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2011年4月1日金曜日

湘南から喜怒哀楽 「過去という着物」


赤坂に通称ヤッカン通りというメインストリートがある。
ヤクザと韓国人が多いからだ。最近は中国人の立ちんぼが多かった。過去形である。


大地震以降、韓国人も中国人もすっかり消えてしまったからだ。
日本は恐い、日本は終わる、地震、津波、原発事故の映像を見た家族達が出稼ぎから帰って来る様に強く言ったらしい。友人の英国人弁護士家族も香港へ行ってしまった。

困った事に私の体に一番ピッタリ合っていた中国人のマッサージのオバサンも旦那の中国料理人とハルピンに帰ってしまった。首こり、肩こり、腰痛、「任」さんはバッチリほぐしてくれた。いつ日本に戻るかわからないという。

頼りになるのは鍼とお灸の名手、辻堂駅西口のヲットマンのトミーこと富田さんだ。先日行ったら下腹(丹田)に力が入っていない、足が冷えているから暖めるようにと言われた。
節電で電気マットもエアコンも消している部屋の中で靴下を履くのと下着を着けてパジャマを着るのが嫌いなのですっかり冷えてしまった。

今は下着も履き靴下もはいている。何か窮屈でたまんない。仕事から帰って1.時計を外す、2.靴下を脱ぐ、3.下着を脱いでコットンパジャマのズボンを履く。広々とした開放感に浸る事が出来る。


脱ぐ事、外す事はいい事なのだ。出来れば過去も脱ぎ捨てたいと思う。何一つ良い事はしていない。悪事の数々、嘘と見栄と虚飾と精一杯の背伸びをした過去を。


満足感に満ちた人生を送れた人は本当にいるのだろうか。もしいたら是非会って教えをいただきたいものだ。人生の最終コーナーを回った私は屋久島の様に365日心の中に雨が降っている様だった。雨を凌ぐために自分を自分で演じて来た訳だ。

どれほど人を傷つけてきたのだろうか。これから少しでも傷口を治すオロナイン軟膏になりたい、オキシフル消毒液になりたい、傷口を癒す包帯になりたい、そう思いながら救援物資を何袋も作り松下政経塾に持って行った。
私の過去を知るカーディガン、ジャンパー、セーター、オーバーコート、ヨットパーカー、釣り用ジャケット、マフラー等冬物の品々を入れた。

私の過去を誰が着てくれるのだろうか。雨や寒さを凌ぐために役に立つのだろうか。
子供の頃、児童文学全集で初めて外国人の本を読んだ。


ビクトル・ユーゴーの「ああ無情」であった。主人公ジャンバルジャンはパン一本を盗み19年間刑務所に入れられるがミリエル司教と出会い正しい人間となるのだが過去をずっと追って来る者が居た。


自分の過去ほど重い物はない。


2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

ヲットマンの富田です。
この度は思いがけず、
このような形で登場させて
いただき恐縮しております。
パンの写真が載っているのは
無類のパン好きの私と関係
のあるのかな?と感じました。
体の冷えは万病の元とも
言われますので、
お家では厚手の靴下を履き、
お風呂でしっかり体を温めて
いただきたいと思います。
臍下に力が出るように、
お灸を沢山すえますので、
お気軽にまたいらして下さい。

ね、こすけ さんのコメント...

私も自分を偽り続けていると感じています。
卑怯な自分を知っています。
そのことが時にはひどく惨めですがその都度生きなおすチャンスだとも感じます。

どん底はエネルギーのるつぼではないでしょうか。
自分のことも震災のことも。。

被災者たちに向ける気持ちと同じくらいご自身の体も大切になさってくださいね。