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2010年11月2日火曜日

湘南の嵐便り 「ルノアールの話」



訳あり商品が売れている。
割れた煎餅、少しだけ綻んだ洋服類、五つセットの一つが欠けて4つになった湯呑みセット、チョット傷ついた果物類とか。


かつて古田織部という茶人は敢えて割れ目の入っている茶器を好んだという。
割れ目を金でつなぐ「金継ぎ」、織部好みとして珍重された。へうげものというらしい。
要は物事考え方次第といえる。

古田織部
黒織部茶碗


およそ訳のない人間はこの世に一人もない。生まれた時から訳ありなのだから。
処女と童貞が結婚するのは難しい。最も近頃は結婚しない男達、結婚を面倒くさがる女性達が増えているらしい。男は30歳になっても女性を知らなかったり、女性は20歳で何人も経験していたりする訳有りの男女時代となった。


その昔は一度傷ついた女性は訳有りを隠し続け秘かに生きるしかなかった。
ランチタイムのイタリアン、ホテルビュッフェ、和食、洋食、中華、高級イタリアンで大層な贅沢をしているのは女性と、ひょっとして女性と、女性らしき人と、もう女性じゃない人々がガヤガヤやかましい。

みんな訳有りの人ばかりである。とにかくよく喋り、よく食べる。
男達はマックやドトールや吉野家や立ち食いそばで平均食事時間15分位だろうか、踏ん張って安いコーヒーを飲んで30分位だ。

ルノアールで・・・


ルノアール症候群というのがある、東京中に沢山ある。
ルノアールという喫茶店は広い。新聞有り、コーヒー1杯やプラストースト2枚プラスゆで玉子1個で朝から夕方まで居ても叱られない。
グーグー眠っていても大丈夫。訳有り人間の溜まり場である。



地位無し、仕事無し、ヤル気無し、前途無し、彼女や奥さんとは修復不能、古田織部の茶器の様にはいかない。


文字通りガラクタばかりなのである。
ルノアールに行くと人生の墓場みたいでいろんな人間に会える。
怪しげな不動産屋風の男達、練炭で4,5人殺してしまいそうな保険の太ったおばさんと相手のおじいちゃん。サンドウィッチを食べながら盛んに投資を勧める証券マン。
店内全体がパノラマ的にマッタリ、ノッタリ、グッタリ怪しい空気が漂っている。


スポーツ新聞を四紙見ているオッサン、前の日は天皇賞だったのだろう、見出しに勝馬の名がでっかく出ている。

ブエナビスタ


馬の名はブエナビスタ(訳すと美しい景色)おじさん当たったかいと声を掛けると競馬仲間と思ったのかもう何もかもメチャクチャ、もう駄目スッカラカンだどんな接着剤使ってももう元通りには戻らないと言って冷めたコーヒーをすすった。

いろいろ訳が有ったんだろうな。で、私は何でルノアールにいたのか(?)

2010年11月1日月曜日

湘南の嵐便り 「権威の終わり」



アフリカンアート

芸術の秋である。

上野の森をはじめ、有名美術館で「日展」や「院展」など東京の各地ではとんでもない数の展覧会が行われている。


しかし芸術家は長期低迷であり有望な新人が全くでない。
正しくは権威主義に潰されてしまう。


何年も掛けて描いた力作が長老達にヨイショをしなかったせいでたった数秒でオシマイ、チョンとなる。長老が次!といえばそれで文字通り次となる。陶芸然り彫刻然りである。

画廊廻りが大好きなので色んな個展に行くが正直心がトキメク様なファインアートにはとんと出会う事はない。ほとんどが非実験的、非挑戦的、非メッセージ的である。
相変わらず山水、南画風、梅原風、東山風、佐伯風、藤田風でありつづける。


秋の叙勲で文化勲章に、蜷川幸雄さん、三宅一生さん、安藤忠雄さんが選ばれた。これは画期的である。何故なら御三方共大した学歴が無い苦労人である。

三宅一生さんはパリで鍛えられ、蜷川幸雄さんは役者失格から演出を目指し、安藤忠雄さんに至ってはボクサー上がりの闘志をル・コルビュジェに向け高卒ながら東大の教授になった。今まで初めての事だろう。


アフリカンアート


例えば私が知っているグラフィックデザインや広告界やファッション界で活躍している人間はみんな高卒または研究所卒である。
浅葉克己氏、仲畑貴志氏、葛西薫氏、副田高行氏、糸井重里氏(法大中退)、井上嗣也氏(順不同)トップクリエイターは大学を出ていない。彼等に続く人材は出ていない。


ある人の調査によるとアート系や音楽や芸術系は大学の四年間で大切な感性を失ってしまうという。科学とか物理とか医学とか建築などは大学や大学院での研究が大切だというが、棟方志功や山下清などの天才的人々には大学は全く必要としないという。

学歴は益々無用となって行くだろう。

幼稚園、小学校、中学校、高等学校、大学校とエスカレーターで上がった子供たちの将来は決して明るいとは言えない。20年後の日本がのんびり上がって来た人間を受け入れる余地はない。一芸に秀でよ、逞しく生きよ、夢とロマンを持てと言いたい。


革命的、革新的な人間になって欲しい。
子供達には無限の可能性がある。可愛い子には旅をさせよ、千尋の谷に落とせと言いたい。


ノーベル賞を受賞した先生の言葉に共感した。
一人は「日本人よもっと海外に出て日本を見よ」(旅行者としてではなく)もう一人は「誰もやらなかった事をやれ」と。

子供が描く絵は伸び伸びしていいですね


ジイジイ、バアバア、パパ、ママ、グランパに囲まれたボクちゃんよ一人で外に出よ。
君の将来は君が生み出すのだよ。君の個性は君でしかない、磨くのも君自身だ。

私は子供の描く絵が何より好きである。素晴らしい。
子供に勝てるのは二人だけ。ピカソと岡本太郎それとアフリカンアートだ。

岡本太郎氏



2010年10月29日金曜日

湘南の嵐便り 「血」


私の好きな作家が先日亡くなった。私小説と短編の名手であった。


「忍ぶ川」で芥川賞を獲り、選考委員も長く務めた。作家の名を三浦哲郎という、79歳であった。


この人の不幸を知ると余程の人は自分は未だ幸福だと思うだろう。本葬は岩手県一戸町で行われた。


6人兄弟の末っ子に生まれた。






6歳の誕生日に次姉が津軽海峡で入水自殺、次に長姉が自殺、次いで長兄が失踪する。更に次兄が行方不明となる。


破滅の血は己の身にも流れているのか悩み続けいっそその血を架空の試験管に採って研究し理解することが自分自身だと思う。


架空の試験管とは文学だった。22歳で早大仏文科に再入学、作家井伏鱒二に師事する。3年後学生結婚する。






私は惨たらしい人間です、おふくろの嫌がる事をずけずけと書いた。でも、その惨さを引き受けるのが作家と言い切ったと云う。




忍ぶ川




 一族の血に流れる暗い宿命に書くことで打ち勝った。北国の人らしい粘り強さで。


遺骨を埋めた寺の墓地には真っ赤なサルスベリが咲いていたそうだ。喪うことを豊かに描ける天涯孤独の作家であった。


切実な主題を研ぎ澄まされた文章で綴った。血は水より濃いという。私たちの体の中には長い長い月日を経た今はなき一族の血が流れている。






日本で血のルーツとされているのが天皇家であるがそれがどうして生まれたかは正しくは判らない。


ただ一族一血を守るには誰かが血の本家として必要であったのだろう。サルが人間に進化したのか遠いアフリカからの大地を旅してシベリアから渡来して来て日本人は生まれたそうだ。


一族の血はそこに原点がある、となると人の血は殆ど近親の血という事になる。






悪魔のような血、成功の血、滅びの血、様々な血は繋がっているのだ。


DNAの進化でいずれ解明できる日が来るだろう。ノーベル賞の人とスポーツマン、文化勲章と親分さん、芥川賞作家と風俗の女王とが血で繋がっていても全く不思議ではないのだ。


血は不気味だ。


2010年10月28日木曜日

湘南の嵐便り 「孤舟」

いやはや切なく悲しい本を読んだ。
渡辺淳一の「孤舟」だ。

渡辺淳一 孤舟

大手広告代理店の役員だった主人公が社長一派に入っていなかった為60歳で地方に飛ばされる事になる。プライドの高い主人公はそれを断り定年となる。退職金と企業年金も貰って。

今までは朝から深夜まで仕事仕事であった。
これからは妻と一緒にバラ色の第二の人生と思っていた。だがしかし現実は全く違っていた。


先ず早起きしても行くところがない、やる事がないという現実に慌てふためく。
朝から晩まで家に居る夫はアレコレ細かい事に口を出す。やたらとご飯はまだかと腹を空かす。妻は習い事や友人との交流で結構忙しい。
全然相手にしてくれなくやる事がないという地獄にあえぎ、傷つき、苦悩する。




妻から貰う小遣いは5万円だ。月収200万近くあった給料はもう入らない。娘は26歳、息子は25歳それぞれ外に出て行ってしまう。妻は「主人在宅ストレス症候群」に罹ってしまう。仕方なく外出するが行き先はない。道を歩いていると元居た会社の人間に会うのではという気持ちが支配する。

囲碁教室に行くと嫌なジイさんにコテンパンに負ける。就職活動をするがかつての高収入、高学歴がジャマになって見つからない。月収20万とかつての10分の1のビル管理会社も採用してもらえない。

妻は洗濯物を入れてとかお風呂を掃除してとか自分の事は自分でやってとかいう。
二人で旅行でも行こうと言えば嫌ですかえって疲れるからと言われる。
自分で何かする事を見つけたらと追い込まれいよいよピンチだ。
図書館に行っても落ち着かない、俺は孤独なんだと実感する。


つまらないプライドが第二の人生をつまらなくしているのだ。


私は若い頃会数年社勤めした経験があるがまるで駆け出し、出世競争とはこんなにも男にとって命懸けなのか、私も12時前に帰宅する事はまず無かったが愚妻はソファーに猫の様になって私が帰るまで待っていた。


一人で会社を立ち上げたので未だに上司もいないし出世も関係ない、優秀なスタッフにおんぶにダッコちゃんなのだ。

で、孤舟の主人公はやがてデートクラブに登録して若い娘と出会う事となる。
その後が知りたい人は買って読んで下さい。「孤舟族」はどんどん増えているのです。




公園で孫といつも遊んでいる、犬の散歩係を命じられている、スーパーやコンビニで買い物をメモを片手にマッタリ行っている、いやはやガックリしています。先は長い。

2010年10月27日水曜日

湘南の嵐便り 「セン公」


昨今テレビや新聞で悪夢を見ている。

私が大嫌いな星野仙一がエラソーに記者会見をし、ボクは野球がしたいんやなんて素っ頓狂な事を言っている。正しくは僕はやはり野球でしか大金を手に出来ない、楽天しかオファーがなかったから楽天に行くことにしたんだ。

あれやこれや投資も上手くいってないし、愛人も金がかかるしシャアナイネンというのが衆目の一致した意見だろう。


星野仙一(通称セン公)は私と同じ岡山出身だ。
岡山はあらゆる分野から人物を輩出している。しかし岡山県人のくせに大阪弁を喋るセン公を見ると岡山県人を辞めたくなるのだ。

日本で初めてと言われる個人の美術館、大原美術館を造った大原総一郎、将棋の大山康晴永世名人(玉将を隅に隠す穴熊が得意)、宮本武蔵(試合に遅れるのが得意)、内田百聞(嫌われ者冗談がキツイ)、橋本龍太郎(スゴム、スネル、イバルで嫌われ者)、太田薫(労働界の巨人)、江田三郎(左派の論客)等々多士済々な事は日本一。
大山康晴永世名人


内田百聞


橋本龍太郎
江田三郎


ジーパン日本一、学生服日本一、鰆の水あげ日本一と意外な日本一が沢山ある。

星野セン公は人を利用する事、日本の利権に群れる事日本一、ジジイ殺し日本一、腹黒い事と日本一と悪行は続く。
またあの熱血漢、正義ぶっている姿を見るのかと思うとゾッとしないではいられない。無能の田淵幸一がやはりノコノコついて行く様だ。


田淵



杜の都仙台は岡山が生んだ稀代の悪人に乗っ取られる事となる。
岡山県人としては益々テレビを見ない事になる。

甲子園の人々にまたココに還って来ます、日本シリーズでなんて嫌みな事を言う。
今はギャラの詰めをしっかりしているのだろう。


セン公スポーツはフェアプレイだぞ、ある本でこんな一節を読んだ記憶がある。
「敵は怖くない、一番怖いのは味方だ」セン公はきっと内部からタッチアウトする。

2010年10月26日火曜日

湘南の嵐便り 「オムライス」


長い付き合いの写真家に藤井英男さんがいる。

先日行った藤井さんの個展

先日個展に行って来た。
スペイン、ポルトガルを一年回って撮ってきた作品だ。
藤井さん独特のモノクロームの世界はやわらかい視点で捉えられている。
藤井さんは若い頃、パリで勉強し雑誌「ELLE」などで活躍、日本に帰り本格的に売り出しビッグネームとなった。
写真家は個性が強い人が多いが藤井さん程マイルドな人は少ない。
何人も若い写真家を育てて世に出した。

会場が路地の中であり早めに出て12時オープンの30分前には着いてしまった。

会場の前に二軒の店があった。
一軒はインテリア&ジュエリーショップ、もう一軒は麻布食堂だ。

インテリア&ジュエリーショップ

麻布食堂

インテリアショップでコーヒーをご馳走になって友人を待つ、そこで麻布食堂のオムライスは凄く美味しいですよと教えてもらう。
で、個展を観て友人と麻布食堂へ、入り口は小さいが中はとても広いしお洒落であった。


昔ながらの洋食屋さん風、家庭的で落ち着ける、私と友人はオムライス、私はデミグラスソース、友人はホワイトソースをオーダーした。

私が頼んだデミグラスソース

隣の若い三人はカニクリームコロッケが二人、ハンバーグが一人、シンプルでとても美味しそうであった。今度はメンチカツを食べようと心に決めた。カウンターの人が食べていた。

カニクリームコロッケとハンバーグ

インテリアショップの女性が美味しかったでしょうと言った。
コーヒーを二杯ご馳走になったので5700円のガラス玉を買った。

インテリア&ジュエリーショップの女性


いい写真、いいインテリア&アクセサリー、いいランチ、ギャラリーの名はイー・エム西麻布です。

2010年10月25日月曜日

湘南の嵐便り 「どぜう伊せ㐂」


高ばし 伊せ㐂

過日深川高ばしにある「どぜう」の名店「伊せ㐂」に三人で行った。

佐藤隆介先生

一人は池波正太郎の一番弟子で日本を代表する食通、佐藤隆介先生。
もう一人は佐藤隆介先生の一番弟子でやはり食通の加藤雄一さん、お二人は博覧強記で知らない事はない。

どぜう鍋
「どじょう」とも「どぜう」とも云う。
コイ目ドジョウ科に分類される淡水魚である。この日の目的は、柳川鍋、蒲焼き、丸鍋の三種。ぬき鍋という骨抜きのもある。しかし残念蒲焼きがなかった。

この季節は大きさが足りないので蒲焼きはないとの事。
先生はしまった俺としたことがと声を上げた。それでも柳川と丸鍋をしっかり食べた。


伊せ㐂」「飯田屋」という名店と「駒形どぜう」がベスト3といわれている。

飯田屋の柳川鍋とどぜう鍋


江戸っ子は気が早いので鉄鍋を極端に薄く仕上げており、またどぜうに酒を染み込ませ身を柔らかくして火の通りをよくしている。安い、早い、旨い、江戸っ子のファーストフードであった。

飯田屋のどぜう蒲焼き
店内は開放感に溢れている。


一体この国はどうなっちまったんだろうと先生はつぶやき、この頃かなり右傾化交戦的になっている加藤さんは、元々日本は強いんだ中国にもロシアにも負けてない、勝負すべしといったお言葉を発す。まあ中国やロシアはドジョウみたいに掴み所のない沼科の生き物だからなと思った。
日本もかつては世界中の物をパクって世界の嫌われ者だった。


先生はかなりご機嫌、次の日出張とかで早帰り、最後に鰻の白焼き、加藤さんは白焼き丼、先生ちょっと白いご飯をくれと言ってこりゃ旨いやそして風の様に去って行きました。
雪駄の音が小粋でありました。

飯田屋の鰻重

私はその後銀座のクラブで友人と待ち合わせ、そしてとんでもない目にあったのです。

2010年10月20日水曜日

おしらせ

いつもご覧頂きありがとうございます。
明日、明後日のブログはお休みいたします。


今後ともよろしくお願いいたします。

湘南の嵐便り 「筋者」





先日一人の男が自宅に来た。遠い昔の後輩である。

少年の頃傷害で初等印旛少年院、出所後殺人で久里浜特別少年院、出所後広域暴力団の若衆に。体半分は刺青が入っている。
左手の小指は第二関節、右手の小指は根元からない。


現在56歳。バリバリの親分であり直系の若衆も七人いる。
その男がすすり泣く。

やっと生まれた男の子が死産だったのだ。
バチが当たった、バチが当たったと白い髪ばかりになった頭を下にして。


その日家の奴は留守だった。
家の外にベンツに乗った若者が二人いるので少しずらしてくれと言った。
亡くなった母が少年院を出て挨拶に来た時、もう馬鹿は止めなさいと言った時、自分はこの道しかないので必ず親分になりますと言った。

荻窪駅南口の飲み屋街で喧嘩になり短刀で刺した。
刀は背中まで突き通っていた。何回も面会に行ってやった。


久里浜の特別少年院で水泳の教練が厳しく水泳が苦手な自分には死ぬより辛いと言っていた。こんな狭い家にいてもしょうがないから海でも行こうと海に向かった。
男は涙を拭った。

海辺の防波堤に座り語り合った。
お前堅気になりたいんだろと聞くと今更堅気にはなれないと言って笑った。



今追い込みをかけられていると云った。
何しろ極道の世界も金、金、金の時代だから。
会長代行の奴とどうにも合わないんだ、どうしても我慢出来ない事が何度かあった。


この間若い者連れて夜中さらって片を付けたかったのだが何処で嗅ぎつけたか家に行ったらガードの堅い事、それ以来禁足にされてしまった。未だ破門まではいってないんだが。ガキの頃から博打で生きて来たから。





デリヘルや乱交パーティやシャブや美人局などは絶対やれない。

しっかりケジメつけるか、トコトン堅気になって笑われるかどっちしかないかと私は言った。
お前は元々金筋の親分になるために生まれて来た様な男なんだから、半竹に身を引いたら一生追い込まれるからな。その後男がどの道を選んだかは判らない。




秋の海辺に赤とんぼが飛んでいた。
私は確信するのは必ずあの男は自分でケジメをつけるだろう。
その男の女房になったのは私が育った街のいいとこのお嬢さんだった。
いつもバイオリンを持っていた。56歳の後輩が新年をどこで迎えるかは判らない。
男が惚れ惚れするいい男だった。


ちなみに若衆から一番嫌われる極道(ヤクザ)は
一、金儲けしか頭にない。
一、金にブシイ(シブイ)
一、人を信用しない、銀行は全て自分で行く
一、飲み代を値切る
一、語る(人の名を借りる)
一、フケる(いざという時逃げる)
一、歌う、チクる(密告)(パクられた時直ぐ喋る)
一、スゴム、これ見よがしに自分の女にスゴム。女に手を上げる。
一、フカス、小さな話を大きくするラッパ。
一、ジャッキを入れる、自分で出来ないので人をのせる。
一、根性がまるでない。楊枝一本で刺されて青くなる。血に弱い。
一、銭に異常に汚い。貯めたがる、金の離れが悪い。

こういうチンケな奴人はいつか必ず沈む。

多分狙うその相手はこれらを全部満たしている筈だ、シャブや女の子の体を売って得た金だけでのし上がって来た男なのだろう。


えっ、私の上司もこんな男だって!?
すっかり筋の通った男が居なくなってきましたね。