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2025年2月20日木曜日

400字のリング 「老人と山/生と山」

俺は高尚な文学は読んだことはない。大学で哲学を学んだという友人がこんな話をしてくれた。“太陽がまぶしかったから”ということで人を殺してしまった「異邦人」という話だ。(映画は見ている)書いた作家は、アルベール・カミュという。40代でノーベル文学賞を受賞して、40代で交通事故で死んだ。劇的な人生の作家だ。ギリシャ神話をモチーフにした「シーシュポスの神話」というエッセイも書いている。俺はむずかしい話は苦手だから、ざっと教えてと言って頼んだ。人間はそもそも不条理であって、なんで生まれて自分自身になっているのか分かんない。人間は生まれてから一日一日死に近づいて行く。長じて大人になり働くようになると、日々刑務所の囚人のように同じことを繰り返している。朝起きる。顔を洗う。歯などを磨く。服を着て牛乳飲んだり、ジュースやコーヒーなどを飲み朝食をとる。アジの開きに、海苔や納豆、お新香に味ソ汁系もある。犬や猫のエサのようなシリアル系もある。で、衣服を着て外に出て、歩いたり、バスに乗ったり、自転車などで駅に行く。そこから列車や地下鉄に乗る。ギューギューの満員電車に乗り、口臭異臭、体臭に耐えて苦痛と共に目的地で降りる。そしていつもの会社に行くと、いつもの人々がいる。そしていつもの仕事をする。昼12時になると、今日は何にすっか、焼き魚定食か豚ショーガ焼き定食、中華へ行ってマーボ豆腐定食かなんかを食べる。半ラーメン、半チャーハン定食もいい。食後安いコーヒーを飲む。で、又会社に戻り、同じ仕事をつづける。下手に話でもすると、パワハラだ、セクハラと言われるので口にチャックをする。今日もつまんなくて長いなと思いつつ夕方になる。少し元気が出てくる。オッ、五時半か、ソロソロ帰るべとなる。で、いつもの奴といつもの店に行き、チューハイとかハイボール、日本酒などを飲む。で、ヤキトリやおでん、鍋などで腹を満たす。かなり気持ちよくなって来た。ヨシ、いつもの店でカラオケだ。いきなり長渕剛の“とんぼ”かなんか歌ったりして、ヒンシュクを買う。バーロ、課長がなんだ、部長がなんだとボルテージが上がる。ワイワイ、ギャーギャー、男と女が飲んで歌って、騒いでもう帰らなきゃと外に出る。何組かはラブホテルへ行ってしまう。一人終電に向ってヨタ走りする。したたか酔っ払い、時々つんのめって倒れることもある。チクショウ、バカ女房のところへ帰るかと、ゴッタ返しの駅の中に消える。通勤電車はアウシュビッツの囚人列車と同じだ。な、なんだ、俺はまい日、まい日同じじゃねえか、一体何のために俺は生きてんだ。女房、子どものためか、ウィッとしゃくりをしながら、満員列車に突入して行く。20代から60代もしくは70代、入社から定年まで、ほぼずっと同じことを繰り返す。カミュという偉い人はそれが不条理であり、自分で選ぶことのできないのが、人生なんだ。だから死ぬまでは生きなさい、死だけは間違いなくやって来ると教えて“わかるかな、わかんねえだろうな”と、故松鶴家千とせ師匠的になる。“オレがむかし夕やけだった頃、弟はこやけだった。イェイェ~、父さんは胸やけで、母さんはしもやけだった。わかるかな、わかんねえだろうな”この師匠はこれ一曲で大金持ちになり、中金持ちになり、小金持ちになり、無金持ちになって旅立った。イエ~イ、ズビダバ、人間のいいところは“必死”といって、必ず死ねる。これほどの極楽はない。カミュが書いたギリシャ神話の「シーシュポスの神話」という本に“死”はないのだ。永遠に大きな岩を持って頂上に登っては、元に戻らされ、又大きな岩を持って頂上に登っては、元に戻らされ、又大きな岩を持って登って行かねばならない。「死よ、よく来てくれた」といった哲人もいる。地獄には死がない。わかるかな、わかんねえだろうな、人生は不条理なのだ。シュビダバ、イェ~イ。故石原慎太郎が書いた映画「乾いた花」のファーストシーンは、人を殺し刑務所を出たヤクザが駅に降り、人の波をあとに、こんなに人がいやがる。この中の一人位殺したからって、どうってことはないだろう、なんてつぶやく。わかるかな、わかんねえだろうな、イェ~イ。(文中敬称略) 









                    

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