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2015年2月27日金曜日

「渡る世間に…」




東海道線は字と字が列車によって向かい合う。
四人掛けだ。狭い、足と足、体と体が触れ合う。

私の隣の老人は、スポーツ新聞の競輪予想面をシワクチャにして見ている(平塚か小田原競輪なのだろう)。
左斜め前の太ったオバサンは短足のせいか履いていた赤いスリッポンのカカトの部分に、脱いだ足をつま先を立ててチョコンとのせている。砂糖をパラパラと落としながら大きいメロンパンを食べている。
誰かに似ているなあーとじっと顔を見たら、橋田壽賀子さんにソックリだった(本人かもしれない)。
私の目の前(つまりトイメン)は三十代中頃のビジネスマン風、ずーっと下を見てスマホをいじっている。無我夢中だから列車が脱線しようが衝突しようが上を見ることはないだろう。 資料がごっそり入った黒いカバンは閉まらずパックリ口を開けている。

私といえばその三人をじっくりと観察させてもらっている。
列車は辻堂→藤沢→大船と進み横浜に向かって行った。
と、その時オバサンが突然スイマセンちょっとおトイレに行かせて下さいといって、半分残ったメロンパンをハンカチで包んだ。

いい感じで一定の秩序を保っていたのだがこれを機会に崩壊した。
オバサンの体は想像を超えて太く、でかく、高かった。競輪の予想面を見ていた老人は、あーあ今日はとことんついてねえや、みたいな顔をして立ち上がった。
ビジネスマン風の男が持っていたスマホを落とした。画面には将棋が写っていた。
きっと詰め将棋をやっていたのだろう。やはりずっと下を見ていた。


私といえばそんな光景を観察しながら立ち上がってオバサンが通りやすくしてあげた。
トイレから戻って来たらまた、おなじ事を繰り返すのだろう。
列車が横浜を通りすぎ川崎に向かってもオバサンは戻って来なかった。
人間は不思議だなと思った。

横浜でお客さんがたくさん降りたので、字と字に座る必然は何もなかったのだが、三人はオバサンが戻って来るのをじっと待っていた。
渡る世間に鬼はいないのを証明したかったのかもしれない。

2015年2月26日木曜日

「二人の社長」




クリント・イーストウッドの最新作「アメリカン・スナイパー」を観た。
戦争の実況中継のようであった。何しろ実弾を使っているので迫力がもの凄い。ぜひ観てほしい反戦映画だ。
イラク戦争からイスラム国(?)が生まれた。

映画の中で気になるシーンが何度もあった。
テロリストたちが使用している車がほとんどTOYOTAであることだ。
アジアからユーラシアそして中東、テロリストたちはTOYOTAの上から銃撃をする。TOYOTAはまるで日本を代表する“軍需産業”だと思った。

大手広告代理店でTOYOTAのレクサスを七年担当した友人が名古屋での勤務を終えて帰って来てこういった。TOYOTAは「鬱製造会社」だと。
豊田家以外の人間はロボット位にしか思っていない。
働かせるだけ働かせ、心身がイカレたらはい次の人。まるで経営に愛がないと。
他より給料もいい、技術も高い、が人間的でないのだと。系列から絞るだけ絞る。
乾いたタオルをまだ絞るというほど徹底して無駄な金は使わない。
系列会社を渋り上げる。二兆円以上という途方もない純利益を出しても内部保留にする。

映画を観ていてその話を思い出した。
テロリストを乗せているTOYOTAの企業姿勢とは何であろうかと思った。
確かに車の性能はいいらしい(私は免許を持っていないから分からない)。
私の娘も息子もTOYOTA車に乗っている。
TOYOTAの社長の顔は無機質で感情が見えない、まるでロボットのようだ。

その逆に感情がまる見える、野心と野望がコンプレックスで固められ、俗物の極みのような顔をした人間がいる。幻冬舎の見城徹という社長だ。
金はしこたま手に入れた。だが世のため、人のために使う器量も度量もない。
権力に擦り寄って下世話に磨きをかけている。政界や芸能界は出版界ほど甘くはない。きっと哀れな末路をたどるだろう。利用されるだけ利用される。「やしきたかじん」の罰が下る。

テロリストのブランドとなったTOYOTAにはどんな神の罰が待っているのだろう。
(文中敬称略)

2015年2月25日水曜日

「フルチンの男たち」




箱根に「天山」という日帰りの温泉がある。
 大型のベンツが湘南地区で唯一駐車場のない私の家の前に停まった。
バスタオル一枚、タオル一枚を持ってくるよういわれていたので、スポーツシューズを入れる袋に入れて大型ベンツに乗った。

グィーン、ベンツは早い。
途中平塚で車線拡張工事にあったが11時ピッタリに箱根の駅に着いた。
もう一人の友人が待っていた。

「天山」には車で直ぐだった。風呂の数が多い、広い、大きい、渋い、ものすごく熱い、ちょっと熱い、とても熱い、ぬるい、水風呂、サウナなど何種類もの風呂が内に外に、露天風呂にと種類を変えてある。1300円ポッキリで一日楽しめるのだ。
しゃれた料理店あり、鉄板焼きあり、レストランなどもしっかりとあった。

「天山」の湯船に入っている人のおしりは、煮込みすぎたハンペンのようにフニャフニャ、体に筋肉はなくブヨンブヨン。
時々元気のいい若い人も入ってくるのだがイマイチなじまない。

一度出てカフェテラスで冷たい飲み物を飲んだ、で、2度目に行くとヨットマンの友人がグッタリ腰を抜かしたご老人(75才位)をしっかり抱きかかえている。
誰か呼んで、誰か呼んでといっている。
フルチンの男がフルチンの男を抱いて、フルチンの男たちがどーしたのと集って来た(非常ベルはない)。やがて大きな女性と半テンを着た男が来た。
二人はのんびりだらりとして、ズボンを濡れないようにたくし上げていたのでヨットマンの友人が怒った。早くしろ、濡れたっていいじゃないかと。

で、友人と私、天山の男、フルチンの男たちとで引きずるように湯から出し、車椅子に乗せて畳の上に横にした。原因はよく分からないが体の上の方は火傷し、腰は完全に抜けオチンチンはボニョーン、ダラーンとなっていた。
露天風呂の中でも深いところなので、ヨットマンの友人がそこに入りに行かなかったら間違いなく溺れ死んでいただろう。他に誰もいなかったし、声がまったく出ていない。
全身脱力となった人間はベロベロの酔っ払いと同じでとにかく重い。

それにしてもオチンポはなんてマンガチックな形をしているのだろう。
ダラダラ、ベロンボロンとぶら下がっている個性豊かなものを何本も見てしまった。
「天山」はプライドが高いようだが、サービスと危機管理には大いに問題がある。救急車は何故だか呼びたくないようであった。
もう一人の友人はカラスの行水ですでに出てしまっていた。

2015年2月24日火曜日

「先生の義務」




バカヤロー学校は何をやっていたんだ。
バカヤロー担任の教師は何をやっていたんだ。

 川崎市の河川敷で少年が素裸にされカッターナイフで切り刻まれた。
島根の離島から転校して来た、明るく、バスケット好きだったという13才の少年。

不良たちに殴られ顔面アザだらけになっていたというのに、学校を全欠していたというのに。家庭訪問はしていなかったのか。

校長は「先生自身も残念で悲しく、悔しい気持ちでいっぱいです。みなさんも同じ気持ちかと思います」と語ったとか。
担任は女性であった。ならば同僚の男の教師は何の相談相手にもならなかったのか。

バカヤローたちは義務から逃れ、責任から逃れ、学校の保身、自らの保身しか考えない。いつでも生徒を見殺しにするんだ。

少年の頃私は嫌というほど教師に裏切られ、傷つけられ、そして放校された。
教師が守ってやらないで誰が生徒を守ってやるんだ。不良が恐くて教師ができるか。
殺された少年は5人きょうだいの次男だという。
不良の中にちゃんとした番長がいたらこんな酷いことはさせなかっただろう。
少年が通っていた中学校の校名は私が読んだ新聞に載っていない、ただ私立中学としか書いてなかった。
涙ぐんで話す担任の女性教師の話に生徒“数人”も泣いていたと記事に書いてあった。

島根の離島・西ノ島にいたらきっと青い海で友だちたちと遊んでいただろう。
私が結婚する時にお仲人を頼んだのは中学時代の担任だった女性の教師です。
妊娠後期だったのに勉強のできない私に放課後勉強を教えてくれました。
私立には月謝が高くていけません、先生のおかげで都立高校にすべり込めたのです。

少しボケたけど今でも元気です。飛び切り陽気なご主人も教師だった人です。
先生から受けた恩は生ある限り忘れないのです。

殺された少年が責任感のあるいい教師たちと出会っていたらと思うとやりきれないのです。親は勿論のことだが、義務教育中は生徒を守る義務が学校と教師にもあるのです。
少年の大好きだったバスケットボールは憎しみを込めてあの世に転がっていくだろう。(合掌)

2015年2月23日月曜日

「ヒマとマヒ」




昨日とても嬉しい郵便物が届いた。
大きな封筒の中を開けると、拙書を送ったことへの御礼と共に、「映画人生“再起動”の心意気」が書いてあった。朝日新聞の別刷「定年時代」にであった。

送ってくれた友人の名は「増田久雄(67)」さんだ。
私の周辺では“チャーボー”と呼ばれ愛されている。
石原裕次郎さんに誘われて映画の道に入った。早稲田大学入学時代から石原プロで企画制作に携わった。そして自ら「プルミエインターナショナル」という会社を立ち上げた。

独立プロは10年続けば凄いという日本の映画界の中で40年にわたって作品を生み出している。三谷幸喜の映画監督初作品「ラヂオの時間」や矢沢永吉の30年を追った音楽ドキュメンタリー「E.YAZAWA ROCK」も世に送り出した。
「竜二」という映画で伝説の映画人となった故「金子正次」の遺した「チ・ン・ピ・ラ」というシナリオを川島透監督で作り大ヒットさせた。
主演柴田恭兵、ジョニー大倉であった。

今では当たり前のテレビ局とタイアップした初の作品だった。
私は増田久雄さんと川島透がどうしても映画化したいといって来たので、金子正次は自分で制作費を出してやっと「竜二」を作品化、そして封切りの日に胃癌で死んだ。
35才の若さで。そのことに強く胸を打たれたので制作費の四分の一を制作協力として出した「チ・ン・ピ・ラ」は大ヒットしたので出したものは返って来た。

増田久雄さんとはそれ以来の仲であった。
ヨットマンの友人の仲間でもあった。
とにかく永遠の映画青年で故石原裕次郎さんや仲間に愛された。

「再起動」はパソコン用語で“リブート”というらしい。
増田久雄さんは昨年12/1625、東京芸術劇場シアターイーストで五周年記念として「クランク・イン」を上演した。主演は別所哲也さんと新妻聖子さんであった。
別所哲也さんは日本の短編映画を育ててくれる貴重な映画人だ60才から益々活躍する増田久雄さんは、青春時代に聞いた映画音楽を聞いて、青春時代の感動を取り戻し、明日への活力を生んでもらうキッカケになればと語っていた。

上質な名作映画、その音楽の魅力、生の歌声と演奏と映像。
第六回もきっと今年中に上演するだろうから、ぜひ青春時代を思い出しに行って下さい。才人増田久雄さんは60才から、大・再起動をしている。

ヒマだ、ヒマ、ヒマ今日は何すんべえかな〜などといって定年後をブラブラ過ごしている方がいたとしたら、ぜひ再起動のプランを考え行動して下さい。
ゲームでゴルフしたり、釣りをしたり、囲碁や将棋やサッカーや野球をしてませんか。
再起動ですよ、再起動。人間は“動物”です、動く物なのです。
静物になっていませんか。

えっ、夕方家の回りを散歩してるってか、えっ、買い物の手伝いをしてるってか、えっ、ヒマつぶしをどうするか毎日考えているってか。“ヒマ”に“マヒ”しているのだろう。(文中敬称略)

2015年2月20日金曜日

「小谷中清さん」




昨日は新橋→西日暮里(京浜東北線)→馬橋(千代田線)約一時間半。
鉄のアーティスト小谷中清さんが軽トラックで迎えに来てくれた。
そこから小谷中さんのアトリエまで約40分。

アトリエは千葉県柏市の畑の中にあった。
180坪を知人と二分割にして借りているとか。借賃はビックリするほど安い。
ビニールの屋根、倉庫のようなアトリエの中は、まるで廃品回収業の人が集めて来たような鉄、鉄、鉄の山、勿論アトリエの外も鉄、鉄、鉄。
何しろ鉄のアーティストだからそれで当たり前だった。

冬は仕事中に寒風にさらされ鼻水がポタポタ落ちるとか。
鉄の山の中にどーんと「祈りの塔」が立っていた。浅葉克己さんのトンパ文字「祈」をシンボルマークにして小谷中清さんに鉄のアートをお願いした。
 その最終チェックと追加のアイデアを確認した。約4メートルの塔は行き場を探してアチコチに行った。そしてやっと岩手県に行き先が決まった。
三月中に大型トラックで運び設営する。四月十二日にはイベントが予定されている。

3.11東日本大震災は急速に風化されている。
「祈りの塔」は、風化をさせてはならないとの願いを込めて作った。
NPOの人たちが協力してくれた。常堅寺の後藤泰彦住職をはじめみなさんがご協力してくれた。詳細はいずれご紹介する。

小谷中清さんは二年前愛妻を亡くされた。アトリエからご自宅に行った。
鉄で作った台に大きく厚い一枚板が取り付けられ、笑顔の遺影と小谷中清さんのアートで作ったモダンな祭壇があった。ローソクに火をつけお線香を立てた。

初めてご自宅に伺った時は暑い日であった。
千葉名産の冷えた梨と冷たい麦茶をだしてくれたのを思い出し合掌した。
小谷中清さんがコーヒーとヨーグルトのようなものに、アトリエのある畑で取れたブルーベリーを沢山のせて出してくれた。奥さんがいろんなレシピを書き残してくれたのに従って作ったという、ヨーグルトみたいで甘酸っぱい味だった。
とてもコーヒーと合って美味しかった。

小谷中清さんにいよいよだねといった。直ぐに帰るつもりが話が弾んだ。
軽トラックで馬橋駅まで送ってもらった。

夜、家に帰り朝日新聞の夕刊を見ていると、一面に大きく「NPOに『出張』します」の見出しがあった。
 その記事の中に今、一緒に進めているNPOの名があった。
「チャンス・フォー・チルドレン」貧困で教育向上にすすめない子どもたちを支援する公益社団法人だ。私は代表理事の今井悠介さんに電話を入れた。
今井悠介さんの声は弾んでいた。
私たちの考えがきっと新しい文化を生むと確信している。
三菱UFJリサーチ&コンサルティングが支援に動き始めたと記事にあった。


愚妻が鉄鍋でたらちりを作っていた。
早く食べないと煮立ってしまうわよといった。冷えたビールをグラスに注いだ。
ヒヨドリに餌をやっていると、セメントみたいなフンをして取れなくなるってよといった。大丈夫だよ、リンゴのフンになるからといった。
久し振りの長い会話だった。

2015年2月19日木曜日

「紅しょうがはタダ」




並ばない、守らない、譲らない、道路にツバを吐く、モノを捨てる、喚く、騒ぐ、殺到する。

銀座四丁目交差点、中央通り、昭和通り、有楽町近辺には大型バスがズラリと勢揃い、そこから続々と中国人観光客が降りて来る。
そして群れをなし四方八方に買い物を漁りに来る。 
10万、20万は当たり前、100万、200万、500万と現金で買い漁りに回る。
自分の国の品物は偽物ばかり、日本のトップブランド、海外のスーパーブランドをバッカ、バッカに買うのだ。消費低迷日本の救世主なのだ。
格安ホテルに泊まり、バスで移動する、銀座→秋葉原→浅草へと。

私の知っている中国人の人は日本に長く滞在しているので実にいいマナーを持っている。あくまで想像だが、「陳さん何買ったの、ガス炊飯器とパソコンとロレックス買ったよ、胡さんは何買ったの、シャネルのバッグとエルメスのスカーフとヴィトンのサイフ買ったよ。除さんは何買ったの、マンション2つ、一億八千万円で買ったあるよ」こんな会話が交わされているのだろう。

強烈な権力闘争をしている共産党国家の国民とは(?)私は非常に混乱する。
銀座和光のウィンドウの前にペタリと座り込んで木村屋のアンパンを食べている中国人親子たちは幸せそうである。

だが彼等にルールは無きに等しい。何しろ好き勝手なのだ。
思えば我々日本文化は全て中国から学んだのだ。実に複雑な気持ちになる。

あ、危ない、信号が青になっていないのに何人も飛び出した。
店頭で焼きたてのワッフルを売る店には並ばない人たちが集っていた。
デパートのエスカレーターには譲らない人が重なるようにいた。
ガムをクチャクチャ、飴をペロペロ。

いらっしゃいませ、デパートの女性店員は規則通りに頭を下げ続ける。
心の中では☓△☓□☓だろう(?)銀座はしばらく春節に沸く。
“共産資本主義”中国は日本を買い漁って行く。

何故か中華料理店には殆ど入らず、ラーメン屋の前は素通りだ(当たり前だな)、吉野家の牛丼は満員で外まで中国人だらけだった。
珍さんは特盛りをたのむことよといい、紅しょうがを全部のせて食べてしまったはずだ(?)紅しょうがはタダだから。一人二人凄いのがいた。
この寒いのにTシャツだけであった。勿論中国人が重労働して作ったユニクロだろう。
本屋の前を通ったらユニクロの柳井正社長の顔があって“ブラック企業ではない”という記事が載っている雑誌の広告があった。


2015年2月18日水曜日

「酔心」




ネバーギブアップ→諦めない男たちに私は感動する。
また男として、プロとして、夫として、父親として家庭を守る男に落涙する。
実に誇り高く美しい姿だ。

背番221プロ野球打撃投手「藤井秀悟」(37)は昨年限りで現役引退した。
ヤクルト時代に最多勝、最優秀投手、ベストナインにも選ばれた、日本ハム、巨人軍でも活躍した。最後の球団はDeNAであった。
そして現在巨人軍の打撃投手(バッティングピッチャー)である。

試合用の選手ではなく、練習用の選手である。打者が打ちやすいように投げ続ける。
背番221が何を意味するかは私には分からない。
一流のプロだった男が誇りとプライドを捨て黙々と投げる。だが誇りに満ちている。

巨人軍の用具係に「入来祐作」という元エース級のピッチャーだった男がいる。
一度は大リーグにも挑戦した。今は汚れたボールを磨き、バットやグローブやユニホームなど野球に関する用具の世話をする。プライドも誇りも一つ一つの用具に与え続ける。

大相撲に「栃ノ心」という前頭の男がいる。怪我に泣き十両から幕下まで落ちた。
外国人(グルジア)であるが日本人の何倍も日本の国技を愛する。
幕下になると給料は出ない。十両とは天と地ほどの差がある。

だが栃ノ心は引退をせず黙々と稽古に励み怪我と戦い、自己と戦い十両にあがり、全勝優勝を重ねついに前頭の上位に復帰し大関、横綱と戦っている。
体はボロボロだが男の意地はピカピカなのだ。

「やせ蛙まけるな一茶これにあり」と「小林一茶」は詠んだ。
一度地獄を見た男たちが生きる姿ほど美しいものはない。その顔、その目、その汗、その泥、その傷、全てがプライドと誇りに満ちている。

私は、小作人であり続けたい。バカであり続けたい。
藤井秀悟投手の夢は、もし東京五輪で野球が復活したら「オリンピックの打撃投手に選ばれたい」であった。挫折もせず、敗北感も味あわず、身の丈以上のプライドを持っている人間に負ける訳にはいかない。

昨日私が心身を痛めている時に熱心に指圧をし続けてくれた先生が仕事場に来てくれた。バブルが弾けた時、弟夫婦が経営する料理屋の連帯保証人になっていて一家一族夜逃げして万歳した。
かれこれ30年近い付き合いだ。私と同じ年、先生もいろいろあったなとソファーに横になって話した。先生は久し振りにと私のツボを次々に押した。
痛、痛、痛えよぉ〜先生と、のたうち回った。いろいろあったね、相変わらずアチコチ、ゴチゴチだねといって先生は笑った。

その後先生と一杯飲んだ。まずお新香五点盛りをつま味にした。
酒は広島の銘酒「酔心」であった。弟夫婦は生活保護を受けている、そして弟は糖尿病が悪化し、人工透析を続けている、奥さんも病身だといった。
日本画が上手だった。おかみさんは九十二歳になった。

先生は後期高齢者がもらえるという無料のバスの話をした。
いや1000円で乗り放題だったかもしれない。世の中の90%はやせ蛙なのだ。
チクショー負けてたまるか。

2015年2月17日火曜日

「怪物に乾杯、つまみはから揚げ」





「ジャージーボーイズ」というハリウッド映画が昨年日本で上映された外国映画のNo1となった。
残念ながら映画館には行けなかった。
2月11日そのDVDを買ってもらっていたのでそれを見た。
監督は八十四歳になる巨匠「クリント・イーストウッド」だ。
この人は怪物である。
年を重ねるごとに作品が若々しくなる。
ジャージーボーイズは友人たちが揃って絶賛していた。
ニュージャージーで育った4人の若者が60年代を代表するヒット曲を連発し成功するも、グループはお決まりの様に仲間割れして行く青春映画だ。
全米No1になった「シェリー」「恋はやせがまん」「恋のハリキリ・ボーイ」「悲しき朝焼け」「悲しきラグドール」「バイ・バイ・ベビー・グッドバイ」など4人グループ“フォー・シーズンズ”が唄う。
ミュージカルをクリント・イーストウッドが映画化した。
リードボーカルの声は裏声とヨーデルが重なった様な不思議な高温の声で、私は少年時代友人みんなとノドを引き絞って真似をした。

クリント・イーストウッドは早撮りで有名な監督。
2月21日からは「アメリカンスナイパー」というアカデミー賞の候補作も上映が始まる。
監督と製作を一人でやって成功したのはこの人とオーソン・ウェルズしかいない。
3,790円で2時間30分何度も何度も楽しめる。
何かに向かっている人は老いる事はない。
夢を追っている人はいつも青春時代だ。
クリント・イーストウッドはそう教えてくれる。

♪シェリー シェリーベイビー シェーリー
と気分よく口ずさみながら昨日夕刊を読んでいると「とりのから揚げ」の事を中国語の発音では「ジャージー」ということを知った。
中国では「ジャージー・ボーイズ」は「とりのから揚げ少年」となってしまうのだ。何だかガックリとした。
週末に又、見る事にする。

60年代は音楽の宝庫であった。
ペラペラのソノシートで聴いた「悲しき街角」「悲しき雨音」であった。
少年の恋は悲しいのだった。
クリント・イーストウッドは何度も結婚し、何度も離婚し、何度も自分を生まれ変わらせてきた。
彼はきっと100歳になっても青春の真ん中にいるだろう。

怪物に乾杯だ!つまみは勿論とりのから揚げだ。

2015年2月16日月曜日

「朝です」




このブログを書いているのは、二月十六日(月)午前五時十七分五十一秒だ。

テレビではニュースが流れている。
テロあり、殺人あり、鍋焼きうどんに針混入あり、安倍内閣の支持率が50%を越えたとか、北アルプスで遭難、山スキーをしていたとか。やったらダメですというのをやってしまう山スキーヤーのなんと多いことか。札幌のカニ屋で落下物がありケガ人が出たとか。森三中の大島さんが妊娠六ヶ月とか。

七時間原稿用紙に向っていたら愛用のボールペンの芯が残りわずかになってしまった。
バレンタインデーにいただいた「あげもち」と「チョコレート」で一杯飲んで眠るとする。

いつものグラスに日本酒を注ぎ入れた。どこか旅に行きてえなと思った。
沖縄の友のホテルに行こうと予定している。フォールーム。四部屋しかないがアジアンテーストのステキなホテルだ。おっとその前に友人が元箱根の日帰り温泉に行こうと誘ってくれている。

五時三十三分〇三秒、ウクライナ東部で停戦発効、その後も双方で攻撃中。小田急線経堂駅側ビルで火災、周囲騒然。
ヤバイこんなこと書き続けていたら眠れなくなってしまう。クーラー設置で何故住民投票(?)。
それではおやすみなさい。十時には起きますので。
小学五年生を殺した男が、日常的にバカにされたから殺したと供述をしたとか。

小さな庭にヒヨドリが来るようになった。
昨日、梅の花がポツンポツンと五つ咲いた。

2015年2月13日金曜日

「一羽でもニワトリ」




我が子を育てるように酪農家や養鶏業の人々は、牛、豚、鶏を育てる。
オイお前食欲はあるか、少し元気がないぞ、オイお前風邪でも引いたんじゃないか鳴き声が枯れてるぞ、オイお前腹の調子でも悪いんじゃないか便がゆるいぞ。

牛はモーモーと応え、豚はブーブーと応え、鶏はコッココッコと応える。
子牛から大人の牛へ、子豚から大人の豚へ、ヒヨコから大人の鶏へ。
それはそれは丹精を込めて育てる。なんて人間はやさしいんだと思う映像のあとに。

牛肉がグツグツと音を立てて白滝や春菊やネギやお麩と共に鉄鍋の中で「スキヤキ」となっていく。鉄板の上でステーキとなっていく(まるで火炙りのごとく)。
豚肉は切られ、包丁で傷を入れられ、衣をつけられ熱油の中にジューと入れられ「トンカツ」となっていく(火炙りのごとく)。
鶏は逆さ吊りにされ、毛をむしられ首を切り落とされ切り刻まれた。その上串刺しにされ炭火で焼かれ「ヤキトリ」となっていく(まるで火炙りのよう)。

心暖まる酪農家の人たち、養鶏業の人たちの映像と、火炙りになり人間たちの口に入る“料理”の映像を見るとガクッ、ガクッ、ガクンときて目の前の肉類を食べたくなかった。
筋肉隆々、ゴハンをモリモリ食べていた牛たちが四角いダンボールの箱に入って出荷されていく。
若い女性たちがステーキを食べて、キャーこれおいしい“本当の牛肉”みたい(?)とハシャギまくった。

「六道輪廻」生き物を食べた者は一度地獄へ落とされ(畜生に)生まれ変えられると「僧源信」は「往生要集」に書き残している。
それから逃れるには、生き物を食べた以上の善行を重ねるしかない。

こら!そこのオヤジ、ヤキトリ何本食ってんだよ、未だ、皮、ボンジリ、レバー、つくね、シロ、ハツ、タン、カシラ、セセリしか食べてないだと、地獄へ行くぞ、今度生まれて来るときは養鶏場の中のニワトリだぞ。一羽でもニワトリとはこれ如何にだな。

2015年2月12日木曜日

「鼾」




小説の神様といわれた「志賀直哉」の小説に「剃刀『カミソリ』」というのがある。
剃刀を使わせたら名人といわれた床屋さんの主人がいた。女房と若い者が一人いた。

その日主人は風邪を引き熱を出していた。
一人の男の客が来た。髭を剃ってくれという。
女房はあんた今日は体の具合が悪いのだから若い者にまかせなさいなといった。
主人は大丈夫だ俺がやるといった。客の男に温かな布を当て髭を剃り易くする。
温めている間、愛用の剃刀を細長い革の上で返し返しをしながら切り味をよくしていく。

主人は客の髭を剃り始める、いつしか客の男は大きな鼾(イビキ)をかき始める。
職人気質の高い店の主人は心が乱れる。熱が出て体の調子が悪いのに、俺が剃ってやっているのに鼾なんかかきやがって。
そうとは知らぬ客の男は高鼾だ、そして店の主人のイライラは頂点に達し、剃刀で客の男の喉笛をスパッと切ってしまう。
とまあ大筋こんな小説であったと記憶している。

あるとき、私が敬愛する監督にこの小説を短編映画化したいですね、と話した。
監督はぜひやりましょうといってくれたが、それは実現できなかった。

昨日午後四時半頃、私は床屋さんで大鼾をかいていた。
早朝まで起きていて二時間半ほど寝て起きた。朝八時半に連絡をしなければならないことがあった。二度寝をしようとしたがそのまま起きた。
休日であったが、平塚からハリ・灸の達人が十時に来てくれるといってくれたからだ。
頭を刈ってくれたのは店のご主人であった。起きてシャワーで洗ったので、頭は洗わないでよかった。

途中記憶がなくて目を覚ますと、ご主人のお母さんが剃刀を当ててくれていた。
自分で鼾をかいていたことを感じていた。
何か夢を見た気がしたがどんな夢であったかは分からない。
私は、お母さんにいや〜夢を見ちゃった、ずい分鼾をかいたでしょといった。
時計の針は五時に近づいていた。
お母さんが大きなマッサージ器を使ってくれようとしたが、いいです、いいですよといって断った。

千円札を四枚出してお釣りをもらった。
家に帰りながら「志賀直哉」の小説を思い出していた。
小説の神様もきっと床屋さんに行って大きな鼾をかいたのだろうと思った。

2015年2月10日火曜日

「初恋の結果は」




そういえばこの頃笑ってないな。
腹を抱えて大声出して笑っていない。
バラエティ番組を見て笑うのは、笑わせられているのだ。
この国にお笑い芸人たちがいなかったら、すこぶる暗い日々となるだろう。

ただ度を越した番組や、死に直面するような番組も多い。
深夜になるともうやりたい放題無法状態である。
作る方も作られる方もSMのような関係となっている。

私は江頭250とか出川哲朗とか上島竜兵とか坂田利夫の大ファンである。
笑うことが欲しくなった時は、彼等の出演しそうな番組を探してそれを見る。
それほど多くはないがその余りのバカバカしさに救われるのだ。

お笑いの人たちは「明石家さんま」を除いて、殆どの人が番組外では無口である。
冷静であり寡黙に徹するという。そして、もし売れなくなったらどうしようと不安神経症的になる。落語家は高座を終えると人を笑わすようなことは話さない。
金にならない笑いは取らないのだ。


7日の土曜日BSジャパンで「フーテンの寅」の初期の作品を見た。
マドンナは「長山藍子」であり、おじちゃんは「森川信」だった。
おばちゃんの「三崎千恵子」やタコ社長の「太宰久雄」は若かった。
「佐藤蛾次郎」も若かった。

純情な寅さんはいつも失恋する。
恋する寅さんを見ておじちゃんは、“バカだね〜”と溜息をもらす。
妹のさくら「倍賞千恵子」はどこまでもお兄ちゃんの寅さんにやさしい。
小さな会社に勤める労働者の「前田吟」は汗にまみれ黙々と働く。
“労働者諸君!今日もお仕事おつかれさん!”と寅さんは声をかける。

この映画のシーンには多くの笑いがある。
大きな幸福を望まない人々が日々の生活の中で手にする上質の笑いがある。
労働と笑いは親しい関係でなければならないことを教えてくれる。

ある調査によると、初恋は4人に3人が実らずほろ苦い思い出になったという。
初恋の相手は「同級生」が最多で80.9%、幼なじみが7.4%、学校の先輩が5.4%であった。初恋の年齢は612歳が55.6%、9割以上が15歳までに初恋を経験していると回答していた。

寅さんは初恋ばかりして、失恋ばかりする少年であった。
フーテンの寅さんを演じた「渥美清」さんは、「躁と鬱」を繰り返す難しい人であったという。山田洋次監督はその調子をよく見ながら、今日はやめとこうとか、今日は回すといったと何かで読んだ。

ヨーイスタート、カチンコが鳴った瞬間に、渥美清さんは寅さんになり、満員のお客さんを笑わせた。プロの芸人としてヨーイスタート、さあ日本人よ笑いを思い出そう。
皆さん毎日寒いけど笑顔で行きましょう。労働の後の休日を楽しんで下さい。
そういえばスマイルバッヂはどこにいったのだろうか。(文中敬称略)

2015年2月9日月曜日

「ズキ」




「星はなんでも知っている」なんて歌を唄ったのは平尾昌晃さんだ。
鳥は何でも食べていると思っていたのは私だ。
リンゴを細かく切って小さな庭に放り投げてやると鳥たちが集ってくる。そ
れを見ていて止められなくなり、深夜リンゴを切り刻んでいる。

節分のまめが袋に入っていたのでそれを鬼は外、鬼は外とはいわずに無言で投げた。
朝カーテンを開けて見ると、リンゴはすっかりなくなっていたが豆はほとんど残っていた。うーむ、おかしいなと思った。ぜいたくになってしまったのかなと思った。
一週間リンゴを食べさせたせいかもしれない。鳥は本当に用心深いことを知った。

日曜の午後に行った果物屋さんには、傷もののリンゴとか他の果物も安く売っている。
食べりゃ同じなんですがねと中年のオヤジはいう。
人間と同じで見た目で判断しちゃいけないんですよね、店の前を毎日通る見栄えのいい娘さんは何故か独身ばかりですよといった(?)見栄えと性格は違うからなと私は応えた。

家に帰り、ノートを開いて「女の愛」についてを探し出した。
イタリアの女性は気性で愛す。
スペインの女性は快楽で、ドイツの女性は官能で、ロシアの女性は堕落して、東洋の女性は習慣で、フィンランドの女性は義務で、イギリスの女性は本能で、アメリカの女性は打算で、フランスの女性は心で愛す、とメモ書きしてあった。

女性の傷を愛す国はいない。女性の心の傷は美しい。
見た目は小鳥のようだが、小鳥のようには用心深くなく、まさかのことを経験してしまう。最も最近では男の方が用心深くなりすぎというか、フラレたくない、傷つきたくないと消極的らしい。
♪〜星はなんでも知っている ゆうべあの娘が泣いたのも…。

二月五日(木)NHK「地球いちばん」に私の大好きな「ルー大柴」さんがアラスカのオーロラを見る旅人になっていたのでそれを見た。
星とトゥギャザーしたいといっていた。スタッフから今の気分を「五・七・五」で表現して下さいなんていわれたら、「やぶからスティックじゃないの」といった。天には、星、星、星の海、息を飲み込んだままあの世にいってしまいそうな、オーロラ、オーロラ、オーローラーだ。
星の数ほどあの娘が泣いた訳を知っているのだろう。
オーロラは地球上で傷ついた女性の心が集ってできたのかもしれない。

先週末、傷ついた人が身の上の相談に来た。
メソメソすんなこの本でも読めといって、私の書いた本を渡した。
パラパラとめくりながらまた来ますといって帰っていった。
多分私の本では何の役にも立たないだろう。オ〜イ、友だちに本を買ってもらってくれな、と声をかけた。結局“セコ”なのであった。買うことはない、売るほど持っているから。

二月十六日〜二十三日までの一週間、本のポスター三点を渋谷駅南口に貼り出す。
後輩二人がいいデザインといいコピーを書いてくれた。
新良太さんがいい写真を撮ってくれた。
キービジュアルは、世界チャンピオンの中のチャンピオン「内山高志」さん、赤坂のサロンの「ママ」さん、それとオーロラとトゥギャザーした「ルー大柴」さんだ。

お世話になった広告代理店の社長やみなさんのご協力に感謝御礼なのです。
ちなみにヤクザ者は“傷”をつけることを、“ズキ”を入れるという。または“ハスル”という。

2015年2月6日金曜日

「王さんは『玉』だった」




「艱難汝を玉にす」→カンナンナンジヲギョクニス。
“艱難”とは辛いこと、苦労、難儀なことと辞書にある。
“汝”とはおまえ、そなた、きみということ。
“玉”とは光り輝く存在のことだ。
若い頃の苦労は買ってでもしろ、と古人の教えもある。

あ〜嫌だ、も〜嫌だ、なんでオレだけが、なんでワタシだけがこんな辛い思いをしなければならないの。なんでオレはついていないの、なんでワタシは…と深いため息をつきどっとソファーやふとんに倒れこむ、そんな日々を乗り越えた先に、きのうと違う自分、強くなった自分、優しくなった自分、全然新しくなった自分に会える。
その逆に、つらいこと、嫌なこと、シンドイことから逃げまくると、天から見放されることになったり、運やツキからも見放されたりする。

最もイケナイのは人のせいにすることだ。
アイツのせいでとか、親兄弟のせいでとか、会社のせいでとか、社会のせいとかだ。

私の好きな戦国武将の一人に「山中鹿之介」というのがいた。
本当にいったかどうかは相手が戦国時代の人なので分からないが有名なフレーズが伝わっている。一族滅亡の危機に直面した時に「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」いったとか。そして死に、そして伝説の武将となった。
死に直面し更につらく苦しいことを与えよだった。

日本国はイスラム国(?)のテロのターゲットとなった。
狂信的な人間を相手にした残酷な現実から多くを学ばねばならない。
挑発に乗ってはならない。相手の思うツボの中に進んで入って行くことになる。
大変疲れたであろう国のリーダーたちに冷静になってもらいたいと切に願う。

好きなフレーズがもう一つある。
大きな組織に入っていない(暴力団員でない)、ある街の若いサラ金の男の本を読んだ、その題名が「ブルったらおしまい」であった。
喧嘩をする相手でいちばん手強いのは、じっと、そっと、黙っている男だ。
ブルってはいないからだ。

今夜は何か心が乱れている、何かにブルっているのかもしれない。
だがひと眠りして朝になったらまた、艱難辛苦の一日が始まる。
苦あればきっと楽ありを信じて。ブルってはいられない(ちなみにブルってるは、恐がってブルブル震えていること)。

肩こり、首痛、腰痛をほぐしてくれていた中国人女性(王さん)が一月で辞めてしまったと昨日聞いた、多分そのショックで心が乱れたのだろうと思う。
女子プロレスラーみたいにゴツイけどマッサージは抜群に上手かった。
そして何より優しかった。どこへ行ったの「王さん」なのだ。

“王”さんは私にとってマッサージ界の光り輝く“玉”であった。
私の仕事場の斜め前、「からだリフレッシュ工房」に居た。
誰かどこかであったら教えて下さい。60分で4200円だった。

2015年2月5日木曜日

「ある人の言葉」




今更ながらある人の話を思い出した。
戦争、内乱、紛争、世界中がガッタガタにモメる。
 
日本の極道界でNO.1A組とそこから出たB会の間で大戦争があった。
内部抗争から権力闘争になり、かつての兄弟分同士が血で血を争った。
当初はB会が多数となっていた。

NHK特集にB会の大幹部たちが勢揃いしてインタビューに応えた。
来るなら来いや、ワシらは戦争には負けないでとスゴんだ。
結局組を割って出て行った者に大義はなかったので次々と切り崩しにあってやがて壊滅させられた。イスラム国(?)も内部分裂から発生した。
鉄砲玉といわれる若者たちが極道界で男を上げようと的(マト)にかけた相手の命を奪った。

ある人はイスラム国(?)は戦争したらバンバン儲かる軍産複合体や、それを操るロックフェラーやロスチャイルド、華僑やユダヤ系マフィア、バチカンなどに使われている鉄砲玉なんだよと、アメリカという強力な存在がモメゴトを生み、作り出し、グイグイ介入してジャッキを入れる(空気を入れるともいう、小さなものを大きく膨らまし、モメるようにあおる)日本国のようなダンベイ(金ヅル)から金を出させる。

軍産複合体にとって“平和ほどの悪”はない。
ヒトラーのパトロンがフォードであったのは有名だが、今も同じなのだ。
戦争ほど儲かるビジネスはないのだから。

世界の国々は水面下ではしっかり通じ合っている。
ネット社会に秘密はありえない。
日本国政府、安部総理、首相官邸、何もかもひと芝居を打ったのだ。
何もかも知っていたのだから、勿論ヨルダン政府も。

昨日国会での予算委員会のやりとりを見ていた。
四時四十五分に終わった時、総理大臣は満面の笑顔をあっちこっちにふりまいていた。不気味で不思議な国会の風景だった。
とりあえず片が付いた、早く家に帰りたいと顔に描いてあった。

極道の世界には筋や道や、義理や人情、破ってはならない掟がしっかり残っているが、世界中の金持ち世界にそんなもんは欠片もない。
日本は永遠にアメリカのパシリであり、ダンベイであり続ける。
イスラム国(?)という鉄砲玉はその役目が終わったら、次の役目をさせられるだろう。そして使い捨てにされる。ある人はいった、財閥といういきものは金儲けのためならどんな八百長もやるんだよ、何も知らないのは毎日コツコツ働いている国民なんだ。

長い、長い芝居を打ってTPPはアメリカの書いた初めからのシナリオ通りになってきた。日本国を骨までしゃぶるアメリカは郵政の株を上場させそれを頂き、次に農協を解体させ、数百兆円も頂きに動き始めた。日本国の総理大臣はいまだにアメリカにてディナーもごちそうになっていない、「招かれざる客」なのだ。

2015年2月4日水曜日

「君の名は」



首切り花とも呼ばれるのは椿の花だ。
精一杯咲いていると思っていると突然ポトンと落ちる。
小さな庭に緋色と、紅色の寒椿が咲いてはポトンと落ちていく。
二つ、三つ続けて落ちると花と花と花が重なり合うことがある。
ポトン、ポトン、パサバサという小さくざわめく音がする。

日本人の人質二人の首が切り落とされた。
無惨残酷なのは、この国の人々はすぐに忘れてしまうことだ

人間にとって一番悲しいのは、愛されないことより、忘れ去られることだという。
先日芥川賞と直木賞が発表になった。さて、名前はというともう忘れている。
その程度の賞になってしまった。
高倉健はいつ死んだか、菅原文太はというと、もう忘れている。
まてよ昨日は何を食べたっけというとすぐには思い出せないことが多い。
一昨日となるとほぼ忘れてしまっている。
記憶は脳の中でポトン、ポトンと消え落ちていく。
テロリストは、この国の人々が忘れた頃に再び日本人を人質にするだろう。

「忘却とは忘れ去ることなり、この忘却を知るこころの悲しさよ」その昔、大ヒットした映画「君の名は」の中にこんな一節があった。
君の名はとたずねし人ありからはじまった。3.11が急速に風化し忘れられている。
ポトン、ポトンというより、ツツツツーツーと忘れられている。
あと十日もすれば、首を落とされた二人の名前も忘れられてしまうだろう。
ならば何もかも全て覚えていろとなると超人以上にならねばならない。
人間が人間らしくあるための条件が思い出せない。

現在二月四日午前三時十四分五十六秒、今日は何を食べたか思い出している。
背中の向こうでパサバサと音がした、椿の花が落ちたのだろう。
そうか、昼にきしめんみたいなパスタと、夜は刺し身と握り寿司を六、七貫食べた、巻物を少し食べた、味噌汁が出たが中に入っていた白い物を思い出せない。
朝といえば紅茶だけだったと思う。東京へ向かう列車の中でピョコンと頭を下げた同年輩の男がいた。君の名は(?)一日中ずーっと思い出せない。

午前四時、日本テレビ「Oha!4」が始まった。
ヨルダンのパイロットが殺害され、サッカー日本代表監督、アギーレの首がドタバタと切られたと伝えている。これもすぐに忘れられるだろう。
きしめんみたいなパスタの名が思い出せない。君の名は(?)。(文中敬称略)

2015年2月3日火曜日

「肉マン」




盗撮、のぞき、性交、性的画像送付。
体に触れるなどは日常茶飯事の場所がある、どこかといえば、小中学校なのだ。
わいせつ教師は増える一方なのだ。

先月末、文科省の発表によると懲戒処分を受けた教師が205人もいたという、これは氷山の一角だと思う。
知人の精神科医の話によると、そもそも幼児性愛者の多くが教員を目指すという。
ある心理学博士によると「教員は欲望を表に出せない、抑圧の高い環境にある人ほど、現実逃避傾向があり、匿名性のSNSにはまりやすい。

普段若い女の子と接した時、“自分も簡単にできるのでは”と身近に感じるのです」という。子どもにとって教員、即ち先生という権威は絶対的なので命じられると従順になってしまう。

私には二人の女の子の孫がいる、この春で6年生となる。
心配だ、実に心配なのだ。今後もさらに増加するというではないか。
いっそ一緒に通学して目を光らせるかと思ったりする。
木刀一本持って校門の前に立っていようかとも思ったりする。

今日は節分だ。
鬼は外、福は内なのだが、学校で豆まきをしてスケベ外、エッチ外、ヘンタイ外とやってほしい。浜の真砂はつきるとも、世に先生の性犯罪はつきまじとなった。

運動会の時に望遠レンズを使っている男は要注意だと、知人の警察関係の人に聞いた。もっとも警察署内もSNSによるとんでもないことが多発している。
もみ消すヒマもないから外部にモレ出してしまうという。
何しろ拳銃を持っているんだから相手も恐怖におののくのだ。

先週の金曜日、有楽町の映画館で「薄氷の殺人」という中国映画を観た。
評判がいいので仕事を中断し、最終日の最終回に滑り込んだ。
120席位のところに38人位の観客がいた。

中国の寒い寒い所、昭和三十年代の日本のようなスケートリンク、現代社会は都市を繁栄させたが、地方では今も中国は私が中学生だった頃の日本に近い。
ローラースケートや、スケートリンクには不良が多くいるから行っては駄目だというようなことを生活指導の先公(先生)がいった。

私が通った天沼中学の校庭には浅倉養鶏所というのが突き出し校庭の一角を占領していた。住民の反対により埼玉の方に引っ越したのだが、その後はなんとローラースケート場になってしまった。
朝からスケーターワルツのようなのが流れていて妙な風景が2階から見えた。
勿論そこに行くことは禁じられた。

中国映画を観てそれを思い出した。
犯人を追う傷んだ中年の刑事がやたらと肉マンを食べていた。
当分肉マンを食べる気にはならない。
寒い中国の凍結した道に、乾いた拳銃の音が何か暗示的であった。


森昌子の少女時代のヒット曲に「せんせい」というのがあった。
「私がはじめて好きになったのはそれはせんせい」というような歌詞だった。
その息子(父親は森進一)の「ONE OK ROCK」のニューアルバムが2月から売り出すとTSUTAYAに書いてあった。
中野裕之監督の、「FOOL COOL ROCK」がなんと28枚もズラリとTSUTAYA新作の棚に並んでいた。

私のお仲人は中学時代にお世話になった「女性の先生」である。
昭和の先生は真面目で正常であった。先生のご主人は先生だった。