むかしおニャン子、そしてモーニング娘、今はAKB48。
秋葉原のメイド喫茶(行った事はない)育ちの様な女の子の集団が大人気らしい。
もっとむかしに野麦峠とか女工哀史という辛く悲しい少女達の歴史があった。
飛騨の冬山を越え長野辺りの製絹工場に働きに行き、少ない賃金で働いて働いて仕送りをする。文字通り死ぬまで働くのであった。
秋元康というある種の天才がいる。美空ひばりの「川の流れのように」は名曲である。又、イベントプロデュース、ユニットの作成の天才である。
今何が人気を呼び何がヒットするかの感覚の天才である。
天はもっと天才の才を彼に与えた。それは博打で負ける天才であるという事だ。
日本中は勿論、韓国、香港、モナコ、ラスベガス、ギャンブルのある処に彼の姿があるという。
そしてでっかく勝負するので有名だ、故に勝ちも大きく負けも大きい。
当然本物の博打打ちじゃないのでトータルではでっかい借金だけが残って行く。
莫大な印税も少女達の生む金も形を変えて消えて行く。
立てばパチンコ、座れば麻雀、歩く姿は馬券買いというのどかな時代があったが現代のギャンブルはケタが違い方法論も様々だ。
地上での博打と地下での博打、天才はギャンブル依存症から抜け出せないでいるらしい。しかし決してめげずに又天才的発想で人気を呼びブームを作る。
人生の収支決算は終わった時一円でもプラスなら勝ちだからせっせと才能を発揮して欲しいと思う。
最近はボーカル+ダンスの集団が多くなったのは何故だろう。
演歌は息も絶え絶えだ。すっかり音楽番組を見なくなってしまった。
米山正夫作詞作曲、美空ひばりの「津軽のふるさと」なんて津軽の風景がそのまま見えて来る素晴らしい作詞であった。
「りんごのふる里は北国の果て、うらうら山脈に抱かれて夢を見た。あの頃の想い出あー今いずこに、りんごのふる里は北国の果て」
「ああ上野駅」の井沢八郎の歌声は人生に染み込んだ。
上野駅 |
ある年のドキュメント番組で集団就職で出て来た少年が事業で成功し大会社の社長になった。何か迷う時、上野駅に立つというものであった。上野は心の駅だったのだ。
かつて東京から青森まで26時間掛かった、そして12月4日東京青森間は3時間20分で行ける事となった。
斜陽館 |
太宰治が生きていたら文学から手を引いたやもしれない。
小説「津軽」は生まれていないだろう。
東京青森日帰り出張の時代となった。速い事は本当にいいのだろうか。故里は遠くにありてと思うものが無くなってしまう。阿久悠の名曲「津軽海峡冬景色」も直ぐ見れるし、森昌子の「哀しみ本線日本海」もお隣感覚だ。
時代がどんどん速くなって故里が近くなり過ぎて行く程人と人の心は遠くなって行く。AKB48の一人一人の女の子の手にするギャラを聞いたらきっとみんな腰を抜かすだろう。ほとんど無賃乗車に近いのだから。そして一人一人途中下車して行く。
天才は今日も丁か半かトランプで21を出すために気合いを入れているかもしれない。
それともルーレットかバカラかドボンか?
私は二十才を過ぎた頃から一切ギャンブルはしてない。それまでに人の一生分以上全ての博打をしたから(ちゃんとプラスで終えた)。
今は生きていくだけでもギャンブルだからだ。
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