私の事愛してる、うん死ぬ程愛しているよ。人に殺されても、うん勿論、どんな掟を破っても。うん、それじゃ一度殺されてみてというテーマを映画にしてみた。
一万円札大好き小銭大嫌い、ブランド大好きそんな心貧しき万札主義者の哀しさを映画にした。身の丈に合わない人生を歩む先には不幸しか待っていない。
どんなに背伸びしても血筋は争えない。一万円が120円に及ばない事を映画化した。
東大、京大、一橋大、早稲田大、慶應大、学習院大、上智大、青学、えっそんな連中がという連中が我々小さな会社にゴマンと面接に来る。
地方の国大とか名も知らぬ大学はうんざりする程来る。
だがしかし真の人材はこのうんざりの中にいるものなのだ。それを発掘するのが面接だ。
※イメージです |
一万円札と120円どっちがいいかと言えば勿論みんな一万円札というだろう、しかし自動販売機のお札の所が故障、120円ないと飲料にありつけないとなると場面はどんと変わるのだ。
学歴優秀、家柄優秀、だけどなんで会社に入れないのというとまず書類でそして次は面接で落ちる。ドアを開けて入った瞬間に分かる。まずオーラが出てないと第一、第二志望の会社には入れない。で、私どもの様な場末の会社にまで来る。しかし全然まるでオーラがない。一銭の金を出す価値が見えない。志がなく人生の目的も夢もロマンもなく、酒も飲まず女遊びもしないという。
文学に暗く、絵画に疎く、当然陶芸や染色まして映画もレンタルで時々観るしかない。AVを見て手コキを毎日毎日する。
東大なんて半端な気持ちで入ってしまったばかりすっかり駄目になり、上智などでナンパを覚え(ちなみに学校から下へのグランドに行く坂をサック坂などという)まあ青姦坂だ。
聖イグナチオ教会はどんな悪さをしても悔い改めれば許されるというクリスチャン程都合のいい教えはないといえる。(上智の学生がいいました)
その昔隠れキリシタンに私は心から感動し涙を流し長崎や天草に行って無宗教ながらその意志力、信仰力に敬意を表した。
遠藤周作の「沈黙」「深い河」に人の心の在りかを探したものだ。
君、最近どんな女の子と寝たかと聞くとビックリし、どの小説でオナニーしたかと聞くと言葉を失い、どの映画で殺意を感じたかと聞くと動揺を露わにし、最近博打で幾ら負けたかと聞くと口を閉じる。ところで君はどこの大学を何のために出たのと聞くと言葉を失う。
学歴なんか関係ねえよ、遊んだ人間しかうちは入れないと言うと汗びっしょりで帰って行く。多分携帯でパパ、ママ、ジジ、ババ、サイテーの会社だったよ僕は凄く傷ついたよ、とこんな子は永遠に志望の会社に入れない。突き出せ、放っぽり出せだ。
一人で暮らし、一人でメシを食べ一人で生きていく逞しさを持たねばこれから世の中は絶対生き抜いて行けない。
いい年をして親の家に住み着いているのは単なるパラサイト、共生虫だ。
親が退治するしかない。
あっという間に30になり40になってしまう。
ジ・エンドだ。まず女の子にはモテナイ事間違いない。放り出せだ。
それが一番の親の愛情だ。
万札より120円を大事にする人間になって欲しい。
お父さんお母さんは一生懸命ストレスと戦っているのだから。
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