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2013年7月12日金曜日

「托鉢の中へ」




あなたは隣に一億二千万円の腕時計をしている人が、木村屋のアンパンなんか食べていたらどうしますか?

銀座4丁目和光の隣にそのアンパン屋さんがある。
一階はアンパン売り場、二階が喫茶室、猛暑の中ある人と会うために私は二階に居た。

少し早めに着いたので冷たい抹茶を頼んだ。
窓から下を向くと暑さでヘロヘロになった人々がヨロヨロと歩いている。
交差点の側に修行中の雲水が托鉢を手にじっと下を向いて立っている。

「日本橋三越でヨ~今フランク・ミューラー(スイスの高級腕時計)の新作展示販売をやってんだよ。一億か一億五千万とかクラスが揃っているらしいぜ。行かねえか?この時計ヨ~一億二千万だろ、だからその上目指したいんだ。」
未だ三十代そこそこの男と二十代後半の女性がアンパンを食べながら話をしていた。
確かに高い事が一目でわかる大きな時計を右腕にしている。

七分のジーンズ、素足にデッキシューズ。
十本の指に五本の指輪、白のコットンシャツの中は日焼けした肌。
若い女性は薄いグリーンのノースリーブワンピースに少し太めの白い皮ベルト。
首には麻の様なショール。靴は白いエナメルのハイヒールであった。
アンパンを食べていた女性が突然ファークションとクシャミをした。
なんか冷房効き過ぎてないと言った。

その時私はある映画をイメージした。
例えば今ここに短刀を持っていたらどうするか。
あるいはマタギが持つナタでもいい。アンパンを持つ男の腕をバサッと斬り落とす。

落ちた手には半分食べたアンパン。
床下に一億二千万円の時計が血まみれになっている。
ダイヤの輝きが円を描き、赤い血の中で異様に光っている。
女性は何事も無かった様に二つ目のアンパンを食べている。
男は左手で新しいアンパンを食べ始めている。
私は床に落ちた時計を持って店の外に出る。
そして雲水の托鉢の中にそれをゴロンと入れて立ち去って行く。
男と女が一緒に出てきて腕を組み、日本橋三越に時計を買いに向かう。

暑い、その日銀座のアスファルトの上の温度は40.6度であった。
アスファルトの上に男が落としていった赤い血の雫が直ぐに焼けて黒い汚点となった。

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