オッ、オヨヨ。コロナ対策の医療チーム分科会の会長尾身茂が、現在の状況では普通はオリンピックなんてできないと言った。(フツーというところがミソ)やるとすれば徹底的な対策が必要と言った。(やるとすればがミソ)尾身さんやるじゃん、と見直しの言葉がドドッと出た。伝聞だったか、何かで読んだか記憶が定かでないが、この人は無類の麻雀好きで、ポン、チーをしながらの調整力に優れているらしい。医学的見識や専門的知識は、さほど持ち合わせてない(?)。政府が選んだ人間だから、政府のためにならないことは決してやらない。アメリカ資本の圧力で、何が何んでもオリンピックをやらねばならない日本国政府は、戦時中体制の如く開戦じゃない、開催に向かう。国民の命なんか知ったことはないと邁進する。尾身茂たち分科会にとっては、何かしら面目を保つことを言い残さねばならない。でもって政府と尾身茂たち分科会は、しっかりと役柄を決めて芝居を打っているのではないかと思う。分科会以外の医師会などは、ちゃんとした専門知識があるので、オリンピックなんかできるはずはないと、次々に発言する。七月、八月、日本は猛暑の中、熱中症などで夥しい数の救急車が出動する。しかしコロナ禍の中でオリンピックをすると、救急患者はさてどうなるか。囲碁や将棋の世界で、“カタチをつくる”という言葉がある。名人、達人たちは打ち続けていると、もう敗けたと分かる。が、観戦記者やファンは終わるまでを知りたがる。テレビ放送などがあれば、敗けと分かっていても手を進める。このようなことをカタチをつくると言う。つまり尾身茂たちはカタチをつくってやるだけやったとなる。碁の言葉に“征(しちょう)”というのがある。強い人と弱い人が勝負をしている時、弱い者が自分の陣地を広げたり、守ったりするために、必死に手を打ち続けるが、どこまで進めてもその手は征、つまり死んでいて、バシッと手を打たれて、ゴソッと陣地を取らてれ敗ける。今の政府はその征に見える。将棋なら詰んでいる。囲碁なら死んでいる、ということになる。日本国軍歌の中に、“世は一局の碁なりけり”とかいうフレーズがある。政局とは囲碁からきているのかも知れない。狭い部屋の中で、ゴッツイニシキヘビを三匹も飼っていたペットマニアに、蛇が大嫌いな私は、檻の中で三匹の蛇と一生暮らせばと言いたい。嫌いな訳は、少年時代伝書鳩を飼っている時、蛇のヤローに小鳩を何羽も殺されたからだ。中国では象の親子が街中に出現した。かわいそうに、食べ物がなくて出て来たのだ。“ミナミジサイチョウ”なる巨大鳥が出現した。ペットショップが飼っていたらしい。かわいそうに長いくちばしの先きが切られている。それ故食べ物をつっつけないので、かなり不自由で怒っている(そう見える)。ドサクサにまみれて高齢者の医療費が1割負担から、2割負担になる法案が成立した。日本語というのは実に情緒がある。雨を表現するだけでも、400~500程あるという。通り雨、夜来の雨、遣らずの雨、六月四日現在、だらしない雨がシトシト降っている。♪~ 通り雨にはすがれない いっそ明日が来ないでほしい すがるこいさん涙にぬれて……。森進一の歌った曲を口ずさむ。銀座、赤坂、六本木、すすき野や中洲、キタの新地やミナミの女性たちが、お客さんが来なくて泣いている。行ってやりたいが、行くに行けない。禁酒法下の中にいる。すっかり甘党になって、深夜から朝まで映画を見ながら、頂き物のチョコや、甘納豆を楽しんでしまう。カラシの効いたところ天で気分転換をする。ステイホームの見本のような苛烈な映画がある。巨匠今井正監督、岩下志麻主演の「婉という女」だ。野間文芸賞を受賞した。高知県出身の女流作家大原富枝原作。(大正生れの作家で記念館がある)土佐藩の家老であった婉の亡き父は学識があり、先見の明が大であった。藩政を立て直すために、あらゆる手を打った。また学問の大事さを身をもって実践した思想家でもあった。政治の世界はできすぎる人間、やりすぎる人間をそのままにはしない。政敵は、婉の父が世を去ると、その優れた血筋を恐れ、四歳であった婉をはじめ、兄弟姉妹、老母たち一族を山の中に幽閉する。外出は一切禁止、外との交流も禁止、竹矢来の柵外には番をする者が見張る。やがて、三人の兄と一人の弟は狂死、病死する。男系の血がなくなり血筋が断たれた時、婉はやっと放免される。幽閉されること四十年、外に出た時は四十四歳となっていた。婉にとってただ一つの救いは、父の門下生であった、一人の学問の徒との文通であった。その一行、一行の中に男を知らぬ身は、男を感じた。二十六歳の時からそれは始まった。美しい婉は外界に出ると藩中の噂さとなったが、六十五歳でこの世を去るまで処女であり続けた。お歯黒もせず女であり続けた。掟が厳しいステイホーム四十年だったのだ。原作は文庫本三篇の中の一作166ページ、講談社から出ている。日本語を勉強するにはこの上なき名作である。(先日再読した)土佐には婉の父が遺した幾多の事業の足跡が今も生き続けている。人々はその上で生活をしている。(文中敬称略)
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