急募バイトさん時給980円!元気な人を求む。これで不足なら時給1000円!と、私の目の前に貼り紙があった。ヤキトン屋さんの入り口横である。限りなく銀座に近い店である。ヤキトリで一杯は酒飲みの基本である。ヤキトンは更に基本である。この頃はヤキトンの店が減り続けて銀座にあまり見かけない。知人の個展を朝日ホール(日劇マリオン)で観て、その達人ぶりに感動したのでクールダウンさせようと、春風にのったヤキトンの香りの中に入ることにした。そこでバイト募集を見たのであった。店内には日中はさしたる仕事をせず、夕方から夜にかけてがぜん元気になる会社員風の人々で満員に近い。午後七時少し前。時は人事の春、当然のように話題は会社の人事の話のようであった。日中はサボっていてスタミナをたくわえていた人々は、やたらめったら元気がいい。人手不足なのだろう、かつては五人はいた店だ。ヤキトンを焼く汗だくの六十代位の男、両手にでかいビールのジョッキやウーロンハイ、緑茶ハイ、ハイボールとハイハイづくしを一度に持って動く四十代位の男。やるなプロだなと感心する。バタバタ団扇を叩く男が、タン、ハツ、コブクロ、カワ、ボンジリ、レバー、ネギイカダ、ギンナン、シシトウなどを串刺しにして、焼いてはヤキトンを運び役の蚊トンボみたいにやせてメガネをかけた三十代位の男に渡す。三十代らしき男が実にキビキビと動く。ハイ冷や奴、ハイ厚揚げ、ハイ手羽先、ハイもつ煮込みと、ハイハイの大声。私と言えば一人ポツンと日本酒一合をとりあえず。気分はかなりアカデミックだったので、ヤキトンと印象派的ヨーロッパの風景がシンクロしない。が、ヤキトンは食べたいと心は騒ぐ。で、まずカワ、タン(塩で)レバー、ギンナン、ボンジリをオーダーした。バイトが全然来ないんですよ、時給を1000円にしても一人も来ない。私はもう六十三歳このままではもうオシマイと、焼く男が目の前でヤキトンを食う会社員風としゃべり合っている。煙がたちこめる中、アルコールの入った人々はあのバカ、あのアホ、ザマーミロ、いやマイッタな、マサカの坂だよな、なんて話で大盛り上がりとなっていた。人間観察と時代の声はこういう風景の中にたんまりとある。♪~逃げた女房に未練はないがお乳ほしがるこの子がかわい!などと突然、”一節太郎”の浪曲子守唄を唄い出してギャハハハと笑う、そのオジサンが立ち上がった。見ると私の気のせいか目には涙があった。この人たち聞けば四時過ぎから飲んでいるとのことであった。つまり会社で働いていないで給料をもらっている人々であった。バッグの中から雑誌を出してパラパラとめくると、こんな言葉がコラムに書いてあった。「金をつくる法」金をつくるには三かく術を覚えなくちゃいけない。義理をかく。人情を欠く。恥を欠く。この三かくだ。(夏目漱石「吾輩は猫である」)むかし読んだがすっかり忘れていた。オッ!ヤキトンが来た!アノヤローへらず口をたたきやがってと、アタマに来たことを思い出し、コップ酒をゴクッ、ゴクッと飲んだ。左手にはヤキトンが、そして極上の香りがあった。
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