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2013年7月17日水曜日

「鬼と花」




今日は東北新幹線で東京〜小山へ、そこからJR水戸線、関東鉄道常磐線、真岡鉄道真岡線「下館駅」下車、北口徒歩8分の処にあるアルテリオ「しもだて美術館」に行く。

敬愛する市田喜一さんと奥様の左時枝さんの展覧会を観るためだ。

市田喜一さんの描く「鬼」の版画は実にユーモアに満ちている。
実に明るく、楽しい。また大胆にして繊細な色彩は人の心の中に潜む「鬼」を描きだす。

左時枝さんの描く「花々」は、秘かで妖しく、欲情的でありその色彩は女体の謎の様でもある。「鬼」と「花々」はきっと火花を散らし合っているだろう。

仲良いご夫婦の二人展。お互いリスペクトし合う姿に心より乾杯だ。



2013年7月16日火曜日

「親と子」


ザトウクジラ ※イメージです


七月十日、見逃していたNHKスペシャルの再放送を観た。
午前一時から二時。第五回科学映像祭内閣総理大臣賞受賞作「クジラ対シャチ」だ。

最愛の母が死んだ時も、最愛の友や知人、恩人が亡くなった時も私は決して泣かなかった。男は人前で泣くなと決めているからだ。「クジラ対シャチ」を見て泣けた。
何故かそれはクジラの母親が子を育て、その子を守るために自らの命をかけてシャチと戦う姿にだ。

クジラは暖かい海でしか子を産み育てられない。
子どもに脂肪がつかないと、北の海ベーリング海には行けない。
アリューシャン列島付近は世界一のオキアミの産地なのだ。

母は子に泳ぎ方、息の仕方を教える。暖かい海には食料のオキアミはない。
蓄えた体力を使って子を懸命に育てる。そしていよいよ5000kmの旅に出る。
ベーリング海に入るには10km程の海峡を通らねばならない。
クジラの数約四万頭、オキアミ約六億トン。それを目指す水鳥約数千万羽。

アリューシャンマジックという超常現象が起きる。
ベーリング海は真黒となる。だがそこに行くためにクジラは獰猛な肉食シャチの攻撃を受ける。シャチもクジラなのだが。

旅をして来た子クジラの半分はシャチに食べられてしまう。
チームを組んだ頭脳プレーで攻めるシャチの脳力はとんでもなく凄い。
時速70kmと速い。クジラの母は子クジラのために必死に戦う(世界で初めての映像)。

だが子クジラはシャチの餌食になる。子クジラの食べ残された体はヒグマが食べる。
食物連鎖の世界だ。小さなオキアミの爆発的発生が生んだ弱肉強食の世界だ。
BBCNHKの共同制作、圧倒的な世界だ。

特に小クジラを守る母クジラの姿に、迷惑ばかり掛けたがいつも深い愛で守ってくれた亡き母を思い出した。自分は何も食べずに子を育てる母クジラ、体は三分の二に減ってしまう。シャチもまた、実は子どもを育てるために食料が必要なのだ。
クジラを攻めて食べなければ親子は生きて行けない。

グラスに入れたハイボールが腹にしみる。眼から涙が流れる。
だが地球上最も大きいクジラを最後に食べてしまうのは人間なのだ。
人間ほど獰猛な生き物は地球上にいない。一頭の親クジラが子クジラをシャチの攻撃から守りきった時に思わず拍手してしまった。

親子とは本来とても仲のいいものなのだが。
何故にこの頃自分が生んだ子を憎んだり、自分を産み育ててくれた母親を憎んだりするのだろうか。悩める親子はベーリング海に行けばきっと仲良しになれる。

2013年7月12日金曜日

「托鉢の中へ」




あなたは隣に一億二千万円の腕時計をしている人が、木村屋のアンパンなんか食べていたらどうしますか?

銀座4丁目和光の隣にそのアンパン屋さんがある。
一階はアンパン売り場、二階が喫茶室、猛暑の中ある人と会うために私は二階に居た。

少し早めに着いたので冷たい抹茶を頼んだ。
窓から下を向くと暑さでヘロヘロになった人々がヨロヨロと歩いている。
交差点の側に修行中の雲水が托鉢を手にじっと下を向いて立っている。

「日本橋三越でヨ~今フランク・ミューラー(スイスの高級腕時計)の新作展示販売をやってんだよ。一億か一億五千万とかクラスが揃っているらしいぜ。行かねえか?この時計ヨ~一億二千万だろ、だからその上目指したいんだ。」
未だ三十代そこそこの男と二十代後半の女性がアンパンを食べながら話をしていた。
確かに高い事が一目でわかる大きな時計を右腕にしている。

七分のジーンズ、素足にデッキシューズ。
十本の指に五本の指輪、白のコットンシャツの中は日焼けした肌。
若い女性は薄いグリーンのノースリーブワンピースに少し太めの白い皮ベルト。
首には麻の様なショール。靴は白いエナメルのハイヒールであった。
アンパンを食べていた女性が突然ファークションとクシャミをした。
なんか冷房効き過ぎてないと言った。

その時私はある映画をイメージした。
例えば今ここに短刀を持っていたらどうするか。
あるいはマタギが持つナタでもいい。アンパンを持つ男の腕をバサッと斬り落とす。

落ちた手には半分食べたアンパン。
床下に一億二千万円の時計が血まみれになっている。
ダイヤの輝きが円を描き、赤い血の中で異様に光っている。
女性は何事も無かった様に二つ目のアンパンを食べている。
男は左手で新しいアンパンを食べ始めている。
私は床に落ちた時計を持って店の外に出る。
そして雲水の托鉢の中にそれをゴロンと入れて立ち去って行く。
男と女が一緒に出てきて腕を組み、日本橋三越に時計を買いに向かう。

暑い、その日銀座のアスファルトの上の温度は40.6度であった。
アスファルトの上に男が落としていった赤い血の雫が直ぐに焼けて黒い汚点となった。

2013年7月10日水曜日

「県民“性”」




週刊誌なんてお下劣な読み物には縁のない人に興味ある馬鹿バカしいある調査データを一部紹介する。

購入代金470円也。
週刊ポスト、猛暑御見舞合併・特大号の巻末に載っていた「県民“性”」データだ。
コンドームメーカーの相模ゴム工業が全国一万四千百人(2060代の男女)を対象にセックスアンケートを行ったのだ。調査は47都道府県に及んだ。

性生活の満足度一位、鹿児島県55.8%、四十七位、愛媛県46.2%。
一ヶ月のセックス回数一位佐賀県2.79回、四十七位大阪府1.52回。
初体験年齢一位沖縄県19.6歳、四十七位茨城県21.1歳。
経験人数一位高知県12.4人、四十七位埼玉県5.3人。
浮気率一位島根県26.5%、四十七位秋田県15.4%。
セックスレス一位千葉県59.2%、四十七位奈良県42.9%。
マスターベーション一位秋田県5.67回、四十七位福井県2.82回等々が載っていた。

20代女性の初体験の相手の一割がネットで出会った男。
30代の男性の約一割が童貞。40代女性の約18%が浮気中。 
60代男性の65%がもっとセックスをしたい。
 セックスレスの既婚者55.2%。男性の75.2%はもっとしたい。
35.8%の女性はしたくない。

と、まあどうでもいい話だが、相模ゴム工業にとっては死活問題なのだろう。
どんどん使用してもらわねばならないからだ。
要するに男性はいくつになってもスケベであって、現代女性は面倒な事はしたくないという分析が成り立っている。
若い男性は奥手であって、若い女性はその逆という事となる。

と、まあどうでもいい話だがもっと詳しく知りたい人は、代金470円を支払って購入してもらうしかない。私は何故購入したか、それは小沢一郎と西郷隆盛という馬鹿げた比較論を読むためなのであった。
次に参院は本当に必要か(?)であった。その次があったのだがそれは書けない。

暑いそれにしても暑い。
十九年使用してきた風呂の電源が遂に寿命を迎えてしまった。
当分水風呂か、水シャワー生活だ。愚妻は暑いから丁度いいんじゃないだと。
全く鈍感度100%だ。浮世離れした人間とは会話に成らないので一日一話と決めている。

2013年7月9日火曜日

「生きろor死ね」


プライベート・ライアンより


一将功成りて万骨枯る。
安倍晋三総理が一人勝ちして参議院選挙後一気に憲法改正に向かうはずだ。
自民党が単独過半数をとれば公明党をいずれ外すはずだ。
学会を利用するだけ利用して捨て去るだろう。
日本経済の事などにははじめから興味はない総理大臣なのだ。

私は今から十九年前医師に慢性的疲労型(?)鬱病だといわれた。
その時愚妻と会社の幹部が医師に呼ばれた。話は当然「自殺に気をつけて下さい」という事である。ある本(鬱関係)の扉のページにアメリカの専門医の言葉が一行書いてあった。

そこには、「鬱病は死ぬよりつらい、それ故死を選ぶ」と。
時速150km近い列車に友人、知人が何人か飛び込んだ。
死人に口なしだから分からないが、奇跡的に助かった人の話によると吸い込まれて行った。その時すでに死んでいたと言っていた、恐怖よりも楽になりたいという思いの方が深く強かったと。

二週間に一度愚妻と医師のところに通った。
十年以上も。私は負けてたまるかと、早朝一時間から二時間半海岸のサイクリングロードを歩いた。下手な絵も書き続けた。

三年前私があるイベントを催した時、担当であった医師(現在慈恵医大青砥院長)が来てくれた。究極の認知療法、行動療法でよくここまで来たねと笑って褒めてくれた。
毎日の様に列車に乗ると人身事故の遅れが告げられる。

「人生自分で死ぬほど捨てたものではない」という格言もある。
「絶望は愚か者の結論である」ともいう。 
1%の富裕層、1%の大企業が恩恵を受ける政治にあなたはYESNOか。
そのどちらでもいいが必ず投票に行って権利を主張して欲しい。

人生ケセラセラ、成る様にしか成らない。
この国は本当に真っ当な幸福の国なのだろうか。

「鬱」で悩み苦しんでいる人がいたら遠慮せず連絡をして欲しい。
私の体験と私が働く姿を見て欲しい(人に迷惑ばかり掛けているのだが)。

一将だけに功を与える必要はない。
自民党は大勝が仇となるだろう。それぞれの手柄争いと、あらゆる人事でモメにモメる。アメリカから嫌悪されているリーダーは必ず滅ぼされる。親中もまた同じだ。
男の嫉妬ほど醜い姿はない。我々は決して負けてはならない。
リングの上でファイティングポーズをとらねばならない。

古今の歴史は教えてくれている。
金を追った人間、権力や名誉を追った人間の末路は実に哀れなものであると。
但し堕落した人間、働かざる人間、学ばない人間の末路もまた哀れなものである。
一日一死、明日行きている保証はない。「今日できることは今日しよう」 

それにしても暑い。それにしてもマツコ・デラックスは暑苦しい。
医学的には生きている筈がないのだが。

「地球は宇宙の不良少年」だといった哲人がいた。
地球環境を守らねばならないのだが、CO2削減は忘れられてしまった。
やっぱり不良少年なのだ。

映画「プライベート・ライアン」の中で、トムハンクス演じる勇気ある軍人は傷ついた部下たちに「必ず生きろ」という。
日本軍人であればこう言った筈だ。「必ず死ね」と。憲法改正をするという事は、第九条を改正するという事なのだ。即ち戦争をする国づくりなのだ。さてYESNOか。

2013年7月8日月曜日

「マンボウに学ぶ」




ある社会学者によると、今度の参議院選挙の投票率は上がるはずだ。

その原因はイワシの群れにある。
 イワシの大群は実はなんの根拠もなく、一匹一匹が無目的に集まる(大きく見せて大きな相手を威嚇する防衛本能という学説もある)。
そこに餌があって集まるのではない。
みんなが集まりだしたから遅れてはならないと集まりだし、群れとなり大群となって行く(エジプトやトルコ、ブラジルのデモの群集心理も同じ)。
イワシの群れは結束力はなく、水温が少し変化しただけでバアーっと飛散してしまう。

ネット社会の住民は、人に遅れたくない。
人を意識する習性があり、自らが情報発信者となり、その事によって人が動く事を何より喜びとする。みんな誰に投票するのだろう。必ず勝ち馬に集まる。

投票した候補者が当選すると、俺が、私が、僕が、ネットで応援したからと自らを主役化する。人が投票に行くなら行かねばならないと、行動と確認をする。
無駄な行動を嫌うのだが、自己肯定主義なので遅れてならじと、いつもパソコンをいじっている場所からゴソゴソと出て来るのだ。
これが「イワシの群れ論」だ。
この群れは自分に都合悪くなると、削除、削除を繰り返し、君とはもう友達じゃないよ、とバアーっと飛散する。と学者は話をすすめる。

水族館でじっと、ずっとマンボウを見続ける人々が居る。
マンボウは泳いでいるのか、漂流しているのか定かではない。
ただゆったり、のんべんだらりと常同行動をする。
体の半分を食い千切られた様な不自然な形。象の様な肌と小さな眼。
おちょぼ口が実にかわいい。
ネットに支配されてしまっている現代人に「もっとのんびり、ゆっくり生きなさい」と哲学者の如く教えを与える。

私は時間を見つけては自転車で20分位の処にある江ノ島水族館に行く。
魚たちを見ていると心が休まるのだ。特にクラゲが好きである。
素晴らしいデザイン物体だ。宇宙的ですらある。思想家の様でもある。
私は群れるのが大嫌いなので、イワシよりマンボウを先生とする。
クラゲにデザインを学ぶ。

但しイワシを食べるのは大好きだ。万能の魚だ。焼いてよし、煮てよし、たたいてよし、つぶしてよし。マンボウは決して食す気にはならない。きっと食えない奴なのだろう。権力に接近する思想家とか、哲学者も食えない御尽が多い。
使えない御用学者は始末に負えない。世が世なら天誅だ。

さてあなたは、イワシかそれともマンボウか。気がつけば毎週金曜日脱原発のデモが盛り上がっていたが殆どその姿は消えた。

2013年7月5日金曜日

「福島へ」




七月五日(金)十二時八分発福島行きやまびこ137号に乗って福島に向かう。
昨年亡くなった親友のお墓参りに行く。

四十四年前小さな印刷屋さんの四階、四畳半二間で始めた時からのメンバーの三人と行く。はじめは私一人、次に入社して来たのが今年で四十年、その次が三十九年、一緒に行くもうひとりは三十五年位だろうか。

小さな部屋に集まって来てくれたわたしの宝物のような人間だ。

亡き友を失ってこの一年、私は機能停止となった。
知らない事を教えてくれる友がいない。一緒に美術館巡り、一緒に映画や落語、一緒に歌舞伎やお能、一緒に旅も出来ない。一緒に天下国家を語り合い、政治を断じ、経済に注文をつける友がいない。
ほぼ毎日会い、または声を聞いていた友がいない。

スコッチウイスキーが大好物であったのでそれを持って行く。
日本酒も、珍味が大好きだったので、それも持って行く。
みんなで毎夜通った赤坂のクラブのママがいつも友が書いてくれていた季節の挨拶状も、今年は私が書いた。とても友の名文にはかなわない。

それにしても医師をして生きている方が不思議、人間の生活じゃないと言われた罪深き私のほうが友より長生きしているのは何故だろう。亡き友の墓に報告する事が山ほどある。真の滅びの美学を友に教えてもらいに行く。
一切の治療を拒否して潔く旅立った友は永遠の先生なのだ。

2013年7月4日木曜日

「大船駅にて」


嘆きのピエタ

イノセントガーデン


礼儀を知らないオヤジと礼儀正しいオヤジさんに出会った。
十一時十二分、品川駅から熱海行きの列車に乗った。
かなりへたばっていたのでグリーン車に乗った。
霧雨がジトジトと降っていた。
車内は蒸し暑い。

もしかして座れないかもと思ったら三つ四つ空いていた。
私は真ん中近く通路側に座った隣には赤い顔をしたオヤジがメガネを少しずらし完全に眠っていた。目の前の雑誌とか新聞を入れる網の中に宝缶チューハイが入っていた。

夕刊紙も入っていた。
安藤美姫に第三の男とか、父親は◯☓だ、☓△だのでっかい見出しがあった。
当分この話が続くだろう。私はジャケットを脱いで目の前のフックに掛けた。

斜め前には黒いスパッツに黒いピンヒールを履いた二十七、八歳位の女性がいた。
ひたすら携帯をいじっていた。川崎を過ぎた頃、気がつくと足が浮腫んできたのか靴を脱いでいた。

頭の毛しか見えていなかった前の席から、五十二、三歳位の会社員風オヤジさんが振り返り私に向かって、すみません座席を倒してもいいですかと聞いてきた。
とてもいい人だったので勿論いいですよと言った。

実は目一杯倒されるとかなり窮屈になるので私は好きではない。
余程礼儀正しい人間でない限り、黙ってギューと倒され、組んでいた足がつったりしてしまう事がある。兎に角蒸し暑かった。
隣のオヤジはゴーゴー、グアーグアー鼾をかいている。

列車は横浜を過ぎ戸塚を過ぎ、大船に着いた。
オヤジは急にガバッと起きた。私は読んでいた新聞を手にして立ち上がった。
足元に置いてあったバッグも手にした。オヤジはソコノケよみたいに、わざわざ立ち上がってやった私に、ひと言も言わず降りて行った。

久しぶりに映画を二本観た帰りだった。
一本は「イノセント・ガーデン」、一本は「嘆きのピエタ」二本とも韓国人監督の作品であった。

日比谷から渋谷文化村への移動で疲れていたのと、殺し、殺し、殺しの映画にこってり疲れていた。生まれながらの狂人と、生まれながら母親の愛を知らずに育った人間の残忍性の極み。一本の映画はヴェネチア映画祭の金獅子賞を受賞している(嘆きのピエタ)。

一体「人間」とは何物か、人間にとって「金」とは何物かを徹底的に追っていた。
で、礼儀知らずのオヤジに対してフツーならオイ!ひと言位挨拶しろ、というのだが心身共に映画疲れで、あっそうと許してやった。

映画を観た後、腹ペコだったので渋谷東急本店前の「ひもの屋」に入り、サバの開きを頼んだと思ったが出てきたのはアジの開きだった(文化村で偶然出会った連れの後輩がアジを頼みましたよと言った)。

イノセント・ガーデン(この作品の監督はオールド・ボーイでカンヌ映画祭のグランプリを受賞している)は、今日で終わりだった。タイトルデザインの素晴らしさ、タイポグラフィーの素晴らしさでも見るに十分な作品であった。韓国映画のアート性の高さ、恐るべしであった。当然残忍性は計り知れない。

2013年7月3日水曜日

「ブルースの街」


※イメージ


銀座日航ホテル裏、六時十五分頃。
目の前に大行列があった。

何だこりゃと思ったが直ぐにわかった。
「俺のイタリアン」という店に来たお客さんたちだ。
今どこでも「俺のイタリアン」は大行列。
付和雷同性野次馬根性ミーハー的暇人が一時間も二時間も並んでいる。

元ブックオフの社長だった人間が変身を遂げたらしい。
が、人間の中身は変わらない。

日航ホテル周辺は六時を過ぎた頃から一気に活発化する。
ホステスさんや黒服たちが時来るとばかり出て来るからだ。
「ネエー来てよゼッタイよ」と叫びながらつんのめって歩く和服の女性は携帯二台を持って血走っている。
ピンクのロングドレスの女性は建物の壁に寄りかかって煙草を吸いながら懸命にメールを打っている。ボーンと胸の谷間を出したキンキラのネオサインみたいな女性は、小役人風のオッサンと腕を組んで日航ホテルのカフェへ入った。

私はある出版社の編集長と大学の女教授二人と会う約束をしており地図を片手にウロウロしていたのだ。偉い人に会う時はあまり早く行ってはいけない、遅刻は許されない。
約束の時間の十分位前に行くのが決まりだ。

七時に会う予定なので早めに行き、店の在り場所を確かめしばし銀座の動きを観察していたのだ。「今美容院に向かっているの、◯☓堂のカフェルームで待ってます、待ってまーす」と携帯にお辞儀している和服のオバサン。
黒服たちが集まっては何やら情報交換をしている。アチコチで。

銀座はみるみる活動を開始する。
花屋さん、氷屋さん、おしぼり屋さんが行き交う。
七時から十一時半までの四時間半が勝負なのだ。
ウァーでっかい、黒い肌の女性が銀色のドレスを着て歩いて来た。
手にブリックパックの飲み物を持ち、小さなストローで吸い込んでいる。

こんな銀座が大好きなのである。場違いなすしざんまいのネオンが光だした。
マツモトキヨシの黄色い看板が銀座に似合わないと白色に変わっていたのに気がついた。俺のイタリアンの行列は更に長くなってきた。

後一年経ったら行列は消えているだろう。
銀座は人間を磨く道場であるが、人間の浮沈が一夜にして決まってしまう怖い所でもある。ネオンの数だけママがいて、女将がいて、主人(オーナー)がいる。
夜の数だけドラマがある。男と女、ブルースの街なのだ。

2013年7月2日火曜日

「初めての事」






遂にその日は来た、といっても大した事ではない。
だが私にとって結婚して四十四年初めての珍事であった。

ご近所に住む友人の陶芸家ご夫婦は家庭菜園を丹念に耕している。
そこで掘り出した立派なジャガイモを数十個届けてくれた。
黒茶色の泥がたっぷりついていた。手触り感が武骨であった。

その日、体のメンテナンスに来てくれていた鍼灸マッサージの先生や近所に住む息子にお裾分けをした。十三個が残っていた。その夜午前一時からサッカーの試合を見る事にしていた。三時四十五分までスペインVSイタリア戦だ。

結果がわかっていたのだが、試合の中身を見たかった。
やはり勝敗が分かっているので気が散ってしまう。見ながら新聞読んだりをしていた。

私は複数の事を一緒にする習性がある。その時突然思い出した。
今年の春通販で買ったスピードスライサーの事を。手動式野菜皮むき器の事を。
ゴソゴソ箱を取り出し開けずの箱を開けた。
 T字型の髭剃りの二枚刃みたいに太い刃とそこにミスタージャガイモをゴロンゴロンと出す。右手に持った二枚刃を左手に持ったジャガイモに当て、上から下へすーっと下ろすと、サァーと皮が剥けるではないか。

アレ、オレにも出来る事あるじゃないのと、上から下への作業を繰り返す、楽しいじゃないか。主婦は毎日こんな楽しい事やってんのかなんて思ったもんだ。
一個、二個、三個、泥んこのジャガイモは、次々と薄い肌色を恥ずかしそうに出して来る。お前はもしかしてミスジャガイモかなんて思ってしまう。
表はゴッツイ男だがそれは仮の姿。一皮剥けばグラマラスな女なのだ。

夢中になり辺りは泥と皮だらけとなった。
久しぶりに充実した気分となったのは午前二時半頃であった。
これをどうするかが分からなかった。
冷やすべきか、水につけとくべきか、思案した結果やっぱり茹でるべきだろうと思い、鍋を出しその中に水を入れそこにゴロゴロゴロンと素肌美人のジャガイモを投入し火を点けた。グラグラと三十分近く茹でた。箸を刺すとブスーと一気に刺さるまで。

外は明るくなり朝刊を入れる音がしていた。
愚妻が六時半頃起きて来て見事に茹で上がったジャガイモを見てもひと言もない。
男は台所に入らないでが口癖なので、何で余計な事をしたの、泥だらけじゃない。
そんな顔をしながら後始末をしていた。

昼過ぎ床屋さんから帰って来ると十三個のジャガイモは二つ、三つ、四つに切られ、熱油に投入されフライドポテト(孫が大好き)に姿を変えていた。
可哀想にというと、えっなんでみたいな顔をしていた。
(デリカシーはゼロだから)愚妻はそれに塩をかけ黙々と食べた。

輪切り、千切り、短冊切り。一台で五十二通りのスライス!と箱に大きく書いてあった。人参やキュウリや大根もやってみっかと思ったが、せっかくの主婦の楽しみ(?)を取ってしまったら悪いかもなと思い次は無いと決めた。