中は堅気の人間が、やたらに人を刺す。物騒この上ない。若い頃、喧嘩をする相手が刃物を使うと調べたら、腰に少年マガジンとか、少年ジャンプを巻き、両腕には週刊朝日とか、サンデー毎日とかの週刊誌をつけた。紙の束はピストルのタマも、刃物も寄せつけない。今の世はこんな装着が必要なほど人は狂っている。令和七年は世界中が大混乱する。何が起きても不思議ではない。日本国はかつて一人の指導者が「美しい国づくり」なんて言ったが、夢も希望もない、金、金、金の拝金国家となってしまった。「汚い国」に成り下がったのだ。石破 茂という国の指導者に、何ができるのか、関税マニアのトランプの米国からすれば、鴨がネギを背負って来るのを、舌なめずりして待っている。アレやれコレやれ、アレ買え、コレ買え。あ~しろ、こうしろ、三白眼がただの白眼になってしまうだろう。目を白黒させられる、世界の政治情況を間近に体感している内に、黒目が無くなってしまうはずだ。野党も、与党も、ゆ党も世界が全く見えていない。チンケな公約ばかりだ。霞ヶ関の官僚に立ち向える政治家は少ない。日本は完全なる官僚国家となる。日本の一人あたりのGDPは、OECD加盟38ヵ国中21番目の韓国以下になった。韓国語でもうおしまい、という事を「オプソ」という。日本は完全にオプソとなる。世界はトランプによって、ビビンバ(かきまぜる)だ。中国は100年単位で国をつくる。気がつけば地球の殆どは中国が支配している。あるいは金を貸している。世界一速い新幹線が完成、時速500km以上だ。新年早々嫌な気分だ。だがあの山を登らればならない目標がある。正月駅伝の選手の速さを見ると、ああ無情脚力はガタ落ちだが、「老人と山」で行く。そこに山があるかぎり一歩づつだ。今年400字のリングは、ブンキ(気分)次第です。生原稿をテキスト化するため、人の手を借りないとイケナイのです。そして頼りはガタがきているFAX。時々どん詰まりになる。送り役の愚妻のごきげんもある。(文中敬称略)
2024年12月10日火曜日
ばかな話その(12)「バカなオーナー」
ギャ~、ギャ~。地下一階食品売り場に外国人の声が広がった。辻堂駅北口にテラスモールという、ショッピングモールがある。これができていないと辻堂駅北口は何もない。一つ葬儀場があっただけだ。地下一階エスカレーター下に、タコ焼きの出店がある。人気があっていつも何人かが並んでいる。その中に50代の白人(アメリカ人だと思う)夫婦が、タコ焼きを手際よくつくるのに見とれている。ソースとカツオ節のいい香りが、強い熱によってつくられる。20代らしき女性が、丸型に凹んだ中でフツフツ焼き上がるタコ焼きを、長くて太い楊子で、刺しては引っくり返すを繰り返す。そして見事出来上がると、舟形の薄い竹の入れ物に入れ、ソースを塗りその上にカツオ節、粉状の海苔をまぶす。(これが決め手)その工程を見ているだけで、並んでいた人々は満足する。縁日のソース焼きそばや、広島焼き、ヤキトリなどと同じで、工程を見て味あうものは老若男女に愛されつづける。外国人夫婦はすっかり見とれながら、出来上がったアツアツのタコ焼きを、用意されている短い割り箸で、ブスッと刺し、ガバッとそのまま口の中に投入した。日本人の誰かがタコ焼きを食べる時は、こうしてフーフーしながら、丸い球を割って、又、フーフーしながら食べないと、ヒデェ~事になると教えてあげなければイケナイ。何も知らない外国人夫婦は、二人揃ってその熱さにオドロキ絶叫をした。おそらく口の中に入ったタコちゃんがノドチンコあたりに止まり、飲むことも、噛むこともできず、ウア~、と叫び、目から涙を流し、ウォーター、ウォーターと大騒ぎとなった。その少し前、私はタコ焼き店の兄ちゃんと、この頃タコがマグロより高いらしいな、などと話をしていた。そうなんでやんすよ、だから小さ目に切って、入れる数も減らして対応しているんでやんすよなどと。泣き叫ぶ外国人夫婦に子ども連れの奥さんが。ミネラルウォーターを飲ましてあげた。今度はその事がうれしかったのか、外国人夫婦の奥さんが、泣きながらサンキュー、サンキューと、若い奥さんを抱きしめた。かなりの人だかりができていたが、あ~よかった、あ~面白かった。外国人用に食べ方を書いた方がいいよな、などいいながらバラけていった。タコ焼き店には新しい人が並んでいた。外国人夫婦は、フーフーしながらタコ焼きを食べていた。日本で食べているタコの殆どは、モロッコ産である。近海ものは一般大衆の口に入ることはない。アッチコチにお正月のおせち料理受付けのポスターやチラシが貼ってある。実のところおせちは超一流店もコンビニ物も、真夏の8月位に作り終えて、冷凍されている。やっぱり広告ってウソばかりと言われそうだが、ウソばかりなんです。「ユダヤの商法」というベストセラー本がある。ビジネスの成功は、“女と口を狙え”と書かれている。日本マクドナルドの創業者藤田 田(フジタデン)がこれだ! と読み大成功。それを知ったソフトバンクの孫 正義とか、ユニクロの柳井 正も、藤田 田の門を叩いたという有名な話があるらしい。女(性)は男より金を使う。そして次から次へと食べるチカラを持っている。タコ焼きで絶叫した外国人夫婦のご夫人も、きっと帰国したら、タコヤキサイコーと自慢するだろう。フーフーの仕草をしながら。私は地下食品街に、食べ物を買いに行った訳ではない。時代の空気を見に行ったのだ。食品を探して、見て、決めるまでの必死な過程に、その人の物語を見る。食品街はアイデアの宝庫である。銀座の一流ブランド店などはガードが厳しくて入店できない。特に私のような見た目がヤバイ系の人間は、イケナイ目にあってしまう。今年も残り一ヶ月を切った。やっとこさ冬らしくなった日本だが、世界はタコ焼きのように沸騰している。シリアの独裁者アサドは亡命、イスラエルvsハマスは終りが見えない。フランスでは内閣が崩壊、ウクライナvsロシアは泥沼に、アジアも欧米も中南米も熱い。韓国では44年ぶりに戒厳令。超高級ブランド品を持つ美人妻に、国民は怒り爆発、大統領の国外出国を禁止。ロシアと北朝鮮は兄弟盃を交わしている。アメリカのトランプ政権の閣僚のメンバーは、もう目茶苦茶。日本の国家予算の半分近く(約53兆円)を企業評価額として持つ、イーロン・マスクが、ハイな状態になっている。そんな中で我が国JAPANは、冷えたタコ焼き状態だ。政治、経済に対して不満を充満させないために、マスコミは大谷、大谷、大谷だらけだ。この国のプロ野球のオーナーに人物はいない。マー君、神の子といわれ日本のプロ野球界に大貢献した。楽天(退団)の田中将大選手をどこも入団させようとしない。一シーズン24勝0敗という途方もないヒーローは、現在197勝あと3勝で名球会に入ることができる。楽天のバカなオーナーの、毎夜のバカ高い飲み代の一部を気前よく出せば、済む話だった。ヤクルトはエライ! 現在186勝、44歳の石川雅規選手と契約した。楽天のバカヤロー、ヤクルト以外のバカヤロー、日本中を熱狂させたヒーローに恩返しをしろと言いたい。大谷、大谷を見るたびに、私は全身がタコ焼き状態になるのだ。ある会社の若いオーナーが、マイルーム紹介なんていうのをやっている。このソファー5億、この灰皿1億、その絵は250億だよと言い回っていた。地獄へ堕ちろこの馬鹿者め。オッと忘れていた。手にしていたワインは一本150万円だった。日本人よもっと怒れ、タコ焼きになれ。私は一箱98円の紙パックの酒“鬼ころし”を飲む。マー君あきらめるなよと。
(文中敬称略)
2024年11月18日月曜日
ばかな話その(11)「下半身バカ」
下半身のことは武士の情けと言って、そのコトは許された。そんな時代もあったとか(?) ある小説の中に、妻が自分以外の男ばかりに体をユルしてしまう。そんな妻に、君が悪いのではない。君の下半身が悪いのだ。人間の下半身は別人格なんだと言う。国語の授業で、「で・で・づ・づる・づれ・でよ」とか「け・け・く・くる・くれ・けよ」とかチンプンカンプンの下なんとか活用を習った気がする。「人間の壁」「ベルリンの壁」「10秒の壁」「バカの壁」ピンク・フロイドの「ザ・ウォール」というPVの映像はスバラシイ。人間の歴史は「壁」との闘いであった。今年生誕100年の作家「安部公房」の初期作品に「壁」というのがある。鎌倉の神奈川近代文学館で特別展が開催されている。12月8日まで。さしたる秩序も脈略もなく、思いつくままに物語の設定や文章が書き連ねられる。多くの作品に共通する、常軌を逸したとっぴな発想がある。「砂の女」「他人の顔」は自ら脚本を書き映画化され、社会現象を起こした。勅使河原宏監督とのコンビで創られた映画は、日本の映画界の金字塔といえる。カフカに影響を受けているのか、常に不条理が主題となる。最近の日本映画には、文学性がない作品が多い。作家の発想が、マンガ家の発想を超えていない。さて、「103万円の壁」をブチ破るを公約にして、七人の政党である国民民主党の代表玉木雄一郎が、今回の選挙で4倍増の28人の政党の代表となり、乱立する政党の中で、キャスティングボートを握った。敗れた自民の石破 茂は、すでに死に体である。そもそも20人弱の派閥のリーダーがつとまらない人間に、国の政治はできるはずがない。三白眼の異様な目つきは、ヒトに向う時、ヒトの目線から離れている時と、別人格になる。他人の顔を買うという安部公房の「他人の顔」の如く、ペルソナ(仮面)を使い分ける。玉木雄一郎の顔はいわゆる笑い顔であって、人から見るとすこぶる、あかるい、たのしい、いいヒトである。が、人間の下半身は別人格である。笑い顔は実はペルソナ(仮面)であった。いわゆる高学歴者の政治家、キャリア官僚、教授や博士たち学究の徒は、小・中・大学・大学院、研究所で勉強ばかりして、貴重な月日で下半身の鍛錬を怠っていた。これが時としてアンビリーバブルな不祥事を起こす。トイレでの盗撮、学生たちへのセクハラ、SM趣味、幼児趣味、コスプレ、赤ちゃんプレイや、動物との性行為。東大法学部卒とかの人種は、試験問題にしか取り組んでこなかった。それ故、夜の世界の引力の怖さを知らない。世阿弥は絶世の美男子で、足利将軍義満の寵愛を受けた。“あそびをせんとうまれけむ”にも通じる風姿花伝を残した。やがて佐渡島に島流しにされるが、雅(みやび)に生き抜いた。さて、玉木雄一郎だが、残念ながら雅(みやび)でない。妻と子に謝ったとか言っていたが、醜悪なその姿に103万円の壁(貧しき民の願い)が、あんたには超えてほしくないと言っている。NO2の榛葉幹事長の罪も深い。自分の趣味は、玉木雄一郎なんて、誤解を呼ぶ表現をしているが、玉木雄一郎の下半身の出来事を知らないはずはなかった。ずっと前から知っていたはずだ。ならばNO2はブザマな姿を見せないための手を打っておくべきだった。日本維新の会もメロメロ化し、プチブルになった共産党に反省の言葉なし。この先この国はどうなるのだろうか。アメリカではトランプが勝利、やりたい放題で世界中を混乱させるだろう。ヘトヘト、ヘロヘロ顔になった、石破 茂総理はすでに慢性疲労症候群の有り様だ。その先はまっ暗闇だ。日本の政治そのものが、まっ暗闇なのだがメシアは出てこない。夜帰宅すると、台所に愚妻がボー然と立っている。ついに台所のシンクの水が流れなくなったわ、今水のトラブルを呼んだのと言う。で、一人の男が来る。アレコレ話をしている。そこに息子が来た。息子は建築関係なので、水のトラブル専門の会社を知っている。愚妻が呼んだ人に、あ~ですから、こうですからと言ってお引き取りを願う。で、駄目だよあ~ゆうところはとんでもない見積りを出してくるんだからと叱る。でも流れないだもん、私は全く役に立たないのを知っている。で、息子が知り合いに電話をしてくれた。次の日の午後一時半、やって来ましたタンク付ワゴン車、社名は「水のパイプ病院」いいネーミングだ。で、出てきた社長兼院長は、アタマに消しゴムのついたエンピツのように細い。メガネに白いマスク、60歳位だろうか。いざ仕事となると、凄いのなんの、えっ、こんなことになってたのということを次々と発見。原因はここだと、台所とは全く違う場所、玄関脇の木の下だと発見した。そこには猫柳の木が成長して、下水の源の栓をかくしてしまっていた。社長兼院長は大きなハサミでバッサバッサと切り落とした。オオ~、そこには丸い大きな蓋があった。老朽化した家のアチコチが壊れはじめた。約3時間社長兼院長は水路を開放してくれて、7900円ですと言った。えっ、いいんですかと言えば、悪い業者さんもいるから気をつけて、と小さな声でアドバイスをくれた。一万円を出して、これで結構ですと言った。そうですかどうもありがとうございました。では、又不具合があったらと領収書と名刺をくれた。白いタンク車は去っていった。ありがとうございました。私の体も老朽化している。生きているのが不思議だと言った。お医者さんの言葉を思い出した。玉木雄一郎はいつ、どういう形で辞めるのだろうか。政権交代前夜であるが、役者がいない。私は今、田中角栄のドキュメンタリー映画を見ながら書いている。田中角栄は高学歴でないから、下半身の怖さをしっかり学んでいる。女性の心を知り尽くしている。キミねオカアチャンだけじゃダメだよ、べんきょうだよ、べんきょう。上手にベンキョウスンダヨ、月謝は高いがね、ワッハハハハ。左団扇をバタバタさせながら。田中角栄ならば、103万の壁は、財務省への電話一本で片付けただろうと思った。武士の情けを知った“性事家”でもあった。(文中敬称略)
2024年10月23日水曜日
ばかな話その(10)「つける薬のないバカ者」
400字のリングの上にいるのは、つける薬のないバカな“記者ゴロ”、元記者クズレ、自称政治アナリスト、自称経済アナリスト、自称選挙プランナー、自称各コンサルタントたちだ。この国は真当な人間、一言居士、正しい分析を発表する人間は、ほぼ退場させられる。又は消される、追放される。“スシロー”こと「田崎史郎」のハマグリ顔を見ない日はない。かつて時事通信の組合を、仕切っていたそうだが転向して、権力にアロンアルファでベッタリへばりついている。各局をハシゴする。朝、昼、晩と。恥を知らぬ人間ほど仕末の悪い者はない。日本の情報公開度は先進国で最低に近い。中国並みだ。フジテレビグループのボス「日枝 久」とマスコミ界のボス「渡邉恒雄」が存在する限り、マスコミは浄化されない。今マスコミに出れているのは、この二人のOKサインが出ているからだ。時の権力にヨイショしまくる輩だ。最低限度のプライドを捨てた。“マスゴミ”だ。このことは実に国にとって危険だ。大衆は洗脳されやすい。ネット社会は自由社会ではない。便利で役に立つが、すこぶるアブナイ監視下の中にいる。こんな私だって、ある日ホームを歩いていたら、ホイと背中を押されホームから落下して、ゴジャゴジャになる。私はそれを覚悟の上で、バカ話、ヨタ話を書く。ある地方の人が、今度の選挙は突然で、子どもたちがかわいそうですという。27日(日)は運動会が予定されていたが、中止ですといった。投票会場になるからだ。又、文化祭も中止にした学校もある。リング上にいるバカ者たちは、やれ自公過半数割れ、立憲民主増、国民新党増、維新減、公明減、れいわ増、選挙後は石破降ろしか、高市派と分裂か、自民、公明、国民新党が連立とか、アレコレ、かしましい。元朝日新聞のエース記者(?)といわれた。“鮫島 浩”は、福島原発の記事に、問題があり退社した。今ではユーチューバーになり、チャンネル登録よろしくと言って、“ダメダメTOP10”なるものを発表している。私からすれば、記者の誇りはどこへ捨てた。まるで競馬の予想屋みたいな早口のしゃべりは、お前こそダメダメなんだよと思う。スシローと一緒だよ。一人だけ冷静なのは今年の記者クラブ賞を受賞した。元共同通信の、後藤謙次だ。彼はこのリング場外にいる。私は何人かの記者が広告界や企業の広報宣伝などに入りつき合ったが、とにかく自分の金で酒を飲んだり、メシを食うことを知らない。記者時代のたかり体質が身にへばりついていた。タニシとかトコブシみたいだ。記者は取材に行くと、その内容により、広報担当からお車代ですとか渡される。あるいは今夜はここでとか誘われる。特に人事に関することは書かれたくないから、いい情報は高く売れる。業界ゴロ紙の記者などは、職員及びその一家一族のことを、調べてある。売り時が来れば売るし、その機会なければしまっておく。お金があれば、スシローこと田崎史郎を使って映画を作りたい。題名は「ハマグリの恥」彼を正義の男として、権力に立ち向かう役にしたい。不眠症が酷いので、3時間余の長編映画を選んで見ている。アカデミー賞11冠の「オッペンハイマー」は、そのセリフの多さに圧倒された。脚本がすばらしい。ギリシャ映画「エレニの旅」一ヶ月町ごと水びたしにして撮影した名作だ。「ブリキの太鼓」大人になることを拒否した少年の物語。「ノスタルジア」大好きなタルコフスキーの作品だ。「ベルリン・天使の詩」ヴィム・ヴェンダースの名を高めた。「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」俺という人間はギャングでもゴミだと、ラストに生きたままゴミ収集車の中に入って終る。未だにその生死が分からない。アメリカ最大の組合全米トラック協会のボス、ホッファらしき男は、ある映画では肉をミンチにする機械にブッ込まれて、ウインナーソーセージとなる。ああそれでも眠れない夜はつづき朝を迎える。やっぱり映画は短編に限る。西田敏行さんが死んでしまった。私はジェームス・ブラウンをパロッた映画「ゲロッパ!」が好きだった。勿論他にも名作は多い。病気を山ほど抱えて映画、ドラマ、舞台に出演していた。ハッピーなゲロッパ的な人生だった。一度仕事をさせていただいた時、音楽録りのスタジオに下駄履きで来た。亡き親友と同じ福島訛りがよかった。家の近所の中華の店で隣りの席でタンメンを食べてた男が、ラー油をかけすぎて、思い切りむせかえって泣いていた。先日、東京駅八重洲中央口地下トイレで、35、6の背広の男が、一生けんめい歯を磨いていた。博品館というおもちゃ屋のエレベーターは4~5人乗り、中国人風3人の内の一人が携帯で、大きな声でわめいていた。エレベーター内3対1、この中で闘うにはどうするかを考えた。やっぱり狭い中、頭突きの三連発だな。否、コテンパンにやられるかもな、今の体力では。とにかくウルセイ奴等だ。人生は誰れが創ったか知らないが、結局はゲロッパなんだな。スシローのいない世を願う、イエ~イ、ゲロッパ、ゲロッパだ。ジェームス・ブラウン最高! 西田敏行さん最高です。みなさん必ず27日は投票へ。どこへ投じるかはあなたの自由。つい先日羽田空港のスタンドで、人を待ちながら、アイスティーと、ホットドッグを頼んだ。その時、黄色いジャンパーに、黒のリュックサックを背負った50歳位の小柄なメガネ男が、私に向って突然、坂本 九ちゃんを知ってるかと言い、半分残っているホットドッグを手にしながら、何とかかんとかのサンバを歌い出した。歌詞は思い出せないが、なんとなくリズムはおぼえている。坂本 九ちゃんはオスタカヤマでと、言いながら消えていった。かなりファンキーで、クレージーだった。う~む、ゲロッパ。この季節は個展の案内が多い。一つ、二つ、三つ、……。
(文中敬称略)
2024年9月14日土曜日
ばかな話その(9)バカ者たち記念
故あってずっと400字のリングを休筆しているが久々に書くのだ。Why何故かといえば、余りに馬鹿バカしい自民党の総裁選のバカ騒ぎを見てふとある映画の題名を思い出した。松竹映画、山田洋次監督「馬鹿が戦車でやって来る」確かこんな題名だ。主役はクレージーキャッツのリーダーだった「故ハナ肇」さんだった。現代社会では馬鹿は差別用語なのだろう。今回バカ馬が9頭出馬する。競輪の記念レースは9人出場する。かつて競輪場に行くと「赤競」、「黒競」というペラ紙の予想紙を売っていた。ダミ声の予想屋が小さな紙に今日は、先行の誰に、同じ県出身の誰がマーク(その後につくこと)する。その後は競輪学校時代の同期の誰れが3番手につく。もう一つのラインは関西勢の誰に誰れがつく。さらに九州勢がラインをつくる。一発まくり(後から一気に先行集団を大外から抜き去る)にかけるのは、ラインのない北海道の誰だ、そのまくりに乗っかるのが、やはりラインがつくれない四国の誰がつくはずだと予想する。競輪とは地元勢とか強力な先行に乗るラインと、遠征してきている地方勢との人間ドラマなのだ。十代の後半ほぼ毎日(水曜日は休み)どこかの競輪場で、揚げ立ての串カツ(ソースたっぷり)とか、鯨カツを食べながら小銭を賭けていた。今回の自民党総裁選は、とある地方の記念競輪みたいだ。“永田町総裁馬鹿記念”だ。今、誰れが誰れにとか、俺はあいつの逃げを使って、最後はマークを競り勝って取るとか、どうだ、こうだのライン作り、競輪用語ではこれらを“作戦”という。私が十代の頃は神奈川にスーパースター高原永伍がいたので、2着狙いの2番手、3番手などが位置取りの競り合いをした。群馬作戦、宮城作戦というラインは強力だった。さて、“永田町総裁馬鹿記念”はどんなレースが繰り広げられるか。本命は大嫌いな石破 茂だろう。権力を手放したくない政局オンチの麻生太郎は、口をヘの字に曲げて石破、高市に賭けるだろう。岸田文雄は政治オンチだが政局(権力争い)は大好きだ。今がいちばん楽しいのだろう。麻生・菅はもう時代遅れ、次のキングメーカーは、岸田文雄となる。私は競馬はやらなかったが、“アカネテンリュウ ”という。良血馬ではないが、黒毛が美しく最後方からドトウの如く追い込んで、勝つ姿が好きだったので、その馬だけを買っていた。もう一つ競馬に例えれば、“自民党刷新感断念記念”レースとなる。9頭立てである。ちなみに馬名にしてみると、(一)シンジローノータリン、(二)イシバサンパクガンブキミーノ、(三)タカイチチョーライトウイング、(四)コウノタロウウクチヤオジサン、(五)カミカワヨウコオバサンケシキ、(六)ハヤシモアルデーヨ、(七)カトウドックスマイル、(八)コバオークトベナイル、(九)モテギパワハラホマレ、みたいだ。あるニュース番組で、九頭勢揃いして、一人15秒とか、一人40秒以内とか、CMみたいな時間の中で自分の目指すことを言う。つくり笑いをしたり、苦笑したり、アンチョコを読んだりしていた。これは馬鹿みたいとみんな思っただろう。混乱を極める世界情勢、戦争、内戦、クーデター続発の世界の中で、この9頭たちは、戦後80年をむかえる、後退の国、島国ニッポンをリードできるのか。全盛期(ジャパン アズ NO1なんてホザいていた)日本は世界のトップ企業100社に30数社が上位に入っていた。が、今や36位ぐらいのトヨタ1社のみ。政治家が国家ビジョンを持たず、マッカーサーに統治されていたGHQ時代(約7年)のママ米国追従に行く道をゆだねていた。終戦時日本国の大株主は、「天皇家」であった。マッカーサーは、自らの野心大統領選をその資産で目指したが、得票数はわずか11票で大惨敗となった。日本はアベノミクス、竹中平蔵の米国的規制緩和推進で、ハッチャメチャになった。特に郵政民営化は大失敗。シンジローノータリンは、いきなり労働者を好き勝手に首にできる法案を、“決着”させると、カンペを読み上げた。売国奴竹中平蔵をきっと大臣かなんかで起用するだろう。もっとも勝てばの話だが、きっと失言失速、笑言失速を繰り返して、ボロンボロになるだろう。シンジローノータリンは、関東学院大、その調教師菅 義偉は、法政大学、学歴重視を破って成功したのは、田中角栄しかいない(最後は失敗したが)。勉強ばかりしていて、馬鹿になった(人間について、市井の民を知らない)の霞ヶ関の東大法学部連中は、それこそ馬鹿者扱い(内心は)だろう。麻生太郎は全ピカの血筋(といっても朝鮮人や中国、台湾人たちを炭鉱でコキ使ってボロ儲けした)皇族の親戚にもなった。今回のレースは、血筋と非血筋の闘いでもある。小泉家はヤクザ者の血筋だ。純一郎の父は刺青大臣といわれた。横須賀一家(現稲川会)出である。血の流れがその顔に出ている。眼が笑うことがない。つくり笑いの顔にそれが見てとれる。地方巡業の旅芸人のような立憲民主党の4人は、ちんまりとしたマスゴミの扱いだが、自民分裂、立憲分裂、政界再編成となる時、“どじょう”こと野田佳彦と、吉田晴美のコンビは、金魚たちに勝つかも知れない。永田町、霞ヶ関のリング上には、汚れた札束が投げ込まれ(経済界から)、党役員ポストや大臣のポストという不渡手形が乱発されている。コロナ禍以降、マスク、マスクで人間観察ができない。私の興味の対象の相手である、人間がつまらなくなってしまった。東京駅発特急小田原行のトイレをガンガン蹴飛ばしている中年会社員がいた。きっともうダメだ、もう出る。もう締まりが効かない。あ~、早く出ろ、かなり高そうな薄茶色の革靴はトイレ内の人間を攻め立てていた。ニッポン国のみなさん茶番劇はこれからだ。私は明け方の今、大尊敬していた故南州太郎師匠の全盛期の映像を見ている。“オジャマシマス”この一言でお客は万来の拍手と爆笑をする。ボンクラ政治家たちとは役者が違うのだ。久々“オジャマシマシタ”残暑お見舞い申し上げます。
(文中敬称略)
2024年4月20日土曜日
「ばかな話その(8)ばかなNHK」
まえまえ(前々)から疑問に思っていたことがある。私の目の前には、“ワンタンメン”がある。かねてよりカレーライスとライスカレーの違いはあるやなしやかと思っていた。ないに決まっているのだが、どっちでもいいやとかんたんにはいかない。はじめに誰が“ライスカレー”と言ったのだろうか。あるいは“カレーライス”と言ったのだろうか(?)同様に私の中では、ワンタンメンをメンワンタンと言った人間はいなかったのかと悩む。両者(ワンタンとメン)が入っている、中華的入れ物にはでき上がった、ワンタンメンがほぼ同格に入っている。あきらかにワンタンのほうが多ければ、すんなりワンタンメンを受け入れるのだが、メンはメンでその存在を主張する。ワンタンとメンの仲裁として、メンマとかナルトがいる。マアマア、ワンタンメンのほうが呼びやすいじゃん、メンワンタンじゃ、なんかすっきりしないよとレンゲがいう。私はライスカレーとカレーライス論争を自分一人で行なった時、ライスがあって、その上にカレーをのせるのだから、ライスカレーが正しいと決めた。しかしカレーを食べたい気持ちから発する声は、ライスカレーより、カレーライスのほうが断然食欲に応じる。しかしレストランで美しい女性が、カレーライスとおねがいします、というより、ライスカレーとおねがいします、のほうが上品さを感じる。これは、“カレーうどん”か、それとも“うどんカレー”かの論争に発展したりする。美しい女性が、カレーうどんを一つと頼むのと、すみません“おうどんにカレー”をおねがいします、なんていうと、俄然カレーうどんは「うどんカレー」として品格は格段に上がる。さて、私はこれからワンタンメンという、メンズファッション的食べ物を食す。メンワンタンなら、まずはメンをすするのだが、ワンタンメンはワンタンというフニャフニャした腰抜けのようなものを箸でとり、レンゲの中に入れる。ところがこの腰抜けは、つかみどころなく、箸から落ちたり、逃げたりする。レンゲの中に入れると、どことなくフテクサレたように見える。逃げ切れずに捕まった犯人のように。たっぷり肉入りの店もあれば、肉少々のつくりのところもある。ワンタンはヒジョーに熱い。フーフーをしないでいきなり口に入れると、口の中は大騒動となる。アヂ、アヂ、とあわせて飲み込むとノドから食道にかけて、熱いのなんの、背中まで痛くなる。目から涙が出ることがある。フニャ、フニャ、ヘラヘラした見た目と違ったワンタンの粗暴さに対して、メンはおとなしい。箸の動きに忠実に従う。私はワンタンメンより、メンワンタンの順番で進んで行くことにする。こんなどうでもいい事を考えながら、我が身のこれからを思う。九州、島根をハードスケジュールで回って来た。松江で出雲そばを頼んだら、なんとロボット(トレイのお化け)が運んで来た。人手不足なんだとか。羽田→九州大牟田→佐賀→羽田→辻堂、すぐ次の日、辻堂→横浜→羽田→島根松江→米子→羽田→辻堂。飛行機、山陰鉄道、バス、タクシーと、頼りにする人と行動を共にした。原因はNHKのコードに、私たちのつくった映像の中のオレンジが、少し明る過ぎるところがあるから直すようにとの事であった。デジタルの時代、これだけの事で、東京←→島根を泊り込みで往復する。NHKがOKを出さないと民放はOKを出せない。一度島根に持って行ってNGとなり、東京のスタジオで直して、すぐに島根へ。この映像は8分間の政見放送用のフィルム。告示日前日にすべり込みセーフとなった。私の頼りにしている人の冷静沈着に対し、私はこんなのいいがかりだ、バカヤローと思った。NHKのスタジオ内にはたくさんのモニター、たくさんの人、ヒマなんじゃないのと言った。他は人手不足なのにと思った。いかにも何かに忖度しているような嫌な気分だった。民放2社の担当者はすぐにOKをくれた。NHKのばかめと思った。その夜「正欲」という映画を見た。“性欲”とは違う。人にはそれぞれ違ったフェチ(フェティシズム)がいる。稲垣吾郎と磯村勇斗が共演している。かなりの話題作だった。特に磯村勇斗がいい。稲垣吾郎は芝居がうまい。また声がいい。歌より全然いい。私の友人に“太った女性フェチ”(おデブフェチというらしい)がいる。それは単なるグラマラスではなく、よく肥えた、働き者の農家の嫁みたいなのだという。名画でいえば、“ルノワール”の描く裸婦が近い。陽灼けした肌、顔から落ちる汗、その汗をぬぐう太い腕、太い首には手ぬぐい。白いシャツはびっしょり濡れて、肌に密着している。友人はこのことを語り出すと止まらない。きっと大好きだったお母さんの姿を求めているのだろうと思う。4月19日から浅葉克己先生がキャンバスに印刷するというデザイン界初の作品を発表する。神宮前3丁目の「+81 Gallery Tokyo」4月19日(金)~5月31日(金)まで。その会場で新作映画の上映の機会をいただいた。6時30分からと7時30分からの2回。4月18日夜、浅葉克己先生、井上嗣也さん、稲垣純さんと会場に行って、ギャラリーの社長さんと打ち合わせをした。雨が落ちて来た。すぐ隣りにあったインドカリー店に入った。“ナン”がナンともいえずウマイ。今まで食べたナンの中でいちばんだと思った。つまりナンバーワンだ。先輩の浅葉克己先生をやさしく支える井上嗣也さんの姿が印象的だった。天才と天才の認め合う絆だ。浅葉克己先生をタクシーで送り、東京駅に向った。皇居の前を通りふと思った、桜の花を見なかったなあ、今年もやはり小作人の春だ。(文中敬称略)
2024年4月6日土曜日
「ばかな話その(7)ばかな仕組み」
人間と人間の引き起こす、うんざりする出来事に、もしかしてこれらは神様がヒマつぶしに、地球という芝居小屋の中で、田舎芝居をさせているのではと思う。国民の税金をたっぷり手にしながら、“何も憶えていない”“何も知らない”“何んの関係もない”と言い続ける。記憶力を失った者共に、一人一億円以上の税金を使わねばならない。こんなバカ者たちを何んで選ぶのか。悲しいかな人間は食べて行かねばならない。そのためには「“職”あるいは“食”“仕事”」が必要である。それを得るために仕事を出してくれる人に、平身低頭する。その仕事を出してくれる人は、その仕事を発注してくれた会社の人に平身低頭する。その会社の人は数ある同業の中から選んでくれた人や人々に平身低頭する。 その会社は政治家や、反社会勢力や、各界のフィクサーたちに平身低頭する。バカヤロー誰れのおかげだと思ってんだ、こんなはした金で済むと思ってんのか、ええ、オイ、分かってんのか、この仕事の流れが、と永田町で怒声が聞える。 私の古い知人(かつては仕事をいただいていた人)が、定年後ある地に老人ホームを建てた。親から譲り受けた土地に建てた。二階建てを計画したが、役所の人からこれからは老人ホームの時代、ここは駅前だから三階建てにしたほうがいいとアドバイスされた。医療付老人ホームは許認可事業である。知人はフィリピンで若い女性を好き勝手に選んで、死ぬまでたのしい性生活の満喫を夢見ていた。が、役所はそれを許さない。でも医療付建設ホームのほうは許すのだ。そうして総工費10億円のところに、13億5千万円が必要となった。3億5千万円は、役所の下っ端から上へ上へと金を使い、役所は市会議員の誰れそれにもといい、 市会議員は県会議員の誰れそれにもといい、県会議員は国会議員の誰れそれにもといい、国会議員は自分の所属する派閥の誰れそれにもといい、派閥のボスは、╳╳組と╳╳会の誰れそれにもという、そうこうしている内に、3億5千万円が消えてしまった。二階までは老人が入居したが、三階は空っぽであった。バカヤローやってられない、これは夢だ、夢なんだとフィリピン女性を想いながら思う。そうです、これは私の創作です。少しばかり本当なのは、一人の知人が定年後、かねてより殺意ばかり感じていた古女房と、別れたいばかりに、フィリピンで今も生活しているという事である。人の世の仕組みは、人は上へ、上へと登りたがる(出世したがる)人よりいい生活をしたがる。映画「仁義なき戦い」の中で、ヤクザ者の千葉真一(故人)が若い衆に向ってこう言う。オレたちヤクザ者はヨオ~、ウメエモン食って、マブイ女(いい女性)を抱いてヨオ~と。作家松本清張が好んで書いた小説は、巨悪、中悪、小悪、そして国家の闇、人間とは性と欲、金と権力。そして人が持っている“秘密”だ。 人間という生き物(動物)は、救いようのない生き物だから、創造主、あるいは神(いなけど)は、人間に寿命(必ず死ぬ)を与え、この世の生き地獄を生んだ。先日、 世界最長寿といわれていた人が117歳でこの世を去った。医学的には115歳が限界といわれていたからそれを二年超えた。(外国の人)黒澤 明(故人)の名作「七人の侍」の中で、三船敏郎が演じた“菊千代”は、仲間にこういわれて怒った。“菊千代、お前は本当は武士ではなく、百姓だろ”菊千代は怒る。“俺は百姓じゃねえ、百姓は大嫌いだ。 いつもペコペコ頭を下げているが、自分たちの食べる物は、ちゃんとどこかへ隠している”。この映画の肝はここにある。本当にこの世を生き抜いて行くのは誰か。自分の胸に手を当てて考えてみる。自分が始末の悪い人間であることが分かるのだ。もう人間はいいやと思いながら一本の映画を見た。「オオカミとライオン」現代のおとぎ話であるが、美しいカナダの風景の中で起きる、一人の若い女性と、親を失った、 犬科のオオカミの子と、ネコ科のライオンの子が生む成長のドラマに、心が洗われる。CGで合成しているのだが実によく出来ている。本来、犬科とネコ科は仲良しにはなれない。が、映画の中ではこれ以上ないほど仲良く成長して行く。人間社会では兄弟は他人の始まりというが、オオカミの子と、ライオンの子は人間たちの悪さから逃れ、大好きな、大好きなピアニストの女性を追う。この映画に本当の 悪人は出てこない、基本的にいい人ばかりなのだ。動物好きのおじいちゃんに育てられた女性は、神のようにやさしいのだ。自民党という動物園で起きている、ブザマな動物たち、権力というエサに群がる、バカな動物たちの生態を見たあと、「オオカミとライオン」を見て、あ~カナダに行きてえ~と思った。広大な空、広大な森、広大な湖、そして小さな家。小さなオオカミ、小さなライオン。かわいいのなんのでウルウルした。愛すべきバカな知人は、今もフィリピンにいて、若い女性と充実した性生活、ハーレム状態らしい。まてよ、夢か。老人ホームはどうなったか(?)それは創作のイメージが思い浮かばなかった。礼儀正しいのと、平身低頭とは大差がある。有名な“韓信の股くぐり”という教えもある。この世でいちばん、ジャマなのはつまらないプライドである。あなたもいざ行けフィリピンに。日本女性の何倍もやさしいのだと。(文中敬称略)
2024年3月22日金曜日
「ばかな話その(6)勉強ばか」
「ムチャクセイキョウ」(無着成恭)という 名物先生が、ラジオのレギュラー番組に出ていた。先生はすでに故人だ。 東北の地に“山びこ学校”をつくり、子どもたちに独特の教育をしていた。ラジオ番組の名は確か「もしもし電話相談室」だったと思うが、記憶は定かではない。無着先生は東京では“ミョウジョウガクエン(明星学園)” という制服なし、私服でOKの学校で教鞭をとっていた。ラジオ番組は夕方だった。小学生たちが電話で相談すると、無着先生や他の先生が質問に答える。生放送形式であった。もしもし、小学六年生の〇△です。ハイハイ、センセイナンデボクノオチンチンハ、オンナノコヲミルトカタクナルノデスカ。う~む、それはねキミが順調にお兄さんになっていってるからだよ。オニイサンニナルトカタクナルノデスカ(?)、センセイモナルンデスカ(?)う~む、先生もなるんだよ。カタクナルトイケナインデスカ(?)いけなくないんだよ、う~む、このことは中学生になると、先生が詳しく教えてくれるからね。こんなやりとりもあったりした。オトウサント、オカアサンハ、ナンデイッショニネルンデスカ(?)ワタシハ○△小学五年生ですと、女の子の質問。う~む、それはお父さんとお母さんが仲良しだからなんだよ、デモイツモケンカシテマス。そうなの、でも大人はケンカするほど仲がいいともいうんだよ。なんて質問に先生たちは悪戦苦闘する。今の時代にこういうライブ感のある番組はない、もしくはできない。昭和はラジオが全盛だった。令和の今はスマホ全盛で見えない相手と交信している。例えば今の状況を“もしもし”風にしたらこうなるだろう。ボクハ○△小学六年生です。ナンデセイジカハウソバカリツクンデスカ(?)う~む、それは政治屋だからなんだよ。セイジカト、セイジヤはドウチガウンデスカ(?)う~む、政治家は国の将来を考えたり、国民の生活を守り、よりよくするんだ。政治屋は自分の選挙のことばかり考え、裏金という悪いお金をつくっているんだよ。ソレデハセイジカトイウヒトタチハワルイヒトバカリナンデスカ(?)う~む、そうとばかりは言えないけど、そういうひとが多いんだよ。セイジカノヒトハトテモベンキョウガデキルンデスヨネ、デモドウシテケイサツニツカマルンデスカ(?)う~む、それはね勉強ばかりしていて、ばかになっちゃったんだよ。ナンデベンキョウバカリシテイルトバカニナルンデスカ(?)う~む、キミのお父さんは何んの仕事をしているの(?)ダイジンデス。えっ、大臣なの。ソーデス、トーダイヲデテイルノニ、ウソツキダト、トモダチカライワレテマス。う~む、そうなのかそれはこまったね、お父さんは今どこにいるの、ハイ、ケイムショノナカデス。こんなことだろうか。出来の悪いコントのような国会中継を見ていると、法律とは一体何んのためにあるのかと思わずにいられない。食うに困った老人が二度、三度とコンビニで、300円ほどの食べ物を盗んで刑務所に入れられる。かつて私の後輩だった人間が、植木市で盆栽を一つ盗んで刑務所に入っていると聞いた。かなり高額な盆栽だったらしいが、身柄の引き受け人がいなかったらしい。女房に捨てられ、我が子からも見捨てられたらしい。七十代になっての刑務所暮らしはキツイ。こんな話が悲しい「春分の日」である。スポーツ新聞はひたすら、大谷、大谷、大谷選手の記事が独占しつづける。日本のプロ野球は完全に大リーグの2軍化している。春の選抜野球チームに、珍らしい学校名の高校が初出場していた。その名は、「耐久高校」和歌山代表だ。何か今の世の中を代表しているではないか。値上げ、値上げ、値上げで“耐久レース”をしている我々を。第一回戦中央学院高校と対戦したが、1対7で敗けた。和歌山といえば先日、国会でヘラヘラ、ヘラヘラ、ウソばかりを言っていた参議院議員世耕弘成を思い出す。“全身嘘人間”だ。この手の人間は恥というのを知らないから始末が悪い。カンナクズみたいな政治屋に、国民は年間一億円近くを与えているのだ。故池波正太郎の名作「必殺仕掛人・藤枝梅安」に始末されるような悪党だ。不眠が酷くて、寝つけないので、故笹沢左保の名作、「木枯し紋次郎」を見ている。アッシにはかかわりのないことでござんす、長い楊枝を口から放す。宿場の飯屋で食べるメニューが、私の大好物と同じなのがいい。冷や飯にメザシの焼き物二匹、あとはとろろ山芋だ。それを一気に食べる。呑気に食べていてはスキが出て襲われる。早メシ、早グソ、武士のたしなみという。戦場ではそれがジョーシキ(常識)なのだ。すっかり時代劇のいい映画がない。制作費が高いので作れないのだ。又いい役者もいない。名優故勝新太郎の座頭市と、名優故緒形 拳が共演した映画は見応えがあった。緒形 拳も目の見えない悪党の検校役。見えない者同士が、酒を飲み交わす。このシーンは圧巻だった。今の世は“欲望”しか見えない。その他には、絶望だ。座頭市がいうところの嫌な渡世なのだ。それでも私は希望を捨てない。始末の悪いことに、いいシナリオ(?)が次々と浮かぶのだ。♪~ 私バカよね おバカさんよね うしろ指 うしろ指 さされても……。なんて口ずさみながら。「存在の耐えられない軽さ」という名作があったが、私の場合は、「その存在のあまりの酷さ」といえるだろう。♪~ 人生が二度あれば、なんていう歌があったが、人生は一度しかない。もしもし小学校五年生の◯△ですが、と女の子。オトーサント、オカアサンガ、ナイフト、フォークヲモッテ、ケンカシテルンデスガ、ドーシタライイデスカ(?)う~む、それはきっとナイフでリンゴを切って、フォークで切ったリンゴを刺して、仲良く食べようとしてるんじゃないのかな、ケンカではなくて、きっと……無言。先生は言葉が見つからない。令和の今、昭和がブームらしい。昭和は戦争ブームだった。その戦争を始めたのは、赤門を出た東大法卒たちであった。(文中敬称略)
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