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2018年5月10日木曜日

「連休の三日間」



五月三、四、五日と連休をした。混雑、行列、集団が苦手なので借りて来た映画を見た。新作、準新作、旧作十七本、目標二十本には届かなかった。「質屋」、「密偵」、「彼女がその名を知らない鳥たち」、「アウトレイジ・最終章」、「エクザイル・絆」、「エル」、「狂気の夜」、「鞄を持った女」、「ポルト」、「光」、「全員死刑」、「ドリーム」、「ゲットアウト」、「セザンヌと過ごした時間」、「新世紀・パリオペラ座」以上である。「質屋」はホロコーストの生き残りのユダヤ人がアメリカの下町で質屋を営んでいる。帰る国のない人間(ユダヤ人)にとって頼れるのは金でしかない。この言葉は現代の世界経済から情報化社会の中で生き続けている。「密偵」は日本が韓国をほぼ統治下に置いていた時のスパイ物、期待外れ。「彼女は、、、」は阿部サダオの演技が凄い。SEXをしない夫婦(?)に愛を奉仕をする男。蒼井優も凄い。一人の女に惚れ込んだ男の一途な愛は、当然狂気を呼ぶ。「アウトレイジ」は、バカヤロー、バカヤローを相変わらず連発するだけ。大杉漣が親分役であった。そして大杉漣は本当に死んでしまった。合掌。「マスター」全然期待外れ。「エクザイル」も同じ、香港映画がこの頃よくない。私を支えてくれていた凄腕の女史は香港映画の大ファンで連休に香港に行くと言っていた。いい作品に出会えただろうか。ジョニー・トーよがんばれ。「僕の村は戦場だった」タルコフスキーの名作、言うことなし。「エル」女性は男を支配する。中々よかった。「狂気の夜」ずっとむかしのイタリア。若い男女のファンキーな日々。「鞄を持った女」クラウディアカルデナールの若々しき作品。大好きな女優であった。名作「刑事」のラストシーンは最高である。近々借りて来て又見ることにしている。アモーレ、アモーレ、アモレミーオ、主題曲は忘れられない。「ポルト」これはいい短篇小説を読んだ後みたいな作品。26才の若者と32才(?)の女性と運命的な出会い。ポルトガル(?)の駅ポルトが舞台。”恋人たちの嘘は、やがて真実になる。”プルーストの言葉がよかった。恋と愛は偶然の産物だ。「光」実の兄の妻を抱く弟。破滅的な世界。井浦新が静かな狂気を演じる。橋本ナオミが満たされない人妻をよく演じていた。「全員死刑」実話をネタにした若手作家の作品。ヤクザな両親とヤクザな兄弟。「ドリーム」アメリカがソ連に遅れをとっていた宇宙開発、成功に導いたのは、三人の黒人女性、一人は大天才。NASA宇宙開発研究所は当時人種差別が酷かった。91才でこの世を去った大天才の数式が宇宙への第一歩に導いた。現在もこの女性の名を冠した研究施設があり、最高の栄誉賞を受ける。大統領はJFケネディだ。大成功した後、上司の所長がこう言う、「この研究所のトイレで流す小便の色は、同じなのだ」差別する表示板を所長はハンマーで壊して回る。「ゲットアウト」オカルト物でつまんなかった。「セザンヌと過ごした時代」、象徴派の巨匠の若き日々、貧しき日々、悲しき日々、友人ゾラとの日々。”愛人でも長く付き合えばいい妻となる。”このフレーズがよかった。画家はモデル次第のところがある。「新世紀・パリオペラ座」私の尊敬する大先輩である、元東急文化な社長、田中珍彦(ウズヒコ)さんが、ワーグナーのバイロイトを文化村の柿落としとして招いた。総勢約300人、改めてその凄さを知った。オペラを成功させるためにパリオペラ座は闘う、オーケストラ、美術、衣豪、バレエダンサー、オーディション、一年間かけてのゲネプロ(練習)の厳しさ。予算がない。芸術を生むという事は、正に生死をかけた闘いの日々。人間はなんてすばらしいんだと、早朝見終わり拍手をした。ちょっと書く順番を間違えたが、三日間で17本を早送りなしで見た。あ~映画がつくりたい。


2018年5月2日水曜日

「ぼっこうきょうてい」

四月二十七日は思い出深い日一日となった。
小社社長と期待の新人と私の三人で、私の故里岡山に日帰り弾丸出張をした。
期待の新人は一泊して岡山研究をした。新横浜→岡山までは「のぞみ」で約三時間二十分程だ。目的はかつて小社にてデザイナーをしていた、土佐出身の女性が、岡山の男性と結婚して岡山市内にある広告代理店にディレクターとして入社して、私たちとつないでくれたのだ。
「ビザビ」さんという広告代理店は、昭和九年創業という歴史ある会社、現在三代目社長であった。ビザビさんは100周年を前に、実に若々しく、活気があり、私たちと会ってくれた七人は、とても目が澄んでいた。社長さんは四十代。
社員数は120人余りの総合代理店であった。メディア局、クリエイティブ局プロモーションの人などが、それぞれオシャレなファッションで対応してくれた。
ビックリしたのは出版物であった。100万都市岡山市は広く、美しく、若い人が多く、まるで銀座のように有名ブランド、スーパーブランドのショップが勢揃いしていた。
岡山は日本一ハレの日が多いことで有名だ。二十七日も見事なハレの日であった。
ビザビさんが発行している月刊紙「おかやま」は、販売部数なんと56,000部で、女性に大人気であった。内容は実に豊富で充実しており、編集、撮影、記事もすばらしい。東京で人気の女性誌と比較しても全く見劣りしない。大人のための情報誌「オセラ」は20,000部を発行していた。
これだけの雑誌を出すのは毎日大変でしょう、と言ったら、遅くとも夜八時頃までには皆退社するとか。私の知っている限り月刊誌の発行はハンパではないほど大変なはずであった。
「ビザビ」とはフランス語で、「お互いが顔を向け合い、見つめ合うこと」であるとか。
365日ビューティフルであることを目指している。大いに感動し、感激した。岡山と言えばジーンズで有名。みなさんいいジーンズを身につけていた。小社にいた女性は一人の若い(と言っても一児のパパ)デザイナーも紹介してくれた。月に二週間は東京に来て仕事をしているとか。ビザビさんはクリエイティブの仕事を東京のスタッフと組んでいる、ネット社会に距離はない。自社ビルを持ち質の高い仕事の数々、イベントからショップ販売まで、すっかり勉強させてもらった。
何かの縁だと思うので大切にしたい出会いであった。
四月二十七日、金正恩と文在寅が38度線を共に超えるという歴史的出会いをした。
これほど用意周到に事を運ぶには相当の日数と下打合せが必要である。が、日本国政府はその情報を知らず、知らされずであった。まさに蚊帳の外、世界はすでに現在の日本政権を見限っているのだろう。CIAというスパイ機関のトップを国務長官にするというトランプ大統領。
日本で言えば陸軍中野学校の校長が外務大臣になるようなものだ。まだ春なのに真夏の夢(悪夢)のような話が持ち上がっている。
トランプ大統領+金正恩+文在寅の三人がノーベル平和賞の筆頭候補だと。一人殺せば殺人犯だが、100万人殺せば英雄だと言う。岡山でビューティフルな気分になったのに、新幹線の中で見る電光掲示のニュースに、ア然、ボー然とした。
それにしてもこの情報化社会の中で、日本政府の情報入手能力の無力さは世界の恥であろう。岡山弁で言えばさしずめこんな風である。
「ぼっこうきょうてい金正恩」金正恩は父、金正日よりはるかに残忍であり、政略家、謀略家である。“ぼっこうきょうてい”は、“ものすごくおそろしい”のことである。岡山駅で大好物の「ままかり」を買って帰った。このコハダのような小さな魚は、今は亡き祖母と母の味である。一箱680円、酢漬けと照り焼きである。嘘で固めたこの国の経済は、“ぼっこうきょうてい”事になっている。
日銀は物価高目標2%の数字を削除した。大借金大国を立て直す人物の出現を待つ。
米、中、露、は勿論、南北朝鮮、アジア諸国、中東、中南米、あらゆる国が日本をシカトしている。
金配り外交は世界中の物笑いなのだ。くれるものは、いただきますと。400字のリングは五月十日まで休業します。みなさんいい連休を。



2018年4月27日金曜日


本日は岡山へ日帰り弾丸で、ブログはお休み。みなさんいい休日を。

2018年4月25日水曜日

「お赤飯のおにぎり」




昨日朝辻堂駅、列車は確か高崎行(眠気があり記憶が定かではない)七時ちょっと過ぎ(少し遅れて来た)当然満員に近い。
(グリーン車も満員)ラッシュの時間、2-3分遅れただけでも混み方が大違い。
どうしても書いて渡さなければならない原稿があり、満員列車に乗車した。
きっと藤沢で学生さんたちが降りると思い前の方へ向った。
辻堂駅は何んの取り柄もないが、ホームの長さは相当なものらしい、かなり長い、本当に長い。前から三両目に乗った。満員の中に入った。大船で横須賀線に乗り換えるかと思った。
わざといちばん後から乗ってドア側に立つことにした。やれやれと思っていると、体の小さなおばあちゃんが、グイグイと私を押しながら乗って来た。
大きなズタ袋みたいなバッグを肩から斜め掛けにし、手にはたっぷり物が入っていた麻のトートバッグ。
下を向いているので顔が見えない。ドアが閉まると同時にトートバッグの中からゴソゴソっと物を出した。それはお赤飯のおにぎりと、ポカリスウェットのペットボトル。狭い中でおにぎりを包んでいたビニールを取り、ガブリと口に入れた。列車が揺れる中誰に遠慮することなく丸いお赤飯を食べる。
列車がスピードアップすると、食べ方は逆にゆっくりとなる。眠気の覚めない私は悪い夢を見ている様にじっと事の成りゆきを見る。辻堂→藤沢間は4分位だと思うが、10分以上に感じる。藤沢駅に着くと、どっと人が降りる。当然私も降りて人が降り切るのをホームの上で待つ。おばあさんは残り少なくなったお赤飯のおにぎりをホームの上で食べては、ポカリスウェットを飲む。さて又乗車、私の後におばあさんがくっついて乗って来た。やはり満員状態、やっぱり次の大船で降りようと思った。と、その時おばあさんは二つめのおにぎりを出した。濃い茶色をしていた。やはり円形である。列車がスピードアップするとおばあさんは私にへばりついたようになって来た。しかし正体不明の濃い茶色のおにぎりを食べては、ポカリスウェットを飲んでいる。かなり器用なのだ。藤沢→大船間は短い、おばあさんの顔を見たいが見ることができない。濃い茶色のおにぎりは何かを知りたいが、混雑から抜け出したい。戸塚まで行けばドア・ツー・ドアで乗り換えられる。迷う私、食べては飲むおばあさん。大船だと階段を上って下りてホームチェンジが必要だ。迷う私なのであった。実はこのおばあさんと戸塚駅のホーム上で会話を交わすこととなった。この話は後日に。私にはいろんなドラマがついて回る。否ドラマに近づき過ぎるのだ。 

2018年4月23日月曜日

「映画少年と映画少女」



「人間発電所」が死んだ。フツーの人なら、えっ電力会社の人がダムかなんかで死んだの(?)と思うのが常識である。だがプロレスリング全盛時代を知っている人なら、えっあのブルーノ・サンマルチノが死んだのと思う。あるいわあの人間発電所はまだ生きていたんだと思う。私はその両方であった。途方もない怪力であったネツクハンキング(首を絞めながら持ち上げてドスンと落とす。)ベアハッグ(胴絞め(サバ折り)が得意技。この二つだけで、ニューヨークのマジリンスクエアガーデン(格闘のスポーツの本場)で187回チケット完売の記録をつくった。
身長178センチ、体重115キロ(全盛期)ボディビルで鍛え上げた肉体は、筋肉の塊りだった。
イタリア移民の子でもあった。がプロレスは少年をスーパースターWWWF世界チャンピオンにした。プロレスは純粋スポーツか、それともショーか、という意見があった。
私は両方だと思っている。サンマルチノは、首、アゴ、鎖骨、肋骨、腕にヒザ、アチコチ折れたり、外れてたりしたという。単なるショーならこんなリスクは迫わない。
その一方でプロレス界でいわれるブック(シナリオ)がなければ、死人の山となるだろう。この頃のプロレスはサーカスのように空中を100キロ以上のレスラーが飛ぶ。
鍛え続けていないとボクシング同様命を落とす。ブルーノ・サンマルチノはその怪力から人間発電所と呼ばれ、プロレスファンを熱狂させた。
イタリア降伏後、ナチス突撃隊の占領から逃れていた少年は、アメリカンドリームの体現者であった。82歳であった。四月二十日、午後七時~十時銀座に、人間映画発電所っみたいな人間が約30人集った。四万十映画祭で最優秀を受賞したことを祝うパーティーであった。大阪や愛知からも来てくれた。映画大好き人間が、まるで仲良かった中学時代のクラス会みたいに集った。表彰状とトロフィ、賞金10万円、監督、プロデューサー、アートディレクター、コピーライター、撮影、照明、編集、スタイリスト、キャスティング、主役、脇役、音楽の男たち。そして女性たち。店のオーナーは高級クラブも経営しているので、人気の女性も呼んでいてくれた。一人ひとりトロフィーを持ってハイチーズ、そして乾杯、あとは飲み放題、みんなこんなによろこんでくれたのかと言う程、宝物を見つけた少年少女のような笑顔の渦。四万十市の人から祝い酒も送っていただき一同感謝、プロデューサーが編集してくれた、4/23、24、25日の授賞式のドキュメンタルフィルムにみんな大感激であった。私はパーティー後オーナーにお礼に行って帰ったが、あとは、二次会、三次会、ついには数人で四次会まで行ったとか。
楽しかった。久々にイラだっていた気分が納まった。大好きな映画の男たちと女性たちを見ていてつくづく思った。みんな本当にいい顔だ。照明のボスは八田直哉さん、握手したら、プロレスラーの手のように、分厚く強かった。きっとブルーノ・サンマルチノの手も八田直哉さんみたいだったのだろう。ヨーシ次は○△だ、と又、大風宮敦を広げてしまった。私の悪いビョーキなのだ。ダンボール箱いっぱいブック(シナリオ)は書いてあるのだが。「映画」という2文字は、人間に熱気を呼び、そしてそれぞれの才能を発電する魔力がある。



2018年4月20日金曜日

「酒は学校、女性は先生」




東大法学部卒だからといってアタマがいいとは、殆ど限らない。彼等は答案用紙に向えば、ほぼ満点を取る。WHY何故か、と言えば記憶力が抜群だから。試験問題はいわゆる「過去問」だ。過去に何があったかである。過去に詳しい人が、その先には詳しい訳ではない。アタマが悪いからだ。WHY何故か、と言えば勉強ばかりしていて遊んでない。目の前に美しい女性、豊かな胸の谷間、やさしい微笑。しなだれかかりながら耳元でささやく誘惑。どうしたらいいのか、過去問に出ていなかった、判らない。でもクラクラする。そんな問題に直面した時の解決力はない。どうしよう、どうしようと思っていると、さらに美しい女性は、接近して、密着してくる。かけてるメガネなどを外されて、かわいいー。なんて言われたら、もう何も見えなくなる。濃い目のウイスキーなどをグイグイさせられて、目が覚めた時、その先の人生はパアとなる。

夜の街、酒の学校、女性専科に学んでない勉強だけできる人が、バカみたいに沈んで行く。女性を敵に回して本当に勝っている男はいない。女性という問題は簡単には解けない難問なのだ。ちなみに夜の学校の月謝はかなり高い。諸兄よご注意あれ。

2018年4月18日水曜日

「ただ一灯を」



♪~何から何まで まっ暗闇よ 筋の通らぬことばかり 右を向いても 左を見ても 馬鹿と阿呆の……。ずっと昔東映映画の仁侠路線が絶頂期の頃、大スターであった故鶴田浩二が唄った歌の中のフレーズだ。この世に「世の中とか、世間」というのが生まれた時から、人の世は筋の通らない、不条理がまかり通ることになった。近頃あまりのグダグダ感に、さすがに脱力感と我が身の無力感を感じる。人間はまい日同じような”うんざり”を感じ続けると、うんざりがマヒしてしまう。「なんでこうなるの」というギャグで大人気を得た、コント55号の萩本欽一さんの言葉を思い出す。”なんでこうなるの”ということが山のように起きている。日本語が乱れに乱れている。記憶にないということを記憶しているとか。大変申し訳なく、申し訳なく存じ上げますとか。夜の街でホステスさんと言葉遊びをしていたとか。朝から晩まで一生懸命真面目に働いて、税金をしこたま取られている人々に、ちゃんと詫びを入れろといいたい。本当に”なんでこうなるの”なのだ。彼の国ならばとっくに暴動が起きているだろう。「人間の長所は、短所があるところだ」とある哲人が言ったが、私のような短所ばかりのような人間はとやかく言えないが、税金はちゃんと払っているので、少しばかりは文句は言える権利はある。”なんでこうなるの”をしっかりと説明しろと。東映の映画では堪忍袋を破った鶴田浩二が筋を通さない外道たちを、バッサバサとヤッパ(短刀)で斬りまくった。今の社会ヤッパのかわりは、ジャーナリズム、そして民衆の声だ。そういえば故高倉健の名セリフもあった。”てめえらは人間じゃねえ”故夏目雅子のセリフも良かった。”なめたらいかんぜよ””人間辛抱だ”という初代若ノ花の言葉を思い出す。「暗夜を憂うること勿れ、只一燈を頼め。」(言四緑・佐藤玄斉)
決して私は諦めない。手許?に一灯がある限り、”一刀”ではない。

2018年4月11日水曜日

「バカ者たち」


すぐに人のせいにする、自分は責任をとらずに人に責任をとらせる。サッカー日本代表監督を解任した。特別にサッカーファンでもない。ただ深夜によくヨーロッパのサッカーの試合を見る。メッシの大ファンである。ハリル監督を解任したサッカー協会の会長たちボンクラは何故か責任をとらない。解任の理由は監督と選手とのコミュニケーション不足とか、作戦や戦略、戦術に問題があり、二ヶ月後のW杯ロシア大陸が心配だとか。バカも休み休み言えだ。後任の監督はとても優秀だからと言う、だったらはじめからこの人に頼めばよかったはずだ、そもそもプレーをする選手がちゃんとしっかりしていれば、何もこんなブザマなことにならない。ハリル監督は26勝6敗か8敗位の成績を残している。もともと世界ランク40位か50位をウロウロしている選手が一丁前のスター気取りになっているから、世界に出て行くと、フツーの選手であることを思い知る。スポーツマスコミがチヤホヤするから選手は大いなる勘違いをする。サッカー協会の会長たちは、私もやめますと言うひと言からはじめないと、これから日本にいい指導者は来ないだろう。日本のサッカーをここまでにした代表選手、三浦知良を岡田監督はW杯に招集しなかった。大バカ者である。映画界から石原裕次郎、プロ野球から長島茂雄、プロレス界から力道山、そして歌謡曲から美空ひばりを抜くような
信じがたき好き嫌い感情である。かりにもプロと名のつく選手は天才たちである。好きだ嫌いだは、酒でも飲んでいる席での話で終らせねばならない。元巨人軍の村田修一選手は、まだまだ活躍できる選手だが、監督たちに意見らしきことか、作戦にブータレたとかで、放出されどこのチームにも入れないようにした。年俸2億円以上から、栃木の

独立リーグへ、給料は月40万位になったとか。名球会に入るまであちヒットわずかな球界の功労者だ、元三冠王の松中選手、元2000本安打の中村選手、彼らも同じ好き嫌い、チームの規律を乱すとかで放出された。プロの監督とは個性的で自分勝手で、天才的な選手を使いこなすのが仕事だ。政官両方ともグダグダ状態になった。責任のなすり合いだ。小学校五年生の孫が、アベはもうダメだよと言った。小学生でも誰が責任をとるべきかを知っている。もう遠慮なしと思ったNHKやシンパの読売まで見限った。頂点から転がり始めた石の速度はオソロシクピードアップする。サッカー協会のアホ共にハリル監督に土下座しておわびして、キミたちもやめなさい。監督は三浦知良に、資格無ければせめてコーチとかアドバンイザーで起用せよ。(文中敬称略)

「服部桜は散らない」







突然パッと咲いた。もう絶対咲かないと言われていた牡丹である。まさに狂い咲きだ。ルージュ色であるから、ルージュマジックである。一気にドバーッと花開いた様は、かなり淫乱である。どこか夜の世界の性悪女的でもある。こんな時望遠レンズのついたカメラがあればいい写真が撮れるのだが、私はカメラを持っていない。使い捨てカメラが専門である。が、それもないので仕方なく携帯で撮ってもらった。七日土曜日銀座のジャズバーで、知人のヘアーメイクアーティストの出版記念パーティーがあった。夜六時半~八時半、30名が招待されていた。ルールは何故か着物、もしくは着物的でとあった。友人を誘い二人で行った。このパーティーはかなり富裕層の人々(女性がほとんど、男は三人)ヘアーメイクアーティストの鈴木冨美子さんはじめ、着物姿は見ごたえがあった。友人はちゃんと着物姿であった。私は着物などはないので、知人がプレゼントしてくれていた、着物地で作ったアロハシャツをジャケットの下に着て行った。DJも着物、店内にはLPレコードが棚の中にビッシリとあった。私はこういう席が大の苦手であり、余程でないと行くことはないのだが、鈴木冨美子さんの本で、オルハの商品をとてもいいと書いてくれていたからであった。又、オルハのPRもさせてくれるとのことであった。ビンゴの商品にオルハさんから提供があり、一等賞は高級な枕セットであった。次々と数字が呼ばれた。ハ~イビンゴ、ハ~イビンゴと喚声が、そしていよいよ一等賞となった。オッビンゴと声を発したのは、私の連れの友人であった。黒字に金色の線が入った羽織、斜めに赤いポシェット、独特の薄笑いを浮かべて一等賞の大きな品を席に持って来た。何故かシメのあいさつをと指名されたので、最高級の羽毛ふとんについて、銀座一丁目オルハショップについて、羽毛に含まれる成分、ケラチンから生まれた各商品について話させてもらった。着物姿の女性たちは熱気にあふれていた。前日の六日元神奈川県特別参与、知事の右腕だった友人に誘われて、毎年恒例の花相撲「藤沢場所」のプロモーションパーティーの席に行った。私の隣りに歓進元の最上重夫様、実に26回目となる藤沢場所を取り仕切っていた。斜め前には担当である錣山親方(元寺尾関)であった。聞けば十四日の花相撲を目指して、何日も前からホテル住まい、そして朝から晩まであいさつ回りと、夜のお付き合い。歓進元の人は地元で建設業を営んでいる。知事の右腕だった友人はさすがに顔が広く、いろんな人があいさつに来て、一人ひとり私に紹介してくれた。店は貸し切り、四十人以上入っていて席は満杯であった。歓進元のスピーチは実に楽しくておもしろい。あっという間に時間が過ぎて、それではお開きとなった。ゲストに芸大出身のサックス奏者の美人。お相撲とお寿司と、ジャズ。いつもながら湘南で名高いヨットマンの友人は、いい席に誘ってくれる。大好きな大相撲はいろんな人々によって支えられている。茅ヶ崎出身の「服部桜」について錣山親方に聞いたら、入門以来1勝100敗であった。がんばれ服部桜、2勝目を目指して。決してその前に散ってはイケナイ。

2018年4月6日金曜日

「アラカンタン」




男と男、男と女、女と女、親と子、親族と親族、会社と社員、親兄弟。およそ人間社会における関係の中で、いちばん多いモメゴトが金と金の問題による対立と別れ話。
あなたを死ぬほど愛しているとか、君のために命をかける、なんて言っていたりしても、いざ金の問題がからむと、日本語の中にあるあらゆる罵詈雑言、悪口雑言を浴びせ合い、酷い時には殺人事件とか、一族一家全滅とかに発展する。「ビートたけし」の話題がワイドショーネタになっている。
ビートたけしが「オイラは金より、弟子より、会社より若いネエちゃんの方がいいの、オイラのつくった会社は、皆にあげっから、あとは仲良くな」ジャンジャン、と言ったらなかなかの男だったなと思ったはずだが、どこにでもある金の話になった。
金の切れ目は縁の切れ目、オイラが稼いだ、オイラがつくった、オイラが、オイラがを連発すると、がっかりであった。
私は毒のあるビートたけしを男として、芸人として、映画人として、画家として認めていただけに残念であった。ずっと昔だが、嵐寿郎(通称アラカン)という大スターがいた。”鞍馬天狗”と”明治天皇”を演じたら、天下一品。この役者の上を行くものはいない。
この大スターは次々と天狗を演じ、次々と豪邸を建て、次々と愛人をつくり、次々と別れた。その別れのときには、金財産を愛人に渡した。
見事というしかない。
アラカンの本の中に、マネージャーが「先生もう愛人に渡す財産、(家屋敷)はありません」と、言うと大スターはこう言った。
「ええがな、ええがな、また鞍馬天狗になれば」と。アラカンタンなのであった。
古人はお金のことを、”オアシ(お足)”と言った。惚れた相手と同じ、追えば逃げ足はやく去って行くのである。
ビートたけしは本屋さんに行って、アラカンの一代記を読むべしである。
オイラがオナラにならないように。