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2018年4月2日月曜日

「かくも長き不在」




これほどまでに妻に愛されていた夫がいたら幸せ者の見本だろう。
近頃こんな主人公の女性はいるだろうか。昨日アマゾンで購入してもらった名作中の名作を、何年ぶりかで見た。第14回カンヌ国際映画祭グランプリ(パルムドール)受賞作だ。
「かくも長き不在」1961年アンリ・コルビ監督作、フランス映画全盛期の頃の名作だ。ビデオだったが、ブルーレイ化された。第2次世界対戦から16年、パリ郊外で食堂を営む女性(テレーズ)の前を一人のホームレスの男が横切る。”陰口はそよかぜのよう”と口ずさみながら、この歌はテレーズにとって思い出のオペラの詞。
汚れきった男はもしかして生き別れになった夫ではないかと思う。
男を店に招き入れると、記憶を失ったと告白する。夫は戦争中ナチに逮捕されて拷問を受け、行方不明になっていたのだ。テレーズは男は夫だと言い親戚2人に引き合わせるが、2人とも違うと言う。パリは夏のバカンスを迎え人々は太陽を求めてパリを出て行く。人の気配がなくなったパリ。河の側で古い新聞や雑誌を集めて帰る男。首からヒモをぶらさげているハサミで、ひたすら気になったところを切る男。テレーズを演じるのは、あの「第三の男」で映画史に残るラストシーンを演じた、アリタ・ヴァリだ。
テレーズは男を招き食事やワイン、そして夫が好きだったブルーチーズを用意する。店のジュークボックスには、夫が好きだったオペラやワルツを10曲入れる。
店の前を通る男に聞かせるために。
ある日テレーズは招き入れた男とダンスを踊る。戦争で失った時間を取り戻したかのようにテレーズは喜びを感じる。汗ばむ毎日、同じ日々、店に来るのは同じ男たち、同じ会話。
テレーズは夫だと信じる事によって生き生きとする。
男を見る目は店の中で見せる厳しい目と違って慈愛に満ちている。この映画は女の情念の物語だ。そしてテレーズは希望を失うラストシーンとなる。店で働く少女は「残るのは私たちだけね」と言う。テレーズは「夏は悪い季節だわ」とつぶやく。字幕には「夏は開放的になる」と訳されている。
バカンスの語源は「空虚」であると、解説書に載っていた。大切な思い出や記憶は稀薄なのだろう。恋愛の会話はフランス語が一番と言うが、この「かくも長き不在」はその通りを証明する。
小さな庭の片隅でもう二度と咲くことはないと、植木屋さんに断じうれた牡丹の木に花芽が出てきて、日々ふくらんで来た。奇跡が起きるかも知れない。
がんばれ牡丹よなのだ。私の記憶では、妖しい女性の口紅のように赤く美しい。
夫婦生活とは二流のシナリオライターが書いた、マンネリの日々、退屈の日々だと言う。
ふと心ときめかした日々を思い出すといい。心にワルツが聞こえて来るだろう。


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