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2022年7月23日土曜日

つれづれ雑草「ウラメシヤ」

「三隣亡(さんりんぼう)」という言葉がある。この日に建築をすると後日火災に見舞われ、近隣三軒まで滅ぼすと伝えられる厄日のことだ。この日に宝くじを買うと当たらないとも言われた。一、四、七、十月は亥の日。二、五、八、十一月は寅の日。三、六、九、十二月は午の日が三隣亡にあたる。博徒は、この日には開帳しなかったという。警察にパクられて(捕まって)あることないことペラペラとウタウ奴(しゃべる)を、アイツは三隣亡みたいだから気をつけろ。ヤクな奴(縁起の悪い)だと言った。野球界では守備を交代させると、何故か交代した選手のところに打球がいく。かなりの高確率だ。一人がエラーすると、次々とエラーがある。地震も続く、洪水も続く。この世は不可解の連続だ。アメリカでは、二度買った宝くじが二度とも大当りで、莫大な金を手にした男がいた。その男は気が狂って死んだ。国中から寄附をしろとか、ゆすり、たかりに遭い、神を憎んで死んだ。兄弟姉妹にも不幸が続いた。貧乏な労働者であった時の方が幸せだったと言い残して。テロリズムが盛んだった頃、当然の様に世界各国、日本国もテロが横行した。話せば分かる、問答無用と銃の引き金を引いた。初代総理大臣伊藤博文をテロで殺した「安重根」は彼の地では英雄である。伊藤博文は長州人であった。ある歴史家は、長州には血の臭いがすると書いていた。つい先日まで生きていた長州出身の安倍晋三元総理大臣にも、テロによる血の決別が奈良で待っていた。三隣亡であればテロは続く。アメリカやロシアか、中国かインドやトルコか、それとも日本かは分からないが、きっと続く。連鎖するのが歴史だからだ。奇跡的な事も続く。私の知人の双子の子は、幼い頃マンションの5階(4階かも)のベランダから二度落ちて、二度共無傷に近い状態で助かった。双子二人共だ。当時奇跡の出来事としてニュースになった。ふさふさの芝生が双子を助けた。子どもの頃、嫌な出来事が続くと、母親やおばさん、近所の人たちが、さんりんぼうだわねと言っていたのを思い出す。この世には二つの絶対がある。一つは、人間は死んでない限りは、生きている。もう一つは、生きてる人は必ずいつか死ぬ。これ以外に絶対はない。大変だ! 大変だ! と言っている内は大丈夫という。本当に大変なら、大変だ! というチカラもないからだと。コロナ禍は第七波となった。大変だという人がいれば、もう慣れっこでなるようにしかならないと達観する人もいる。最高権力者だった人間が、銃撃でこの世を去った。その瞬間に権力闘争のヨーイドンが始った。顔で泣いて、心で笑っているのが永田町、霞ヶ関の住人たちだ。オイラが次のドンだと口をさらにへの字にしている福岡の老人、麻雀大好きな島根の老人、スポーツ界のドン石川の老人、オレをナメんなよと睨みを効かす和歌山の老人、当面はこの四大老が仕切る。目の上のたんこぶがこの世を去った事に秘笑する。煮ても焼いても食えない老人だ。スポーツ利権の闇の支配者、元電通の人間の浅ましい行為と、その男にブランド価値向上を求めた会社の名が出た。とてもお世話になったトップの顔写真が新聞に出てしまった。かつてイタリアロケに一緒に行った。とても仲の良い兄と弟だった。あの権力者が生きていたら、闇から闇であったはずだ。スポーツ界は、三隣亡となり次々とイモズル式に名が出てくるだろう。元統一教会というパンドラの箱が開いた。人を制する者は、人に奪われるという教えがある。冷麦とソーメンの違いがいまだによく分からない。幼き頃メンの中に赤いのと緑のが一本ずつ入っていて、兄姉と取り合った。それがないのがかなしい。キザミネギとミューガ、それに生しょうが、まい日食べても飽きがこない。赤と緑の一本があればなと思いつつすする。駅弁が大好きなのだが、家で食べるとイマイチ感動しない。駅弁は割り箸で食べないと、ウマクない。自分の箸で食べるとすっかりイケナイ。崎陽軒の1080円の弁当を食べた。860円の定番が売り切れていたからだ。自分の箸でなく割り箸で、少し反り返った竹製のふたについている米粒を、割り箸で一つ、二つとキレイに食べてあげるのだ。駅弁には駅弁のルールがある。旅に出たいなと思う。各地の駅弁を食べる旅だ。コロナは三隣亡なのだろうか。北海道函館本線の森駅にある、いかめし弁当660円は芸術品に近い。小さな箱に丸々としたいかめし二個が、ニコニコ笑って入っている。これは箸でなく、手でつかんでかぶりついて食べるのだ。これがなんともいえない味なのだ。コロナ禍は世界的な三隣亡である。医学会は緊急事態宣言をと言う人が多いのだが、政府はその逆で、行動をユルユルにと言っている。ヤクな奴ばかりなのだ。ウラメシヤコロナ。(文中敬称略)



2022年7月16日土曜日

つれづれ雑草「天気の悪い日とは」

天災は忘れた頃にやって来る。古人は知っていた。気象庁が梅雨明け宣言をした時、今年の梅雨は雨が少なかったなぁ、そのかえし狂ったような暑さが来た。猛暑より狂暑といいたいほど、40度越えのところがいくつもあった。アタマがイカレてしまうことを、パープーになるという。古人の教え通り全国各地で線状降水帯がつづいている。ドラム缶をひっくり返したようだ老人は言った。普段はナヨナヨした川があっという間に狂った川となり、足元でチョロチョロしていた水が、車を見えなくして狂流となる。気象庁は今年も梅雨の終り雨を予想しなかった。ノー天気だったのだ。昨年は熱海で狂裂な山崩れがあり、多くの命を奪った。土の上に土をのせ、そのまた上に土をのせるという、法律破りのせいである。泣く子とお天とう様にはかなわないのだ。日本中に盛り土をした所に人々は暮らしている。お天とう様は意地悪な性分だから、今年はどこにすんべえかとくじ引きをしている。引き当てられた所はたまったもんじゃない。昨日お世話になった小林亜星大先生のお墓参りに行った。私の両親と長兄が眠る多摩霊園だった。先生は無宗教で葬式なし、戒名なし、人に迷惑かけること一切なしの見事なラストであった。先生の片腕でドラマーだった友人と行った。雨が降ったり止んだりしていたが、お墓に花をたむけ、お線香に火をつけた時はポツコリ雨が止みうっすら明るくなった。私は超晴れ男で数多いロケで雨にイジメられたことはない。予備日を使ったこともない。やっと先生にお世話になったごあいさつをして友人と武蔵小金井の駅へ行った。午後一時頃であった。ちょいとレストランでランチでもと思ったがそれらしきものはない。駅はきれいになっているがレストランはない。でもってマックがあったので、二人でダブルバーガーセットを食べた。その後中央線で東京へ。そして仕事場へ行った。ジャンクフードは突然食べたくなる。吉野家の牛丼紅しょうがてんこ盛りとか、ケンタッキーフライドチキンも突然無性に食べたくなる。ある深夜、パジャマの上にコートを着て茅ヶ崎駅南口にある吉野家へ食べに行ったことがある。ケンタッキーは夢の中に出てきて、次の日オープンと同時に突入して、指をベタベタにしながらむしゃぼった。これらは一年の内に二、三度起きる。どんな名店よりこの時は旨いのだ。ただ食後にいいようのない満腹感でなく、無力脱力感に襲われる。何かしてはいけないことをしたような気分だ。誰れも見てねえだろうなとヨソヨソするのだ。夜帰宅して夕刊をパランパランすると、サンマ一匹13000円と大見出しがあった。豊洲市場への初入荷はわずか十匹だけだったとか、やせ細ったサンマの写真があった。そのとなりの見出しに、ブドウ一房150万円とあった。高級ブドウ「ルビーロマン」特秀クラス一房に一粒30gほどものが27粒である。霊感商法の判子とか壺とかと比べては生産者に申し訳ないが狂った価格だ。狂乱物価の世の中になって来た。13000円のサンマを食べている奴がとなりにいたら、150万円のブドウ27粒を食べている奴が目の前にいたら、自分の言動を想像しただけで、ゾッとする。世の中は、ゾッとする事件が続々と起きている。事件を起こした人間たちに共通している要因は絶望感、疎外感、孤独感だと過日のNHKスペシャルで知った。特に絶望の二文字が世に満ち満ちている。刑務所に入りたかったので事件を起こしたという中年男、自分で死ねないので人を殺して死刑になりたかったという若者、七十を過ぎて十八歳の女性を手にかけるなんてまるで狂老だ。東京電力の四人の老人たちに13兆円以上の賠償を命じた地裁の判事たちに拍手を送る。多くの人々を絶望に追い込んだ四悪人に、絶望を味わってもらいたい。もっとも最高裁に行く前に、寿命が尽きるだろう。死んだらチャラだ。判事はそこまで読んでいたのかも知れない。あ~なんだか吉野家に行きたくなって来たではないか。絶望は愚か者の結論なりなんていう言葉を、ラジオ番組の枕言葉にしていた人がいた。人生相談の番組だった。今はガードを固めてパンチから守るしかない。みんなで支え合い、励まし合い、助け合って行くのだ。先日こんな記事を読んだ。ある少年が明日は天気が悪いでしょうという天気予報士の言葉に、悪い天気ってどういうことですか、雨が降らないとお米が育たない、野菜や果物も育たないとおじいちゃんが言っています。雨が降るのは悪い日なんですか(?)。さてあなたなら少年の質問にどう答えますか。いよいよコロナは第七波、尊敬する学者さんが国民の七、八割が抗体を持つまで、ウイルスは必死に変化しつづけます。マア10年はかかりますねと言った。あ~やんなっちゃった、あ~オドロイタ。今は亡きウクレレ漫談の牧伸二を思い出した。(文中敬称略)






2022年7月9日土曜日

つれづれ雑草「投票へ」

本日は社会騒然としているのでほぼ休筆。明日は参議院選挙投票日、決して棄権することなく清き一票を投じてください。数の暴力で嘘はつき放題、予算は使い放題、税金は悪用し放題、この国を壊し放題。与野党共にその責任がある。と言って投票をしないのは、自らの権利放棄となる。高い税金を払いつづけているのだから、自らの思いにいちばん近い人に一票を。わずかだけでも近い人に一票を。激しく愛し合って結婚してもすぐ別れる夫婦あれば、嫌々結婚しても長い間幸せでいる夫婦も多い。選挙の一票はラブレターと思えばいいのだ。投票箱は白いポストだ。



2022年7月2日土曜日

つれづれ雑草「骨まで愛する」

激痛は明け方突然起きる。寝返りをしたなとアタマの中でぼんやり思っていた。その時ギャ~と声を発した。痛、イタ、イテェ~、イテェ~、両足がこむら返りしたのだ。両足の筋肉がケイレンを起こした。足の親指は反り返って固まり、ふくらはぎの筋肉はカチンコチンになっている。イタタタタ立てない。今回のはいままでと全然、ゼンゼン違う。ふくらはぎだけでなく足全体なのだ。イテェ~といいながらガタンガタンしていたら、上から愚妻が降りてきて、何してんの、何してんのを連発。足がつってんだよ、立てないんだよ、と言った。どこ(?)どこ(?)と足を触りここでしょ、カチカチよと言いながらゴシゴシ筋肉をほぐした。が、今度はいままでのように足を壁に突き出して反り返りを治せない。親指を指で引き寄せても治らない。私の仕事仲間の一人にこんな話をしたら、やはり同じようなケースがあり激痛がおさまらないので救急車を呼ぼうと思ったとか。フツーなら五、六分で治るのだが、一週間経った今日の朝まで両足の筋肉は怪しい動きをしている。脱水状態とか、冷房で足が冷えすぎとか、足の疲労がとしのせいでとれない。つまり筋肉が反乱をしているのだ。クーデターなのだ。時計の針が八時になるのを待って(七時台だと悪い気がした)平塚の鍼灸の達人に電話した。痛いんだよ、動けないんだよ、訳が分かんない痛さなんだよと言ってスケジュールが調整できたら来てチョーダイと頼んだ。円盤投げで佐賀県のインターハイに出た達人は、(ちなみに息子さんは砲丸投げをしている)昼になんとかしますと言ってくれてその通り十二時にピンポーンと来てくれた。さすがに達人、グイグイマッサージをしてくれて、鍼を経絡(ツボ)に相当数刺してくれた。ハリーアップの治療でかなり治った。いやはやこむら返り恐るべしであった。いきなりの狂暑で体の調子が狂ってしまったのだ。眠る前には水より麦茶(ミネラルが入っている)の方がいいとか、薄い靴下をはいた方がいいとか、同じ姿勢でずっと座っていない方がいいとかを学んだ。私は映画とか資料映像をぶっ続けで10時間以上見る習慣がある。そんな時は時々立って少しでも動いた方がいいらしい。激痛から一週間筋肉をなだめている。やさしくナデナデしているのだ。しかし反乱を予感している。少年野球の応援はずっと立ち放しなのでこれからは折りたたみ式の椅子を持って行くことにする。海岸で釣りをする時に買ったのである。いよいよ鰻(うなぎ)の季節だが、とにかく高くなっている。私はうなぎ大好き人間なのだが、2ヵ月に一度行くか行かないかだ。今朝の新聞に手紙文化研究家の中川越さんの文化人たちの日々好日というコラムがうなぎにまつわる話を書いていた。その内容がおもしろかったので、抜粋して私的文体にして書く。江戸時代の人気作家山東京伝(さんとう きょうでん)が、人相・手相に関する本の中で、「鰻の筋」というのを書いていた。手相の筋について。チンタラ、チンタラ生活して、勘当された身の人間に置きかえていておもしろい。狭い活舟(いけぶね=入れ物)の中に入れられ、口をパクパクし、ぬらりくらりと過ごし、やがて親兄弟かの縁を裂かれ、(うなぎが切り裂かれること)竹の串で刺され、火あぶりの刑のようになり、団扇(うちわ)でバタバタあおられ、不孝の醤油(タレ)につけては焼かれて身を焦がす。やがて山椒をかけられてしまう。うなぎの手相とは道楽息子の典型なのだよとあった。(中川越さんの文章は古文で鮮やか)歌人で有名な斉藤茂吉は大のうなぎ好きであった。五十三歳の時、妻の浮気が原因で別居している時に、自らの弟子の女性に恋をして一線を超えてしまった。その女性とうなぎを食べ酒を飲みながら、「こうすると美味いんだ」と言ってうなぎの上に酒をたらした。茂吉先生は子どものようによろこんでいた。そして外に出てある池のほとりで、弟子の女性とキスをした。(中川越さんの表現はもっとうまい古文風)やはりうなぎには何かムラムラさせるパワーがあるのだ。私が銀座でいちばんうまいと思うのは、私の仕事場近くにある登三松だ。抜群の味だ。だがジリジリと値が上っていてうなぎは遠くなりにけりだ。近くを通ると団扇でバタバタして生まれたいい香りが心を動かす。ムラムラするのだ。顔なじみのおばちゃんに近い内に来るからなと見栄を張る。少し吃音気味の男の人が、オ、オ、オマチしていますと言う。この男の人は私を筋者(ヤクザ者)と思っているようで、私と会うと緊張して吃音が強くなるとおばちゃんが言った。そうだな、人相、風体がその筋の人間みたいだからなと思っている。自分の手相を見ると、鰻の筋が何本もあるように見える。狂暑はつづく、きっとこむら返りもつづくだろう。コロナが増加している。マスク生活もつづく。息苦しい世の中になっている。うなぎの骨は体にいい。深夜、ショパンのバラードト短調作品23を聴いた後、久々に城卓矢骨まで愛してを聴いた。 生きてるかぎりは どこまでも 探しつづける 恋ねぐら 傷つきよごれた わたしでも 骨まで 骨まで 骨まで愛してほしいのよ……。いいね、いいね、うなぎの骨を思い出すのだ。
(文中敬称略)




2022年6月26日日曜日

つれづれ雑草「命がけの駅弁」

まっ赤なホントは、上半身全体に出現した。ホタテ貝アレルギーを体感したのはロンドンオリンピックの時だった。深夜(日本時間)二時頃、日本人女子ペアと中国人ペアとの息づまる打ち合いを見ていた時だ。種目は女子ダブルス決勝戦、バドミントンであった。いつものグラスにウイスキー、大きめのロックを入れていざ決戦をと見始めた。試合が熱戦になると同時に私の体も熱くなってきた。カユイ、カユイ、なんだかカユイ。顔面から上半身にかけて熱くほてっている。試合はおもしろい。ウイスキーはうまい。試合はすすみ、ウイスキーもすすむ。あまりに顔が熱いので鏡を見た。なんだこりゃ~、もともとグロテスクな顔がまっ赤になっている。シャツを脱ぎ上半身裸になるとブツブツの赤い大地と化している。そしてカユイ、ついボリボリかいてしまう。私の辞書にアレルギーはなかったから何が起きているか分からず時間はすすんだ。試合は中国が粘り勝った。朝八時四十五分かかりつけの名医のところへ、九時過ぎ名医が私の手の平をつまんで、ハイ、これはジンマシンですよと言った。ジンマシン、なんとメカニックな言葉かと思った。注射を打ってくれて、これで二時間後には消えますからと言ってくれた。その通りであった。血液検査をした。前の日食べた物を言ってくださいと言われ思い出すママに言った。次の日結果が出た。アレルギーのもとはホタテ貝だった。え~、大好きだったのに。そしてこの瞬間から、私の大好きNO1の駅弁横浜の崎陽軒のシウマイ弁当との別れだった。何故といえば崎陽軒のシウマイにはホタテ貝が入っているのが特長だったからだ。シウマイ(焼売)20個入りを一人で食べる位大好きだった。ロンドン、北京、東京大会とオリンピックは開催されたが、私の崎陽軒との別れはつづいた。だが、先週末、東京発八時三十分特急小田原行きに乗車した時、私の隣りに座った中年の男がシウマイ弁当を食べ始めるのを見た時、ついに私は死んでもいいからシウマイ弁当を食べる決意をした。まず筍を煮たのを小さく切ったものを箸で一つ二つと口にした。俵形のごはんが二段になっていて塩ゴマがかかっている。(小さな緑色の小梅がのっている)それに箸を入れた。次に角に三角形のカタチがありそこにショーガと黒コンブの細切りが入っている。それをつまんだ。そのおとなりに小ぶりの鳥のカラ揚げ、マグロの煮付、紅白のカマボコ、長方形の玉子焼き、何故か杏子(アンズ)が一つ。弁当の中心にシウマイが五個整列している。これらが絶妙の弁当美を生んでいる。シウマイ弁当は何から食べ始めて、何で終わるかは一人ひとりほぼルール化している。いきなりシウマイに箸を刺す奴がいるが、こんな奴はロクデナシだ。シウマイに敬意を持つ人は、まずは小さな筍から入る。次にマグロ(濃い茶色)をひと口遠慮気味に口にする。次に三角形の中の細切りコンブとショーガ細切りをいただき、俵形の白いごはんの下に箸を入れて、ごはんをくっつき状態から解放する。これらを清く正しく美しく食しながら、中頃にカラ揚げを口に投入する。紅白のカマボコと黄色い玉子焼きを楽しむ。杏子を途中で食べてしまう不屈者もいるが、やはりラストがいい。私は湘南モールへ買いに行って、ジンマシン大会覚悟で、ついに食べたのであった。愚妻は死んだって知らないわよと言ったが、いいんだよ覚悟の上だ。駅弁は列車の中で食べるのがベストだが、とりあえず名医が近くにいる自分の家の中で食べた。旨い、ウマイ、シウマイ。ラストに小梅ちゃんを食して、杏子でフィニッシュした。さぁ、カユクなるか、一時間、二時間、三時間、そして夜になってもカユクならない。ヤッタァ~、私は大いに感動したのだ。ある駅弁人気投票では、全国第三位に入っている。一位は北海道の「いかめし」が多い。私は小田原駅で買う東華軒のこゆるぎ弁当がシウマイ弁当の次に好きである。茅ヶ崎→小田原市立矢作小学校グラウンドで先週末二日つづいて試合があった。東海道線鴨宮駅から熱波のグラウンドへ愚妻と応援に。土曜日に勝ったが、日曜日に藤沢鵠沼のチームに敗けた。一人とんでもな四番バッターがいて、三本も外野手の上を飛んでいった。私は顔面が熱波のグラウンドの反射で熱々になり、熱中症にもなった。グッタリとなったが、少年たちと比べればと思った。みんなちゃんとマスクしている。暑い中マスクをして歩いていると、疲労度は倍加する。それでも皇居の周りを多くの人がマスクや覆面をして走っている。ロスアンジェルスから帰国した友人夫婦が、ワインの産地ナパバレーやソノマでもみんなちゃんとマスクしていると聞いてオドロイた。消毒も検査も徹底しているとか。で、今日はホームグラウンドの汐見台小学校へ応援に行く。試合後湘南モールへ行き崎陽軒のシウマイ弁当を買って帰る。今夜の食事だ。体調次第でアレルギーの発作は起きるとか、食べることは命がけなのだ。




2022年6月18日土曜日

つれづれ雑草「大変なことに……。」

人間はほぼスケベだ。真夏の夜にはまだ時がある。それにしてもこんな捕物を見たかった。浜名湖のうなぎといえばヌルヌルしていてつかまえにくい。その浜名湖近くの別荘で男女100人以上が全裸でヌルヌルの乱交の夜を楽しんでいた。密告を受けた地元警察は、つかまえにくいのをつかまえる。コラッお前ら何をやってんだ! と大捕物。見りゃ分かるだろうとひらき直られたか知らない。中にはスミマセンなどとあやまった若手警官もいたはずだ。私が日頃力説するように、男も女も下半身は別人格なのである。そこに常識を超えたことがありそうと思ったら、哲人も賢人も、私はそこにある人間の真理をみたいと、その場にすい込まれて行く。妖しいランプの色がゆれる。ローソクのいやらしい灯り、全裸の男女が発する異様な体の臭い、喚声や嬌声、男と女が接する独特な音、酒池肉林に踏み込んだ警察官が、御用だ! とパクッた男女はSNSで集まったスケベ人間ばかりだったはずだ。破廉恥をとおりこした女性はもはや手がつけられない。アタシを放っといた罪だよ、とか私の体は火山みたいに熱いんだよとか、とことんあいつに恥をかかせんのさ、ザマーミロなどとなる。警察署は異常な状態となる。ナンダオマエその情けねえ姿はパンツはけバカ。この手の犯罪は双方同意の上であったとなると、厳重注意、氏名は公表せず、いくらか罪金を払って、ハイオシマイ。但し浜名湖周辺の噂さの渦はとどまることなく広がっていく。土用のうなぎはもうすぐだが、この地ではジュージューに蒲焼きは焼き上がっている。全国津々浦々こんなことはいくらでも起きている。参加者は圧倒的に高学歴のインテリが多いという。勉強ばかりしていたツケが下半身に集まるのだ。若い頃の苦労は金を払ってでもしろという。女性には高い月謝を払うべしともいう。世の中に単純に好き者というのがいるが、これはビョーキなので治らない。目の動きを見ているとすぐ分かる。私は90%は当てる自信がある。冷静に考えると夫婦がまい日ベッドを共にするなんて気持ち悪い。私は家庭内別居。欧米社会では離婚訴訟をしている夫婦でもベットを共にする。土足で家に入る。ペットの犬はウロウロ外から家の中に入って来る。朝から晩までキス、キス、キス。極めて不潔な国民なんだ。一度テキサスでロデオ大会の人間が部屋に入って来たが、履いていたビジョー付のロングブーツは、泥と牛のフンだらけだった。腰には銃があった。ガチャーンと窓の割れる音がしたら、女性が男に殴られて飛び出して倒れた。バーボンウイスキーをがぶ飲みした女性は男をハリ倒した。周囲の人間は大きな声で笑っていた。バカデカイスペアリブをベトベトしながら食らいついていた。なんだい喧嘩していた男と女は抱き合ってキスをしていた。牧童たちと女性たちはまい日こんな夜を楽しんでいるのだ。殺し合いを見たかったがそれはなかった。ヘイジャップ、リメンバー・パールハーバーは忘れてないぞと言った。右手を拳銃にあてた。朝から500gもある肉を食べる男たちと、木の根をかじり、昆虫を食べ、葉っぱをブッタ切って食べた旧日本軍は骨と皮となった。朝ロッジ風の食堂でトーストとベーコンエッグの朝食を食べていた。ギャ~足もとにぶっとい蛇がいた。私はこの顔で蛇が大嫌いだ。そのあまりの大声に他の客たちが笑い転げた。一人のガンマンがナイフで殺した。浜名湖のうなぎだったら大好きだったのに。ずい分むかしのことを思い出した。荒野では赤いサソリとガラガラ蛇がいい絵になるのだ。それと見えない風だ。風の音がアートになるのだ。私の敬愛する後輩がいま旅館を六つやっている。夫婦で発展させて来た。ちなみに宿泊付宴会の後始末が大変なベストスリーは、一位教職員関係、二位警察署関係、三位が役所関係とか。その結末は何もかもやりっ放しで、女中さんでも口にするのが恥ずかしいとのことであった。乱交の夜はコロナ禍の中でも日本中で行なわれている。あなたのご主人が、あなたの奥さんが参加しているかも知れませんよ。ワァハハハと笑ゥせぇるすまん風に。夫婦仲を大切にしないと大変なことになりますよ。ドーン。




2022年6月11日土曜日

本日、休筆です。

 今日は出張のため、休筆します。梅雨を迎えましたが、皆さん、明るくいきましょう。

2022年6月4日土曜日

つれづれ雑草「佐々木、イン、マイマイン」

この世では思わず言葉を失うニュースが洪水のように流れ、雨、霰のように降りそそぐことに耐えねばならない。東海道線午後九時二十三分東京発平塚行きに(小田原行きだったかも)乗った。四人掛けの窓側に白いマスクをした美人ぽい女性。マスク外したらどうなるかな、などと思った。ローファーの白い靴、オレンジ色のコットンの長袖のシャツ、いい色にしたブルージーン。私は通路側に座った。日本人はスゴイ昨日一日、マスクを外した人を一人も見なかった。女性はマスクを外したくないという。マスクをしていればほぼ美人風、ほぼチャーミングだからだ。私の隣に座っていた女性が、グレーの大きなトートバックから助六弁当を出した。オヨヨと思った。見かけと違ってかなり乱暴に包み紙を外し丸めてバッグの中に入れた。私は助六弁当大好きなのでこころが動く。おいなりさんと太巻きずしがビシッと箱詰めになっている。うわぁ~うまそうと思った。目の前には六十位のおじさんがいた。白いワイシャツに黒のズボンだ。片手に宝島社が出版している昭和の黒幕という文庫本を読んでいた。助六といえば歌舞伎の演目として有名だ。幕間の弁当としても定番だ。などと思いつつ私は疲れた目をしばし閉じた。さあ~オイラの人生の最終演目は何かと瞑想する。回遊魚の鮪(マグロ)と同じで、私は何かをしていないと即この世とオサラバしなければならない。鮹(タコ)はじぶんの足を食って生きるというが、私も今では鮹と同じでじぶんの足を食っている。むかし星セント・ルイスという漫才コンビが「俺達に明日はない。キャッシュカードに残はない」という決め言葉と「田園調布に家が建つ」という言葉でおおいに売り出した。気がつくと消えていたから、決め言葉通りに生きたのだろう(2004年にセントさん、2005年にルイスさんが他界)。私もヤバイじゃないか、瞑想している場合かよと目を開ける。助六弁当の太巻きを大きくあけた口の中に入れた窓側の女性がいる。マスクを外してアゴにかけている。食べている間は表情がよく見えないが、太巻きを食べたあとはしっかり分かった。かなり想像と違った。なんだなんだ次はおいなりさんかと思った。女性はやっぱりマスクがよろしいと思った。私はこういういけないこころを持ってしまう人間なのだ。家に帰ると愚妻が娘が住んでいるところではドヒャーとでっかい雹が降ったとか。テレビのニュースを見るとガチョンとビックリ、日大の理事長にな、なんと林真理子さんが就任とか、10万人近い生徒たちの顔が、100万人に一人いるかいないかという素敵な女性にというニュースを見て、あの助六弁当を食べていた女性を思い出した。人間は見た目ではないのだぞとじぶんにいい聞かせる。高校の教師同士だった男と女が、殺し殺された。不貞不倫の行きつく先は、失楽園だ。後楽園だったらよかったのに。人間は偶然と必然のあいだで生きている。昨夜いい映画を見た。「佐々木、イン、マイマイン」内山拓也監督作品。仲のいい五人の高校の同級生仲間にお調子者だけど、存在感抜群の佐々木君がいる。みんなに、ササキ、ササキ、ササキと手拍子されると、教室の教壇の上で学生服を脱ぎ全裸になる。女生徒たちはやめて、バカ、アホ、サイテーと逃げ出す。先生はまたかと怒り、仲間たちは笑い転げる。そんな陽気な佐々木君はじつにいい奴で、じつにかなしい。久々にいい青春映画を見た。損得のない友情とはいいものだ。コロナ、コロナですっかり忘れていた大切なものを思い出した。マスクは女性の大切なファッションアイテムとして定着するだろう。おたがい見ないですむなら、見ないほうがいい。カンヌ国際映画祭で早川千絵監督の「PLAN75」が新人監督賞に贈られるカメラ・ドールのスペシャル・メンション(特別表彰)を受けた。超高齢化、近未来の日本で75歳になると自らの生死を選択できる。この新制度によって人生どうなるかを描き、大評判になったと記事に載っていた。さて、あなたならどうしますか、「PLAN75」の制度ができたら。夫婦とは殺意と殺意が枕を並べて寝ているようなもの、私の好きな女優アシュレイ・ジャッド主演、1999年作「ダブル・ジョパディー」という映画も見た。ベッドの中から起きた妻の横には血だらけの包丁があった。法は同じ罪で二度裁けない。夫殺しの罪を負わされ刑務所に入った妻は、夫が生きていることを知る。まいにち愛し合っていた二人は、殺意と暮らしていたのだ。そして復讐を誓う。今は警察の留置所にいる、高校の同僚だった教師も、出会ってはいけない男と女だったのだ。スコップで穴を掘っている時、何を想っていたのだろうか。いいニュースがない世の中になっている。少年野球を見ている時が、今の私には何よりの時間だ。参議院選挙は近いのだが、野党はどこにいるのかさっぱり存在感がない。4630万を受け取ってバクチでスッた。いや金は回収した。なんてスットコドッコイのニュースはもう古いのだ。(文中敬称略)




2022年5月28日土曜日

つれづれ雑草「戦争反対」

1945年のいま頃、沖縄では日米の最終決戦をしていた。沖縄は米大艦隊にとりかこまれ、艦砲射撃の一大標的となり、島の形も変ってしまうかの情況であった。地上では大部隊が続々と、続々と、続々と――。上陸して総攻撃をする。この戦争の残酷さや悲惨さ、無惨極まる攻防は数限りなく語られ、小説や映画、絵画や歌によって表現されてきた。がそのどれもがしんじつを伝えきれない。まさに筆舌につくしがたしなのである。「ハクソー・リッジ」という米国映画を見た。主人公は実話で2006年まで生き86歳でこの世を去った。私は徹底的に反戦論者である。少年の頃、まるで日課のように喧嘩はしたが、両親の影響からか戦争には大反対であった。ロシアの侵攻によりウクライナは戦争状態にある。この機に憲法改正論者はビッグチャンスとばかりに憲法改正に動き出した。最終目的は再軍備であり、憲法九条の改正である。野党の存在感はまったくない。うつうつとする嫌な気分の中で「ハクソー・リッジ」を見た。主人公の青年はクリスチャンであり、人を汝、殺すなかれを信条にしている。父親は元軍人、青年を軍隊へ送り出す。小さな聖書を胸ポケットに入れた青年は、軍隊の訓練でも銃器は持たない。衛生兵になると主張する。軍隊はそんなことは許さない。仲間たちからリンチを受ける。さらに軍法会議にかけられる。それでも拒否をつづける。軍法会議は条件をつけ衛生兵として沖縄決戦に向わせる。銃器を持たない軍人が沖縄に上陸する。丘の上にトーチカを作った日本軍は猛攻撃をする。地中にはトンネルが掘られてアリの巣のように要塞化している。陸上からロープはしごにつかまり崖を越えねばならない。上陸隊が狙い撃ちされるからだ。決死の日本軍は強い。両軍あらゆる兵器で撃ち合う。頭が飛び、体が破裂し、両手、両足は飛び散る。吹き出た内臓が赤い蛇のように散乱する。青年は負傷した仲間を銃弾の雨、嵐の中を救けて回る。血と血の世界は凄絶な地獄絵となる。青年は負傷した日本兵にも治療をする。沖縄は無数の戦死者を出して終る。日本軍降伏。青年は72人の戦友の命を救い、銃を持たない軍人として初めて、軍人の最高勲章を受ける。実際の青年は細くて弱々しい。映画を見てメル・ギブソンの演出に驚嘆する。そして思った。人間と人間はなんで戦争をするんだろうか、なんで殺し合うのか。戦争の大義とはなんだろうか。国と国はどうして仲良しになれないのだろうか。きのうまでやさしい魚屋さんや肉屋さん、小説家、芸術家。プロ野球の選手やスポーツ選手、学校の先生や大学生が軍隊に入ると、強制的に人殺しになってしまう。生きるために殺す。おかあさんと叫んで特攻隊は散る。なんで戦争ばかりするのだろうと思いつづけた。そしてやっぱり答えは一つ、戦争で大儲けする悪い野郎共がいるからだ。軍事費倍増を画策している。沖縄戦争生中継のような映画を生んだメル・ギブソンは、戦争の真の英雄は、死んだ者たちである。そう表現した。神はいるのかを問う。聖書にある創造主は人間をなんで造ったのか。信じる者は全然救われていないのが世の中だ。私の親愛なる後輩が50歳近くなって肉体改造をしている。毎日2時間ジムで筋トレしてプロテインを飲んでいる。わずか3ヶ月余で上半身は筋肉モリモリ、これから下腹部をモナカアイスみたいに六分割にするんだとか。人に見せたいだろうと言ったら、見せたいんですと裸になった。why何故と聞けば若い女性とつきあいたいからだと笑った。ナルシストは裸を見せたがり、死にたがる。ナルシスが池に落ちたように。陽灼けサロン、筋トレ、プロテイン。何も知らずただルームランニングのために辻堂駅前のゴールドジムに数年通ったが、今振り返えるとかなり不気味なシーンがあった。とあることを知りやめた。長い間白内障で片目のジャック状態だったが、ついに手術をした。現在四種類の点眼薬を朝・昼・夜・寝る前に使用している。かなり面倒だが、やけにクッキリ見えてきた。いままで二度手術直前でキャンセルしたが、この世の有り様をしっかり見届けておこうと思って決断した。評判の高い眼科医はスゴイ、一日でなんと30人手術するとか。二人の医師は見事な手の術で、ハイ次、ハイ次と朝八時からやっていた。待合室には40人以上がいた。付き添いの人もいる。手術後は安静にと言われ、たくさんの穴のあいた片目用のプラスチックメガネを、茶色いテープでベタベタと貼った。私の人相で外を歩くと、ヤクザが喧嘩したあとみたいだと言われた。が、私は失明より少年野球の応援を選んだ。いざ寒川青少年公園野球場へ。1230分プレイボール。応援する少年は見事完投、3打数1安打、打点3で勝利投手、8対2で勝った。勝利の女神は微笑してくれた。夜、親愛なる沖縄の友人と電話で話をした。声に人柄が出るいい男なのだ。ガンバレ沖縄。今年で沖縄返還五十年だ。そのひきかえに沖縄は永久に米国基地として使用できる。アメリカの政府にとってこれほどウマイ話はないと、当時の高官たちは高笑いをしていた。そんな秘蔵ドキュメンタリーのフィルを見た。ハチの巣にしてやりたいバカヤロー共だった。(文中敬称略)



2022年5月25日水曜日

つれづれ雑草「すすり泣く」

深夜わたしは泣いている。名画を見ているからではない。ところてんにねりからしを入れ過ぎて目と鼻にツーンときたのだ。ところてんは実に奥深い食べ物で、時に大敵となる。酢が多過ぎたりねりからしを入れすぎると、なんとなく頼りなく弱々しいところてんが、が然強気になるのだ。その日その日でところてんの味が違うのは、ねりからしの量による。どれ位がもっともいい味かはいまだに分からない。これはおでんのコンニャクにねりからしの量がどれ位がいいのか分からないのと似ている。コンニャクは全身ツルツルなのでねりからしはしみこまない。表面にねりからしがぜんぶのるからだ。これをさらに比べると、冷やし中華におけるねりからしの量にもいえる。せっかくの冷やし中華もねりからしを入れこみすぎると、メンを食べている途中に、突然パニックが起きる。メンの中にねりからしがよく溶けこんでないで、ねりからしがたくさん登場するのだ。泣きながら冷やし中華を食べて、ガホンガホンしている人がいるのはこのためなのだ。ねりからしとは黄色い泣かせ屋である。洋ガラシ(マスタード)とは似ているがまったく別物で、マスタードは荒くれの味でホットドッグ用だ。日本料理とバーベキューほどの違いがある。週末愚妻が秋田での法事で出張(?)でもってオンボロファックス機が私では使えない。原稿を書いてもライターの方とのファックスのやりとりができないのだ。実に情けない。電子レンジも使えない。(一度マカロニグラタンで大出火させてしまった)おそらく私の知能指数は三歳児位だと思う。かろうじて映画は見れる。かつて見たブラッド・ピット主演の映画「セブン・イヤーズ・イン・チベット」の中で、こんな教えを受ける。「答えのある問題なら悩む必要はありません。答えのない悩みなら悩んでもむだです」チベット仏教はそう教える。私はこんなバカ者でありながら生きてこれたのは、ひとえにひと頼みだったのだ。ところてんへねりからしを入れていたのは愚妻だったので、じぶんでねりからしのチューブを持ってからしを押し出すとその量が分からず入れすぎたのだ。バカは死ななきゃ治らないというが、私はきっと死んでも治らないだろう。答えはそういうことなのだと悟った。カトマンズの山の中に行かずに答えを知った。先週6月封切りの映画の試写会に招待されて観た映画「はい、泳げません」は、きっとベストワンになるだろう。尊敬するリトルモア孫家邦さんが企画・製作した。孫さんが手がける作品は、ベストワンになったり、主演女優賞や助演男優賞など多くの賞を得る。「舟を編む」「夜空はいつでも最高密度の青色だ」「花束みたいな恋をした」新作は水泳が苦手の大学教授が、一大決心をしてスイミングスクールに入る。長谷川博己が演じる。インストラクターはクルマが苦手の女性綾瀬はるかが演じる。昭和のある頃ヒトビトは貧しき中でもほっこりしていた。たき火でやいた焼き芋の味のようにほっこりとしていた。悪い事、嫌な事、忌まわしい事、許されざる事ばかりがテーマの映画が多い中で悪人が一人も出てこない映画は実にいい。さすが孫さんの企画力は冴えわたっている。カメラワークが新鮮だ。達人笠松則通さんスナップ写真のような映像がいい。シロウトみたいに見せる超絶クロウト芸だった。ほのぼのという言葉が消えてしまったいまの世に、ほのぼのとはを見せてくれる。ぜひ観に行ってほしい映画だ。脚本・監督は渡辺謙作さん。荒戸源次郎事務所出身で鈴木清順監督に鍛えられた人である。「舟を編む」の脚本でアカデミー最優秀脚本賞を受賞している。親愛なる友と、巨匠井上嗣也さん、その高弟と四人で観た。その後永坂更科のそばをすすり合った。世界的な文明学者が先進国で日本が唯一止まっていると警告している。『パリ=共同』「国境なき調査団」による、2022年の世界各国の報道自由度ランキングの発表では、対象180ヵ国の地域のうち、日本は昨年から四つ順位を下げで71位だった。安倍晋三長期政権の負の遺産だ。国民から知る権利を奪ってしまった。メディアはスポンサー離れを恐れてしんじつを報道しなくなっている。ちなみに第一位はノルウェー、最下位は179位の北朝鮮であった。憲法改正、第九条改正への足音がヒタヒタと迫ってきている。こればかりは口にマスクをして黙して語らずとはいかない。無気力に慣れてしまった国民を改正論者は見逃さない。戦争の世紀へ幕が切って落とされているのだ。すさまじいドキュメンタリー映画「ウィンター・オン・ファイヤー ウクライナ、自由への闘い」を見てほしい。ウクライナ国民が自由を求めて国家権力と闘った壮絶の90日間余だ。独裁者は逃亡した。オレンジ革命の実況中継だ。若者が動く時、国家は敗北する。我が国の若者もSNSを国家管理され、スマホを取り上げられ自由を奪われたら、きっと行動を起こすだろう。私がいまハマッているところてんは、伊豆・三浦半島産・天草使用、ねりからしはハウス食品製だ。(文中敬称略)