誤解なき様に願いたいと思う、決して差別語として言うのではなく過去の歴史として書く。
戦前戦中日本人は中国人を「チャンコロ」、韓国人を「チョンコウ」、ロシア人を「ロスケ」と言っていた。中国人、韓国人に与えた差別と苦悩とそれが生んだ日本人への激烈な怒りは永遠に消えずそして忘れられる事はない。
何故か広島長崎に原爆を落とした米国人に日本人は怒りを感じていない。
かつて日清、日露に勝って軍国主義に走った日本は中国、ロシア、韓国に勝った勝ったと日の丸を振った。喧嘩の結果は最後にどっちが勝っているかでその歴史が定まる。
最高の戦い方は戦わずして勝つだが、次に退却しながら勝つというのがある。
ヒットアンドアウェイだ。
ある調査によると今米国への留学生の一番はダントツに中国であり、次にインド、韓国、カナダ、台湾と続く。日本は13万人近い中国の6分の1、2万5千人ほどでありずっと減り続けているという。東京大学などは世界ランクで言えば25位辺りを彷徨いている。
何が言いたいかと言えば日本はあらゆる分野で圧倒的に中国や韓国に負けているのである。やがてインドやオーストラリア、サウジアラビアやメキシコ、トルコにも抜かれて行くだろう。
かつて明治維新を起こしたのは各藩が優秀な人材をどんどん海外に留学させた事から始まった。日本ほど教育熱心な国は世界中でなかった。
特に各大名が作った藩校は素晴らしいシステムだった。
藩士の個性を活かし、なけなしの金を出し合ってでも人材を発掘育成したのだ。
今、この国では絵画、陶芸、彫刻、建築、鍛造、染織、漆芸等およそ芸と名の付くものは食べていけない。まして私が愛する映画などは以ての外間違っても食べていけない映画屋の妻は売春に風俗に、愛人はコールガールに、女は人身売買をやってもらわないと映画は作れない。愛と芸術は昔から背中合わせなのだ。
私の体なんてどうなってもいいのよ、あなたが作りたい映画を作ってくれるなら、あなたと一緒に死ねるなら一緒に死にましょ、それであなたの文学に役に立つなら。私が人のおもちゃになればいいんでしょそれであなたがいい絵を描いてくれるなら。
なんて物語が真実あったのだ。
形は違うが誠に教育の行き届いた女性教育があったのだ。
身を粉にして愛した男に尽くす、例えその男の体中に刺青だらけ、指は何本かなくても。私が知っているいい女は男に体を張っている女だ。
「なめたらいかんぜよ」といった映画があったが男の人生で女にあんたのためなら「死んでもいいぜよ」と言わせたら万感胸に迫り笑って死んで行ってやれるものである。器量のある女と器量のない女の教育の差は勉強や学歴や家柄でなく静かなる愛の戦いである。あなたと生きている間は絶対笑わないわ、しっかり死んだらきっと笑ってあげる。
私が生涯惚れた男は強かったと確認したらね。
そんな女が少なくなった。日本女性程世界に誇れる健気で気高い女性はいなかった。
がしかしその面影は消えていっている。教育の再生には最低でも50年はかかる。かつてお乳を触られただけで舌を噛み、唇を奪われただけで吊り橋から身を投げた日本女性の姿はない。
保険金をかけて次々と男を殺す女の姿はぶっとくしぶとい。ああ男はなんと弱気生き物になったか。枕元に鉈を持っている女の夢を見て飛び起きた。それは誰であったかはいえない。
「星は何でも知っている、夕べあの子が泣いたのもかわいいあの子のつぶらなー」なんて歌が夢の中に流れていた。初めてのキッスの夢だったんだなんて。